14―あなたに忠誠を
柔らかな温もりに癒される感触に、少年は目が覚めた。
真っ先に視界に飛び込んできたのは青白い光。そして、幾度も見上げた愛しい人の青い瞳。
両の頬を、優しい手のひらで包み込まれていると気づいて、胸がどきりと弾んだ。
「気が、ついたか」
腫れ上がっていた頬は、もう良くなっている。けれど、彼女はすぐには手を離さずに、優しく頬を撫でてくれた。
そして更に気がづいた。膝枕をされている。
「どうした、顔が真っ赤だぞ」
口から心臓が飛び出そうだとは、このことだ。どきどき、どくどくと高鳴る鼓動が止まらない。
緩やかに頬から離れた白い手が、次に彼の腹に当てられる。狂った少女に踏みつけられた場所が、青白い光に癒されていく。
「巻き込んで、すまない」
憐れむ様に、慈しむ様に、たおやかに腹をさすられた。その場所に、甘く痺れるような感覚が走り、心臓がまた踊り出す。
「酷い目に遭わせたな。いや、最初からそういう目に遭わせてばかりだったか」
今度は、蹴られた胸に手を当てられた。心臓が騒いでいるのに気づかれてしまうかと思うと、ますます鼓動が速くなる。青白い光の優しさを感じながら、羞恥に頬が焼けるようだ。
「もう、解放してやろう」
その言葉に、浮かれていた気持ちが凍り付く。捨てられてしまうのだろうか。
「お前に提案してやれる選択肢は、多くない。だがせめて、己の意思で選ぶがいい」
手が離れる。青い瞳が遠くを見る。
初めて周りに意識を向けた。そこは、光る苔が淡く照らす洞窟の中のようだった。
「ひとつ、イヅノメ皇国に帰ること。引き取りを拒否されても、魔法であちらへ送ってやることはできる。そこで与えられるお前の運命は死だとしても、祖国の土をもう一度踏むことができる」
ゆっくり、言い聞かせるように、凛とした声が紡ぐ。
「ふたつ、人間界のどこかの国へ亡命すること。義の国を唱えるワイトラント王国あたりの難民キャンプに送っておけば、簡単に拾われる。お前に生きる気があるのなら、人間界で新たな居場所を得られる」
透き通った声が告げる。けれどそれを、受け入れたくはない。
「みっつ、初めにお前が望んだとおり、自害すること。希望が無いのに生きるというのは苦しみでしかない。私は、お前を――」
青い瞳から柔らかな視線が降りてくる。その目はどこまでも労わり深く、悲しみを帯びていた。
「お前を、正しい希望に導いてやれるような器ではなかったのだ。苦しみだけを強いた。憎まれて当然だ」
違う。そう、伝えなければと思うのに、開きかけた唇が震える。
「身の振り方を決めるより先に、私への報復を望んだとておかしくない。だが、私はお前のために死んでやることはできない。国の運命を背負う責があるからな。罪は罪、罰は気休め、贖う方法などもとより無かろうが――」
それは慈愛に満ちた微笑みだった。悲しくなるほどの美しさが、胸を抉る。
「望みがあるなら、申してみよ。少しは叶えてやれるかもしれない」
望みならばある。それを与えてくれたのは、他の誰でもない。
「そして選べ。お前はどうしたいのか」
選んで良いというならば。願っていいとするならば。
答えはひとつ――。
「陛下」
拙い発音で、覚えたての精霊言語を紡ぐ。
見上げる景色の中、端正な眉目に驚きが満ちる。
「お前、初めて――」
唖然と見下ろす美しい女性の、白い優美な手を片方取って口元に近づける。拒まれるかと思いきや、すんなりと受け入れられている。
「陛下」
もう一度呼んで、その手の甲に唇を柔らかく当てて口づける。
「あなたに、忠誠を」
僅かに頬を染めて、動きを止めたまま美しい女性が見下ろしている。
その青い瞳が、熱心に少年を見つめて揺れていた。
しばしの後、はっと我に返った彼女に手を振り払われた。
「愚か者、つい先程の出来事を忘れたのか!」
怒っている。やはり自分などでは、受け入れてはもらえないのだろうか。これ以上、傍に置いてはもらえないのだろうか。
「せっかく、逃がしてやろうというのに。ここは危険だということが、わからないのか!」
見上げる頬が赤い。尚も何かを振り払うように、彼女は怒っている。
「まだ死にたいのか!だとしても、あんなものに殺されたいのか!私のもとにいれば――」
まくしたて、肩で息をしているというのに、それでも彼女は美しい。ずっと見ていたい。
そう思っている間に、徐々に彼女の荒い息が整っていく。
「あれに殺されるぞ」
冷静さを取り戻し、静かな声で告げられた。
真摯な、青い瞳が見つめている。その視線は揺るぎない。
幾ばくか、沈黙が流れた。
少年は起き上がった。そして、女王の前に跪く。
「あなたに」
もう一度白い手を取って、僅かに拒もうと力むのを強引に引き寄せ、その甲に口づける。
「忠誠を」
言葉が足りない。辞書で覚えたての言葉では、全く足りない。
伝わるだろうか。伝わってくれ――そう、必死に願いながら青い瞳をまっすぐに見据えた。
