11―恋をすると女は……
深夜、魔道具による主君からの緊急の呼び出しで、アルベルトは目を覚ました。
対になっている石の片方に魔力を流し込めば、もう片方が振動するというシンプルな道具である。
彼は即座に女王の寝室に駆け付けたが、彼女の姿は無い。
寝台の上には、少年の部屋の魔道具から警報を受け取るための、魔道具の一部である金属片が転がっている。
慌てて少年の部屋へ向かったアルベルトは、ノックもせずその扉を開いた。
「陛下!いったい何が…」
主君のこんな姿を、彼は初めて見た。
無防備なネグリジェ姿のまま床にへたり込んで、長い黒髪は乱れながら白い頬や首筋に絡んでいる。
眉尻を下げ目に一杯に涙を潤ませて、その奥で青い瞳が揺れる。
薄紅色のふっくらとした唇が僅かに開いたままで、弱々しく震えていた。
緊急事態だとわかってはいるものの、思わずどぎまぎして見惚れてしまった従者に向かって、絞り出すように言葉が紡がれる。
「あれが、連れ去られた」
ようやく、従者はそこに少年がいないことに気づいた。
「どう、すれば」
ころりと、真珠のような涙の粒が、滑らかな頬を転がり落ちて弾けた。
長い睫毛が濡れて艶めき、後から溢れ出そうとする涙をこぼすまいと、いじらしく上向いて堪えようとしている。
その光景に釘付けになったまま、彼のほうもどうすればいいかわからなくなり、立ち尽くしてしまった。
しばしの後、決意を固めたアルベルトは、憐れに震える主君の元へ歩み寄った。
そして、そっと抱きしめようと腕を伸ばした。
――が。
パンッと、乾いた音が響く。
「痛っ」
「無礼者」
頬を張られた。
「そんなぁ」
自力で立ち上がったエルフリーデは、顔を隠すように後ろを向いた。
「支度をしてくる。戦争だ」
凛と気高く、その声はもう震えてなどいない。
「何者かは知らないが、私に喧嘩を売るとは、良い度胸だ」
そう言うと、エルフリーデは転移して行った。
おそらく身支度を整えに行ったのだろう。
どこまでも供をするつもりのアルベルトだが、状況がよくわからない。
彼は指示を仰ぐために、エルフリーデの寝室へ再び向かった。
―――――――――――――――
夜中に呼び出されたミリヤムとギュンターは、緊急事態だと言うので必死に駆けつけた。
なのに。
「それで、どこへ向かうのですか?」
「わからない」
「はああ?」
ギュンターは頭を抱え、ミリヤムは明らかに怒っている。
「わからないが、あれが連れ去られたのだ。探す」
「馬鹿か!」
ミリヤムの怒声にもめげず、エルフリーデは睨み返す。
エルフリーデは、今夜起こったことのあらましを話した。
「場合によっては戦争も辞さないが、大軍を動員するかどうかは状況が見えてくるまで決定できない。とにかく今は少数精鋭で動いて、あれを捜索する」
「行き先もわからないのでは、動きようが無いのでは?せめて、夜明けを待ってから」
ギュンターの意見はもっともなはずだ。
しかし、エルフリーデの頭にはすっかり血が昇っている。
「その間にあれが死ぬようなことがあったら、どうする!」
「しかし、それでは具体的に、どこをどう探すのです?」
沈黙が流れた。
「エル」
いつになく優しい声で、ミリヤムが呼びかける。
「不安で堪らないんだな、エル」
慈しむような声色に、エルフリーデの不安が堰を切ったように溢れ出した。
目に涙が溜まるのを堪えられず、それをこぼさないよう必死に耐える。
「なあ、エル」
そっと、ミリヤムがエルフリーデを抱きしめる。
そして。
「ごふっ」
「寝ろ」
腹を殴って気絶させた。
崩れ落ちたエルフリーデを、ミリヤムは抱え上げて運び、ソファに降ろす。
「ななな、何てことを!」
アルベルトがヒステリックに声を上げる。
「うるさい。冷静でないのが一番危ないんだ。寝せとけ」
「不敬ですよ!」
「不敬罪で捕まえるっていうならそれでもいい。
あたしは、そんなことのためにエルを失いたくない。
こんな危なっかしいエルを、友人としてどこにも行かせるわけにはいかないんだ」
アルベルトは黙るしかなかった。
「それにな。人間の愛人を作ろうが何しようがエルの勝手だけど、そいつ一人のために軍隊動かして戦争だなんて、王としてはナシな話だろ」
筋の通った意見だった。
「頭を冷やしてもらわなきゃ困る。あたしが命かけて仕えてるのは、そんな王じゃない」
「その通りですね。陛下なら、わかってくださるはずです」
ギュンターが同意を述べる。
しばしの逡巡の後、アルベルトも頷いた。
「そうですね。陛下を止めてくださったことに、感謝を申し上げなければ」
ソファの上のエルフリーデに歩み寄って、アルベルトは一応無事を確かめる。
「陛下の身も狙われたなら、いずれにせよ我々は動くことになります。
忙しくなるでしょうから、今夜は休みましょう」
そう言ってギュンターは、立ち去ろうとする。
「では、わたくしは今夜中、陛下のお傍で何事もないか見張っていることに致しましょう」
「待った」
アルベルトの言葉に待ったをかけて、ギュンターが振り返る。
