15―少年の名
時を数刻遡って、アルテンブルク城内にて。
「エルはまだか」
日が落ちた頃から半刻置きに、ミリヤムはアルベルトに尋ねてくる。
「まだです」
「もう、日付が変わるぞ」
「わかっています」
何度目だろうか。帰らぬエルフリーデに痺れを切らして、ミリヤムは今にも飛び出して行きそうだ。
「今日中に帰らなければおかしいと思えと言ってたな」
「ええ」
「遅い」
「そんなにイライラしないでください。わたくしとて心配でたまりませんが、我々には待つことしか――」
そこにギュンターが姿を現す。
「まだのようですね」
「ああ、遅い」
「総帥、そう苛立っても体力を消耗するだけですよ」
「日付が変わったら様子見に行ってくれ」
「それが良さそうですね。ただ――」
「ただ?」
勝手に話を進める二人を見ながら、アルベルトまで苛立ってきた。
「陛下が戻ってこられない状況に陥っているとすれば、策も無く乗り込んでも、僕も同様に戻ってこられなくなるかと」
しばしの沈黙の後、ギュンターが口を開く。
「総帥。糸の端を持って、入口で待っていてくださいますか」
「アリアドネか」
蚊帳の外にされたアルベルトが、不満げに口を開く。
「わたくしは」
「残れ」
「何故です!」
「エルの帰る場所にお前がいなくてどうする」
上手く言いくるめられた気がするが、アルベルトは黙った。
ミリヤムがいかに、頭が切れて感情の機微もわかるかということを、部下のギュンターはよく知っている。
普段おちゃらけているように見える言動は、全て計算なのではないかと疑ったこともあるほどだ。
アルベルトが敵う日は来ないだろうと、彼はこっそり確信した。
「僕たちが午後までに戻ってこなかったら、おかしいと思ってください」
渋々頷いた女王の従者は、その場にひとり取り残された。
―――――――――――――――
「エル!」
封印の洞窟からの脱出に成功したエルフリーデたちを見て、糸の端を持って入り口で待っていたミリヤムが喜び駆け寄ってくる。
両腕を広げてそれを受け止めようと待ち受けたエルフリーデを素通りして、ミリヤムはギュンターに担がれた少年のほうに一直線に向かった。
「こいつか!噂の!」
好奇心旺盛な琥珀色の瞳を輝かせて、日の出の光に輝く白銀の髪を揺らしながら少年を覗き込んでいる。
「おい、ミリヤム」
エルフリーデは、両腕を下ろして嘆息する。
「へえ!意外なタイプっていうか!なかなかかわいいじゃないか!」
「譲らんぞ」
僅かに怒気を含んだ声が、低めに凛と響く。
ミリヤムは大声で笑い出した。
「いやいや!いらないよ!全っ然好みじゃないし!」
そんな言い方をされては、エルフリーデとしては面白くない。
むっとして、苦笑しているギュンターから少年を取り上げた。
「これの良さは、私だけがわかっていればいい」
「お熱いねぇ!」
揶揄うミリヤムに背を向けて、少年を抱きかかえてエルフリーデはさっさと帰ろうとする。ギュンターがそれに続く。
「盛り上がっているところへ水を差すようなことを申しますが、目と鼻の先が敵地だったことをお忘れなく」
「おうおう、それが糸の端を持って健気に待っててやった乙女に向かって言うことか」
むくれたミリヤムも、帰途につくことに異論があるわけではない。並んで歩きだした。
「感謝していますよ、総帥。あなたのおかげで戻ってこられました」
「私からも礼を言うぞ、ミリヤム。勿論、叔父上にも」
「アルベルトにも後で礼を言ってやってくれないか?あいつ多分、置き去りにされて拗ねてるだろうから」
「留守を預かってくれたんだ。礼を伝えよう」
「何にせよ、無事でよかった」
心から、ミリヤムは安堵している。
徐に、エルフリーデの腕の中で少年が目を覚ました。
「お目覚めか」
琥珀色の瞳が好奇心に輝く。ギュンターも、観察するような視線を向けている。
「起きたなら、名乗れ」
エルフリーデが静かに言うと、覚醒したばかりの少年の焦げ茶色の瞳がまっすぐ見上げた。
「申し遅れました」
咄嗟に出てきたのは、彼の母語だった。精霊言語はいくつかの単語を知っている程度で、全く習得できているわけではないのだから、無理もない。
「トシツネと申します」
「言いづらい、却下」
ミリヤムが軽口を叩くが、エルフリーデは無視した。
この時を待ち望んでいた女王には、それどころではないのだ。
「トシツネ」
大切に、噛み締めるように、うっとりと。
エルフリーデは、ようやく知ることの叶った恋しい人の名を呼んだ。その響きは甘く夢見心地だ。
青い瞳と焦げ茶の瞳が、蕩けそうに見つめ合う。
「おっと、こりゃお邪魔したな」
小声でミリヤムが呟き、そっと二人から距離をとった。
そして、ギュンターの耳元ににじり寄り、
「なあ、あの二人このままキスでもするんじゃ」
などと囁く。
ギュンターは苦笑しながら、肯定も否定もしない。
「陛下。あなたに、忠誠を」
その言葉は、たどたどしい精霊言語で紡がれた。
「お前の忠誠、確かに預かった」
