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六つの覚醒と因果の刀

 ティラ・マスカルはどこまでも果てしなく広がる白い空間にいた。足下も空も白い。物質界アッシャーではあるが、天界と呼ばれるこの場所はとても異質な空間だった。見渡す限り、何も無い。一体、ここは何の為に存在するんだろう。天界が何らかの通過点や到達点ではないことは、ここに誰も来ないということで証明される。例えば死者や霊魂の行き付く先という、いわゆる天国ではないのは明らかだ。それこそ、生者の頃の肉体と精神と記憶を保有したまま、死後にある決められた世界に集められるというシステムがあるなら、どれだけ人々の心は救われるだろう。ティラは頭を振って、不毛な夢想を振り払った。

 目の前にはリヴラ・ジヴァニトゥムが立っていた。白髪のリヴラは灰色のローブを着ていた。ティラも灰色のローブを着ていた。天界の白い空間では、ティラの褐色の髪と青い瞳が妙に際立って浮いていた。

「前にも言ったと思うが、ティラ。君が愛する人と一緒になる為には、三神刀の一振り――因果の刀が必要だ」

「アケショナルと一緒にいられるなら、何でもします。でも、僕は因果の刀というのを知りません」

「まだ説明していなかったのか。馬鹿め」

 リヴラの肩に乗っていた有翼の亀デウスが、リヴラの後頭部に突撃体当たりした。





 あらゆる者達が同時に目覚めた。その覚醒はそれぞれ全く異なる理由からだったが、偶然などではなかった。あらゆる場所での同時期覚醒というのは、確率的に偶然で済ますにはあまりに低すぎた。





 傍観神ユイは、あらゆる空間に無数にセットしておいたプログラムが作動したのを感じ取った。ユイは眉根を寄せて、小さく舌打ちした。どれだけの数のプログラムが作動したのか、傍観神は空間移動して自らの目で確認しに向かった。

 灰色のローブを着たユイは、地面から遠く離れた空中に浮いていた。空は青く澄み切っていて、雲は無かった。今はローブのフードは被っていない。ユイの髪は黒く肩まで伸びていた。肌は白く、黒い瞳で眼下を見下ろしている。本来なら可愛らしい顔は、眉を顰めて厳しい表情を作っていた。

(さて、これで幾つ目だったかしら)

 ユイは首を振って、ため息をついた。(わかっている。ただ、事実を信じたくないだけなのよ)

 ユイは空間把握能力によって、碁盤目状に細分化された世界の無数のセルに、あるプログラムを組み込んでいた。プログラムの書き込みはユイが傍観神となって、これまでの世界の過去について学び、その後に改めて世界を観察し把握してからすぐ行なった。その書き込まれたプログラムというのは、無数にある各空間を比較対象とし、ある一定のエネルギーが規定値をオーバーすると、決められた空間に反応を返すというものだった。もちろん反応がTRUE〝真〟の場合のレスポンスはユイに設定されている。比較演算子を用いた条件文という、とてもシンプルなプログラムだったが、新たな三神にとって、これは重要なものだった。このプログラムは〈秩序〉の信奉者テトラモルフと三神、すなわち創造神セラフィム・アダム・カドモンと破壊神レイと傍観神ユイによって相談され、合意の上で設定されていた。

「近い将来、確実にこのプログラムは作動する」

 テトラモルフの言葉をユイは反芻していた。

(テトラモルフはどこまで予測していたのだろう。プログラムを組んだのは二ヶ月前だ。こんなに早く〝覚醒〟の日が来てしまうなんて)

 それに確認されたのは、6つもの〝覚醒〟だった。

「これからも問題は起きてしまうと思うよ」

 ユイは以前のセラフィムの言葉を思い出した。

 突然、ユイは何かに体を突き刺されたかのようにピクリと体を震わせた。背筋が寒くなった。ユイはすぐ様空間移動し、その場を離れた。

 空間移動して姿を現したユイの表情を見て、創造神セラフィムと破壊神レイは眉根を寄せた。そこは〈ニューアース〉のホテルの一室だった。三神はそれぞれ部屋のスツールに腰掛けていた。ユイがため息をついて、机に置いてあるペットボトルから水を飲んだ。

「ユイ。顔色が悪いけど、何があったんだ?」

「セラフィム。プログラムが作動したわ」

 セラフィムとレイが顔を見合わせた。セラフィムは黒髪で白い肌の青年だった。セラフィムの背中には白い翼が生え、お尻から黒い尻尾が生えていた。レイは黒髪を腰まで伸ばしていて、肌は白く、ユイと瓜二つの美しい女性だった。三人とも灰色のローブを着て、フードは被っていなかった。

「ねえ、ユイ。何を見たのか、話してくれるかな」

「ええ。もちろんよ、セラフィム。プログラムは正常に機能したわ。何の問題もなく。問題があるとすれば、プログラム結果の値よ。反応は6つ確認できたわ」

「〈デルタ〉での〝覚醒〟は、6つか。それは厄介なことになりそうだ」

「想定内だろ、セラフィム。それで、ユイ。それがお前を不安にさせているのか?」

「いえ、それもそうだけど。それだけじゃないわ、レイ」

「何なの、その不安要素は?」

 ユイは6つ目の〝覚醒〟を確認していた時の事を語った。ユイは地上から離れた上空で、突然、鋭利な槍に貫かれたかのような衝撃を覚え、体を震わせた。ユイを刺し貫いた〝二本〟の研ぎ澄まされた刃の正体。それは凄まじく強力な視線――禍々しい睨視だった。

「ユイ。その視線というのは、まったく異なる方向から同時に向けられたのか?」

「そうよ、レイ。間違いなく、〝覚醒〟した存在の中で二つの者達が別々の場所から私を見ていたわ。殺意を纏った視線は私を鋭く射貫き、更に奥底に燃える執念が私を取り巻いた……」

 再び、そのネットリとした視線を思い出し、ユイの全身が総毛立った。

「答えは明らかだね、ユイ。君の感じた視線の正体は、ラメド・アンデルとリヴラだ」

 ユイとレイが頷いた。

「ずっと怪しくて監視していたラメド・アンデルとリヴラが、とうとう行動に出るかもしれない。他の4つの〝覚醒〟も気になるけど、最優先はラメド・アンデルとリヴラだ。この二人を注視しつつ、対策を進めていこう」

「セラフィム、あいつらは気付いているぞ」

「そうだね、レイ。ユイに向けられた意識が何よりの証拠。けど、ラメド・アンデルもリヴラも自らの力量を過信している。世界は〈デルタ〉だけじゃない。どこの世界にだって、有名無名含めて凄まじい個人は存在する。異世界の有力者が対抗への鍵だね」

 セラフィムはユイとレイに頷いて見せた。ユイはニコリと笑い返し、レイはニヤリと剣呑な笑みを浮かべた。

「行こう、ユイ、レイ。これまで静観していたラメド・アンデルとリヴラはもう動き出している。天使と鬼神と悪魔はまだ気づいていない。僕等の行動によっては、〈デルタ〉の天獄と煉獄と冥獄のバランスは根底から崩壊してしまうかもしれない」





 ティラは空中に浮く有翼の亀デウスを呆然と見ていた。

(この亀は一体何なんだろう。どうしてリヴラにいつもくっついて、リヴラに対してふざけた言動を取るのか)

 リヴラが後頭部をさすりながら口火を切った。

「説明するよ、ティラ。因果の刀とは、三神刀の一振り。三神刀は知ってるかい?」

「うん、聞いたことある。帝国シアルルの時代にあったとされる、三神教の三柱の神々を象徴するという三振りの刀――三神刀」

「そうだ。三神刀はもともと三神への崇拝から帝国シアルルと日本の技術によって生まれた。〈混沌〉に対抗する勇敢なる創世族の為を思い、〈秩序〉の信奉者テトラモルフが施したハンディーキャップによって、三神刀には凄まじい力が付与されている。どんな物でも断ち切ることが出来る〝破滅の刀〟。時間と空間を切り開くことが出来る〝時空の刀〟。そして、最後の一振り――〝因果の刀〟は時間軸と空間ログに影響を与えることが出来る。因果の刀によって、起きてしまった事象は切り裂かれ、時間軸と空間ログの書き換え/複数化から切り離される」

「起きてしまった事象を切り裂くことが出来る……」

 ティラはリヴラの言葉を繰り返し、反芻した。

(僕に今必要なのは因果の刀。僕は何をしたいんだ。そんなこと決まり切ってる。僕はアケショナルと一緒に居たいんだ)

 因果の刀が何故必要なのか、わかった気がする。

「わかったようだね。ティラ・マスカル」

「因果の刀はどこにあるんですか?」

「三神刀は帝国没落と共に、世界の何処かに散らばってしまった。破滅の刀と時空の刀の所在はわかっているんだが、因果の刀はわからない」

「そんな……。賢者なら何でも知ってるんじゃないんですか? まさか、テトラモルフや傍観神でさえ知らないとでも言うんですか?」

 ティラは眉根を寄せてリヴラを睨んだ。すると、背後から声がした。

「すまない、ティラ・マスカル。本当にリヴラ・ジヴァニトゥムは知らないんだ」

 ティラが振り返ると、〈秩序〉の信奉者テトラモルフが四人並んで立っていた。白いローブ姿のテトラモルフはフードを被っていたので、その顔は定かでは無かった。

「テトラモルフ。因果の刀はどこにあるんだ?」

「落ち着け、ティラ・マスカル。因果の刀は何らかの力によって隠されている。判明しているのは、因果の刀が〈デルタ〉に存在していることだけ。君には三獄〈デルタ〉へ向かってもらい、因果の刀の探索をお願いしたい」

「言われなくても、因果の刀が〈デルタ〉にあるというなら、〈デルタ〉に行くよ。さあ、連れてってくれ、リヴラ。三獄〈デルタ〉へ」

「わかったよ、ティラ。ただその前に一つだけ注意したいことがあるんだ」

 ティラは眉を顰めて、リヴラを見つめた。

(今更、偉そうに注意だなんて、どういうつもりだ。僕はさっさと〈デルタ〉に移動し、因果の刀の捜索を開始したいのに)

「私もテトラモルフもある懸念を抱いているんだ。いや、ティラ。君が思っているようなことではない。もちろん、因果の刀を捜索する中で、敵対者も出てくるだろう。それも数多くの敵対者の出現が予測される。心配しているのは、そんなことではない。他でもない、ティラ・マスカル。君自身に対して危惧しているんだ」

「僕の何が危ないっていうんですか」

「私もテトラモルフも、常に〈混沌〉の陣営の出現を警戒している」

「〈混沌〉の子やエノキアンですよね」

「〈混沌〉の子と、その下僕だけじゃない。アダム・ベリアルやジョーカ。〈混沌〉教会もそうだ」

「リヴラ・ジヴァニトゥム。僕には話が見えてこないんだけど」

「私が言いたいのは、誰だっていつでも道を踏み外すということ。〈秩序〉は創世族に選択の自由を求めた。〈秩序〉か〈混沌〉どちらを選ぶかは五分五分なんだ」

 ティラはリヴラが何を言いたいのかを察して、胸糞が悪くなった。体が熱くなって、額に汗が噴き出した。

「どうやら理解したようだね、ティラ」

「いや、リヴラが何を言いたいのかはわかったけど、理解なんて出来ないです。どういうことですか?」

 リヴラは心中でため息をついた。天界で繰り広げられた〈混沌〉の子との決戦終了後、ティラは大事な人アケショナル・ラストアとの別れを告げられた。リヴラはその時のことを思い出して、眉を顰めた。

