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26―ぎこちない二人と、一の記憶

検晶チームの勤勉な仕事ぶりにより、翌日には記憶水晶は綺麗に整頓された。

時系列順にナンバーが振られ、内容を小見出し付きで要約したメモが貼られ、用が済んだら王家の禁書庫へ納める準備まで整えられている。


そして、今度の件に役立てるという観点からは、別口の報告書もまとめられていた。

そこには、大まかに三種類の扱いを提案した上で、水晶ナンバーごとに細かい記載がされている。


一種類目、見る必要がなく特筆すべきことも無い水晶。その水晶の内容には全く関連する情報が見られない場合、これに当たる。

二種類目、見る必要まではないが、メモ書きに目を通すべき水晶。その水晶の内容は大筋とは関係がないが、一部の場面に重要な情報を含んでいる場合が、これに当たる。

三種類目、見るべき水晶。今回の件に深く関わると思われ、直接その記憶を見ておくことに価値があると考えられる場合が、これに当たる。

と、いった具合である。


エルフリーデ、アルベルト、ミリヤム、ギュンター、オットー、そしてトシツネ。

記憶水晶を検めるために会議室に集まったのは、このメンバーだ。

自由参加というかたちでローマンとテレーゼも招待したが、欠席との返答を受け取っている。


この頃になると、トシツネも精霊言語をほぼ理解し、流暢と言っていいくらいに話せるようになっていた。

よって、今回は精霊言語で進められる。それによって不自由した場合は、アルベルトが補佐をするという条件付きではまだあるのだが。


会議室の後方に持ち込まれた台の上には、ずらりと黒色(こくしょく)の水晶が並べられており、そこには数字とメモが貼り付けれている。

部屋の中央に設置された楕円形のテーブルを、ぐるりと囲むように椅子が置かれ、銘々が好きな場所に着席していた。

そして各席には、予め資料が配られている。


誰も触れなかったが、皆が違和感を感じていた。

いつもなら自然にミリヤムの隣、エルフリーデから見て奥の側に陣取るはずのギュンターが、今日は何故かオットーとトシツネの間にいる。

エルフリーデから時計回りに、アルベルト、トシツネ、ギュンター、オットー、ミリヤムの席順なのである。


全員が落ち着いたのを見計らって、エルフリーデが口を開く。


「まずは、中身を見る必要まではないと判断されるが、一部重要な情報が拾えるという水晶のみの情報をまとめ、重要な点を箇条書きにした資料に目を通してほしい」


そう言ってエルフリーデは、報告書からその部分の資料を取り出し、読み上げる。


「精霊界と人間界とは、別空間にある。

精霊界と人間界を行き来する方法は、精霊側だけが知っていた。

エファは他の精霊の力を借りて人間の肉体を得ていた。

エファと人間の王子は駆け落ちの約束をしていた。

身ごもったエファは、大きな腹を見せることを厭って一時的に姿を隠した。

その間にお腹の子の父は人間の女を娶った。

エファが出産してから復讐を実行するまでの期間は、約三十年」


箇条書きにまとめただけで、ドロドロとした女の執念を感じるような話である。

女性陣からは、相手の男に対する明らかな軽蔑の色も見て取れた。


「これらの根拠となる水晶と、その場面については、皆に配った資料の中に個別に記載されている。気になるものがあれば、該当する水晶を確かめることもできる。ここまで、意見または質問はあるか?」


青い瞳が、その場の全員をひとりずつ順に見据えていく。

トシツネが挙手して口を開いた。


「質問です。魔族は三十年でどの程度成長しますか?」


エファの復讐時点での、アルテンブルク王国初代国王の成長度合いを問いたいのだと、他の者たちにも察しがついた。


「人間でいう六歳分程度だと言えるだろう。魔族と人間との身体構造の違いは、その成長と寿命のみとほぼ言い切れると考えられている。人間と比較するなら、成長度合いは寿命に比例すると考えていい」


トシツネは頷きながら耳を傾ける。


「補足として。魔族女性の妊娠期間は、人間と大差のない約一年だ。精霊エファが人間の肉体を得ていたことから、彼女の妊娠期間も約一年以内という計算で概ね誤差はないだろう」

