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29―王命、好きな女のタイプを吐け

その夜、トシツネは女王の寝室に呼ばれた。

ひとしきり様々な妄想を膨らませて、念入りに風呂場で身体を洗ったりした上で、「心は奪われていない振りをなさい」という師の言葉を五十回以上念じた。


緊張しながら扉をノックすると、「入れ」と感情の読めない女王の声が答える。


「こんな時間にすまないな」


エルフリーデは、きちんと正装したまま、書き物机に向かっていた。

トシツネは、ほっとしながらがっかりした。


「とんでもございません」


臣下らしく跪いて、トシツネが答える。


「顔を上げて楽にしろ。そこのソファにでも座るがよい」


指し示されたソファにトシツネが腰かけると、長方形の低いガラステーブルを挟んで、エルフリーデが対面に移動してきた。

彼女は向かい合う形で優雅に腰掛け、真っすぐにトシツネに青い瞳を向ける。


「大切な話だ」


そう言われて、トシツネは身構えた。

窓の外では、枯れ始めた木々の葉が風にざわついて、時々舞い落ちている。

秋の気配が漂い始めているのだ。


「お前の好きな女についてだ」


ぎくり、と、ソファの上でトシツネの身体が跳ねた。

それは、目の前の女性を意識しすぎてしまう引き金となる、魔法の言葉だった。


「お前は我々の方針をわかっているだろうが――」


瞼が伏せられ、長い睫毛が白い肌に黒い影を落とす。

その様子ひとつだけとっても、トシツネはこの女性が好きだと思った。


「お前には、相応しい時期に私のものになってもらわねばならぬ」


瞼が開き、青い瞳に見つめられる。

その青色の深さに、吸い込まれそうだ。

ドクドクと、胸が高鳴ってうるさい。

この部屋に来る前に念じていた、師の言葉をもう一度強く思い出す。

「心は奪われていない振りをなさい」、と。


「しかし、その心は他の女にあるのであろう?」


じっと、類稀な美貌から視線を送られる。

うっとりと見惚れていたいところだが、そうはいかない。


「誰だ。正直に申してみよ。想いを告げる機会をやってもいい」

「それはいったい、どういった…」


焦げ茶色の瞳に驚きを乗せて、見つめ返す。


「玉砕して来いと言っているのだ。はっきりと失恋すれば、いずれ忘れることもできよう」


言葉に詰まる。

トシツネの好きな女性は、今目の前にいるのだ。

他の誰かに玉砕しようもなければ、目的のためには今目の前の女性に玉砕してもいけない。


「余計なことは案ずるな。幼稚な嫉妬でその相手に私が危害を加えるようなこともないし、お前ならば十中八九振られる」


何か前提がおかしい。

彼女が嫉妬する理由が無い。

トシツネが振られるという根拠については、残念ながら彼自身に思い当たる節があるのだが。

好きな女性からもそう見られているのかと思うと、少し涙が出てきた。


「イヅノメ皇国だろうが他の国だろうが、私の魔法で送ってやれる。さあ、吐け。お前の心を掴んで離さないのは、どこの誰だ」


焦げ茶色の瞳を潤ませて、横暴な主君を見上げた。


「わたしは陛下に忠誠を捧げています。この身は陛下のものです。それではいけませんか」

「良いか悪いか判断するのはエファだ。現時点で不十分だと見なされている以上、悪いというのが答えになる」


きっぱりと、不機嫌に主君は答える。

端正な眉を顰めるその様子でさえ、美しくて目を離せない。

トシツネは、心を奪われていない振りをしないといけないのだ。

もうどうしていいのかわからない。泣きたい。喚きたい。好きだ。


「…できません。告白なんて」


目尻に涙を浮かべて、上目遣いに美貌の主君を見上げて訴えた。

すると彼女は、何か衝撃を受けて傷ついたような目をした。


「そんなにその女が恋しいか。主君の命に背いてまで、その想いを手放したくないと思うほどに――」


エルフリーデは、ソファから立ち上がって窓のほうへ歩み寄り、トシツネに背を向ける。

窓には、明るい室内が鏡のように映っている。しばらく沈黙が流れた。


「今はよしとしよう」


静かな声でエルフリーデが告げる。

その後ろ姿が心細げに見えて、もしも許されるなら、艶めく長い黒髪ごと抱きしめてしまいたかった。


「今すぐでなくともよい。それに、その女を忘れたからと、私に心が向くとも限らぬ」


絶世の美貌で女王が振り返る。

その儚げな横顔には、切ない色が浮かんでいた。

こんな表情を見せられては、分不相応に自惚れそうにすらなる。

トシツネの胸が、締め付けられるように痛んだ。

言ってしまいたかった。好きなのだと。


「だが――」


エルフリーデがトシツネのほうへ真っすぐ近づいてくる。

急速に速まっていく鼓動に気持ちを急き立てられながら、トシツネはその歩みから目が離せない。


ふわり、と、隣に腰を下ろされた。

甘い香りがする。

その存在を近くに感じる。

なにかくすぐったい。

