50―取り戻した平穏
美しい秋晴れの午後。
白いレースのカーテンが揺れている。
窓から差し込む爽やかな風と光が、昨日という目まぐるしく激しい一日を、遠い昔のことのように感じさせる。
王宮の応接室に招かれた――というより、暴君エルフリーデの横暴により集められたのは、ミリヤム、ギュンター、オットー、アルベルト、トシツネ、ハイデマリー、テレーゼ、ローマンである。
エファはまだエルフリーデと身体を共有している。
珍しいといえるのはハイデマリーとテレーゼとローマンの存在であろうか。
昨日一日のうちに多くのことが起こりすぎて、情報が共有できていない。
それを整理して、互いに報告しようというのは、ほとんど建前。
脅威は去ったと感じている彼らは、この安堵と、取り戻した日常を分かち合いたいのである。
この場は堅苦しい会議ではない。
聞きたいことを聞き、話したいことを話し、内輪でお互いを労おうというのである。
開始の合図などはない。
その部屋へ入ってきた者から勝手に、アルベルトが用意した菓子と紅茶を楽しんでいる。
銘々が、上座も下座もなく好きな席に着き、好きな場所へ移動し、談笑を交わしている。
とはいっても。
話が核心に迫ってくると、皆そちらへ耳を傾ける。
「結局、ヴィンフリートの思惑としては、私を乗っ取った後どうするつもりだったのだ?」
エルフリーデが、自らの中にいる精霊に問いかける。
そして白い瞼が閉じ、再び開く。
「わらわの力で人間界を滅ぼそうという、二千年前から何の成長もしておらぬ愚かな目論見よ。エルフリーデはわかっておったであろう?あ奴の目的のほうはな」
また白い瞼が下り、そして上がる。
「ああ。エファの目的については、大きく見誤っていたようだが」
ゆっくりと瞬きをするごとに、中身が入れ替わる。
それを興味深そうに観察するのはローマン、気持ち悪そうにちらちらと視線を寄越すのはハイデマリーである。
「わらわは、女王として君臨し第二の生を歩み、人間の男など薄情で愛する価値のないものと証明して、孫の顔でも見てやれば、二千年の恨みも晴れるかと思っておった程度のことよ。人間界を滅ぼすなどと、あ奴のようにいつまでも同じことを望みはせぬ。ついでに言うと、ヴィンフリートの奴にああも手こずるとは思っておらなんだわ。放り出しておけば、お前たちが難なく始末してくれると思っておった」
「お主、わしより長生きしておきながら、ちっちゃい女じゃのう」
たっぷりと蓄えた白い髭を揺らして、ローマンが鼻を鳴らす。
「そうとも。わらわは凡愚の女よ。どこぞの王のように、忠誠心などというわけのわからぬものに世界の命運をかけたり、自分ごと敵を葬ろうなどとは考えつきもせぬ」
「エル、お前、死ぬつもりだったのか!?」
焼き菓子を爆食いしていたミリヤムが、勢いよく駆け寄って来て詰め寄る。
瞼が閉じて開き、エルフリーデが表に出てくる。
「すまない、ミリヤム。それが最も勝算が高いと思ったのだ」
「お前ちょっと納得いくまで説明しろよな!?」
「ああ、わかった」
勝手に談笑していた者達もそれを止め、皆が女王の言葉に耳を傾けた。
「精霊エファと私とでは、真っ向勝負しても勝ちようがなかった。勝機があるとすれば、それは敵が最も油断している時だ。つまりそれは、勝ったと思って慢心し、最も弱い獲物を食後のお楽しみとして味わおうとする瞬間のことだ」
この最も弱い獲物が、人間であるトシツネを指すことは、この場の全員に察しがついた。
「ご隠居の力添えで、エファが私の身体を乗っ取る算段だということはわかっていた。私に成り替わったエファが、トシツネを前にしている状態の時に、どうやって勝つか。使える武器がトシツネだけということは、単純に考えて物理攻撃しかないのだ」
例え魔法攻撃が使えたとしても。
エルフリーデの魔法と自身の力の両方を手にしていたエファでは、敵うはずもない。
「トシツネが私のものであるかを気にしていた女のことだ、乗っ取った身体でトシツネを惑わそうとするに違いない。そうなれば、必然的に近い距離に招き入れられる。エファに剣の心得などはない可能性が高いことを考えれば、魔法さえ封じて接近すれば、こちらの勝ちというわけだ」
心理的な隙を突くしかない。
それは理解ができる。
「物理攻撃をする以上、もたらす結果は肉体の破壊だ。それはつまり、私の死だ」
しかし、自分の命まで駒扱いしてのけるのは、さすが自称暴君といったところである。
「皆に謝っておきたいことがある」
青い瞳に真摯な光を宿して、女王が臣下たちを見据える。
「私は、エファを斃すまでの過程で、お前たちのうち二、三人は死んでも仕方ないと思っていた。守れないと思っていた。死なせるつもりでいた」
