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48―海の魔物

※R15…残酷描写あり

「物理的干渉は無意味だ」


凛と気高く透き通った声が、海岸にいる臣下たちに語り掛ける。


「エファに代わる」


そうして、白い瞼が下ろされ、長い睫毛が頬に影を作った。


海から生える長い巨体は、尖った口を開けて何かを懸命に吸い込んでいる。

この国は海も陸も、すっかり宵闇の青に呑まれている。

悪寒と嫌な汗が、臣下たちを苛んだ。


「ほお。レヴィアタンか」


ふっくらとした薄紅の唇が開き、深刻な色を帯びた声を発する。

深く青い瞳は、しかし怖じることなく、その生き物を見据えている。


「終末を迎えた世界から霊を呼び寄せるとはな」


その精霊の言葉を理解できたものは、その場にはいなかった。

初老の将校の屈強な体躯に捕えられたまま、蛇のような鋭い眼窩から白い瞳で笑む、ひとりの男を除いては。

その男は、うつ伏せに押さえつけられたままで、僅かずつ身を捩って砂を抉っていた。

塞がれた口が、それを覆う大きな手のひらを巻き込んで、笑みに吊り上がりそうなのを堪えている。


「ヴィンフリートよ」


精霊はしかし、その得体の知れない魔物を無視して、鮮血に塗れたような赤髪の男に近づいた。

光る鱗を纏った魔物は、その間にも槍を片手に佇むミリヤム目掛けて迫ってきている。


「わらわをここから出す気はないか」


白い瞳だけを動かして、男がその精霊の借り物の美貌を見上げる。

その背後ではミリヤムが微動だにせず、海から繰り出される長躯の突撃が自分を通り抜けるのを観察している。


「そうか」


その目を見て答えを察したというように、彼女は借り物の声帯から冷たい声を発する。

同時に、頭から突っ込んだ長い巨体が海と砂浜から生え、穹窿系(アーチ)を形作った。


「ならば用済みよ。お前たち、ヴィンフリートを始末しておいたほうがいい」


言い捨てて、黒いドレスの裾を優雅に持ち上げて振り返ると、彼女は再び海と魔物と対峙する。

龍に似たその魔物は、再びもたげた頭を天へ向け、尖った口を開かんとするところであった。


「下がれ、お前たち」


有無を言わさぬ険しい声で、精霊が指示する。

直感的にその重さを悟った女王の臣下たちは、言われた通り後方へ下がる。


絶世の美女が、膨大な青い光を身に纏う。

見開いた目が、海に聳える巨躯を射抜かんばかりに強く見据える。

長く艶やかな黒髪が、湧き上がり続ける魔力に巻き上げられて逆さに靡く。


「下がっておれ、そしてヴィンフリートを始末しろ」


最期の言葉を吐き捨てでもするかのように慌ただしく、その言葉は早口に紡がれた。

神々しいまでの光を纏ったその女性に見惚れる暇もなく、女王の臣下たちはその背中を信じて、ヴィンフリートに目を向ける。


だがほんの一瞬遅かったのだ。

ヴィンフリートは塞がれた口の中で何かを呟いた。

そしてその身体は砂となって崩れ落ち、姿を消した。

そこに残ったのは、膝や顎で抉られた砂の跡。

それは確かに、何かの図形や模様のようであった。


低く大気を震わせるおぞましい咆哮が響く。

海の魔物はその大口を開き、彼らのいる海岸に向かって真っ白な光を太く吐き出した。

まるで光の槍を突き出すかのようにそれは迫って来る。

女王の身体を借りた精霊が、そこへ同じ太さの青い光を真っ直ぐにぶつける。


長い衝撃波が海の上のその一点を中心に広がり、暴風が吹き荒れる。

遥か後方で木々が千切れ飛んでいるが、構っている余裕は無い。

臣下たちはその場にとどまるために、必死に伏せていた。


力は拮抗している。

それは魔力と魔力のぶつかり合いだった。

ぶつけた端からお互いの魔力を削り取り、その破片が撒き散らされるように大気に放出されると、それが暴風となって猛威を振るっている。


誰もがその光景から目を離せなかった。

しかし、焦げ茶色の瞳は、その視界の端におぞましい赤を捉えた。