 あの時、ティラの奥底で燻っていた邪悪な感情は驚くほどに膨れあがった。アケショナルへの想いの強さの反動からか、黒く淀んだ意識はティラの内側を一瞬で漆黒に染め上げた。けど逆説的にティラをネガティヴな思考に偏らせた強い〈想いの力〉こそが、ティラをポジティブ寄りに引き戻してくれた。アケショナルに会えるかもしれない希望によって、かすかに残った善良な意識は再び復活し、黒く汚れたティラの内面を浄化した。

 リヴラが見ると、ティラは眉根を寄せてこちらを睨んでいた。ティラは知らずのうちに、とても危険な橋を渡らされている。橋の土台は揺れ動く天秤の傾きに左右されていて、いつ崩れ落ちてもおかしくない。どちらに傾くにしても、今のティラは消失し、少からずの害悪を世界に撒き散らすだろう。

「ティラ、君が一番危険なんだ。何よりも誰よりも、君が最も危うい。可能性の話なら、誰でも同じだ。問題は〈混沌〉の側になってしまった場合の危険性だ。セラフィム・アダム・カドモンもレイ・アダム・ベリアルもエクス・マキナもロリアン・フェザー・クウィントゥスもアケショナル・ラストアもアクト・リーメルもフィート・ディクロースもベルンハルトもクロス・ブラインドリも恐ろしい存在となるだろう。私自身も自分のことを棚に上げて、他人の心配をしているが、危険性は十分にある。けど、誰よりも恐ろしく凶悪な存在になり得るのは、ティラ・マスカル――君だ。君のアケショナルへの想いは、白銀と漆黒の力を同時に操るほどに凄まじい。その凄まじい〈想いの力〉は反動となって、君自身を歪ませる。最終的にアケショナルを永遠に失うことになったら、君はどうする。ティラ・マスカル?」

「えっ?」

 さっきまでティラの心中では小さな希望がゆっくりと大きくなり始めていた。そんなところに絶望がやってきて、ティラは困惑した。

「いや、すまない、ティラ。今の発言は無しだ。私は、とにかく気をつけて慎重に行動してくれと言いたかっただけだ」

 リヴラはティラに白い仮面と白いローブを手渡した。仮面は表面が滑らかで何の装飾もなく、両目と口の部分には裂け目のような細い穴が空いていた。ティラは眉根を寄せて、首を傾げた。

「これを着るんですか? どうして、仮面なんか」

「〈デルタ〉では、自分が異世界の住民であることを秘匿するのに注意してほしい。なるべくばれないようにしてくれ。白いローブを着て、フードを被り、白い仮面で顔を隠すんだ。天使と悪魔と鬼神は物質界アッシャーの住民を見下しているからな。君が人間だってわかれば、奴等は容赦無く君を襲うだろう」

 ティラは頷き、仮面で顔を隠し、白いローブを着てフードを被った。

「χώρος」

 リヴラが詠唱を済ませると、空間移動が発動した。ティラの姿が不鮮明になり、その場から消え去った。





 リヴラが用意していた白い仮面と白いローブは全部で14セットあった。ティラに渡すことで、その14セットは全て無くなった。仮面を被って暗躍する理由は、人によって様々だった。

 〈秩序〉の信奉者テトラモルフは、灰色のローブを着たリヴラ・ジヴァニトゥムの後ろ姿を見つめた。本来、こんな大人数の世界の移動は許されないことだ。テトラモルフの四人はそれぞれ自問自答した。大人数の世界の移動は前例が無い。では、前例が無いからと言って、その行為を否定出来るだろうか。はたまた、大人数の世界の移動は時期尚早だろうか。では、その時期というのはいつまで待てばやってくるのだろう。我々は確かに前例の無い行為を恐れ、時期尚早だと躊躇したが、今回の大人数の世界の移動は必要だから行ったのだ。未だかつてそんなことが無かったとしても、いまそれが必要なのだからそうする以外にどうしようもない。〝リヴラ〟によって世界の境界が滅茶苦茶になっていたので、テトラモルフとしては何としても早く〝リヴラ〟をどうにかしたかった。前例が無い、時期尚早と言っていたら、いつまで経っても何も始まらない。





 フィートは暗黒の世界で、各世界の成り行きを見守っていた。暗黒の世界を照らしているのは、空から絶え間無く降り続ける白く光る粒子だった。光る粒子は雪のように地面に降り積もり、暗黒の世界を照らしていた。〈時空の彼方〉と呼ばれる異世界にいたのは、時空の監視者となったフィート・ディクロースとその信奉者フェイトの三人――アテピスとクロトとラケシスだった。

 青い長髪は紐で束ね、着ている灰色のローブのフードに垂らし、黄色い瞳をジッと一点に集中させている。フィートの眉根は寄せられ、緊張からかローブの裾から伸びる青い尻尾がワナワナと震えていた。世界の監視者であるフィートはすぐに世界の異常に気づいた。フィートが見ていた世界は三獄〈デルタ〉だった。6つの〝覚醒〟が同時に発生するなんて、偶然にしてはおかしい。フィートが予測していたのは、〝リヴラ〟とラメド・アンデルの覚醒だけだった。これは偶然などではなく、起こるべくして起こった必然だ。フィートはフェイトの三人を〈デルタ〉へ派遣した。自分が行きたいのは山々だったが、時空の監視者として〈時空の彼方〉を離れられなかった。

「フィート、話したいことがあるんだ」

 フィートが振り返ると、自分と同じ灰色のローブ姿のセラフィムが立っていた。

「セラフィム、〈デルタ〉の〝覚醒〟の事だろ?」

「さすが、時空の監視者。話が早いね」

「それはこっちの台詞だ、創造神。傍観神の能力は伊達じゃないな」

「フィート。こうなってはもう僕にも君にも止められない。なんとかして、〝覚醒〟した者達の保護か対処をしないと」

「わかってる。セラフィム」

「これは再び大きな争いに発展してしまうかもしれない。テトラモルフも既に動いて、アクト達が行動に出たよ」

 フィートは顔を顰めて舌打ちした。(どうしてこんなにも早く〈混沌〉の勢力が目覚めてしまうんだ。世界は〈秩序〉によって平和であるべきなんじゃないのか)

「僕も行くよ、フィート。〈ヴェッセル〉と〈ニューアース〉を頼んだ」

 セラフィムは空間移動で姿を消した。フィートは再び舌打ちして、目の前の白い光の粒子の塊が映し出す四つの画面を見つめた。そこには、それぞれ別世界の光景が映し出されていた。





 三獄〈デルタ〉で同時に6つの存在が〝覚醒〟した。その存在というのは、それぞれは全く無関係だった。それは〝リヴラ〟の覚醒/ラメド・アンデルの覚醒/鬼神マストの覚醒/ゼロの覚醒/魔剣の覚醒/教徒の欠片の覚醒だった。





 鬼神マストは深い眠りから目覚めた。自分がやらなきゃいけないのはただ一つ。自分を永遠に眠らせ続けるリメド・エイデンの殺害だった。昼に照らされる夜――ヌクテメロンと呼ばれる鬼神の一柱――マストは、鬼神が誰でもそうするように灰色のローブを身につけていた。鬼神マストは黒髪で肌が白く、灰色の瞳を持っていた。マストの心中に渦巻くものは、リメド・エイデンを滅ぼすという執念のみだった。ただ、天獄の統治者であるリメド・エイデンは簡単には殺せないだろう。鬼神マストには強力な武器が必要だった。リメド・エイデンを滅亡させる事が可能だという魔剣の探索を始めないと。マストは目を見開き、凄絶な笑みを浮かべた。早くもマストの脳裏にリメド・エイデンを斬り殺す場面が浮かび上がり、興奮して全身が熱くなり額に汗が噴き出た。何としても魔剣を見つけないと。それこそ僕の存在意義であり、僕にはそれ以外にすることなんてない。マストは魔剣の手がかりを求めて旅に出た。





 悪魔ルカヴィは眩い光で目を覚ました。悪魔ルカヴィが寝ていたのは、冥獄にある隠れ家として使っている小さな洞窟だった。ルカヴィの体は全身が黒く硬い皮で覆われていて、ムチのような長い尻尾が生えていた。背中には光沢のある黒い飛膜で覆われた翼が生えていて、伸ばすと3mにも広がった。耳は長く先端が尖っていて、ニヤリと口を開くとズラリと並んだ牙が覗いた。鼻は無く小さな穴が二つあるだけで、猫のような目が大きく二つあって、ギョロリと動いた。腕と足は人間のそれと似ていたが、長く黄ばんだ爪が湾曲して伸びていた。

 周囲はひび割れた黒い岩に囲まれていた。起き上がったルカヴィの目の前に、黄金色に光り輝くものがあった。ルカヴィは目を大きく見開いて、その光の塊を見つめた。それまでずっと暗く翳り、光りもしなかったものが覚醒したのだ。〈●●の欠片〉の覚醒だ。〈●●の欠片〉はルカヴィの目の前10cmの空中に浮いていた。おそらくこの先必要とされるのは、残りの欠片と因果の刀だ。敵対者よりも先に見つけ出さないとならない。その為にも、かつての仲間であり、英雄でもあるアダム・カドモンを探さないと。彼の力も必要になってくるはずだ。ルカヴィは細長い指で光り輝く〈●●の欠片〉を握り締めた。情報が流れ込んできて、色々なことが理解できた。光り輝く結晶にはまるで意思があるかのようで、ルカヴィは抗わずに身を委ねた。〈●●の欠片〉の力が発動すると、ルカヴィの体が〈●●の欠片〉の光に包まれた。光はすぐに収まり、ルカヴィは自らに課した使命の為に洞穴から飛び出した。





 天使レミエルは金髪を肩まで伸ばした、真っ白な肌の男天使だった。半透明な白いローブを着て、フードは被っていなかった。背中には肌と同様に真っ白で豊かな翼が生えていた。翼は広げたら2mもの長さとなり、柔らかな羽はレミエルが呼吸する度にゆらゆらと揺れていた。

 レミエルは悪夢から目覚めた。レミエルの額は汗で濡れて前髪が張り付いていた。また自分が嫌な夢でうなされていたのに気づき、レミエルは苛ついて舌打ちした。何度も繰り返し見る、過去の記憶だった。堕ちた天使である同胞を自分が切り裂いている場面。手には聖剣が握られていた。堕天使を切り裂くと同時に、剣は錆びてボロボロになってしまった。レミエルは戒めの為に、この錆びた剣をずっと残しておいた。レミエルが寝ていたのは、万神殿に設けられた自室のベッドだった。部屋は狭く10平米ほどで、木製のベッド以外にあるのはベンチ式収納ボックスだけだ。天使には万神殿にこのような部屋が必ず与えられ、誰もが寝るだけの部屋として利用している。中には昇級して、快適で広い部屋を獲得する天使もいるが、そんな物は自分とは無縁だ。大切な人を手にかけた私に、そんな資格はない。

