28―隣の席と、五の記憶
二度目の休憩時間。流石に疲れ切った皆のところへ、アルベルトが紅茶と菓子を運んでくることを提案する。
全員それに賛同し、赤い瞳の従者は急ぎ足で準備に走った。
「つっかれたー!」
声を上げつつ大きく伸びをするミリヤム。
その軍服を纏った長身の引き締まった肢体に、思わずギュンターは目を奪われた。
「何だ?」
視線に気づいたミリヤムが、怪訝そうに問いかけると、はっとしてギュンターが視線を逸らす。
「いいえ、別に」
不躾な振る舞いに恥じ入りながら、ライトグレーの瞳は再びミリヤムのほうへと視線を戻した。
「あの、総帥」
「ん?」
「怒っていらっしゃいますか?」
「何を?」
あまり感情を表に出さず乱雑な返しをするミリヤムに、ギュンターは尻込みしそうになる。
「少し強引に腕を引っ張って、痛い思いをさせてしまったのではないかと」
「なんだ、そんなことか」
下らない、とでも言いたげに、ミリヤムは興味が無さそうにそっぽを向いた。
グサリッ、と、ギュンターの胸に何かが刺さるような痛みが走る。
鬱陶し気に溜め息をひとつ吐いて、窓際に歩み寄ったミリヤムは、琥珀色の瞳を外へ向ける。
日の暮れ始めた王宮の庭が、その先に広がっていた。
手入れの行き届いた花壇も、白いタイルを張り巡らした通路も、今は水の上がってこない静かな噴水も、茜色に染まっていくままに身を委ねている。
白銀の長い髪、程よく日に焼けた艶やかな肌、琥珀色の瞳、その横顔の全てもまた、熔け落ちそうな太陽の光を浴びて茜に染まって輝いていた。
「なあ、お前」
ギュンターが見惚れていると、視線を合わせないままミリヤムに呼びかけられる。
「はい、何でしょう」
「オットーと、席替われ」
少しの間、沈黙してしまった。
それが、彼女の隣に来いという意味だと気づいて、ギュンターは顔が熱くなる。
頬が染まってしまっているかもしれない。
もし今、彼女が振り返ったら。
どうにか夕陽の仕業だと、言い張ることができるだろうか。
「おい、聞こえたか」
幸い彼女の視線は、まだ窓の外だった。
深呼吸を一度だけ。
そして短く息を吸う。
「はい」
そう答えると、彼女の唇の端が持ち上がった。
微笑んでいるのだ。
「お前、昨日からほんとに変」
その声は僅かに愉快気で、仄かに甘い、穏やかな響きをしていた。
「お邪魔してはいけませんよ」
「はい、先生。すみません」
背後で囁き交わす声に、ギュンターは一気に現実に引き戻された気がした。
振り向くと、紅茶と菓子の準備が整っており、声をかけるか悩んでいたらしいトシツネがおろおろとしていた。
気を利かせたオットーは、既に席をひとつずれている。
「おやおや、お邪魔してしまいましたか」
尚も小声のアルベルトに、申し訳なさげにされた。
ギュンターは苦笑で返して、問題ないと伝えようとする。
「総帥、僕たちもお茶を頂きましょうか」
窓際のミリヤムに、なるべく平静に声をかける。
「ああ、そうするか」
それは、ごくいつも通りのやり取り。
ぎこちなさはどこかへ消え、普段の二人に戻っていた。
席に着いたミリヤムは、隣のエルフリーデの耳に口を寄せる。
「エルの言った通りっぽいぞ」
その囁きはごく小さく、エルフリーデだけが聞き取った。
エルフリーデは、ミリヤムに黙って微笑みかける。
それをミリヤムは肯定の意と捉えて、白い歯を見せてニカッと笑った。
内心では、エルフリーデは叔父に小さな罪悪感を抱いていた。
ミリヤムはエルフリーデの言った意味で彼の嫉妬を解釈し、子供同士の友情のような親密さを示して満足させるために、隣に座らせたのである。
そうとは知らぬギュンターは、未知なる恋のときめきに胸を焦がし、切なさに身を任せていた。
隣に座るミリヤムの存在を妙に意識して、チラチラと横顔を盗み見ては、その胸の内に想いを馳せて溜め息するのである。
「若いというのは、それだけで美しいことだ」
ぼそりと、漏れ出たオットーの呟きに、
「わたしは知識と経験の豊かな年輩の方を、とても尊敬します」
と、トシツネが呟き返す。
「これはこれは。人は幾つになっても無いもの強請りをするものだ」
オットーは若い頃でも思い出しているのか、遠い目をしてそう言った。
窓の外で、陽が落ちていく。
既に茜の光は弱く、王宮の庭は迫りくる宵闇に青ざめかけていた。
刻一刻と移ろうその色のように、美しいものほど儚く、見惚れている間に消え失せてしまうものなのだろうか。
――などとは、恋をして詩人になった、この日のギュンターの杞憂である。
そうして二度目の休憩を終えた彼らはまた、五という数字の貼られた黒色の水晶に手を伸ばした。