並んで座る、その太ももが自分のそれと、衣服越しに僅かだが触れているではないか――。


「お前はどんな女が好きなのだ」


息がかかりそうな距離で顔を覗き込まれ、悲鳴を上げそうになる。

自分の顔が真っ赤になるのが、その熱さでトシツネにはわかった。


「好きな女のタイプを訊いているのだ。それくらい吐け」


その前に太ももを離してもらわなければ、妙な興奮に理性が呑まれそうだ。

質問への答えなんて出てこない。

この女性は、気づいていないのだろうか。


「おい、トシツネ」


白い肌が、青い瞳が、ふっくらとした薄紅色の甘そうな唇が近い。

意識が沸騰しそうだ。

もう駄目だ、とトシツネは思った。


「陛下、ふ、太ももが、その…」


怪訝な色を浮かべて、エルフリーデが視線を落とす。

はっとして、女王は少し身を離した。

そしてほんのり頬を赤らめて、恥じらいながら視線を逸らす。

その様子がまた、トシツネの心をどうしようもなく惹き付ける。


「色仕掛けはしないと、アルベルトと約束した」


それは、なんとも残念で安堵する報告だった。


「無理強いをするつもりもない」


何を無理強いされてしまうというのかと妄想が膨らみそうになるのを、寸でのところでトシツネは耐えた。


「その代わりに、お前が好きになれる女に近づいてやろうと言うのだ」


完璧な造形の麗しい美貌が、真っ直ぐトシツネを見据えながらそんな言葉を口にする。

紛れもない傾国の美女が、何か血迷っているようだ。


「さあ、吐け。どんな女が好きなのか」


くいっと、逃がさないとでも言うように、しなやかな白い指で顎を掬われた。

これで色仕掛けをしていないつもりだとは、己の魅力の計算違いも甚だしいと少年は思う。


「あ、あの…」


じっと、微動だにせずに青い瞳が見つめている。

すっきりと通った鼻梁の下で閉じられた、ふっくらとした唇が柔らかそうで、目のやり場に困ってしまう。


「はっきり言え」


きっと顰められた眉にも、心を鷲掴みされるかのように魅了される。

しかし、答えなければ許されないことは、はっきり感じ取れる。


「白い肌が…美しいと思います」


答えらしきものを絞り出す。

たおやかにトシツネの顎を撫で始めた指を離してもらわねば、理性が蒸発する。

早く答えて、解放してもらわねばならない。


「長い髪も…」


師の言葉を心の中で繰り返す。

心は奪われていない振りをしなければならない。


「ほお。それで?」


目の前の女性を見つめたままで、答えを探す。


「…長い睫毛も、青い瞳も、通った鼻筋も、ふっくらとした唇も、豊かな胸も、括れた腰も、さっきの太ももも、優雅に座るそのお姿も、全てが素敵です」


エルフリーデが固まった。

しまった、とトシツネは気づいた。

今、大告白をしてしまったではないか。

あれほど、タイミングには気をつけろと師に言われていたのに。

どうしよう。どうすればいい。

今すぐエファが現れたら、どう責任を取れば――。


パチンッ――と、頬をはたかれた。


「…え?」


青い瞳に怒りが宿っている。


「男はそうやって、顔や身体ばかりを見ている。これだから――」


ぎっと、睨まれた。


「私を褒めそやして答えを誤魔化そうと思ったのであろう?表面的なことを並べ立てて逃れたつもりか」


混乱に頭が真っ白になる。

トシツネは、何を怒られているのかわからない。


「あ、あの…」


美貌の女王が憤っている。

その姿を見つめて、トシツネは美しいと思う。

好きだと思う。

それは、望まれた答えとは違ったのだろうか。


「なんだ、わからないという表情だな。いいか。お前の言葉通り受け取ったとする。ではその通りの容貌でさえあれば、中身が別人格になろうと、お前は好きになれるのか?」


はっとする。

トシツネの答えは、彼女の内面の美しさにはひとつも触れていなかった。


「他に好いた女がいるのに、こうして脅す私が厭わしいのはわかる。だからといって――」


エルフリーデの視線が、足下へ落とされる。

その肩が僅かに震えていた。


「中身の無い女だと言わんばかりに、外側だけを心にもなく褒めてあしらわれるくらいなら、はっきり魅力が無いと言われた方がマシだ」


傷つけた。

傷つけてしまった。

それはわかるのに、トシツネにはどうしていいかわからない。

気丈に伸ばされたままの背筋も、すぐに凛と前を向いた瞳も、痛ましく思えた。


「申し訳、ございません…」

「憐れむな!」


怒気に怯みそうになる。


「お前に憐れまれるほど落ちぶれてはおらぬわ」


その言葉とは裏腹に、恋しい女性は瞳の奥で悲しんでいる。

そう思えてならなかった。


「私は王だ。誇りくらいある」


立ち上がり、背を向けて女王は彼から遠ざかる。


「もういい、今日は下がれ」


温度の無い声が響く。

トシツネには、それに従うことしかできなかった。

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