「わかりました、ありがとうございます」


トシツネが礼をする。


「他にはないか?」


もう一度、青い瞳が全員に視線を向けた。


「特になければ、実際に記憶の検めに進む。まず、一の水晶から」


エルフリーデの魔法で、後方の台に並べられた黒色の水晶のうちひとつが、机の上の皆の中心へ移動する。


「各自手を触れてくれ」


一、という数字の振られた水晶に、その場の全員の手が伸びる。

その時、ミリヤムと手がぶつかりそうになって、慌ててギュンターが手を引っ込めたのを、全員が黙って目撃した。




―――――――――――――――




栗色の巻き毛を腰まで伸ばした、可憐な美少女が床に頽れて、泣いている。

華奢な身体には未成熟さを感じさせるあどけない丸みが残り、瑞々しい肌が絶え間ない嗚咽に震える様は憐れを誘う。

涙に濡れた頬を拭う手のひらの陰で、泣き腫らした瞼が持ち上がり、現れた瞳の色は深い青。


「マァ、マァ」


拙い口を一生懸命に動かして、少女に呼びかけた。丸々とした幼い指を広げて、短い腕を伸ばしてみるが、届かない。


指の間から窓が見える。

そこから夕陽が差し込んでいる。

これは、小さな民家の一室の風景だ。


少女は振り向かない。

ひたすらに泣いている。


「あぁ、あぁ、あぁ、どうしてぇ――」


嗚咽は今にも慟哭になりそうに悲痛に響く。

少女はこれ以上激しく泣かないよう、いじらしく堪えているように見える。


「どう、して、返事が来ないのぉ、おお」


とめどなく涙が溢れて、少女の顔や手を濡らす。

ボトリ、ボトリと零れ落ちるその粒の大きさが、悲しみの深さを体現している。


「うぅ、あぁ、あぁ――。わらわ、はぁ、捨てられ、たぁ、あぁ」


白い歯を剥き出すように、小さな口を悔し気に横に開いて、少女は喚く。

その口の中に、涙の粒が流れ込んでいく。


「ひどい、ひど、いぃいい」


あまりに泣いて、人形のようにかわいらしい顔がぐちゃぐちゃになっている。

真っ赤に血走った眼球の醜さを見ていると、そうまでこの少女を傷つけた者への怒りが湧いてくるほどだ。


「わらわを、無視、したぁ、あああ」


一際激しく、少女は泣き声を上げた。

ボロボロと涙が零れ落ちる。

先に乾いていた涙の跡も、後から後から零れてくる涙にその軌跡を掻き消されて、それらの涙が肌の上でドロドロとした質感を増すのを手伝っていた。


ひとしきり、意味を持たない泣き声だけを少女が上げ続ける。

やがて疲れにその勢いは弱まり、激しい呼吸に上下する華奢な肩も次第に穏やかになりつつあった。


「覚悟くらい、していたというのに」


震える掠れ声は、か細く響く。


「所詮、人間とわらわとでは、生きる時間が違うのだ。ずっと一緒には、いられない」


穏やかになりきらない呼吸の隙間から、ぽつり、ぽつりと言葉が吐き出される。


「人の心は、移ろいやすい。そんなことは、知っている。永遠など、望んでは、おらぬ」


再び込み上げてきた涙が、ほろりとこぼれて一筋、頬を伝う。


「あ奴が、他の女がいいと言うなら、送り出す、覚悟も――」


流れ始めた涙はまた、次の涙を誘ってほろりと零れ落ちる。


「最後まで、わらわと向き合って、くれたなら、想い出、だけは――」


既に真っ赤に、ぐちゃぐちゃに、涙の跡で荒れた頬が、更にその上から涙に塗れていく。


「なのに!なのに、何も言わずに…別れも告げずに…」


肩の震えが激しくなる。不規則な呼吸が一際荒くなる。

ヒューヒューと、喉の音がしている。

しばし言葉もなく、少女は息と涙が落ち着くのを待った。


「わらわは、待った、のに。あ奴が、何も、言わぬから」


絨毯に手をつき、俯いて少女は拳を握りしめる。


「わからぬまま、不安なまま、待った、のに」


ぎゅっと、握られた場所の糸がほつれながら皺になる。


「苦しかった、悲しかった、怖かった、無力だった」


ゼェ、ゼェという呼吸の音が聞こえる。

再び息が荒くなり始めている。


「手紙は、届いているはず、なのに…」


ボトリ、ボトリと、絨毯の上に涙が落ちて、沁み込んでいく。


「ただ一言、別れの言葉が欲しいと…。望みはたったの、それだけだったというのに」


その声の最後が掠れる。

涙が止まる。


「わらわを、無視した」


声色の変わった低い声が響く。

絨毯を放して、少女は顔を上げた。

その目には、怒りの炎が宿っている。


「わらわと過ごした時間を、ゴミのように捨てた」


呼吸が荒くなる。

肩が激しく上下する。

湧き上がる憤怒が少女を支配していく。


「わらわとあ奴の子を、一度も見もせず。交わした約束を破るのに、断りもせず…。わらわを、裏切った!」


立ち上がり、少女は拳を握りしめて震える。

その手のひらに、爪が食い込んで血が滲んでいる。


「あの男が、憎い」


ギリギリと噛み締めた歯の隙間から、絞り出すように少女は呪詛を吐く。


「わらわと、この子の存在を否定する、あの男が…!」


握りしめた拳を壁に叩きつけて、憎しみを込めた声で少女が叫ぶ。


「憎い。憎い。憎い。憎い。憎い憎い憎い憎い憎い」


その声は、呪いそのもののようだった。

しばらく俯き、少女は微動だにしない。

その様子に不安が募る。


「マァ、マァ」


幼い喉から発した呼びかけに、暗い狂気に支配された青い瞳が、ぎょろりとこちらに視線を向けた。


「あの男の子供…!」


突然、首を絞められた。

息ができない。

このまま死ぬのだろうか。

苦しい。苦しい。苦しい。


はっと、我に返った少女が手を放す。

自分の喉から一気に幼い泣き声が溢れ出し、耳がおかしくなりそうなほどウワンウワンと響いている。


「ごめんね、ごめんね、ごめんね、ごめんね」


少女のか弱い腕に抱きあげられる。


「お前は、わらわのいとし子。わらわが、守る――」


皮膚の薄い華奢な身体に、ぎゅっと抱きしめられた。

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