 部屋は暗かった。部屋の入り口から逆側の壁面にある、唯一の直径30cmの丸窓から月明かりが差し込んでいた。見る影も無くなった聖剣は、無造作に壁に立てかけられていた。朽ちた聖剣が、レミエルの目の前で突然眩い光を放った。光り輝く剣は、新品同様に変貌していた。その剣は、かつて自分が握り締めた時とは別の姿で復活した。聖剣だったはずの剣は、魔剣となっていた。剣の刀身は黒く艶やかで、柄はくすんだ黒色で、鍔は黒い飛膜で包まれた翼を形作っていた。剣はまるで、今の自分の心象を反映しているかのようだった。レミエルは血走った目で凄絶な笑みを浮かべて、魔剣を手に取った。とうとう、時期が到来したのだ。天使どもを滅ぼすという、私の秘めたる目的を果たす時が。





 ゼロは草原に立っていた。正面には緑の草原がどこまでも広がり、背後を振り返ると遠くに濃緑の森が広がっているのが見えた。草は足首ほどまでに伸びていて、時折吹く風で揺れていた。空は青く、浮かぶ白い雲がゆっくりと横に流れつつあった。温かな天気で風は涼しく、爽快だった。ゼロは黒いトレーナーを着て、青いジーンズを穿いていた。黒いニット帽を深く被っているので、両目は暗い影で隠れていた。鼻の両脇には深いほうれい線が刻まれ、首の皺はまるで蛇腹のようだった。澄んだ空気を吸い込み、ゼロはゆっくりと吐き出した。やはり物質界アッシャーは心地いい。ゼロの口もとに自然と笑みが浮かんだ。時折テトラモルフの任務によって〈時空の彼方〉を離れることが出来たが、それはとても稀だった。基本的にはないし、テトラモルフが自分の代わりに〈時空の彼方〉で監視作業をしてくれない限りは不可能だった。こんなにも多くの刺激的な要素が感覚に働きかけてくる。この刺激によって、生きているという実感がどれだけ強く感じられることか。これこそ物質界アッシャーにしかない唯一無二の感覚だ。自然は美しく、また荒々しい。ただこの素晴らしい自然環境に戻れただけで満足だ。

 ゼロにはその場所がどこだって良かった。物質界アッシャーであるならば。暗黒の世界はもうこりごりだった。確かに〈時空の彼方〉で各世界の行く末を見守り、調停するのはとても興味深く、名誉な役割だった。けど、私には不相応だ。本来、私のような邪悪な化け物が、そのような高尚な立場につくなんて考えられない。そうだ。私が時空の監視者になったのは成り行きに過ぎない。他に適任者がいれば、私はもっと早く計画に着手できたはずだ。ゼロは〈時空の彼方〉から解放され、とうとう本来の自分を覚醒することができた。

 ゼロは自分の内奥に潜む化け物の力を意識した。ゼロの全身がゆらゆらと揺れる漆黒のオーラに覆われた。ゼロが右手を上げて拳を握り締めると、更に暗く濃密な漆黒のオーラが右手甲に出現し、黒く大きな顎を形成した。黒いオーラの顎門がガバッと開かれると、鋭い牙がズラリと並んでいて、ガチガチと歯噛みし始めた。ゼロは右手を振って、黒い顎を搔き消した。ようやく自分の魂に対してけじめをつけることができる。待っていろ。〈混沌〉の子エレボス。





 エクス・マキナは急ぎ足で自室へと向かっていた。嫌な予感が現実となりそうな不安で、無表情な顔とは裏腹に心中は穏やかでは無かった。

(ようやく方針転換してから、落ち着いてきたと思ったのにな)

 心中でため息をつく。

 そもそも創世族の統合は、私の憎悪が発端となっている。〈混沌〉の陣営を滅亡させるという自身の邪悪な目的の為に始めたんだ。それでも創世族の統合があらゆる立場と価値観から正しいと思われるなら構わないだろう。しかし、創世族の統合は帝国の過ちを繰り返しているとしか思えなかった。傲慢な帝国シアルルは物質界アッシャーの全てを支配しようとした。その結果が今の歴史となってあらわれているじゃないか。それに、異世界を見てもそれは明らかだ。〈ニューアース〉の新世界救済教会はラテン語が支配していた中世ローマ教会時代へ文化レベルを逆行させ、世界を支配した。かつての宗教改革の再現をしてはいけない。私の考えていた統合は、創世族の退化となってしまう。複数の世界や国、様々な種族がいたとして、全てを統合しスムーズに人や物が流通する必要は無いのだ。

 エクス・マキナの髪は真っ白で、瞳は黄金色だった。エクスは灰色のスーツを着て、灰色の革靴を履いていた。静かな廊下にかつかつと規則的な足音が響いた。この場所は、種族統合の為にエクスが設立した団体の建物だったが、今は各種族が場合によって集まる単なる会議場だった。

(ここは話す場所で十分だ。そもそも求めていたのは種族統合ではなく、どんな種族だろうと誰でも話し合える場所が欲しかっただけだったんだ)

 廊下は真っ直ぐと伸びていて、床も壁も天井も灰色一色に統一されていた。廊下の幅は3mほどで、壁には等間隔で装飾の施された窓枠が設けられ、降り注ぐ白い光が床を照らした。廊下の突き当たりには、灰色の木製扉があった。灰色の扉は高さ3m幅2mの両開きで、五人の者達が精巧に彫刻されていた。それは大地人族、深海人族、獣人族、妖精族、人族だった。各種族ともに特定の人物を描いているわけでは無く、種族特有の特徴を強調した架空の人物が彫られていた。創世族の五人は円陣を組み、一様に腕を突き出して手を重ね合わせていた。エクスは灰色の扉を開けて、自室へと入った。通路と同じような造りの部屋は30平米ほどの広さで、右手の壁には奥へ続く扉があった。室内中央には直径4mの円卓が置かれていた。円卓は光沢のある灰色で、装飾の施された背もたれがある椅子が5つ並んでいた。椅子の一つにロリアン・フェザー・クウィントゥスが座っていた。ロリアンは艶やかな灰色の髪を腰まで伸ばした美しい女性だった。エクスと同じ金色の瞳をしていて、灰色のパンツスーツを着ていた。エクスはロリアンの隣の椅子に着席した。ロリアンが問いかけるように、エクスを見て首を傾げた。エクスにはロリアンが何を言いたいのかわかっていた。

(どうしたの、エクス?)

 エクスは首を振った。

(わからない。ただ何かが起ころうとしている。いや、もう起きているのかもしれない)

 ロリアンはため息をついて、声に出して言った。

「そう、エクス。とりあえず、今はヒエロニムスの到着を待ちましょう」

 しばらくして、廊下側の扉がトントンとノックされた。

「どうぞ」

 エクスが言うと、扉が開いた。入ってきたのは、2mの長身の茶色い肌の男だった。

「やあ、ヒエロニムス」

「いつも世話になっている、エクス。早速なんだが、本題に入りたい」

 エクスに促されて、ヒエロニムスはエクスとロリアンの正面の席に座った。ヒエロニムスは白い半袖シャツと黒いパンツを穿いていて、足は裸足だった。全身がしっかりと日に焼いたかのような茶色で、茶髪は短く刈り上げられていた。ヒエロニムスは茶色い瞳でエクスとロリアンを見つめた。

「何か困ったことがあったんだろう。ヒエロニムス、話してくれないか」

「私の〈想いの力〉について知っているだろう?」

 エクスとロリアンが頷いた。ヒエロニムスは眉を顰めてから口を開いた。

「〈想いの力〉オメガ・ルカヴィで、悪魔ルカヴィが召喚できなくなってしまったんだ」

「〈想いの力〉が使えなくなったのか?」

「そう考えるのが、至極自然だ。しかし、私は別の懸念を抱いている。聞いてくれ、エクス。問題は私では無く、ルカヴィにあると推測している」

 エクスはロリアンと顔を見合わせてから、ヒエロニムスに頷いて見せた。

「続けてくれ、ヒエロニムス」

「私の〈想いの力〉は問題無く発動しているが、能力の根幹である召喚対象の悪魔ルカヴィが召喚不能になっているのではないだろうか」

「つまり、悪魔ルカヴィが召喚に応じていない、もしくは召喚できる状態ではないということか。そんなこと、これまでにあったのか?」

 ヒエロニムスは神妙な顔つきで、首を横に振った。エクスが肩をすくめた。

「可能性として考えられるのは、ルカヴィは死亡している。ルカヴィは召喚の契約を解除された。といったところか」

「私が抱いている懸念は、その可能性の後者についてだ。悪魔ルカヴィは契約によって召喚の従属を強いられてきたが、それから解放されたのではないだろうか」

「どうして、そう思うんだ?」

「確証はない。もしかしたら、三獄〈デルタ〉で何かが起こっているのではないだろうか。召喚不能になる前、ルカヴィはそんなことを匂わせていた。〈デルタ〉での異変が、ルカヴィに何らかの影響を与え、召喚不能になっているのではないだろうか」

「そうか、わかった」

 エクスはため息をついた。

「私とロリアンも以前からある疑念を抱いていたんだ。それは君の相談で、確信に変わったよ」

「エクスが心配しているのは、創世族に対しての脅威なのか?」

「いや、違う。各世界の秩序の危機だ。〈デルタ〉で何かが起きているのは間違いない。ヒエロニムス、君から話があると聞いて、あらかじめ内容を予測し、必要かと思ったから彼女を呼んでおいたよ」

 そこで突然、部屋の奥に繋がる扉がコンコンとノックされた。

「入ってくれ、ミュシャ」

 扉を開けて入ってきたのは、肌が青い奇妙な女性だった。ミュシャは青い髪を腰まで伸ばし、青い瞳を持つ女性だった。ミュシャは黒い半袖シャツを着て、黒いハーフパンツを穿き、足は素足だった。ヒエロニムスは目を丸くして、微笑を浮かべるミュシャを見つめた。

「来ていたのか、深海人族ミュシャ」

「久振りね、大地人族ヒエロニムス」

「ミュシャ、鬼神ニティブスを呼んでくれないか?」

「わかったわ、エクス」

 ミュシャの〈想いの力〉旧異種族接触が発動した。ミュシャの背後から何者かがズルズルと現れた。召喚されたのは星の鬼神ニティブスだった。鬼神ニティブスは黒髪を肩まで伸ばした女性だった。ニティブスは灰色のローブを着て、フードは被っていなかった。ニティブスはミュシャの隣に立ち、無表情にエクス達創世族の者達を見つめていた。

「星の鬼神ニティブス。今、〈デルタ〉で何が起きているのか話してくれないか?」

 ミュシャがニティブスに向かって頷いて見せた。

「わかったわ、エクス。三獄〈デルタ〉では————」





 鬼神サリルスは眉を顰めて、ギリギリと歯軋りした。

(なんて腹立たしいことだ。邪魔者ばかり出現しおる)

 扉を開け放つ鬼神サリルスは、灰色の髪と灰色の瞳を持つ男鬼神だった。眉は太く灰色で、鼻の下には豊かな灰色の口髭を生やしていた。サリルスは灰色のローブを着て、フードは被っていなかった。サリルスが座っているのは背もたれの長い灰色の椅子で、目の前には幅2m長さ12mの長方形の机があった。机は光沢のある灰色で、サリルスから見て長机の両サイドにはズラリと6柱ずつの灰色のローブ姿の者達が座っていた。12柱の鬼神達は全員フードを被っていたので、顔は見えなかった。サリルス達がいるのは鬼神ヌクテメロンの居城――万鬼殿の一室だった。40平米ほどの部屋で、床も壁も机と同質の光沢のある灰色で統一されていた。四方の壁には数多くの美麗な鬼神が描かれていた。描画されたヌクテメロンはそれぞれが司る1から12の時間ごとに区分され、デザインに付与されていたのは実質上の役割や特徴だった。今この部屋にいる13柱のヌクテメロンも、例外無く壁画に描かれていた。扉を開け放つ鬼神サリルスが右手を前に突き出すと、手首から先が消失した。サリルスが腕を引き戻すと、再び右手が姿を現した。その手には先ほどまで何も手にしていなかったはずなのに、灰色のゴブレットが握られていた。サリルスはゴブレットの中身を飲み、机に置いて、目の前のヌクテメロンを見回した。