表情こそ大きく動かさないが、女王の瞳は悲壮な色を帯びていた。
まるで一度、臣下たちを手にかけたと言わんばかりに。
「私に忠誠を誓った臣下だ。喜んで命運を共にしてくれると」
そんな彼女の苦しみとは裏腹に、臣下たちの顔に浮かぶのは、満ち足りた誇りである。
頷く彼らは、そんなことは覚悟の上で忠誠を誓っている。
これはむしろ、主君がその忠誠に信頼を示した証なのである。
「お前はそれでいい。王なんだからな」
臣下たちの気持ちを代表するように、ミリヤムが太陽のような笑みを浮かべる。
その歯列には、焼き菓子のトッピングであろうあれこれが挟まっていた。
「ありがとう。私は皆を誇りに思う」
美貌の女王が、満ち足りて破顔する。
「それはよろしいのですけれど、陛下。私の扱いが酷すぎませんか?」
ハイデマリーが、今日という今日は言わせてもらうと、意気込んで口を開く。
「魔封じの陣で王座の間を囲む手配くらいは、喜んでお手伝い致しますけれど。ご自身が負けたら残りの臣下を動かして精霊を暗殺しろだの、生き残った臣下を慰めてくれだの…。私はか弱い侯爵令嬢で、武官の皆様のように身体も精神も強くありません!」
日頃ため込んでいた分の不満も含めて、彼女は一気に吐き出した。
「すまない、キルヒナー宰相。私がエファなら、私と親しかった武官は遠ざけるが、あなたにはそのまま宰相として働いてもらうからな。立場として最も適役だと思ったのだ」
頬を膨らませ、口を尖らせて、ハイデマリーは菓子に手を伸ばす。
甘いものは彼女の味方である。
「もう、私の仕事は後始末ばかりではありませんか」
尚も不満気な彼女であるが、少し文句を言ってやりたいだけで、信頼されているのだということは理解している。
「前準備から後始末まで押し付けられたのは、わしも一緒じゃ。暗殺用に水晶を大量注文とはふざけておるわい。年寄りをこき使いよってからに、まったく。それに比べれば、お前さん――」
ひとしきり不満を述べてから、ローマンはハイデマリーに向かって“お前さん”と話しかける。
「若いんじゃから、後始末だけといわず先陣切って働かんかい!」
その言葉を聞いたハイデマリーが、ぽっと頬を染めた。
「若い?私が?」
「そうじゃ!小娘!」
「小娘?私が…若い」
嬉し気に復唱するハイデマリーは、すっかり機嫌を良くしたようである。
「あの、陛下。わたしからもよろしいでしょうか?」
珍しくオットーが不満をぶちまけるのかと、皆が興味津々で注目する。
「わたしには、拷問は不向きのようです。次があれば、別の役なり方法をご指示頂いた方が、有益な結果を出せるかと」
「ふむ。そうさせてもらおう」
素直に女王が頷く。
「しかし、敵の体力を奪いつつ、きちんと見張り役を果たしてくれた。感謝するぞ」
あの拷問は、拷問のための拷問ではなかったのだと、ここでオットーは理解した。
「恐れ入ります」
そうして姿勢よく頭を下げる。
「それにしても、何故陛下のお身体を乗っ取る必要があったのです?新しい肉体を得たエファ様は、充分に人間界を滅ぼせる力があったのでは?」
ここまで黙っていたギュンターが、疑問を口にする。
女王が瞼を閉じ、再び開いて精霊が現れる。
「わらわの本体は、封印の依り代となっておる石の身体。独立して動いていたとはいえ、新たな身体を得たわらわは、わらわの一部でしかない。本体である依り代からあまり物理的な距離を離しては、力を振るえなかったのだ。せいぜいこの国でしか猛威を振るえぬようでは、人間界を滅ぼすのは無理なこと。そこで、エルフリーデという存在にわらわという概念を重ねてしまえば、その制約から解放されるというわけじゃ」
わかるようなわからないような、完全に理解をしきれないのは、精霊という存在の構造を皆が理解していないからである。
水晶職人として理に近いところで研究をしてきたローマンだけは、感覚的に馴染む説明であったのか、うんうんと頷いている。
このあたりで、だいたいの疑問が解決したのか、各々がまた好き好きに談笑を始めた。
人数が多い分、全員分の給仕をするアルベルトは大忙しである。
皆触れずにいたが、青い顔をして隅の席で黙って俯いているトシツネのことが、気になってはいた。
すっと立ち上がった女王が彼に近づいていくと、ようやくといった気配が漂った。
「トシツネ」
エルフリーデが声をかけると、トシツネはすっと顔を上げる。
しかしその顔色は、幽霊のように青い。
「すまない皆。少し席を外す」
そう言って、エルフリーデは強引にトシツネの手を引いて、部屋を出た。
本文で台詞のなかったテレーゼさんは、座って紅茶とお菓子を楽しんでいます。