それは彼らがこの日最後に見る、初代国王の記憶である。
―――――――――――――――
真っ暗な地下道にいた。
明かりを灯したランタンを手に、栗色の巻き毛が揺れる後ろ姿が目の前にある。
その後を、おっかなびっくりついて行く。
「ヴィンフリート。この先に本当に王の寝室があるのだな?」
「ええ、間違いありませんよ」
先導している男はヴィンフリート。
ランタンの明かりで辛うじて照らし出された首元に、シルクハットからはみ出た髪は、鮮血のような赤。
「あの男の腸を引き摺り出してくれるわ」
幼さを残した少女のその声は低く、暗い喜びに塗れていた。
前を歩く彼女の、華奢な身体が頼りなげに見える。
暗闇の中で、ランタンの明かりが目に痛い。
三人分の足音が反響し、恐怖を煽る。
「わらわがその気になれば、奴のところへ行くことくらいは容易かった。だが――」
それは少女の独り言だと、察しがついた。
「それでは筋が通らぬ。あ奴こそわらわの元を訪れて、謝罪のひとつもすべきであろう」
誰も答えない中、少女は胸の内を吐露し続ける。
「待ってやったのだ。これほどの年月、赦してやるための機会を待ってやったのだ。なのに、何の音沙汰もない。あ奴は、わらわが苦しみ抜いて生きていることすら、馬鹿にしている」
その表情は直接見えない。しかし、少女の声は顕著に、怒りを煮え滾らせている。
「わらわが精霊だからか?人間より長く生き、力を持つ者だからか?強者ならば、何をしても、悲しみも苦しみもせぬとでも?」
ランタンを握りしめる華奢な手に力が込められ、細い骨のかたちが浮き上がって見える。
「わらわとて怖かった。わらわの魔法を用いてあ奴の元へ行き、どういうつもりかと問い質したとしても。化け物扱いでもされ、話にもならなかったら――」
目に見えてわなわなと、少女は憐れなほどに震えている。
「そんな妄想に取りつかれて恐怖するほどに、わらわとて脆弱だというのに。それでも、いとし子のことを想えば、生きねばならぬと必死だというのに。あ奴は何もかもを侮辱している!」
唯一の光源であるランタンを投げつけかねない勢いで、少女は憤怒を露わにした。
「強者の力でただ蹂躙したとて、わらわの気は済まぬ。わらわが苦しみ抜いた時間を、これ以上侮辱はさせぬ。あ奴に罪をわからせてやるのだ。そうでなければ、そうでなければ――」
ヴィンフリートが振り返り、唇の前に指を一本立てる。蛇のような不気味な眼窩から、白い瞳が鋭い視線を送っている。
「そろそろ近い。聞こえてしまいますよ」
しばしの沈黙が流れる。
そして少女が振り返る。
「母が戻るまで、良い子にしておれるか?」
それは、優しいママの声。
先程までの呪いの言葉が嘘のような、慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、愛らしい少女が青い瞳を向けている。
「うん」
答えて頷くと、柔らかく頭を撫でられた。
くすぐったくて、気持ちよくて、嬉しくなる。
「母は行ってくるぞ」
「いってらっしゃい」
再び後ろ姿を向けた少女が、ランタンをヴィンフリートの手に託す。
そして、通路の先へひとりで進み、暗闇にその姿が呑まれる直前で、何かを押し開いた。
一瞬、開いた先から光が差し込み、また閉じた。
その方向からおぞましい悲鳴が上がった。
あの先で何か、恐ろしいことが――。
気づけば、白い瞳に直視されていた。
ヴィンフリートがかがんで、視線を合わせているのだ。
細く吊りあがった目に見据えられて、身体中が恐怖に覆われる。
「坊や、そろそろお名前を教えてくれるかな?」
鮮血のような赤い髪が、ランタンの光に濡れて恐ろし気に艶めいていた。
恐怖で言葉が出ない。
早くママが戻ってくればいいのに。
じっと、白い瞳が視線を逸らさない。
もう限界だと思って、ぎゅっと目を瞑った。
「賢い子だ」
冷酷な声が、耳元で囁く。
「けれど君は幼すぎる」
その声が耳から入ってくると、ぞくりと悪寒が駆け抜ける。
すっと、その恐ろしい気配が離れていくのを感じて、瞼を開いた。
その瞬間、遠くに爆音を聞いた。
「君の母上は情熱的だ」
悪魔のような微笑を浮かべた横顔が、ランタンの明かりに照らされている。
細い目を更に細めて、白い瞳は見えないものを見透かしているかのように、遠くを見ていた。
「あの姿は、子供の目には毒だろう」
衝撃音がひとつ。
そして、なんだかわからない音が次々鳴り響いて、その振動はこの地下にまで轟いた。
小さな拳を握り締めて、不安に耐える。
早くママが戻ってくればいいのに。
早く、早く――。




