表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
78/78

背中 それから

 大基の部屋を引き継いで、さゆみは暮らしてきた。大基がいた時そのままの家具、そのままの食器、そのままの衣服。大基がいつ戻って来てもいいように、ずっと変えることなく、待ち続けていた。


 けれど、もう必要ない。大基は帰って来たけれど、さゆみとは違う世界に行ってしまった。この部屋を引き払う決心がやっとついた。


「さゆみ、梱包が終わったものから運び出すから、こっちに出してくれ」


 部屋の片づけに、斗真は全面的に力を貸してくれた。彼の左手の薬指には、もう指輪はない。


 さゆみも斗真も大切なものを失くした。けれど、普通の顔をして生きている。そのうち、思い出すことさえしなくなるのだろうか。

 大基が帰ってきたら、過去からすべてやり直せると思っていた。けれど、大基は絵の中に塗り込められたままだ。遺骨は家族の元へ戻った。もう二度と顔を見ることは出来ない。


 人生は失うことがすべてなのだろうか。手にしたものは幻のように消えてしまうだけなのだろうか。


「さゆみ? どうした、ぼーっとして」


 呼ばれたけれど、振り返ることが出来ない。いつか失くしてしまうなら、最初から手に入らない方がいい。そうしたら傷つかずにすむ。

 斗真がこれ以上、大切になってしまう前に、私の中から消してしまえば……。


 ギシっとすごい音がした。

 トイレの前の床がきしむ音。斗真がこちらに歩いてきている。

 さゆみを心配して手を伸ばしてくれる。優しい手を。


 ああ、だめだ。

 やっぱり、だめだ。

 もう失う辛さには耐えられない。

 斗真を忘れてしまおう。

 私の中から、消してしまおう。


 その決心を伝えようと、さゆみはゆっくりと振り返った。

 そこに、斗真はいなかった。

 いや、斗真はいる。いるけれど、それは斗真の背中だけだった。

 背中、背中、背中。


 斗真はどんな顔をしていた?

 斗真はどんな声をしていた?

 斗真はどんなふうに笑った?

 斗真は本当に私の側にいた?


 わからない。何も思い出せない。

 見えるのは、ただ、背中。

 そこにあるのは、ただ、背中。

 さゆみは消えてしまった斗真の、残された背中を、ただ、見つめていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