チュートリアルby檸檬
私はルーツミのアパートで、檸檬をテーブルを挟んで座らせていた。
留置所から助けてもらった後で檸檬に、「この世界で行く宛があるの?」と訊ねると、私の家に行きたいというので、乗合馬車で一緒に連れてくることになったのだ。
「本当に助けてくれてありがとう。未来のハマニスタから来たなんて、にわかには信じられないけど…」
檸檬は猫のような瞳をきゅるんとさせて、目の前のいろんなものに興味を光らせている。
「うわあ、これが過去のハマニスタ時代の最下層貧民アパート! マグカップもだいぶ欠けてますし、この魚缶も賞味期限が2ヶ月切れてますよ!」
檸檬は、さも私が女子力がないと言いたいのかは知らないが、あたりのものを見回しながらつっいたり触ったりしている。
檸檬は私が片付け忘れていた部屋干しのズロースを見つけると、駆け寄って引っ張ったり、匂いを嗅ごうとしたので慌てて阻止する。
「それ、珍しいのはわかるけど、あんまりジロジロ見ないで……」
目の前にいる男の女のような檸檬が、(実際に男なのか女なのか微妙だが)非人工物とはいえ他人に下着をじろじろ見られるのは嫌だ。
目の前のズロースを隠された檸檬は不平そうに口を曲げた。
「でもぉ。この部屋、あんまり日当たりよくないですし、室内干しって匂いがつくからあまり良くないですよ。それ、天日で外に干したほうがいいです」
「女の一人暮らしで外に干すのはダメなのよ。ここ1Fだし」
「あはは、女勇者さんでもその辺りの常識は現代並みなんですね」
檸檬は笑っている。
檸檬は、グラスがないのでマグカップに注いだぶどうジュースをちびちびと飲んでいる。
「あなたはロボットというのね。非人工物という説明はさっきしてもらったけど、人間と同じ食べ物を食べるのね?」
「はい。僕が来たのはハマニスタ王国の2500年後の世界なんです。まず、電気や動力があって…でも魔法は消えていないです。環境問題の観点から、僕ら機械物も燃料や電力ではなく人間と同じ食べ物でエネルギーを作り出すようになっているんです」
電力や燃料エネルギーの概念はさっき檸檬が道中の馬車でしてくれたけど、私にはちんぷんかんぷんだった。でも檸檬がおいしそうにおやつのパンケーキ二枚と木苺のジャムを挟んだ、私のお手製「ハマニスタ焼き」を食べているのを見て、人間と同じように機械の体を動かす食べ物のような概念があるのだなと知った。
私は、さっき聞けなかった「遺伝子」の概念や、未来のハマニスタについてのことを色々と聞いた。驚くことばかりで、今の文明が全く違うものになっているようだ。
私は色々未来のことが聞きたくて、檸檬に質問をした。
「ハマニスタの街や王国はどうなっているのかしら?」
「すっごく栄えていますよ。王族の方々は一応、今の王家の血筋の人もいるんですけど、立憲君主制といって政治のことはあまりやらないんです」
「そうなの? 今は国王様が絶対的な権力を持っているから、信じられないわ」
「未来ではいろんなビジネスがあって、そこで財をなした人たちがいるんですよ。実は未来にいる我が主人も、あちらの国王様のパーティーに呼ばれるほどの名士なんです。主人は今おられる国王様にも会ったことがあって、どことなく顔が似ていると言っていました」
私は、旅立ちのときに他の冒険者パーティと一緒に王様の薫陶を受けたことを覚えている。白髪の柔和なお爺さんだったが、あの人に似た国王の子孫が続いているのだろうか?
「ローレンは? ローレンは将来どうなっているの?」
私は、ローレンと私が元鞘に戻るようなきっかけがないか、わずかに期待をしていた。
「……ローレンローレンって、ずっとローレンさんのことばかりなんですね、女勇者さん」
「そ、そうかしら? だって、ローレンにはイライラすることばかりだわ。なんなの、あいつ」
私はなぜか少し焦っていた。
「未来でローレンさんの家系がどうしているのかはわからないですけど、過去のことなら僕の魔法で結構調べられるんですよ」
檸檬は、ポシェットから小型の四角い箱のようなものを取り出した。小型の箱を開くと、空間に光の画面が投影されるので檸檬はそれを操作する。
「僕は、定点カメラ魔法が使えるんです。特定の空間座標に光の球を配置して、映像が記録できるんです。それで、これが暴いたローレンさん不正の証拠の数々……僕が過去の記録を見られる魔法を使ったら、もう出るわ出るわ。いろんな業者から賄賂は受け取っているわ、毎日怪しいパーティー三昧だわ、元老院の人たちには、魔法で誘惑した未成年と思われる女の子はアテンドしているわ……」
檸檬には、聞いたことのない特殊な「魔法」で、色々と調べてわかったことがあったらしく、映像でその様子をまざまざと私は見せつけられた。
「……クイーンギルドで殴った時は思わずそんなところじゃないかと思っていたけど、まさか本当だったとは」
「しかもあの人、不倫していたんですね。奥さん身重なのに……」
映像の最後には、大きなお腹を抱えた若い女性が出てきた。
私はきゅっと唇を噛んだ。
私はこのままだと子供をなせないらしいが、あいつには子供がいる。じゃあ、私たちの関係は、一体なんだったというのだろうか? 私は、ローレンが結婚すると言ってきた日に捨てた思いに、なぜか再び火が灯りそうな感覚がした。だが、それが怒りの炎なのか、あの溶岩の洞窟で始まった炎なのか今は区別がつかない。
「ーーとにかく、あなたにはとても感謝しているわ。いつ未来に帰るの?」
「僕は、あなたがしっかり未来のお婿さんを見つけられるようにサポートする義務があるんです。あなたがきちんと配偶者を見つけることが我が主人の願いなのです。あなたに、素敵な恋をしてほしいと」
「恋……?」
「そうです。モンスター討伐の戦闘に明け暮れて、魔王を微妙に倒して、それであなたに残ったものはなんですか? 栄誉も何もない、ただのしみったれたこんなアパート暮らしなんか女性のするものではないですよ。女性に生まれたのだから、あなたが次にすべきことは恋なんです」
ずきんと胸が痛んだ。
「そ、そんな……私……だって……恋……が……は……?」
私はまた、息苦しさを覚えた。
「がはっはあっはあっはあっ……」
「あっ、これはAIによると喘息の症状ですね。今吸入薬を出しますから」
檸檬は小さなポシェットをごそごそ漁ると、スプレー式の吸入薬を私の口にあてがった。
「ゆっくり深呼吸して、いーち、にーい……」
言われた通りに呼吸をすると、しばらくして発作は治ってきた。
「こんなカビだらけのアパートじゃ、喘息にも鬱にも呼吸障害にもなりますって。明日すぐにアパートを解約して新しい家を探しましょう」
「明日って? あなたは未来に帰らないの?」
「僕はあなたを変える使命があるんです」
「だって、年齢とか……このごつい体とか……ど、どうしたらいいの?」
「僕のこの5次元ポシェットを使えば、未来の最新型美容アイテムも通販大手のオマゾンで購入できるんです。費用は我が主人持ちです。あなたは変わらなければいけない」
「本当に?」
檸檬は急に大人びた表情になって、長い睫毛を伏せた。
「ーー本当です。あなたの恋愛レベルは、子供のまま止まっている。それなのにあんな不健全な男といたら、すべてダメになってしまう。変わりましょう、女勇者さん!」
「うっうわああああーーーーーーーーん」
私は檸檬の力強い言葉で、大人げなく泣いた。




