27―恋バナと、三の記憶
「十五分間の休憩とする。休憩後、再びここに集まるように」
全員が一の水晶の記憶を見終わったところを見計らって、エルフリーデが告げる。
こんなものを続けて見ていては、気がおかしくなりそうだ。
皆が席を立つ中、エルフリーデは隣のミリヤムに小声で呼びかけた。
「おい、ミリヤム」
「何だ、エル」
「ちょっと」
そして、皆に話を聞かれないよう部屋の隅まで移動し、小声で囁き合う。
「叔父上と何かあったのか?」
「さあな。あいつ急におかしくなったんだ」
「心当たりはないのか?」
逡巡する間、髪と同じ白銀の睫毛が僅かに伏せられ、窓から差し込む陽の光に煌めいていた。
「おかしくなったのは、昨日検晶チームの研究室を出てからだ。不機嫌そうにしてたから理由を問い質したら、仕事中の奴に酒を差し入れようとしたあたしの非常識さに呆れたせいだって言われた」
琥珀色の瞳が、戸惑っているのが見て取れた。
「けどあたしは納得してない。あいつが一方的におかしい」
エルフリーデとて、話を聞く限り納得できない。
ミリヤムが非常識な振る舞いをするのは、ごく親しい相手に対してのみだ。
いわば、害の無い範囲で甘えているのである。
それにいちいち目くじらを立てたり、長く根に持ったりするギュンターではない。
「誰に対する差し入れだったのだ?」
「エルがチームに抜擢した、地理学者のヨハネス・デューラーを覚えてるか?」
「ああ。あの中では唯一平民だったか。面接したアルベルトは、勤勉実直な人物だと評していたが。何か問題でも起こしたか?」
広い視野で地理と地質を分析し、自然災害の予測を的中させた実績もある。
その優秀さを買って、エルフリーデは彼を抜擢したのだ。
「いや、別に問題は無いはずだ。あいつはあたしと同じ村で育った幼馴染で、差し入れはあいつに持っていった。あたしに対してタメ口で話してはいたが、ギュンターがそんなことで腹を立てるとも思えない」
「ふむ」
農村出身の平民だったミリヤムだが、軍での活躍が目覚ましくあれよあれよと昇級し、女王に目をかけられて貴族となり、今や国内でも並ぶ者の少ない高い身分を得ている。
クラナッハ公爵家当主に対する非礼を咎めることはできようが、彼女自身気にしていないものをとやかく言うほど、ギュンターは柔軟性に欠けた狭量な男ではない。
「他には何か気になることを言っていなかったか?」
「ああ、そういえば」
ミリヤムは髪と同じ色の、すっきりと整った白銀の細い眉を顰める。
「あたしがヨハネスに気があるとでも言いたげなことを、言っていたな」
エルフリーデには、思い当たることがあった。叔父は、もしかすると――。
「ミリヤム。叔父上のことは、そっとしておくといい」
「何だよそれ」
不機嫌そうに、琥珀色の瞳がエルフリーデを睨んだ。
「叔父上は、少し嫉妬しただけだ。幼馴染なんてものがいないから、一番仲の良いミリヤムにそれがいることが気に食わないんだ」
「そんな子供っぽいことをする奴か?」
「たまにはするさ。あまり気にするな」
先程までよりは納得しやすい解を得て、ミリヤムは一応は頷いた。
恋。それは、普段冷静な者に奇怪な言動をとらせかねない、厄介な病だ。
しかし、第三者が口を挟んで、どうなるものでもない。
特に、ミリヤムに対してエルフリーデが言えることは、多くない。
――一方その頃、廊下では。
男性陣が集まってギュンターを捕まえ、話を聞いていた。
どうしても皆、あの様子が気になって仕方なかったのだ。
「つまり、ライバルの出現によって、ご自分のお気持ちに突然気づいてしまわれたのですね」
赤い瞳に好奇心を宿して、アルベルトが確認する。
「そういうことになりますね。全く、情けないことです」
観念して全てを吐いたギュンターが、心底情けなさそうに俯いた。
「恥じることはありませんよ。いかな賢者といえど、恋をすれば愚者と変わらぬ振る舞いをするものです」
最年長者のオットーにそう言われれば、ギュンターも少し慰められる気がした。
トシツネはといえば、余計な口を挟まず、気遣わし気な視線を向けている。
「それで、シュレンドルフ公はどうなさるおつもりですか?」
アルベルトに問われて視線を上げたライトグレーの瞳が、オットーに向けられる。
「それについて、ミュラー大将にご意見をうかがいたいのですが」
オットーは黙って頷く。