「煉獄の各地を統治する君達に集まってもらったのは、三獄の危機に関して議論するべきだと思ったからだ。既にいくつかの地域では問題が起きておるかもしれん。私はいくつかの不安対象を定めておる。まずは冥獄の支配者ラメド・アンデルだ。奴は教徒の欠片を食らっておる。忌々しいことにな。教徒の欠片の凄まじい力によって、奴は何かを企んでおる」

 サリルスが口を噤み、1柱の鬼神を睨み付けた。それはサリルスから一番離れた右手側の机に座っていた鬼神カタリスだった。犬の鬼神カタリスの首元にサリルスの右手が出現した。

「起きろ。カタリス」

 右手が握り締められると、灰色のローブがクシャクシャに潰れて椅子に落ちてしまった。次の瞬間、サリルスの背後から男の声がした。

「酷いじゃないか、サリルス。危うく喉が潰れてしまうとこだ」

 サリルスが振り返ると、今なお灰色のローブを着ている鬼神カタリスが立っていた。犬の鬼神はフードは被っていなかった。露出したカタリスの顔は人間の物では無く、灰色の犬そのものだった。顔は灰色の毛で覆われ、大きな耳は顔の横に垂れていた。鼻は黒く、カタリスがニヤリと笑うと牙が覗いて見えた。

「寝るな、カタリス。私の話中だぞ」

「ラメド・アンデルの話なんて、もう聞き飽きたぜ。俺だけじゃ無く、集まった全員が退屈してるぞ」

「そんなのはわかっておる。続きがあるんだ。さっさと席へ戻れ」

 鬼神カタリスが席に戻るのを見て、サリルスは話を再開させた。

「ラメド・アンデルと同様に危険なのはリヴラだ。奴は教徒の欠片を欲しておる。絶対に奴に渡してはならない。更にリヴラは鬼神ヌクテメロンを取り込んでおる。君達それぞれの支配区域にも反逆者が出現しているだろう。仕方ないが、我々は鬼神同士で戦わなければならない。最優先事項は教徒の欠片を他の何者にも渡さずに、鬼神ヌクテメロンが手にすること。教徒の欠片の捜索と同時に、リヴラと結託した敵となる鬼神の討伐だ」

 鬼神サリルスがゴブレットを口へ運んだ。それが合図だったかのように、集まった12柱の鬼神達の姿が消失した。サリルスはため息をついて、呟いた。

「教徒の欠片は渡さん。リヴラを排除し、ある程度の異世界自由交通化は持続させんと」





 ティラが空間移動してやってきたのは三獄〈デルタ〉構成世界の一つ――煉獄だった。煉獄は灰色の世界だった。大地も空も灰色で、遠くに見える森でさえ灰色だった。ティラの足下は灰色の地面が剥き出しとなっていたが、幅2mの道の両脇には灰色の細く短い草が生い茂っていた。ティラは自分の姿を見下ろし、右手を上げて顔に近づけた。硬質な仮面の感触が感じられた。白いローブと白い仮面という格好は何とも変な気分だ。

(さて、どうしよう。因果の刀はどこにあるんだろう)

「おいっ、お前。こちらを向け」

 ティラはビックリして、低い声がした背後を振り返った。3mほど離れた場所に灰色のローブ姿が立っていた。フードを被っていて、顔は見えなかった。

「お前は誰だ? 何故白いローブなんて着ている。それに、その白い仮面は何だ。仮面を取ってみろ」

「………」

「おい、何とか言ったらどうなんだ? 仮面野郎が。怪しい奴め」

 灰色のローブ姿が近づいてきたので、ティラは思わず後ずさった。

「僕は因果の刀を探しているんだ。君は何か聞いたことはないか?」

「そんなものは知らん。お前、どうやら悪魔ですら無いようだな。鬼神ヌクテメロンの世界に何の用だ、仮面野郎」

 ティラの額を冷や汗が伝った。

(こいつが鬼神か。クソッ、いきなり何なんだ)

 鬼神が更にティラに近づいてきた。

「やめておけ、鬼神セザルビル」

 ティラの背後から老人の声がした。ティラが振り返ると、ボロボロの灰色のローブを着た人物が立っていた。

「道化師か。お前には関係ない。どっかへ消えてろ」

「そうはいかん。お前さん、この白仮面を攻撃するつもりだろ。そんなつまらんことしとらんで、やるべきことをやるべきなんじゃないか?」

「俺のやるべきことは、その仮面野郎をぶちのめすことだ」

 ティラは耳を疑った。

(どうしてそうなるんだよ。ふざけやがって)

 ティラは眉を顰めて、両手に彩色魔術のエネルギーを集中させ始めた。鬼神セザルビルの背後に新たな鬼神が出現した。ティラは目を丸くして、新たな鬼神を見つめた。灰色のローブは鬼神セザルビルと同じだったが、新たに現れた鬼神は灰色の犬の顔をしていた。

「やめろ、セザルビル。お前のやるべきことはそんなことでは無いはずだ」

 鬼神セザルビルがサッと背後を振り返った。

「何故、あんたが? あんたはサリルスに呼ばれて、万鬼殿にいるはずだろ、カタリス」

「それはもう終わった。そんなことより、俺の管理する10時の領域で好き勝手なことをするな。それに、我々にはやるべき事が出来た」

 鬼神セザルビルが歯軋りしてから道化師を睨みつけた。鬼神カタリスが自分の方を見ているのに気づいて、ティラは眉根を寄せた。灰色の犬の顔で、カタリスはニヤリと笑った。

「行くぞ、セザルビル。じゃあな、道化師。それと、白仮面」

「わかった」

 鬼神カタリスと鬼神セザルビルの姿が不鮮明になり、2柱の鬼神は消失した。

「さて、白仮面。煉獄に来て早々、危うく大火傷するとこだったな」

 ティラは隣に立つ道化師と呼ばれる老人を見つめた。灰色の襤褸を着た道化師は浮浪者のようだった。灰色のローブだったものは汚物で赤黒く汚れ、埃まみれだった。肩まで伸びたボサボサの髪は黒かったが、至る所に白いものが混じり、灰色のグラデーションと化していた。背は低く、道化師は妖精族とも思われたが、背中に羽を隠している様子も無く、そもそも三獄に妖精族なんているんだろうか。裸足の足は垢と土とで真っ黒に汚れていた。そこはかとなく酸っぱい臭いがして、ティラは眉根を寄せた。道化師の顔には髭は生えていなかったが、無数の皺が刻まれていた。肌はどす黒い茶色で、まるで枯木のようだ。しかし、道化師の瞳はキラキラと輝き、活力に満ちていた。その力強い瞳によって、ティラは道化師が世捨て人ではないのを感じ取った。道化師は、まだ何かの為に生きているんだ。

「ありがとうございました。おかげでトラブルに巻き込まれずに済みました。ええと、道化師と呼ばれていましたけど?」

「ああ、そうさ」

「名前は何と仰るのですか?」

「私の名は、オデュ。道化師オデュ」

「オデュさん。改めまして、ありがとうございます」

「改まらんでよい。堅苦しいのは嫌いでな。それより、お前さん。探し物があるのか?」

「はい。因果の刀を」

「因果の刀か……。久々に聞いたな」

「えっ! 知ってるんですか?」

「昔にちょっと耳にしたことがある。あらゆる事象の因果関係を断ち切るという――物を斬らぬ刀だとな」

「そうです! その刀です!」

 道化師オデュは首を横に振りながら歩き始めた。

「お前さんが何故因果の刀を求めているのかは知らんが、諦めるんだな」

「えっ?」

 ティラは眉を顰めて、遠ざかるオデュの背中を見つめた。

(諦めろだって。ふざけるな。せっかくの手がかりを逃がしてたまるか)

 ティラはオデュを追いかけた。





 万神殿の大広間には最上級クラスの天使達が集っていた。広間の床と壁は白い大理石製で、天井から射し込む光で煌めいていた。50mほどの高さにある天井には円形の巨大なステンドグラスが設置されていた。色彩豊かなステンドグラスには三柱の神と無数の天使達が描かれていた。大広間の広さは1500平米ほどだった。広間の奥には高さ2mの演壇が設置されていた。その壇上を向くように、背もたれのある白い椅子が縦横に整列していた。椅子には誰も座っていなかった。奥行きが10mほどある壇上には16脚の椅子が横一列に置かれ、15人の天使達が座っていた。天使達の外見はそれぞれ異なっていたが、全員に共通するものがあった。天使は肌が透ける白いローブを着ていて、背中には豊かな白い翼が生えていた。金髪、茶髪、赤髪、黒髪、白い肌、黒い肌、色彩は様々だったが、天使達はスラリと背が高く、とても美しい整った容姿を備えていた。一人の金髪巻き毛の男天使の口から、そんな美しい姿とは裏腹の汚い言葉が飛び出した。

「クズがっ! 忌々しい、鬼神どもめっ」

 天使サリエルは眉根を寄せて、ギリギリと歯軋りした。

「鬼神どものような野蛮な奴等に教徒の欠片は絶対に渡さない。そんな悪夢はラメド・アンデルだけで十分だろう?」

 天使サリエルは万神殿に集結した最高権力者達の反応を伺った。怒りに顔を歪める者、微笑む者、頷く者、逆に首を振る者、微動だにせぬ者、反応は様々だった。壇上にいるのは神の命令である天使サリエルの他に、階級監督官ラグエル、セクンダデイに所属する七人の天使、イスキンに所属する六人の天使だった。

「教徒の欠片は覚醒した。冥獄だけに教徒の欠片を渡しといてなるものか。しかも煉獄に教徒の欠片を与えてしまったら最悪だ。何としても教徒の欠片を見つけ出し、天獄の所有物にしないと」

 天使ラグエルが首を傾げた。ラグエルは短い黒髪の女天使だった。

「確かに私自身も、教徒の欠片の覚醒の波動を感じ取ったわ。でも、まだその在り処は誰にもわかっていない。欠片の探索は重要だけど、欠片は適格者を選択する」

 天使ラグエルの言葉に、天使サリエルが眉根を寄せて唸った。天使ラグエルは隣に座る天使サリエルを横目でチラと見て、話を続けた。

「結論から話すと、教徒の欠片の探索と並行して、我々が遂行しなければならない重要な任務があるの。私は教徒の欠片の覚醒の他に、いくつかの力の覚醒を感じ取ったわ。教徒の欠片の影に隠れて、わかりにくくされていたけどね。その隠れた力の覚醒の中に、奇妙な力の波動を感じたの」

「ラグエル、その波動というのは、聖剣に似た力のことか?」

「そうよ、サリエル。けど、聖剣の力は失われたはず。それに、厳密には私が感じ取ったのは聖剣では無かった。この力の正体を突き止めるべきだわ。天獄にとって、百害あって一利なし」

