表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
45/238

43―女の愛

「話とは何だ」


それは少年の身体から発せられた声だが、その中にいる女王が発した言葉だとわかる。


「ふっははっ。この光景は滑稽ぞ」


王座に腰掛ける絶世の美女は、微笑まし気に笑う。


「ふざけているだけならば――」


少年の手に握られた剣の切っ先が、白い喉に近づく。


「まあ待て。わらわは、もうお前たちに敵対するつもりはない」


焦げ茶色の瞳が、疑わし気に青い瞳を見据える。


「先程も言ったが、わらわの願いは叶った」


本来エルフリーデのものであるその顔は、満ち足りた笑みを浮かべている。


「その切っ先を向けたままで良いから、腹を割って話をしようと言いたいところであるが。お前たちはすぐにはわらわを信用できぬであろう」


少年の中にいる二人分の無言の肯定を、その女は感じ取った。


「だからまずは、わらわの話からしよう」


そう言って、穏やかな微笑みを浮かべたままで、その女は僅かに睫毛を伏せた。


「覗き見をしておったなら知っておろうが、わらわには恨みに思う人間の男がおった。精霊の身でありながら、肉体を得るために犠牲にしたもののことまでは、もう言うまい。それはわらわが自ら望んだこと。裏切られただの何だのと、腹の立つことは山のようにあったが、最も許せなかったのは、別れの挨拶も無いまま無視をされたことでな」


遠い日を慈しむように、ふっくらとした薄紅色の唇は語っていく。


「醜く縋ってただ別れの言葉だけを求めてすら、あの男は無視を通しよったわ。まあ、そんなことはお前たちにとってはどうでもよかろう。幼稚な憎しみにすぎぬ」


女がそっと白い瞼を閉じると、黒く長い睫毛が白い頬に影を作る。


「この二千年、石になってすら、わらわの意識はあの中に留められておった。動けもせぬ、石ころに過ぎぬというのに。死ぬことはないと知っておったからこそ、その永遠の苦しみに耐えられんかった」


この世に不死に憧れを抱く者は後を絶たない。

けれどそれは、幸福たり得るとは限らないのだろう。


「憎い男の(はらわた)をこの手で引き摺り出してやったというのに、気が晴れとた思ったのはほんの数日。時が経てば経つほど、あの温かい血と肉に触れたときにすら、まだその男が愛おしいと感じた愚かな自分を、誤魔化しようもなく知っていった」


瞼を開いた女は、白い手のひらを見つめる。

その青い瞳が見ているのは、あの華奢な少女の在りし日の手のひらなのだろう。


「まるで存在などしないかのように、ゴミ屑以下の扱いを受けていたというのに、それでも醜く浅ましくもそんな卑しい感情を抱くのだ。わらわは、そんなわらわ自身のことも憎かった」


自嘲気味な独白は続いていく。


「無視をされるということは、存在を否定されること。もう、一秒でも一瞬でも、あの男がわらわを愛したことがあったとも思えなかった。いつ、何を間違ったのか、わらわにはわからない。ただ、思い出も、何もかもを否定することしかできなかった」


凛と透き通った声には、悲しみが混じり始めていた。


「この世に正しいことなど存在するのかどうかも、もうわからなかった。ただあの男が愛おしいと思っただけだったはずだというのに、醜い感情など知りたくもなかったというのに、どうしていれば救われていたのか、全くわからなかった」


端正な眉尻を下げて、女は自らを蔑むように微笑んだ。


「そうして、あの男を憎んだ。わらわ自身を憎んだ。そして、愛を憎んだ」


ほろりと、一筋の涙が白い頬を伝い落ちた。


「わらわは愚かな女じゃ。それでもどこかで、まだ縋れるものを求めていた。思い出に、愛に、ほんのひと欠片でも希望を見出したいと。そして二千年の時を過ごす間に、そんな愚かさをもまた憎んだ。石の女には成す術などないのだ」


青い瞳が寂し気に潤んでいる。


「お前が初めてわらわに触れた時、わらわにはその感情が伝わってきた。お前はわらわのように、愛を信じない女であった。いつしかわらわは、お前を娘のように思っておった。女は恋に傷ついても、子を慈しむことはできる生き物なのだ」


その言葉を聞く焦げ茶色の瞳が、動揺に揺れていた。


「そんなお前が人間の男など拾ってきて、自ら傷つきに行くのかと思うと、わらわは憤りを抑えられなくなった。今思えば、そんなお前を見るのが怖かったのであろう。わらわは、わらわのような女など二度と見たくなかった。そのために、ヴィンフリートに利用されてやる振りをすることにしたのだ」


