44―前代未聞の同居
アルベルトは、突然黒い空間から放り出された。
よろりと立ち上がってみれば、そこは見慣れた王宮の応接室で、目の前には人影が二つ。
なんとも言えない違和感に、頭痛がする。
「…陛下?」
ソファに腰掛けている、トシツネの身体に声をかけた。
「ああ。さすがアルベルトだな」
少年の声のまま、彼の主君が返事をする。
「そして…精霊エファ」
エルフリーデの身体を乗っ取ったまま立っている精霊エファに向けて、緊迫した声を発する。
しかし彼女は、敵意も無くにこりと微笑んだ。
「エファはもう我々の敵ではない」
少年の口からそう告げる主君と、主君の顔で微笑んだままのエファを交互に見ながら、アルベルトは頭がおかしくなりそうだった。
「説明をするから、そこへ座れ」
指し示されたソファに座り、アルベルトは少年の身体と向かい合う。
「わらわは、お前たちの友人を解放して来ねばならぬ。少々閉じ込めておったのでな」
「ミリヤムと叔父上か。しかしあなただけが行っても信用されないだろう。アルベルトに話し終わってから共に行こう」
「だが、二人きりで閉じ込めてあるのだぞ。放っておいては手遅れにならぬか?」
「あの二人なら大丈夫だ。万一があっても叔父上は喜んで責任を取る」
“お前”という呼び方から、“あなた”に変わっている。
優秀な従者は、主君の変化を見逃さなかった。
「ひとまず、私の隣へ座るといい」
そう言って、少年の身体がソファの片側に寄る。
女王の身体を借りた精霊は、素直にそこへ腰掛ける。
「あの、紅茶をお持ち致しましょうか?」
少年の顔にも女王の顔にも、泣き腫らしたような跡が見て取れた。
水分補給をさせなければ、などと、こんな状況でもアルベルトは思うのである。
「ああ、そうだな。ラベンダーがいい」
こんなわけのわからない状況で、少年の身体の中の女王はちゃっかりリクエストまでする。
「畏まりました」
完璧な所作で礼をしながらも、アルベルトは眩暈がしそうだった。
「お前の分も淹れてきてくれ」
主君の気遣いを有難く感じながら、アルベルトは紅茶の準備のために部屋を辞していった。
三人分のラベンダーティーと、彼お手製の焼き菓子を持って戻ると、並んで座る二人がなんとも和やかに談笑している。
「さて、何から話すか。まずはトシツネの無事な姿を見せてやらねばなるまい」
そう言うと少年の中で、何かが交替した。
「先生!今、わたしの中に陛下がいらっしゃって、陛下と一心同体なんです!」
焦げ茶色の瞳を輝かせ、嬉しそうに頬を緩ませて、トシツネは幸せいっぱいにうったえてくる。
それは紛れもなく、トシツネ本人だった。
「こ奴らは、ひとつの身体の中で魂が前代未聞の同居を果たしておる」
優雅に紅茶を啜りながらエファが補足をするが、それでもまだ何のことやら、アルベルトにはさっぱりだった。
「ついに、身も心も陛下のものになれたんです!幸せです!」
幸せそうなのは結構であるが、アルベルトが聞きたいのはそんなことではない。
「トシツネ殿。あなたの意識が優位の時、陛下はどうなっておられるのですか?」
「陛下はずっとわたしの中におられます。身体の主導権をどちらが持っているかというだけのことで、意識はずっとおありです」
「ふむ。では、用を足す時は少し困りますね」
揶揄うつもりでそう言ってみると、トシツネはみるみる青ざめた。
エファはエルフリーデの顔をしたまま、また品のない笑い声を上げている。
「あ、あの、今日から何も食べません…」
「点滴で暮らすというのですか?あなたはそれでよくとも、一国の主にそんな生活はさせられませんよ」
「そ、そうですよね…」
焦げ茶色の目に涙が浮かんでいる。
調子に乗っているからと少し虐めすぎたかと、アルベルトはかわいそうになってきた。
また入れ替わった気配があって、少年の表情が急に変わった。
「アルベルト。特に問題はない。真に私のものであるというのなら、トシツネはどんな姿も私に見せられるはずだ」
少年の声と口を借りて、女王が毅然と言い放つ。
そして紅茶に手を伸ばそうとするが、その手が震えて進まなくなった。
中にいるトシツネが、伸ばそうとする手を引っ込めようとしているようである。
「…このっ!また主君に逆らうか!」
そしてまた少年の表情が変わり、情けない涙目になる。
「先生、やっぱり何とかならないと困ります!ずっと一緒がいいなんて思ってたの、撤回します…」