「なら、早速確かめようではないか。聖剣の成れの果てを見れば、聖剣ではないと納得できるだろう」

 天使達は頷き、大広間を出た。幅10mほどの白い大理石の通路を抜け、羽の装飾が施された白金の手摺のついた光沢のある白い螺旋階段を下っていく。螺旋階段はグルグルと何回転もしつつ下降し、繋がる下層まで200mもの距離があった。サリエル達が螺旋階段を下り切ると、左右に幅5mほどの通路が伸びていた。サリエル達は右手の通路へ向かった。通路の両サイドには無数の扉が並んでいた。横1m×縦2mの白い扉は横だけでなく縦にも並び、続く限りの高さまで設置されていた。サリエル達がやってきたのは、万神殿の居住スペースだった。無限に思われる扉の中で、サリエル達は迷わずに一つの扉へと近づいていった。天使ラグエルが扉をノックし、扉の中央にある不透明な四角い膜に手を触れて、返答の有無にかかわらず扉を開けた。部屋の中は狭く、シングルサイズのベッドとベンチ式収納ボックスがあるだけだ。窓から白い光が差し込んでいた。室内には誰もいなかった。全員の視線が集中したのは、ベンチ式収納ボックスに立て掛けられた聖剣だった。聖剣と呼ばれる剣の刀身は黒く錆びてボロボロで、天使の白い羽を象った鍔と白く滑らかなはずの柄は赤黒く変色し無数の傷で汚れていた。見る影もないほどに朽ちた聖剣からは、何の力も不思議なオーラも感じられなかった。この聖剣の成れの果てには、もはや何も残されていない。それは誰の目にも明らかだ。

「覚醒の波動の正体は気になるが、ここに答えは無さそうだな」

 サリエルがそう言って、全員が踵を返しだしたが、ラグエルには何かが引っかかっていた。ラグエルが室内奥へ進み、聖剣は無視して収納ボックスの中を見ると、何も入っていなかった。そこで、部屋の様子が一変した。窓には鎧戸が下ろされていて、差し込んでいた光は無くなり部屋は薄暗くなった。皺一つないシーツが敷かれ、掛け布団が丁寧に畳まれていたベッドには、乱れてクシャクシャにされたシーツと布団が丸めて置かれていた。さっきまで置いてあったはずの錆びた聖剣は忽然と姿を消していた。

「もぬけの殻ね。レミエルの能力――鏡逆によって、室内の様子は欺かれていた。どうやら私の予感は間違っていなかったようだわ」

「壊れた聖剣がどうなったかは定かではないが、レミエルは聖剣を持ち去ったわけか。聖剣に何かが起きたのは、レミエルの行動が証明しているな。ラグエルの言った通り、教徒の欠片の探索と同時進行で、レミエルの捜索もしなければならない」

「サリエル、確認だけど、効率重視で、回収対象は聖剣で構わないわね」

「もちろんだ、ラグエル。聖剣さえ回収出来れば問題ない。万神殿への忠誠を無くしたというなら、レミエルの生死は不問だ」

 天使サリエルは歯を剥き出しにして凄絶な笑みを浮かべた。





 幻影の鬼神マストは煉獄の10時の領域を統治する鬼神カタリスに会いに、鬼神ヌクテメロンの居城である万鬼殿を訪れていた。万鬼殿の城内は灰色の豪奢な造りとなっていて、無数の部屋が設けられていた。灰色の光沢のある廊下を歩いて、マストは進んでいった。途中、他の時の領域の鬼神達とすれ違ったが、マストは無視した。

(僕が興味あるのはただ一つ。リメド・エイデンの消滅のみ。そうすればリメド・エイデンの呪いから解放されて、僕は本当の意味で覚醒することができる。他のことなんてどうでもいい)

 マストはカタリスの部屋の前までやってきて、灰色の扉をノックした。

「入れ、マスト」

 マストは部屋に入った。室内は50平米ほどの広さで、奥の壁際に長さ2mの灰色のソファー2脚が向かい合わせで置いてあった。ソファーには犬の鬼神カタリスが座っていた。カタリスに促されて、マストは向かい合う形でソファーに座った。カタリスの顔は灰色の犬のもので、大きな耳が頬に垂れていた。

「カタリス、僕を天獄に行かせてくれませんか?」

「どうして天獄へ行きたいんだ? 自殺目的なら他を当たれ」

「捜査目的です。教徒の欠片が覚醒した今、ヌクテメロンの目的は教徒の欠片の入手でしょう。もちろん、それは天獄と冥獄でも同じ。とくに天獄は欠片獲得に必死のはず。既に欠片を取得している冥獄に対抗する為には、欠片獲得は必須条件ですからね」

「それで、お前の目的は何なんだ、マスト?」

 鬼神カタリスがニヤリと笑い、鋭い牙が覗いた。マストは心中で舌打ちした。

(本当に面倒くさい野郎だ、犬の鬼神め。いいから、僕を天獄に行かせろ、クソがっ)

「天獄には教徒の欠片の捜索と、欠片を狙う天使達の妨害を目的で向かいます」

「まあ、いい。一つ、面白いことを教えてやる」

 ニヤニヤ笑うカタリスに、マストは眉根を顰めた。

「天獄では一人の天使が話題になっているんだ。そいつは同胞である天使を殺戮しているそうだ。お前も天獄へ行くなら、その殺戮天使に斬り殺されないように気をつけるんだな」

「ありがとうございます」

 鬼神マストは深々と御辞儀をして、そのまま顔を上げることなく空間移動して、その場を去った。





 天使レミエルは魔剣によって天使の殺戮を始めた。といっても、対象は邪悪な天使だったが、そんなのは天使達には関係なかった。天使に良いも悪いもなかった。だが、その天使達自身とそれ以外の特に物質界の存在である人間達との間で、大きな認識の違いがあることが問題だった。もちろんレミエルは自分を特別な存在だなんて、露ほども思っていなかった。天使イコール高潔な存在というのは幻想に過ぎない。これは天使というブランドに付随するイメージだ。天使のブランド戦略は凄まじく、素晴らしい効果となって天使がトップブランドとして君臨しているのは、ひとえに先駆者達の偉業以外の何物でもない。実際に天使の中には本当に高潔で尊敬に値する者もいたが、それは天使だろうがそうでなかろうが、とどのつまり人それぞれということにほかならない。レミエルが憎悪に燃えているのは、その天使というブランドに甘んじて、欲望のままに行動する天使達が存在しているからだった。馬鹿な人間ばかりではないので、もはや全人類とまでは言わないが、それでも未だにブランドに騙されて、天使を崇拝する者もいる。そんな純粋な者達に、悪徳天使達は容赦無く襲いかかった。神聖な天使の言葉は何よりも正しいと崇拝者達は信じて疑わない。本当はクズ野郎にもかかわらず、背中に白い翼があるというだけで、何でも言うことを聞いてしまう。裁かれるべきは、そんな悪徳天使達なのに、実際には悪徳天使達は好き放題に欲望を満たし、犠牲になるのは食い物となる純粋な崇拝者達と一握りの善良な天使達だなんて、間違っている。この歪んだ世界を正し、蔓延る悪しきシステムを崩壊させないと。

 天使レミエルは標的を見つけた。三人の天使達が天獄から異世界の光景を覗いていた。周囲は濃緑の草が踝まで伸びた草原で、所々に白い花が咲いていた。青い空には雲一つ浮いていなかった。時折吹く冷たい風が肌に心地よかった。とても穏やかな景色だったが、天使達が集う場所で邪悪な行為が展開しているのは、レミエルにとって火を見るよりも明らかだった。レミエルが見つけたのは二人の男天使と一人の女天使だった。レミエルが三人の天使達の斜め後方から様子を窺うと、三人は空中に浮かぶ2m×2mの正方形のディスプレイに釘付けとなっていた。ディスプレイに映し出されているのは異世界〈ニューアース〉の人間達で、天使達はニヤニヤしながら時折ディスプレイを指でドラッグしていた。レミエルは眉を顰めて、右手に持つ魔剣を強く握り締めた。レミエルは三人の天使達の背後まで近づいた。魔剣によって完全に気配を絶っていたが、そうでなくても天使達はディスプレイに夢中でレミエルに気づく様子は無かった。レミエルが魔剣を横薙ぎにすると、男天使の胴が一刀両断された。残った二人の天使がサッと背後を振り返り、地面に横たわる分断された肉塊を見つめた。

「ぎゃああ」

「きゃああ」

 耳を劈く断末魔の叫びと悲鳴にレミエルは眉根を寄せた。レミエルは魔剣を振り上げて、右側にいた男天使を斬り裂いた。男天使は悲鳴を上げて地面に仰向けに横たわり、じたばたともがき苦しんだが、すぐに事切れておとなしくなった。左側では女天使が地面に座り込んでいた。レミエルが見据えると、女天使はガタガタと震えていて、手足を忙しく動かして後退りしようとしていた。女天使の顔は恐怖で歪み、涙と涎が醜く垂れ流れていた。本来なら美しい顔つきだったのだろう。だが、むしろこの足下に座り込んでいる醜態こそが彼女の本質に相応しい。レミエルは女天使を軽蔑して、舌打ちした。レミエルは魔剣を振り下ろした。女天使の体が左肩から斬り裂かれた。

「ぎゃああ」

 女天使の絶叫はすぐに途切れた。レミエルは草原に横たわる天使達の亡骸から右手に握る魔剣に視線を移した。漆黒の魔剣はまるで生きているかのように暗く光っていた。艶やかな黒い刀身には傷一つ無かった。くすんだ黒の柄は硬くしっかりしていて、悪魔のような翼が模られた鍔は今にも動き出しそうだった。

「ふふっ」

 天使レミエルは笑みを浮かべて黒い魔剣を掲げた。

(素晴らしい。予想以上だ。リメド・エイデンを滅ぼすという魔剣は、天使も容赦無く斬り裂いてくれる。だが、こんなものじゃないはずだ。まだまだ働いてもらうぞ、魔剣。ゴミ屑のような悪徳天使はまだ腐るほどいる)

 天使達にとって、レミエルは大量虐殺の犯罪者以外の何物でも無かった。犯罪者レミエルを天使サリエルが見逃すわけもなく、セクンダデイとイスキンが追跡者となった。





 ティラは道化師オデュから何としても因果の刀について聞く必要があった。ティラはスタスタと歩き続けるオデュの後をついていった。

「オデュ、因果の刀を諦めろとはどういうことですか?」

「どうもこうもない。因果の刀を見つけ出そうとするお前さんの目的は無駄だ。現状では不可能だ。だから、諦めろと言ってるんだ」

「あなたは何を知ってるんですか。オデュ? 因果の刀は一体どこにいってしまったんですか?」

 オデュはボサボサの髪をボリボリとかいて、深いため息をついた。

「私にもわからん。もはや因果の刀の姿は消失してしまった。因果の刀という武器は、この物質界アッシャーには現存しないのだよ、白仮面。どんな理由で因果の刀を探求するのかは知らん。因果の刀を必要とするのなら、それ相応の因果と覚悟があってのことだろう。でも、諦めるしかない」

「いくら諦めろと言われても、僕は諦め切れません。別の話を聞かせてください。あなたは因果の刀を知っていた。オデュは昔に因果の刀を持っていたんですか?」

「物好きな奴だな。もはや存在しない過去の遺物に、何故執着するんだ?」

 オデュは皺まみれの顔で控え目に嘲笑した。ティラが何も答えずにオデュを見つめているので、オデュはため息をついて首を横に振った。

「遥か昔だ。客観時間では数百年も前だろうか。没落した国、忘却された時代の話さ。私は三神刀を装備していた。それだけだ。今はもう何も知らない」

 オデュが歩く速さを上げたので、ティラも早歩きで後を追った。もうこれ以上聞いても、この件に関してオデュは答えてくれそうになかった。ティラは心中で舌打ちした。

(ハア、一体どうなってしまうんだろう。因果の刀は本当に無いのか。テトラモルフとリヴラが確証の無いデタラメを言っていたのか。それともオデュの話が嘘か、もしくは見当違いなのか。なんでもいいから、因果の刀を見つけたい)