伏せた睫毛を持ち上げて、女は少年の目と視線を合わせた。


「愛した者に傷つけられるくらいなら、初めから敵である者に滅ぼされるほうが、心は安らかであれる。人間の男などに傷つけられるくらいなら、わらわの手で葬ってやったほうがまだいい。そのついでに、人間の男など愛するだけ無駄だと、証明してやろうと思ったのだ」


借り物の身体の奥から、彼らはじっと見つめ合った。


「そんな高慢な押し付けがいかに見当違いであったかを、お前たちは見事に証明してくれたな」


にこりと、女は微笑んだ。


「世界を滅ぼしたいほどに愛しいと思う、苛烈で愚かな感情を、わらわは知っておる。それが間違いだとしても、卑しくても、浅ましくても、そんなことはもうどうでもいい」


涙は晴れていく。


「人間よ。お前の先程の姿は、わらわの目には醜くなどなかった。わらわはお前のその傲慢で身勝手な愛を愛でよう」


幸せそうに、青い瞳に曇りはない。


「復讐などに手を染めたこの身の咎をこそ憎めど、わらわはもう、自らの卑しい愛を憎まなくて良い」


そうして聖母のように微笑んだ女が、そっと両腕を開いた。


「わらわは救われた。だから今は、惜しみなく我が末裔を愛そう。エルフリーデ、お前はわらわの愛しい娘じゃ」


焦げ茶色の瞳から涙が溢れていた。

それは、少年の感情ではなく、親の愛を知らずに育った女王のものだった。


「っ――!」


剣が床に転がり落ちる。

少年の身体のまま、女王はその腕の中に飛び込んでいた。


おかしな感覚だった。

自分の身体に抱きしめられているのだから。


みっともなく嗚咽が漏れる。

涙に濡れた目で見上げると、青い瞳や白い肌、長い黒髪がぼやけて見えた。

それが、肖像画でしか見たことのない、母の姿に重なって見えた。


エルフリーデは、ずっと愛されたかった。

例え良き王でなくとも、何者でもなくとも、ただのエルフリーデのままで。

無条件で受け入れてくれる母の愛に、ずっと焦がれていた。

それは叶わないはずのものだった。

自分を産んですぐ死んだ母を、殺したのだとさえ思っていた。

そしてあの恐ろしい父でさえ、彼女は殺したのだ。


愛に飢えていた。

けれど、親殺しの自分は愛されてはいけないと思っていた。

愛を知らない自分の中に芽生える愛は、卑しい感情だと、ずっとそう、思って来たのだ。


優しい手が頭を撫でる。

止め処ない涙で、着慣れたドレスを汚らしく濡らしていく。


「…ははうえ」


呼べるはずのなかった、その人を呼ぶ。


「エルフリーデ」


優しく、呼び返す声がする。

柔らかな抱擁に包み込まれた。


「母上!」


違うということはわかっていた。

けれど、止まらなかった。

ずっと欲しかったものが、ここにある。


みっともなく泣き縋った。

その姿を初恋の人に晒していることもわかっていたけれど。

借りたままの身体で、顔をぐちゃぐちゃにして泣いた。


そうすると、青い瞳からもまた、涙が零れ落ちてきた。


「わらわは、あんな男のことなどに構わず、こうしてずっといとし子を抱きしめていてやればよかったのだ」


温かい身体を抱きしめあって、二千年の時を隔てた先祖と子孫が、母娘のように泣いていた。

お互いに身体は他人のものであっても。

感じているのは、紛れもない肉親の愛だった。


「ごめんなさい…」


ふいに、少年の口から謝罪の言葉が漏れる。


「何を謝る、エルフリーデ」


宥めるように、白い手は背中をさすった。


「手も足も、捥いで」


女はクスクスと笑った。


「あれは痛かったぞ」


優しく、大丈夫だと伝えるように、白い手は髪や背中を撫で続けた。


「立派な王になったな、エルフリーデ。わらわは、いとし子を産んだことを、誇りに思うぞ」


それは、産まれてきてよかったのだと。

エルフリーデの存在を肯定する言葉だった。


本当は寂しかった。

本当は泣きたかった。

みっともなく弱音を吐いて、甘えたかった。

そんな感情をずっと抑え込んできた女王の心が、ただのエルフリーデとして満たされていく。


同じ身体の中にいるトシツネは、そんな姿を温かい気持ちで見守っていた。

自分の愛の告白より、エファに与えられる母のような愛に涙するエルフリーデを見て、少し妬けたけれど。

彼は母親にはなれないのだ。


それがずっと、エルフリーデの望んでいたものだというのなら。

満たされていく彼女の全てをまた、彼は愛おしいと感じるのだ。


そうして心行くまで、少年の身体を借りたままで、エルフリーデは子供のように泣いていた。

エファの真の願いは、憎しみを克服すること。

ちょっと強引ですかね。

そして、エルフリーデの内面の問題をこれより前にもっと書き込めていたら、この場面がもっと映えたかもしれないと、反省。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