大岩の陰、そこに動く人影がある。

その動きは、何かを描いているように見える。

少年はそこへ這っていった。

気配を消すなんて芸当はできないが、音は全て暴風が掻き消してくれる。

砂に塗れながら、ろくに目も開けないほどの風の中を進む。


突如、咆哮が止み、風が収まった。

静寂が訪れる。

吐き出すべき光が尽きた魔物は、再び大口を開けて大気から何かを吸い込もうとしている。

大量の魔力を放出した女王の身体は、肩で呼吸を繰り返しながらも、決して倒れることなくその場に立ったまま、その魔物と対峙している。


「エルフリーデ・ジルヴィア・アル――」


静寂を破る、悪意に満ちた声が聞こえてきた。

全員がそちらを振り返る。


「があっ――!!!」


大岩の背に血で描かれた魔法陣。

そこへ向かい合っている、赤い髪に白い瞳の男。

岩も魔法陣も、その男の喉から噴き出す血を浴びていた。


男の喉に、剣が突き立てられている。

ヒューヒューと情けない音が漏れ、最早何をどうしても男はその名の続きを唱えることができない。

返り血に染まっているのは、剣を握りしめて男を力強く睨む、一人の少年。


「陛下に手を出すやつは、許さない」


それでも赤い髪の男は最後の足掻きのように、自らの喉へ手を伸ばしてその血に触れようとする。

少年は剣の柄に触れて念じた。

すると赤い炎が刀身に宿り、男の身体を焼いていく。


悲鳴を上げることもできない男が、為す術もなく燃えていく。

それは少年が師から貸し与えられた力。

存在ごと滅ぼす魔法の炎。


燃えていく男の身体は、灰も骨も残らない。

めらめらと炎に巻かれてその男が消えると、返り血も、岩の魔法陣も消え去っていた。


それを見届けた少年はそのまま、砂の上に倒れた。


「伏せろ!」


突如、大声が響いた。

反射的に皆がその場に伏せる。


暴風が吹き荒れた。

しかし、咆哮は聞こえない。


薄く目を開けて臣下たちが海のほうを見ると、そこにはもう巨大な長躯は見当たらず、あの魔物が吸い集めていた魔力がその場から一気に爆散しているようである。


しばらく耐えて待っていれば、全てが終わったことを告げる静寂が訪れた。


「術者が消えたことにより、召喚獣も消えたか」


その呟きを発し終えると、ひとり立ったままでいた精霊が、女王の身体ごと崩れ落ちた。


「陛下!」


駆け寄ったアルベルトが、主君の身体を抱き上げる。

まず息があることに安堵し、他の皆を振り返る。


「眠っていらっしゃるようです」


大岩の前で、ギュンターがトシツネを抱き上げる。


「こちらも、気を失っているだけのようですね」


柔和な笑みを浮かべる彼の穏やかな声に、皆が緊張状態から解放される。


「無人地区でよかった」


背後を見遣りながら、ミリヤムがぼそりと独り言ちる。


「帰りましょう」


初老の将校が、疲労を滲ませながら笑む。


そうして彼らは、帰途についた。

荒れた海岸とその周辺の跡片付けは、後日手配すればいい。

アルベルトには、頭を抱える宰相の姿が目に浮かんだが。

今はただ、皆が早く休みたい一心だった。


宵闇が全てを包み込み、潮風が凪ぐ。

先程までの騒ぎが嘘のように優しく。

星が照らし出す二人の寝顔が、安らかに息をしている。


「よく、頑張りましたね」


ギュンターの腕に抱えられているトシツネに、アルベルトは労いの言葉をかけた。

何の力も無い、最も弱いと思っていた人間の少年が、敵を斃し主君を守ったのである。

アルベルトは師として誇りに思い、そして純粋に感謝をしている。

彼らの大切な主君の命を、この少年は二度も守ってくれたのだ。


理知的な赤い瞳が、慈愛に満ちている。

ご褒美は何がいいか。

主君と二人きりにしてやることか。

そんな甘いことを、考えながら。

書き方としてはそんなに残酷に描写していないつもりですが、内容的には…ということでした。

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