「突然に結婚前提の交際を申し込まれては、女性は困るものでしょうか」
アルベルトもトシツネも、予想外の答えに固まってしまった。
結婚前提、とくるとは。
あの豪胆な女性が家庭を持つところは、なかなかに想像し難い。
その点、皆より長く生きているオットーが動じないところを見ると、さすがと言わざるを得ない。
「シュレンドルフ中将は、大変真面目ですね。その点に好感を持たれることは見込めるでしょう。しかし、それは振られやすいアプローチであるというのが、わたしの意見です」
ライトグレーの瞳を真っすぐオットーに向けたまま、ギュンターは神妙に頷く。
「相手が結婚を強く望んでいる女性であれば、交際を申し込んできた男性にそれほど好意がなくとも、結婚前提という言葉は武器になり得るでしょう。しかし、クラナッハ総帥はそういう女性には見えません」
なるほど、と、オットーの言に全員が頷いている。
「対等の関係を築くにあたっては、自分にも相手にも利益がなければ上手くいきません。恋愛や結婚というのはこれに当てはまるものと考えてよいでしょう。シュレンドルフ中将と交際することで、クラナッハ総帥にもたらす利益がなければ、それを受け入れてもらえる理由が無いことになります」
全員が納得する。
年長者の意見とはいかに貴重なものかをひしひしと感じる。
トシツネはこっそり自分の状況に当てはめて、絶望的観測に落胆していた。
「結婚前提という言葉を、覚悟を表すために用いようとお考えなのでしたら、現段階では一旦それは脇へ置いて考えましょう」
頷くギュンターの様子から、オットーの読みが正しいことが察せられる。
「恋愛の場合、お互いに利益を生み出すかたちとして、単純明快な答えがひとつあります。それは、お互いに好き合っている場合、交際を約束することがお互いの利益になるということです。相手がこちらに好意を持っていないのであれば、それは交際関係を持ちかける条件が揃っていない段階であると、基本的には考えるのが妥当です」
「なるほど…」
「勿論、例外はあります。告白をされたことで心が動く場合もあります。また、相手が交際相手を求めている心境であれば、恋人候補として自分を挙げるだけで利益を提供できることになります。しかし、それらの可能性を特に見込めないならば、告白という行為そのものが、需要と供給の釣り合いの取れない一方的な交渉に近い。玉砕のリスクを高めるだけです」
「おっしゃる通りです。では、玉砕のリスクを少しでも低くするために、僕に何ができるでしょうか」
ほとんど息を止めて、三人はオットーの次の言葉を待っていた。
「一番いいのは、好きになってもらってから想いを告げることです。ですから、気を引くことが第一です。当たり前のことと、思われるでしょうがね」
当たり前のようでいて、焦っていては見失いがちなことである。
告白された側に答えを悩ませる時点で、ほぼ振られたようなものなのだ。
相談を持ちかけたギュンターのみならず、アルベルトとトシツネまでもが、深く頷いていた。
「シュレンドルフ中将はもともと男性として魅力のある方ですから、異性として意識してもらう工夫さえすれば、自然とお気持ちを掴めるのではないでしょうか。もう一押し必要だと感じたら、ロマンチックな状況を演出したり、甘い言葉をかけてみたり…あなたのような貴公子にそうされて、決まったお相手もいないのに心動かない女性は少ないと思いますよ」
「まず、部下としてではなく、男として見てもらえるようにすればいいのですね」
にこりとして、オットーは頷いた。
間もなく休憩時間は終わり、全員が元のように会議室の席に着いた。
女王の合図と共に、三という数字の貼られた黒色の水晶に、六本の手が伸びた。
―――――――――――――――
芝生の上。
昼の太陽の下。
暖かくそよぐ風、春の草の匂い。
手の中には木製の積み木。
帽子を被せて禿頭を隠したら、もうすぐお手製のパパが完成しそうだ。
「あの男…あの女と…」
声のする方を見上げれば、栗色の豊かな長い巻き毛が、麦わら帽子の下で風に揺れている。
「期待など…していなかったが…」
華奢な身体を怒りに震わせる愛らしい少女が、切れ長の大きな目を少し遠くへ向けて、暗い笑みを浮かべている。
「男は皆そうなのだ」
吐き捨てるように言いながら、口元だけに笑いを浮かべて青い瞳が何かを睨む。