「オデュ、僕達はどこへ向かってるんですか?」

「天獄だよ。煉獄にいても、邪魔な鬼神どもに遭遇して厄介だからな」

「天獄――確か、天使達の世界ですよね?」

「妙な期待はしない方がいいぞ。天使は翼が生えた種族に過ぎない。そこに神聖さや純粋無垢などは微塵も無い。あるのは悪徳だけさ」

 ティラはオデュの話に眉根を寄せた。(天使が邪悪というなら、一体天使とは何なんだ)

「さあ、行くぞ、ティラ。空間移動は使えるんだよな?」

「えっ? 僕は空間移動が出来ません」

「やれやれだ。自分だけと比べると、他人に施す空間移動は負担増だからしんどいのだが……」

 そう呟いた次の瞬間、オデュの姿が変貌した。先刻まで灰色の汚れた襤褸を着ていたのが、今や色彩豊かな煌めくローブを着ていた。ローブは光沢があり、赤、黄、青、緑の生地がまるで海のように波打っていた。右手には灰色の木製杖が握られていた。ボサボサの白髪混じりの黒髪と皺まみれの顔は何一つ変わらずにいて、逆にそれが、見知らぬ魔術師の正体がオデュ本人だということの証明となった。

「クラスチェンジ・大魔導師」

 オデュの呟きは、呆然としているティラの耳には届かずにいた。ティラは白い仮面越しにオデュの煌びやかな姿を見つめていた。オデュは自分とティラに対して空間移動を施した。

「spatium」

 呪文が唱えられると、オデュとティラの姿が不鮮明になり、その場から消失した。



 オデュとティラが空間移動してやってきたのは天獄だった。煉獄の灰色の世界とは異なり、天獄は美しく色彩で溢れていた。緑の草原と無数の花々。青い空と白い雲。ティラは今自分が異世界にいるのを忘れてしまいそうだった。オデュが歩き出したので、ティラも後に続いた。ふと気づくと、オデュの姿は元の襤褸姿に戻っていた。

「オデュ、どこへ向かっているんですか?」

 オデュが歩みを止めた。ティラが眉根を寄せて、オデュの隣まで移動すると、目の前に三人の天使が立っていた。

「道化師が天獄に何の用だ?」

「汚らわしい乞食め」

 出現したのは男天使が二人と女天使が一人だった。天使達は白い翼を背中に生やし、半透明の白いローブを着ていた。ティラは思わず女天使の姿に釘付けになってしまった。女天使の美しい肢体が透けて見えていたからだ。豊かな胸も露となり、一体どういうつもりなのか理解不能だった。

「鼻の下を伸ばしている場合じゃないぞ、白仮面」

 ティラは眉を顰めてオデュを睨みつけた。オデュはティラを無視して、天使達を見据えた。

「何の用だね。雷光の天使バルディエル。嵐の天使ザキエル。夜の天使レリエル」

「害虫駆除だよ」

 雷光の天使バルディエルがくつくつと笑った。バルディエルは短い黒髪と褐色の肌を持つ男天使だった。

「そこの白いローブの仮面野郎は何者だ? どうやら鬼神でも悪魔でもなさそうだな」

 嵐の天使ザキエルがティラを睨みつけた。ザキエルは金髪を長く伸ばした白い肌の男天使だった。

「我々と対面した時の反応で自明しているわ。仮面野郎は異世界の存在よ。恐らく、人族」

 夜の天使レリエルが妖艶な微笑みを浮かべた。レリエルはウェーブした茶髪と白い肌を持つ女天使だった。

 ティラの抱いていた天使というイメージがガラガラと崩れ去った。ティラにとって、天使はもはや敵だった。オデュは目の前の三人の天使を無視して、周囲を見渡していた。顔を左右に巡らせ、何かを探している。

「何をとぼけている、道化師」

「やれやれ、誰も助けには来てくれないか。イスキンかセクンダデイあたりが颯爽と現れて、悪徳天使を八つ裂きにしてくれるかと期待したのだが、当てが外れたな。どうやら天使の権力者達は、他の厄介事で手一杯らしい」

「ゴチャゴチャ煩いぞ、乞食め。殺してやる」

「バルディエル、私はまだ死ぬ訳にはいかない。この場は突破させてもらおう」

「襤褸を着た汚い道化師に何が出来るの?」

 天使レリエルが嘲笑った。

「クラスチェンジ・戦士」

 オデュの格好が戦士の姿に変貌した。灰色の鎧を装備し、新品同様に刀身が輝く剣を握っていた。驚いてオデュを見据えるティラの視界の中で、三人の天使達もティラと同じ表情を浮かべていた。天使達もオデュの変化能力について知らなかったみたいだ。ザキエルが眉根を寄せて舌打ちした。

「着替えただけだろうが。襤褸雑巾めっ。まさに道化だな」

「戦闘はしんどいのだが、やるしかないようだ。私も出来れば道化師のままでいたいよ」

「嬲るか、道化め。灰燼に帰してやる」

 雷光の天使バルディエルがオデュに襲い掛かった。バルディエルが右手を前に突き出すと、天空から轟音と共に落雷が生じた。雷光はバルディエルの右手に握られていた。長さ2mほどの雷の剣はバリバリと火花を散らした。バルディエルがオデュに雷光剣を振り下ろした。オデュはサッと右に避け、バルディエルの腹部を切りつけた。バルディエルは舌打ちして唸った。バルディエルが雷光剣を振り払うと、剣から無数の雷が発射された。向かいくる雷光波をオデュは凄まじい速さで避けた。二人の戦いを眺めていたザキエルが舌打ちして、オデュに襲い掛かった。嵐の天使ザキエルが右手を掲げると、冷たい風がザキエルを中心に渦巻き始めた。ザキエルが右手を突き出すと、暴風が発射された。暴風が直撃し、オデュは空中へ投げ出された。

「クラスチェンジ・軽業師」

 オデュの格好が灰色の全身タイツ姿に変貌した。オデュは空中で回転し、更に空を蹴って暴風の檻を飛び出し、地面に着地した。オデュは凄まじい速さでザキエルに近づき、ザキエルの脇腹を蹴り飛ばした。オデュはそのままバク転して方向転換し、凄まじい速さでバルディエルの背後に移動した。バルディエルが雷光剣を振り下ろすより早く、オデュはバルディエルの腹部を殴り付けて吹っ飛ばした。

 ティラが呆然としていると、レリエルが近づいてきた。

「私が遊んであげるわ、白仮面」

 ティラは戦いたくなかった。目の前にいるのは、裸同然の女性なのだから。

「仮面を取ったらどう? そうしたら、もっと楽しめるかもしれないわ」

 レリエルがティラに襲い掛かった。夜の天使レリエルの全身が黒い霧に包まれた。レリエルの右手を取り巻く霧が更に濃さを増し、硬質のブレードを形成した。レリエルは黒霧剣を振り下ろした。ティラは右肩を切り裂かれて、呻き声を上げた。レリエルが高笑しながら黒霧剣を突き出した。

「Ventus」

 ティラが刻印に意識を集中させて詠唱を済ませると、彩色魔術の風の力が発動した。突風によってティラの身体が後方へ吹っ飛ばされ、黒霧剣は空を切った。ティラの全身を包み込んだ風はティラを空中で方向転換させ、レリエル目掛けて空中を疾走させた。ティラが風を纏った拳でレリエルを殴り飛ばした。レリエルが吹っ飛び、全身を覆っていた黒い霧が散り散りになって消えた。仰向けに倒れ込んだレリエルはすぐに起き上がった。ダメージは皆無に等しかった。だが、レリエルの表情は憎しみで歪み、ティラを睥睨していた。

「魔術を扱うとは、単なる人間ではないな……。その程度の彩色魔術など掻き消してやるっ!」



 バルディエルとザキエルはオデュの力を目の当たりにして、作戦変更した。二人は横に並び、ザキエルが両手から次々と渦巻く風を発射した。オデュは軽々と移動し、暴風を悉く避けた。すかさずバルディエルが左手を掲げると、天空から雷光が降り注いだ。暴風波と雷撃の隙間を縫うように避けるオデュ目掛けて、バルディエルは右手に握っていた雷光剣を投げつけた。オデュの周囲は風と雷によって形成された檻となっていて、もはや逃げ場は無かった。バルディエルとザキエルはオデュの断末魔の叫びを期待した。刹那、響き渡ったのは、甲高いパキンという衝撃音だった。天使二人の予想を裏切る光景が展開していた。オデュは再び変貌していた。赤、青、黄、緑の色彩豊かな鎧を装備して、右手には彩色魔術の地のエネルギーによって形成された黄色い剣が握られていた。

「クラスチェンジ・魔剣士。やれやれ。ハイクラスは負担が大きくて戦闘に用いるのは大分しんどいのだが、やられるよりはマシか」

「お前は……何故、道化師なんだ……」

 バルディエルが誰にともなく呟いた。ザキエルが舌打ちして、暴風を発射した。オデュが右手を振るうと、握っていた黄色い剣が消滅した。右手が赤く光り出し、燃える炎の剣が出現する。炎の剣は暴風波を真っ二つに割断した。バルディエルが再び雷光剣を手にして槍のように投げつけた。オデュが激突の瞬間、素早く炎の剣を振り上げると雷光剣はパキンという衝撃音と共に破壊されてしまった。オデュは立ち尽くすザキエルに素早く近づいた。炎の剣は消滅し、既にオデュの右手には彩色魔術の風のエネルギーによって形成された緑色の剣が握られていた。風の剣を振り払うと、ザキエルの腹部が切り裂かれた。悲鳴と共に、ザキエルが仰向けに倒れ込んだ。

「自身が得意な風で切られるのはどんな気分だ?」

 オデュは緑の剣をバルディエルに突き付けた。バルディエルは顔を歪めて歯軋りしたが、後退りするしか無かった。



 レリエルの全身が再び黒い霧に包まれた。レリエルを包む黒い霧がティラにまで近づき、ティラの全身を包み込んだ。ティラの視界が暗黒と化した。目を開けているのに、何も見えない。レリエルの哄笑が何処かから聞こえてきた。ティラは声を頼りに彩色魔術を発動させて火球を発射したが、火球は暗闇に吸い込まれて消失してしまった。ティラの背中が何かに切り裂かれ、ティラは悲鳴を上げた。ティラは慌てて火球を四方八方に発射したが、感触は何一つ無かった。レリエルの哄笑は今なお続いていた。ティラの右腿が切り裂かれた。

「細切れにしてあげるわ」

 ティラの左腕が切り裂かれた。ティラは歯軋りして、自らの力量を呪った。あれだけ色んな人と出会い、多くの戦いを経験したのに、ここに至ってまでも、僕はこの程度なのか。ティラの心中の奥底で、黒く淀んだものが蠢いた。ドロドロの黒い粘着物質は、鈍く黒い光を放つ憎悪の塊だった。憎悪の塊は胎動し、今にも爆発しそうだ。爆発を防いでいたのは、周囲に取り巻く白銀の光だった。だが、憎悪の塊は次第に肥大化し、白銀の領域を占拠し始めた。レリエルの悲鳴が、白銀と黒い憎悪の争いを中断させた。ティラの目の前で、レリエルが俯けに倒れ込んだ。その先には色彩豊かな鎧を装備したオデュが炎の剣を持って立っていた。