その眦から耐え切れずに涙が零れてきた。
アルベルトは、ため息をひとつ吐く。
「つまり、トシツネ殿の身体の中に、陛下とトシツネ殿の魂が同時に入っており、どちらも意識を保っていると。それで、戻る方法はわかっているのですか?」
また中で入れ替わる気配がする。
「いや。入ったはいいが、出る方法も戻る方法もわからない。もともとの計画であれば、私は死んでここから消えているはずだったのだ」
「なんっ!?!?」
さらりととんでもないことを告げる主君の言葉に、アルベルトはその場でひっくり返りそうになった。
主君は自分が死ぬつもりで策を立てていたと。
だから最も近しい臣下にはそれを話さなかったのだ。
「生きていてくださって、何よりです」
そう言うと、アルベルトは赤い瞳からぼろぼろと涙を溢しはじめた。
そこで、紅茶と菓子を堪能していたエファが口を開く。
「感動の再会もいいが、話を進めるぞ。問題は大きく二つある」
ふっくらとした薄紅色の唇が、淡々と述べる。
「ひとつ、どうやって本来の身体に戻るか。ふたつ、ヴィンフリートの奴をどうするか」
しかし、アルベルトはまだ、ずびずびと泣いている。
「これは、思ったより使い物にならないな。先にミリヤムと叔父上を呼ぼう」
少年の口から女王が提案する。
「アルベルト。お前はここで好きなだけ泣いておけ」
「え、あの!陛下、そんなぁ」
涙で顔をびしょびしょにしたアルベルトを残して、二人の身体に入った三人は部屋を辞していった。
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「総帥…!僕、もう、もう駄目です…!」
「情けないこと言ってないで、腰動かせ!」
「あぁっ…!」
そんな会話と荒い呼吸が扉越しに聞こえてきて、彼らはその部屋を訪ねるのを躊躇ったのであるが。
「…わかりました、せめて腕立て伏せに切り替えましょう!ね!」
「仕方ないなあ、このヘタレが」
仲良く筋トレをしていただけのようである。
トントンッ――と、少年の手で女王がその部屋をノックする。
「ミリヤム、叔父上。開けるぞ」
少年の声でそう告げると、
「ああ、エル!無事だったか!」
中身がエルフリーデだということを一瞬で理解したミリヤムが返事をする。
ガチャリガチャリと、いくつも取り付けられた錠を外していき、扉を開くと、汗だくだくの二人が立っていた。
「助かりました…。総帥の筋トレメニューはきつすぎます…」
「体力作りは大事だろう、いつまでここにいるかもわからなかったんだからな」
ゼェゼェと、ギュンターは必死に酸素を取り込んでいる。
対してミリヤムは、何とも元気そうな様子である。
「子作りしろと命じたのに、体力作りとはな」
扉の影から女王の身体を借りたエファが姿を現すと、その場が凍り付く。
「心配するな。エファはもう敵ではない」
少年の口からエルフリーデがそう告げるが、ミリヤムとギュンターの表情は険しい。
「エファ。あなたは二人に何かひどいことを言ったのか?」
「ああ。わらわの代わりに世継ぎを設けろと命じた」
少年の姿に似合わぬ大きな溜息を、エルフリーデは吐き出す。
「それは敵でなくとも嫌われていて当然だな」
「すまなかった」
素直に謝る精霊に、汗塗れの二人は驚いて顔を見合わせる。
王座の間で見た高慢な女が、人が変わったように眉尻を下げている。
「罠じゃないでしょうね?」
ギュンターは、信じられない様子だ。
「いや、本気だなこれは」
そう言ったのはミリヤムだ。
彼女はこういう場合、嘘かどうかくらいは見抜いてしまう。
「孫の顔が見たかったというか…。わらわのもとを訪れるのは、王位を継いだ大人ばかりであったからな」
またも瞠目して、ミリヤムとギュンターは顔を見合わせる。
「詳しい話は移動してからにしよう。アルベルトを応接室で待たせてある」
そう言ったのは、少年の姿のエルフリーデである。
「ひとつだけよろしいですか?」
と、ギュンターが控えめに尋ねる。
「陛下がトシツネ殿のお身体を借りているとして、トシツネ殿はどちらへ?」
「一緒にいる」
その答えに、ミリヤムもギュンターも開いた口が塞がらなかった。
しかし、
「行くぞ」
と、事もなげに急かす主君に、彼らはついて行くしかなかった。
私の冗談ってだいたい下品…。
腰を動かす筋トレって、あるにはあるようですが、こういう言い方にはならない気もします。
そこはまあ、ご愛嬌。