気になってそちらを振り返ると、一組の男女が仲睦まじそうに笑い合って、口づけを交わしていた。
あの男は知っている。
ママにずっと言い寄っていた。
「君の傷が癒えるまで、ぼくはいつまでも待つよ」なんて。
ママを取られるんじゃないかと、心配したこともあった。
だけどもう、その心配は無いようだ。
芝生の上を、近づいてくる足音がする。
「美しいお嬢さん。何かお辛いことでも?」
少女に声をかけているのは、若い男だ。
「たわけたことを、精霊カインの息子よ」
後ろを向いているその男は、漆黒の正装に身を包んで、白いリボンが一周巻かれた漆黒のシルクハットを被っている。
「わたくしには、ヴィンフリートという名前があるのですがね」
「そんなことを言いに来たのか。わらわに何の用じゃ」
「わたくしたちは、手を組めるのではないかと。そう思ってお訪ねしたのです」
「わらわが、お前と手を組むだと?」
「ええ。我々には、共通の敵がいるのです」
「わらわは男が嫌いじゃ。男など信用せんわ」
「あなたの息子さんだって、いずれ男になるのにですか?」
男がこちらを振り返る。
「ねえ、かわいい息子さん」
その色素の薄い白い瞳に覗き込まれた時、言い様の無い恐怖が身体中を駆け抜けた。
帽子からはみ出している髪は、血のように鮮やかに赤い。
どくりどくりと、心臓が早鐘を打つ。
「わらわの息子から離れろ」
「これは随分なことをおっしゃいますね」
少女の静かな怒声に、男は離れていった。
おぞましい男の白と赤が、視線を放された後も残像となって意識に留まり、小さな身体を震わせる。
「そう男を嫌ったところで、お門違いというものです。世の中の男がみんな不誠実だなんて理屈は、通りません」
その言葉が少女を激昂させたことが、表情から読み取れた。
「あれを見よ!わらわをまた、男が裏切った!」
白い瞳が、幸せそうな一組の男女を見遣る。
「まあ、まあ。あれは人間の男でしょう」
「ああ」
シルクハットを脱いで、男が真っ赤な髪をあらわにする。
「わたくしの母もまた、父を裏切りましてね」
怪しい光を白い瞳に宿し、男は悪魔のように囁きかける。
「悪いのは人間です。脆弱で、臆病で、卑劣で醜い生き物だ。そう、思いませんか?」
少女の青い瞳が、悪魔の微笑を睨めつける。
「魔力も持たず短命故に、口先だけが達者に育ち、都合が悪くなれば簡単に裏切り、自分本位に生き急ぐ。それが人間という生き物です」
少女は尚も、男を睨み続けている。
「お前の言うことには一理ある。だが、わらわを用いて何をさせようと企んでおる?」
「用いるなんて、とんでもない。わたくしはただ、同じ敵を持つ者同士、お近づきになりたいだけですよ」
逸れることのない少女の視線は、悪魔のような男の笑みを値踏みする。
「わらわに人間を憎ませ、お前の手先にしようというのであろう?」
「手先だなんて。考えてもみてください。精霊のあなたに、混血のわたくしが敵う訳がありません。同じ目的のために動いて下さるのであれば、わたくしのほうこそ喜んで、あなたの手足となって働きましょう」
青い瞳の怒気が和らいでいく。
「ヴィンフリート。わらわはお前を信用せん。だが、手を貸してやらぬでもない」
「では、信用して頂けるよう、良い働きをご覧に入れましょう」
「その必要は無い。利用しようと考えているならば、それはお互い様だということじゃ」
ヴィンフリートという名の男が、少女に向かって畏まった礼をする。
そしてもう一度こちらを振り返って、冷酷そうな唇の端を吊り上げて笑みを作った。
「坊や、お名前は?」
男が近づいてくる。
血に塗れたような色の髪が、男の頭の上で芝生と同じに風に揺れている。
一重の細長い蛇のような目の中から、白い瞳が刺すような視線を投げかけている。
造り物のように高く整った鼻筋が、無機的な冷たさで卑下する。
心臓が凍えるような感覚に苛まれる。
怖い。怖い。怖い。
「わらわの息子から離れろと、言ったはずだ」
ぴたり、と男が歩を止める。
そして少女を振り返り、
「これはこれは、失礼を致しました」
そう言って、慇懃無礼なお辞儀をした。
「また、お訪ねします」
去っていく素振りで、傍を通り過ぎるその瞬間、
「賢い坊やだ」
と、悪意に満ちた微笑を浮かべて、その男は低く囁いた。
恋愛相談に乗ってくれる年長者を書こうとすると、自分自身にそれができるだけの能力が要求されますね…。
うぐっ。撃沈。