「行くぞ、白仮面。こんなところで足踏みしていたら、いつまで経っても因果の刀には近づかないぞ」

 ティラが戸惑っていると、オデュが近づいてきた。オデュの格好が変貌した。

「クラスチェンジ・治療師」

 オデュは灰色の外套を着ていた。オデュはティラの怪我に手を掲げ、治癒を施した。傷ついたティラの体が瞬く間に完治した。ティラは立ち上がり、既に踵を返して歩き始めているオデュの後を追った。オデュの姿は再び灰色の襤褸の格好に戻っていた。離れていくティラ達を天使達が唸り声を上げながら睨みつけてきていたが、何もしてこなかった。ティラは遠ざかっていく天使達を背中越しに見やり、オデュに視線を移した。

「オデュ、あなたのその変化能力は魔術なんですか?」

「驚くべきことなどではないよ、白仮面。道化師特有のスキルってやつだ」

「いや、まさか〈想いの力〉ではないのですか?」

「知らんなあ、そんなものは」

 オデュはスタスタと先へ進んでしまった。ティラは眉根を寄せて、オデュの後に続いた。





 星の鬼神ニティブスは肩まで伸びた黒髪を耳にかけ、灰色の瞳で周囲を見渡し、ため息をついてから語り出した。エクスとロリアン、ヒエロニムスとミュシャは固唾を飲んで耳を傾けた。

「わかったわ、エクス。三獄〈デルタ〉では、ある一つの物を巡って、天獄と煉獄と冥獄の争奪戦となっているの。三獄で取り合っているのは教徒の欠片と呼ばれる物よ。争奪戦とは言っても、実質上は天獄と煉獄の対立となっているわ。というのも、既に冥獄の支配者ラメド・アンデルは教徒の欠片の一部を取得しているらしいから。天獄の上級天使達と煉獄を束ねる鬼神サリルスと各地域を治める12柱の鬼神達は、ラメド・アンデルに対抗する為に何としても教徒の欠片を入手したいと思っているのよ。もちろん、ラメド・アンデルも教徒の欠片を欲しているわ。天使と鬼神に渡してしまったら厄介でしょうからね。今更だけど、三獄〈デルタ〉は天獄と煉獄と冥獄で構成されているわ。天獄を統治するのはリメド・エイデンで天使達が住んでいる。煉獄には昼に照らされる夜――通称ヌクテメロンと呼ばれる鬼神の集団が住んでいる。冥獄を支配するのはラメド・アンデルで、その暗い領域には悪魔が住んでいる。教徒の欠片が出現するまでは、天使と鬼神と悪魔は互いに忌み嫌っていても争うことなく膠着状態が続いていたんだけどね。教徒の欠片はとてつもないエネルギーを秘めた結晶のような物らしいわ。私も実物を見たことはないので何とも言えないけど、ラメド・アンデルは教徒の欠片を入手して恐ろしい力を手にしたと言われている。教徒の欠片は幾つかあるらしいの。その一部をラメド・アンデルが保持していて、最近新たな教徒の欠片が出現したとされているわ。私にはわからないけど、どうやら教徒の欠片の覚醒の波動は感じ取れる者には感じ取れるらしいわね。教徒の欠片の覚醒を察知した天使と鬼神は今や何としてでも見つけ出し、我が物にしようとしている。自らの世界に潜んでいた天使と悪魔と鬼神は教徒の欠片の争奪によって、他世界へ進出し始めたのよ。混乱は更に過激化するでしょうね。けど、それが悪魔ルカヴィの失踪と関係があるかといったら甚だ疑問だわ。悪魔は天使と鬼神ほど躍起にはなっていない。あの悪魔は消滅したというのが、個人的見解ね」

「ありがとう、ニティブス。ともあれ、どうやら私も三獄〈デルタ〉に行かなければならないようだ。いや、そんな驚いた顔をしないでくれ、ヒエロニムス、ミュシャ。なにも悪魔ルカヴィの為だけに移動しようとしているのではないよ。私もロリアンも、かなり昔から三獄の存在は知っていたし、気になってはいたんだ。だが、それよりもこれまで私達にとって重要な問題だったのは〈混沌〉の子とその眷属エノキアンだった。各世界の〈秩序〉を脅かす存在として、冥獄のラメド・アンデルは警戒していたんだよ。三獄〈デルタ〉で争いの渦中にある教徒の欠片というものは、ニティブスの話で初めて聞いたが、教徒の欠片の覚醒によって、これまで沈黙していたラメド・アンデルは必ず動き出すはずだ。私はそれに関して調査し、何らかの形で妨害しなければならなくなるだろう」

 エクスはおもむろに机の下から白い仮面と白いローブを取り出した。

「正直、白いローブなど気が引けるが、致し方ないらしい。三獄〈デルタ〉ではこの仮面と白いローブを着用しろと、リヴラ・ジヴァニトゥムに言われて渡されたんだ。ずっと三獄に行きっぱなしとはならないと思うが、私が留守の間、創世族と偽器〈ヴェッセル〉の安寧を頼む」

 エクスはロリアンの顔を見つめ、控え目な笑みを浮かべて頷いて見せた。ロリアンが笑い返すのを見て取り、今度はエクスはヒエロニムスとミュシャに頷いて見せた。それからエクスは鬼神ニティブスに近づき、三獄を目指して空間移動を発動させた。エクスとニティブスの姿が不鮮明になり、その場から消失した。





 座り込んでいた天使バルディエルは地面を思い切り殴りつけた。

「ふざけやがって、道化師め。どうして汚らしい襤褸を着た乞食があんな力を隠し持っていたんだ」

 仰向けに倒れこんでいた天使ザキエルが咳き込みながら上体を起こした。

「クソッ、手も足も出なかった。あんな小汚い老人相手に、何てざまだ」

 バルディエルは立ち上がり、天使レリエルの方へ近づいていった。レリエルは道化師オデュの炎の剣によって背中を切り裂かれ、俯けに倒れこんでいた。バルディエルは眉根を寄せて、レリエルの背中を見つめた。翼の付け根に刻まれた傷痕は赤黒く変色していて、半透明の白いローブは黒く炭化していた。

「死んだか、レリエル?」

 バルディエルが呟くと、レリエルの体がピクリと震えた。レリエルが全身を震わせながらゆっくりと立ち上がった。レリエルは顔を顰めて、ギリギリと歯を食いしばった。

「あのクソジジイ、絶対に許さない。殺してやる、死ねばいい」

 レリエルは眉根を寄せて、バルディエルを見つめた。バルディエルは目を丸くし、口を半開きにして、レリエルの背後を見据えていた。何があるのか確かめようとレリエルが振り返ろうとした瞬間、何かが腹部を貫いた。レリエルが視線を落とすと、臍の辺りから黒い刃が飛び出していた。嘘のような光景だったが、すぐに激痛が襲ってきて、レリエルは膝をついて呻いた。バルディエルはレリエルを刺した者を睨みつけた。金髪を肩まで伸ばした白い肌の男天使だった。手には魔剣が握られていた。裏切り者の殺戮天使レミエルだ。レミエルが魔剣を横に振るうと、レリエルの胴が一刀両断された。

「ぎゃああ」

 レリエルは断末魔の叫びを上げたが、すぐに事切れた。バルディエルの背後でザキエルの雄叫びが上がった。

「ふざけるなよ、この同族殺しがあっ!」

 ザキエルが両手から暴風波を発射した。暴風が激突し、レミエルの体が空中へ投げ飛ばされた。暴風は渦となってレミエルを束縛し、閉じ込めたレミエルの体を突風で切り裂いた。レミエルが魔剣を振り払った。暴風の渦は両断され、雲散霧消した。レミエルは白い翼を羽ばたかせて、ザキエルの目の前に降り立った。呆然と立ち尽くすザキエルをレミエルは魔剣で斬り殺した。

「ぎゃああ」

 胸を切り裂かれ仰向けに倒れこんだザキエルは手足をばたつかせながら絶叫したが、すぐにおとなしくなった。バルディエルはレミエルを睨みつけた。(魔剣がこれほどの力を持つとは思いもよらなかった。忌々しい邪悪な剣を、何故あんな天使が持っているんだ。どいつもこいつもその身に不相応な力を保有しやがって。天獄の均衡はどうなってしまったんだ)

「何が目的だ、神の慈悲レミエル?」

「私の行為を目の当たりにして、何もわからないのか、バルディエル。お前等は悪徳であるばかりか、愚劣でもあるんだな」

「好き放題言いやがって、裏切り者のクズが。その威勢も魔剣を手にしている時だけだぞ」

「よくわかっているじゃないか。私はこの魔剣で天使を皆殺しにする」

「どうして、お前が魔剣を持っているんだ? お前は堕天使を討伐した英雄として、神と同席を許されている聖なる大天使に昇格したはず。神の慈悲である天使が何故同族殺しの罪を犯し、堕天使に成り下がったのだ?」

「私は英雄などではない。でも、だからといって、堕天使になったつもりもない。私は罪など犯していないからな」

「何を言ってるんだ、お前。頭までいかれちまったか。俺の目の前でザキエルとレリエルを殺害しただろうが」

「その地面に転がってるそれは殺されるべき存在だったから、私が罪に問われることはない」

「何だと?」

「お前等は悪徳天使として裁かれるべき邪悪な存在だ。悪人を殺しても、罪にはなるまい。むしろ、称賛されたいぐらいだ」

「このとち狂った裏切り者めが」

「もちろん、お前を殺しても、私が罪に問われることはない。問答は終いだ」

 レミエルが魔剣を振り上げると、バルディエルが雷光波を放った。轟音を伴って飛来した雷光波はレミエル目掛けて空中を疾走した。レミエルが凄まじい速さで魔剣を横薙ぎにした。パキンという衝撃音とともに、雷光波は消滅した。レミエルはバルディエルに近づき、魔剣を振り上げた。バルディエルは右手に雷光剣を出現させ、レミエルに振り下ろした。黒い魔剣と黄色い雷光剣がぶつかり合った。パキンという衝撃音が響き渡った。雷光剣は真っ二つに折れてしまっていた。レミエルは間髪入れずに、バルディエルの左肩に魔剣を振り下ろした。

「ぎゃああ」

 バルディエルは絶叫した。魔剣はバルディエルの左肩から何の抵抗もなく、右腰までを斬り裂いた。バルディエルの体は両断され、地面に頽れた。凄まじい痛みがバルディエルを苛んだ。肉体的痛みもさることながら、精神的痛みもバルディエルを苦しめた。

(こんなにも呆気なく殺されてしまうなんて。しかも、同族である天使にだぞ。聖なる天使がこんな責め苦を受けるなんて許されるはずがない。全てはこの邪悪な所業を実現化させている忌々しい魔剣のせいだ)

 もはやバルディエルの視力は機能を失っており、目の前にいるはずの魔剣を装備したレミエルは見えなかった。神経は麻痺し、痛みは感じなくなっていた。そこで、バルディエルは呪詛を呟いた。