「解せぬ奴め」
小さく、薄紅色のふっくらとした唇が、そう呟いた。
そこに肯定の響きを感じ取って、安心すると同時に、身体の力が抜けていった。
眠気が襲ってきて、耐えられなかった。
「おい!」
愛しい女性の腕に抱きとめられた――その認識と共に、少年は幸福な眠りに落ちていった。
「馬鹿、名前くらい名乗ってからにしろ」
安らかな寝顔に、その言葉はもう届かない。少年は、とても幸せそうに見えた。
「解せぬ奴め」
もう一度、先程より柔らかい響きでそう呟くエルフリーデもまた、幸せそうに頬を緩めていた。
しばらく。
エルフリーデは少年を横抱きにしたまま、洞窟を歩いていた。
出口へ向かおうとするのに、辿り着けない。王族の血が導くはずの道筋。それを何かが妨げている。
「これがいるから、か」
この洞窟に、王以外の者を招き入れてはならない。それは王家の掟だ。
部外者である少年を連れている限り、ここからは出られないということか。
この場所では転移はできない。洞窟内では、この洞窟そのものにかけられた魔法のせいか、エルフリーデの空間魔法は使えない。エファにはここで空間魔法が使えた理由は、追々考えねばならないが。
少年を置き去りにすれば、エルフリーデ一人は外に出られるのかもしれない。しかし、そうやって出て助けを呼んだとして、どうやってまた少年を連れ帰ることができるだろうか。
闇雲に歩を進める。苛立ちと焦燥に疲れが募る。
光る苔を削って印をつけながら道を探ったが、あまり助けにはならなかった。
この空間そのものが、普通の洞窟とは違うのだろうか。
どれくらい歩いただろうか。
数時間、いや、もっとか。
「これは」
苔につけた印が、行く手に現れた。同じ場所に戻ってきてしまったらしい。
気分がどっと疲れた。歩を止め、地面に座りこみ、眠っている少年を膝の上に降ろす。
焦げ茶色の髪を、慈しむようにそっと撫でた。
先程のことを思い出して、彼女は思わずにやける。
あの瞳は、エルフリーデが恋焦がれた意思の光を宿していた。自棄になっているわけではなく、自らの選択でエルフリーデに忠誠を誓ったのだとわかる。
いったいどういう風の吹き回しなのかはわからないが、どうやら嫌われていなかったようだと自惚れてもいいのだろうか。
あるいは、いつかエルフリーデの寝首を掻くために傍にいようと考えたのであったとしても、それはそれで喜ばしい。あの目で刃を向けられるのは、とても愉快なのだ。
安らかな寝顔をじっと見つめる。
地味ながら整った顔立ちは、平凡だと評する者が多いだろうが、エルフリーデにとっては初めて好きになった男の唯一無二の顔なのだ。
何とも言えず愛おしくなって、今すぐ抱き寄せて頬ずりしてしまいたくなる。
「私は、阿呆か」
恋は女を馬鹿にすると、ミリヤムが言っていたことは本当のようだ。
エルフリーデは、特大の溜め息を吐いた。
「見つけましたよ」
唐突に、ギュンターの声が響いた。
その方向へ振り向くと、苔の淡い光に、ダークブロンドの波打つ髪とライトグレーの瞳が照らし出されていた。
「いいいい、いつからそこに!」
慌てふためく姪の膝に、安らかに眠る少年を見つけ、忠節の叔父は安堵する。
「今来たところですが。お邪魔でしたか?」
揶揄うような言葉に耳まで真っ赤にして、女王は取り繕うように背筋を伸ばす。
「驚いただけだ」
「そうですか。ご無事で何より」
ギュンターは、涼し気な目元に不器用な姪への慈しみを滲ませる。
ほぼ無表情を通していた彼女が、少年のこととなると、ころころと表情を変える。その変化がギュンターには、友人としても臣下としても、叔父としても嬉しかった。
「そちらが噂の?」
「ああ、これが――」
紹介しようとし、女王はまだ彼の名前を知らないことを思い出す。
「名乗らぬが、私の新しい臣下だ」
「ほう、それはそれは」
少しは進展したようだと、ギュンターは微笑ましくなる。
「実は」
エルフリーデは、現状を伝える必要を思い出して、表情を強張らせた。
「出られなくなっているんだ。このままでは――」
エルフリーデのその言葉にも、ギュンターは柔和な微笑みを返す。
「大丈夫。そうだろうと思って、きちんと策を用意してきましたよ」
「それはいったい、どんな?」
「古典的な手法ですよ」
男性にしてはしなやかすぎる細い指に、糸が一本握られている。
「アリアドネの知恵をお借りしようかと」
アリアドネ…ギリシャ神話が何故、異世界に出てくるかというのは…。
似たような神話がこの世界にもあったってことで…!
ご都合主義で申し訳ありません。
稚作を読んでくださっている方がいらっしゃったら、ありがとうございます。
とりあえず、連投はストップして、地道に連載していきたいと思います。
読み手への配慮そっちのけで好き放題書いてしまっており…お付き合いくださっている方がいらっしゃったら本当に感謝です。