エルフリーデは、神妙な面持ちで答える。
トシツネは、幸福でたまらないといったふうに破顔した。
まるで長年の夢が叶ったとでもいうように、その表情は満ち足りている。
「ええー。なんでそうなるわけ」
ミリヤムは、解せないという視線を向けている。
「まあ、大きな進歩でしょう。口も利かなかった彼が、忠誠を誓っているのですから」
「だからなんで、忠誠なわけ」
「さあ」
ギュンターからしても、それはなかなかに妙だった。
「色々あって疲れましたし、この謎に取り組むのはまたの機会にしたいところですね」
「あたしも、今の見てて疲れた」
世の中には不思議なことがたくさんあるものだ、などという捻りのない感想を、王国軍の主力二人は抱いた。
「でも」
ミリヤムが、疲れたと言ったそばから元気を取り戻したように、ひょこひょことエルフリーデのほうへ近づいていく。
「自己紹介くらい、しないとな」
ニカッと、何も詰まっていない綺麗な歯列を朝焼けに輝かせて、ミリヤムはトシツネの視界に入る位置へ来た。
「はじめまして、あたしはミリヤム・クラナッハ。女王の友達だ」
「はじめまして。僕はギュンター・グスタフ・シュレンドルフと申します。こちらの王国軍総帥の部下で、陛下の叔父にあたります」
イヅノメ語で自己紹介する魔族の男女を見上げながら、トシツネは思う。
また美形が出た。しかも彼の母語を話せる教養も皆セットで持ち合わせているらしい。
「はじめまして、トシツネと申します」
ミリヤムが難しそうな顔で口元を動かしている。
「ト、シ…。トシ、ツネ。ああ、やっぱり言いづらい!変えろ」
「そんな、無茶苦茶ですよ、総帥」
「私は普通に呼べる。問題ない」
そのやり取りを見ていて、トシツネにはこの二人とエルフリーデとの仲の良さが見て取れた。
エルフリーデの腕の中という特別な場所にいる彼だが、少し妬ける。
「で、お前、いくつなんだ?」
ミリヤムは、親戚の子供にでも話しかけるように、気安く問いかける。
「十八です」
「なん…だと!?生まれてきて、たったのまだ十八年だと!?赤子じゃないか!!」
「ミリヤム」
不満げに、エルフリーデがミリヤムを見やる。
「エル!これはちょっと、犯罪じゃないのか?」
「人間界では結婚もできる年齢だ」
「おいお前!百三十も上の年増が好きか!」
「私の歳をばらすな」
「えっ」
トシツネの驚いた顔で、三人は悟った。
どうやら人間は、魔族の寿命を知らぬものらしい。
「我々の平均寿命は四百年程度、長寿ならば五百歳くらいまで生きるのですよ」
親切に、ギュンターが説明する。
「長く生きる分、知識を得る時間もたっぷりあります。皆あなたの言語も話せる者ばかりなのですが。精霊言語を話すよう勧めたのは、アルベルトですか?」
「おそらく。先生は、名乗ってくださいませんでしたが…」
「アルベルトというのは、金髪で赤い瞳の陛下の従者です」
「その方です」
「先生、ということは、あなたに教育する約束でもしているのですね」
男同士だからか、ギュンターの物腰が柔らかいからか、トシツネは彼と話す時が一番リラックスして見える。
「お前たち、いい加減――」
エルフリーデは、不満を通り越してご立腹という様子だ。
しかし、二人の友人はすぐにはその理由に思い当たらない。
「私よりたくさん、トシツネと話すな」
その言葉を聞いて、ミリヤムは下品な程に声を上げて笑った。ギュンターは苦笑するしかない。
泣く子も黙る辣腕の女王が、そんな子供のような嫉妬で気を悪くしているなんて。
「まだ、言葉を話すようになったばかりなのだぞ」
「やっぱり赤子じゃないか!」
「屁理屈はいい。これは私のだ」
エルフリーデは、トシツネを抱える腕に力を込めた。
彼女の身体に引き寄せられたトシツネは、柔らかい感触にどぎまぎしてしまう。
耳まで真っ赤になっているのではないかと思うくらい、顔中熱かった。
「なあエル、そいつもう自分で歩けるんじゃないか?」
「総帥、無粋なことを言うものではありませんよ」
フンッと、鼻を鳴らす様子にまで気品溢れる女王が、静かにトシツネを地面に降ろした。
外を歩くのはこの国に来て初めてのことだと気づくと、人間の少年には小さな感動があった。
そしてそれ以上に、恋焦がれる女性と並んで歩くのも初めてだと思うと、恥ずかしさと幸福に包まれる。
いつの間にか、朝日は昇りきっている。
もう朝焼けに顔の赤さを隠してもらうこともできないと悟り、トシツネは開き直って幸せを噛み締めた。
陽の光に全てを暴かれて、いっそ言葉にできない想いも伝わればいいと願った。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
改行の感覚がいまいち掴めず、見づらく感じられましたら恐縮です。
※エルフリーデの年齢について、計算間違いをしておりましたので、ミリヤムの台詞を修正させて頂きました。『百二十も上』→『百三十も上』