「物質界に束縛されるがいい」

 バルディエルは絶命した。バルディエルの死体の上半身から漆黒の霧のようなものが吹き出てきた。ゆらゆらと揺蕩う漆黒の霧はレミエルに近づいてきた。バルディエルの〈想いの力〉が今にも発動しそうだった。レミエルは魔剣を振り払って、浮遊する漆黒の霧を切り裂き、続け様に漆黒の霧に覆われたバルディエルの上半身目掛けて魔剣を振り下ろし、死体を両断した。漆黒の霧は消失した。

「残念だったな、バルディエル。お前程度の存在の死によって発動する〈想いの力〉など、私には通用しない。私はそれ以上の犠牲を背負っているし、魔剣にもそれ以上の犠牲が蓄積されている」

 レミエルは惨劇の場を後にした。





 灰色の草原に白いローブ姿が二つあった。二人ともフードを被り白い仮面を装着していたので、一見しただけでは何者か定かではなかった。二人の白ローブ姿の前に、2柱の鬼神が空間移動して姿を現した。2柱とも灰色のローブを着ていて、緑色の髪の男鬼神と赤色の髪の女鬼神だった。

「煉獄に何の用だ?」

 緑色の髪の男鬼神の詰問に、一人の白ローブ姿が答えた。

「煉獄を含めた三獄を〈混沌〉から守る為、ひいては全ての異世界と四界に〈秩序〉を齎す為に、我々はやってきた。だから、邪魔はしないでくれるか、毒の鬼神シスラウ、姦淫の鬼神ファルズフ」

「ふざけるなよ、リヴラ・ジヴァニトゥム。お前の言いなりになるものか」

 リヴラの隣にいた白ローブ姿が慌ててリヴラの肩を掴んで、話を中断させた。

「おい、いいのかよ、リヴラ。トラブルは起こさないんじゃなかったのか。なに挑発してんだよ。それに、あいつはお前の事を知っているぞ。どういうことなんだ。やばいんじゃないのか。三獄の天使や悪魔や鬼神は俺達の事を知らないんじゃなかったのか」

「何の心配もいらないよ、イライ・クルド。鬼神シスラウと鬼神ファルズフは敵対者〝リヴラ〟に忠誠を誓った――言わば反逆者だ。だから我々の事を知っていたんだ。この2柱の鬼神は例外なんだよ。それにこの場所は煉獄では9時の領域で、4時の領域に属する毒の鬼神と姦淫の鬼神がいるのは領域侵害に値する罪なんだよ。鬼神ヌクテメロンの中枢である万鬼殿に裁かれる罰を犯しているのは、我々よりもむしろこの2柱の鬼神の方だ」

「よくわからないが、とりあえずこの2柱の鬼神とやらをぶちのめしても、問題ないってことだな」

 イライの言葉にリヴラが頷くのを見て、シスラウとファルズフは歯を食いしばって睨みつけた。

「たかが人族の分際で、調子に乗るなよ」

 シスラウとファルズフが襲いかかってきた。シスラウの口から緑色の霧が吐き出された。緑の霧はゆらゆらとリヴラの方へ漂っていった。

「毒霧か、無駄だな」

 リヴラは自衛の障壁を展開し、向かいくる毒霧目掛けて突風を放った。浮遊する毒霧はシスラウの方へ飛んで行き、吐き出した当人を覆った。シスラウを覆っていた毒霧がシスラウの両拳に収束した。

「爛れろ、リヴラ」

 鬼神シスラウが毒拳でリヴラを殴り付けた。リヴラは後方へ吹っ飛び、仰向けに倒れ込んでしまった。リヴラはすぐに起き上がり、跳躍してその場を離れた。リヴラが先刻までいた場所に、シスラウが毒拳を振り下ろした。灰色の地面が爛れて、溶解した。

「重層の衝撃シュヴァルツ!」

 リヴラが空中で両手から漆黒の衝撃波を放った。重層の衝撃はシスラウに直撃し、毒の鬼神を跡形もなく消滅させた。着地したリヴラは背後に気配を感じ、振り返りながら自衛の障壁を展開した。誰かに殴りつけられ、リヴラは後方へ吹っ飛んだが、何とか態勢を整えて倒れ込まずに着地した。相手を見据えると、毒の鬼神がニヤニヤと笑っていた。

「毒傀儡ヴェノム・ファントム。お前が消滅させたのは、俺の残滓だ。残念だったな」

「残念などではないよ。むしろお前の持つ多彩な技を拝見出来るのは、とても貴重な体験だ。勉強になる」

「ほざいてろ、堕ちた錬金術師めっ」

 シスラウがリヴラに飛びかかった。リヴラが重層の衝撃シュヴァルツを放つと、眼前のシスラウが消滅した。リヴラは背後を殴りつけられ、うつ向けに倒れ込んだ。起き上がると、鬼神シスラウの姿が5柱に分身していた。

「ちゃちな偽物と勘違いするなよ。ヴェノム・ファントムは消滅する寸前まで物質界に実体化している」

 リヴラは舌打ちして、両手をエネルギーで包み硬質化させた。襲いかかってくる5柱の鬼神の攻撃を避けながら、リヴラは1柱の鬼神の首を手刀で刺し貫いた。背後に近づいていた鬼神が攻撃してくるより早く、リヴラは魔術を発動させた。鬼神の頭上に青い光輪が出現し、無数の氷の矢が中から発射された。鬼神は降り注ぐ氷の矢によって串刺しになり消滅した。リヴラは左右から近づいてきた鬼神を後方に跳躍して避けた。何かが背中にドンと当たって、リヴラはそれ以上後退することができなかった。何事かと背後を見渡しても、何も異常は見つけられなかった。だが、何かの障壁がリヴラを阻んでいた。すかさず残っていた2柱の鬼神はリヴラの左右に近づき、リヴラの手足を束縛した。目の前に現れたシスラウはニヤニヤと笑っていた。

「毒檻ポイズン・ジェイル。お前は俺が定めた領域から抜け出せない。もはやお前に逃げ場はないぞ」

 シスラウは右手に纏う毒霧を硬質化させ、ブレードを形成させた。シスラウはリヴラの心臓を刺し貫いた。束縛されたリヴラの体に毒剣が突き刺さった――瞬間、リヴラの体がバラバラに粒子化し、消滅した。目を大きく見開いて驚嘆するシスラウの目の前で、リヴラを拘束していた2柱の分身鬼神に無数の氷の矢が突き刺さり消滅した。鬼神シスラウが背後を振り返ると、リヴラがシスラウの真似をしてニヤニヤと笑っていた。

「魔術傀儡マジシャン・ファントム。お前の技を再現してみたよ。私のは毒ではなくて、彩色魔術のエネルギーを粒子化させて代用したのだが、まあうまくいったみたいだ」

「お前、よくも……」

「そろそろ終わりにするか、シスラウ。私としては更に鬼神という存在に関して実地調査していたかったのだが、四界にのさばる〈混沌〉への対処で、私も忙しいのだよ」

「なんだと」

 リヴラはシスラウに向けて、凄まじい速さで魔術を発動させた。

「Έναβέλος」

 呪文の詠唱が終了すると、リヴラの右手から二又の氷の槍が発射された。槍はシスラウの灰色のローブを貫いた。シスラウを貫通した槍は空中で反転してリヴラの右手まで戻ってきた。槍の先端には発光する緑色の球体がはまっていた。シスラウが慌てて自らの腹部を見下ろすと、空虚な穴が刻まれていた。リヴラが緑色の球体を二又の槍から外して掴んだ。

「シスラウ、この緑色の核がお前の本質だったのか。巧妙に隠していたらしいが、これだけ戦闘が長引けばお前の不可解な動きは露呈するぞ」

「放せ、返すんだ、俺の本質核」

「馬鹿か、お前は。返せと言われて返すわけがないだろ。お前の毒霧の能力は高性能で応用力のある素晴らしいものだった。しかし、使い手が馬鹿では、宝の持ち腐れだったな。お前はもっと残酷で狡猾に動くべきだった。お前は我々を全滅させるのに十分な能力を持っていたのにな。少なからず、私がお前だったら、我々を全滅させる自信があったな。とにかく、お前はもう終わりだ、死ね」

 リヴラは緑色の本質核を握り潰した。パリンという破裂音と共に緑色の結晶が砕け散った。

「ぎゃああ」

 シスラウが絶叫した。鬼神の姿は緑色の粒子となってバラバラになり、消滅してしまった。

「自らが所属する鬼神ヌクテメロンを裏切った罰だ。敵対者〝リヴラ〟に与したことを永遠に後悔するがいい」



 イライは襲いかかってきたファルズフを注意深く見ていた。赤色の髪の女は、一見すると人間に思えた。灰色のローブを着た女に何が出来る。ファルズフの口から赤い靄が漏れ出した。イライは眉根を寄せて、様子を窺った。

「毒か?」

「気をつけろっ、イライ! その赤い粒子に触れたら最後、鬼神の思い通りの人形と成り果てるぞ」

 離れた場所から叫ばれたリヴラの言葉を聞いて、イライは舌打ちした。

「容赦しないぜ、鬼神」

 イライの〈想いの力〉ラスト・ストラグルが発動した。更にイライは空間把握能力も発動させた。イライの視界が突如出現した白線で区切られ、世界はセル化した。イライはファルズフが吐き出した赤い霧が浮遊する空間を任意で爆発させた。魅力霧は吹き飛んで消滅した。ファルズフが次の行動に出るより早く、イライは既に空間のセルに命令を下していた。鬼神の両手足が爆発して吹っ飛んだ。続け様に、ファルズフの胴体が爆発して消滅した。ファルズフの頭部が灰色の地面に落っこちた。イライが近づくと、ファルズフは眉を顰めてイライを睥睨した。

「お前のその力――まさか、冥獄の支配者と同一なのか? いや、私はこの程度では死なないぞ。人族風情が調子に乗るなよ。種族の絶対的な優劣というものを思い知らせてやる、下等種族がっ!」

 ファルズフの頭部に赤い霧が集まり出した。イライはため息をついて、任意のセルに爆破のプログラムを組み込んだ。赤い霧が爆風で吹き飛んだ。ファルズフの頭部の一部が爆発して吹っ飛んだ。鬼神の絶叫が響き渡った。爆発は終わらなかった。任意の場所が1平方cm辺りの間隔で次々と爆発が続き、耳を劈く爆音と絶叫は鳴り止まなかった。爆音が鳴り止むと同時に、絶叫も途絶えていた。ファルズフの姿は跡形もなく消滅していた。

「イライ、鬼神相手に圧倒的勝利とは、君の〈想いの力〉はとんでもなく研ぎ澄まされているね」

「俺がお前と一緒に行動しているのは、俺自身の呪われた体を解放する為だからな、リヴラ。俺が求めることは、不老の解消以外に何もない。その可能性の為なら、否が応でも〈想いの力〉は強く発動するだろ」

「それはそれは」

「なあ、リヴラ。俺達はどこへ向かっているんだ?」

 リヴラが答えるより早く、リヴラの白いローブの内側から何かが飛び出して、リヴラの後頭部に突撃体当たりした。

「馬鹿めっ! まだ何も話していないのか」

 空中に浮遊するそれは、白い翼が生えた亀のデウスだった。

「イライ、我々が向かっているのは昼に照らされる夜――鬼神ヌクテメロンの居城――万鬼殿だよ。とんだ邪魔が入ってしまったが、敵対する鬼神と対峙できたのはむしろ僥倖だったかもしれない。急ごう、イライ。万鬼殿へ」

 リヴラ達は空間移動によって、その場から消失した。

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