「総帥、陛下と一緒に眠って差し上げてくれませんか。見張りのためとはいえ、未婚の男女が二人きりで夜を明かすのは、外聞がよろしくありません」
「あたしは構わないよ」
アルベルトは、居心地悪そうに縮こまっている。
やはり、下心が全く無かったわけでもないのだろうかと、先日のアルベルトの発言を思い出したギュンターは思う。
「でしたら、陛下の寝室にお泊り頂くのがよろしいかと。ご案内致します」
アルベルトの言葉を聞き終わらないうちに、ミリヤムはエルフリーデを担ぎ上げていた。
「おうよ。まっかせなさい」
頼もしい上司の後ろ姿に安心して、ギュンターはその場を辞した。
彼の空間魔法の才では転移なんてできないので、ギュンターは歩いて帰る。
彼にできるのは、視界の範囲内から視界の範囲内へ物体を移動させる程度のことである。
そのことを不満に思ったことは無い。
彼には、王族の血なんてものはそもそも重荷だった。
姪や上司のような、上に立つ資質のある者の支えになる生き方が、最も心地良いのである。
―――――――――――――――
目が覚めると、エルフリーデの隣に裸の美女が眠っていた。
白銀のまっすぐな長髪が朝日に輝き、健康的に日焼けした艶のある肌が、穏やかな寝息に合わせて上下している。
これは友人のミリヤムだ。そしてここは自分の寝室だ。
「わ、私はまさか、そういう性癖っ!?」
一瞬のパニックの後、昨夜の出来事を思い出した。
そうだ。この友人に殴られて気絶したのだ。
今ならわかる。冷静でない自分を止めてくれたのだ。
そしておそらく、見張り代わりに一瞬に眠ってくれたのだろう。
本当に、良い友人を持ったものだ。
冷えた頭で、昨夜の軽率な言動を恥じた。
これから、王として最善の手を打たねばならない。
少年のことは必ず助ける。が、それを第一の目的として動くことは許されない。
手順を誤っては、王失格だ。
この国を守り、王として役割を果たすために自分を守り、そして少年も取り返す。
全てを実現してみせる。暴君故に。
「おはよう」
琥珀色の瞳が覚醒して、エルフリーデを見つめている。
「おはよう、ミリヤム。昨夜はすまなかった。そして、ありがとう」
開口一番そう言うと、ミリヤムは悪戯っぽく笑った。
「いいってことよ」
ミリヤムは伸びをしながら、太陽のような笑顔を見せる。
「エルならわかってくれるって信じてた」
エルフリーデは、信頼を込めて笑い返す。
そして寝台から下りると軽く服装を整え、神妙な顔つきになる。
「我が国の空間に干渉し、攻撃を仕掛けてきた者がいる。相手は空間魔法の使用者であり、その力は王である私より強い。
緊急時特殊部隊編成法に従い、各都市の警備兵および王宮の衛兵を、これより王国軍の指揮下に置く。協力してアルテンブルク全土の被害確認と警戒にあたってくれ」
ミリヤムは起き上がって、服を着始める。
シャツのボタンを留めながら振り返り、
「それでこそ、あたしが仕える王だ」
そう、誇らしげに笑った。
「人間の少年も見つけて保護してやらなきゃな。亡命手続きも取ってないんじゃ、形式上は他国民のままなわけだ。うちの女王サマが拉致って来た上、行方不明で国際問題に発展するのはいただけない」
そう言ってウインクする友人が、自分にいかに甘いかを、エルフリーデは嬉しいような申し訳ないような気持で感じていた。
少年の身柄は、彼の国に引き取り拒否をされたままであり、国際問題になることは実際にはない。
その上、本人の意思で身の振り方を決めるまではと、エルフリーデが早急な手続きを渋ったため、アルテンブルクへの亡命を受け入れられた状態でもない。
女王を除いては、彼が行方不明になっていてくれたほうが都合が良いと思っていても、この状況ではおかしくない。
けれどミリヤムは、親友のためか、はたまた人道的な観点からか、彼を見捨てないつもりであることを個人的に表明してくれた。
「ミリヤムがいてくれてよかった。本当に」
珍しく弱気な表情で、エルフリーデがぼそりと呟く。
「何て顔してんだ。昨日のエルの話からすると、人質を取ってったって雰囲気だろ。生きてるよ、多分」
服を着終わったミリヤムが、エルフリーデを振り返って励ました。
「そうか。そう言われてみれば」
エルフリーデへの攻撃が彼女を連れ去る目的だったなら、連れて行けと叫ぶ彼女を残していったことは不自然だ。少年を連れて行くところをわざと目撃させ、誘い込もうとしてると考えるのが妥当だ。
「何故気づかなかったんだ、私は」
「まだ冷静になってないのか、エルらしくもない」
ぐしゃり、とミリヤムがエルフリーデの頭を撫でた。
女王に対してこんなことをするのは、ミリヤムくらいのものである。
「恋をすると女は馬鹿になるって聞いたことがあるぞ。こういう時は参謀の意見を聞いておくんだな」
「そうだな。頼りにしてる」
「おっと、あたし一人には荷が重い。もうちょっと増やせ」
「わかった」
信頼できる参謀たちの顔を思い浮かべながら、エルフリーデは頷いた。
「それにしても。拉致されんのが得意な奴だ」
冗談めかして言いながら、いったいどんな美少年なのかなどと、ミリヤムの想像は膨らんでいった。




