プロローグ
魔素中毒、と言う症状がある。
それは魔素という空気中にある魔力の濃度が人体に過剰なまでに取り込まれ、有害な影響を及ぼす反応であり、ダンジョンワーカーには当然のように付いて回るリスクである。
「……クソッ……何だ、これ」
全身に走る鈍い痛み、脳を揺らし、視界に靄の掛かる感覚。護仲晋は暗い世界を彷徨っていた。
まるで火事現場の屋内を進む様に、血だらけの身体で足を引き摺り進む。
「役立たずだから……だって」
ダンジョン地下10階。
最深部不明の巨大ダンジョンに放り込まれた4人は晋ただ1人を残して死亡。
「……俺も、ここで死ぬのか」
浮かび上がってくるのは共にこのダンジョンに投棄された仲間の顔。
「……ざまぁないってな、こんなのも」
どうしてここまで歩き続けていたのか。諦観を覚えて晋はその場に腰を下ろす。前方には最早何も見えない。
真っ黒な闇だけがある。
「ああ、死ぬな。俺もここで死ぬ。何だよ、そう思ったらさぁ」
今までの事も馬鹿馬鹿しく思えてくる。
晋が鼻で笑う音がダンジョン内部に寂しくこだまする。
「や、ば……」
意識が保てない。
晋は霞む視界が大きく揺れるのを認識しながら、無抵抗に横に倒れる。
どうしてこんな事になったのだろうか。
護仲晋は決して善人ではなかった。
神様を信じる様な人間ではなく、困っている老人がいても声をかけることはしなかったし、いじめられっ子を見ても助けようとはしなかった。
「…………」
彼の様な人間はクラスの中では珍しくなく、その様なタイプの者たちは本当に仲のいい者としか話さない。
彼らは大きなグループから外れた場所にいる人間だ。中でも晋と平泉金丸という男子は特定の親友の様な者も居らず、教室内で孤立していた。
「おーい、護仲」
「……どうした?」
時期は5月に入る直前。
高校2年生のこの季節は運動会の季節という事もあり個人の出場種目を話し合わなければならない時である。
授業は7限、夕方。
ロングホームルームにより話し合いの時間が設けられた。
「いやさ、まだ護仲と平泉……あと、岩崎の出場種目決まってなくてな」
「何でもいいっての、別に」
勝てるとは思っていない。
他のクラスの出場者は恐らく陸上選手などだろうから勝てる見込みはない。
「てか岩崎はさっき安村たちが高飛びやらせようとか言ってたぞ」
岩崎光太郎は虐められている。
主犯は安村春紀であると晋は考えているが振る舞いにどことない下っ端感がある。
「マジかぁ……? 岩崎て、ホラ……アレじゃん?」
言葉を濁しているつもりだが、実際に言いたいことは伝わっている。彼は光太郎の体型についてで思う事があるのだ。
「別に良いだろ」
勝ち負けなど大した話ではない。
学生の内の一行事。拘る方がおかしいと思うのは間違っているだろうか。
「……それに俺たち以外は男子の方決まってんだろ。選ぶとかの話じゃねぇし」
既に殆どは決まっている様で男子生徒たちは各々で騒ぎあって、はしゃいでいる。中心にいるのはやはり春紀だ。
一瞬だけ逸らした視線を正面の茶髪糸目の青年、額田智に戻す。
「俺は残ったので良い」
少しだけ智は言いたい事がある様な顔をするが無駄だと思ったのか「分かったよ。俺が何とかする」と言って金丸の席の方へと歩いて行ってしまう。
自然と晋の目は智の進む方向を追いかけていて、ブックカバーを被せた文庫本を読んでいた金丸の方へと向いた。
金丸は視線を感じたのか顔を上げ、晋と目が合うと1秒ほど見つめあった後、同時に視線を逸らす。
金丸が本へと戻した視線は十秒と経たずに直ぐに外される事となった。
「……悪いな」
自分都合で動いてばかりで、他人に対する配慮がない事を晋も理解している。自覚はあるが他者への優しさ等充てるつもりもない。
「俺はお前みたいに苦労したいタイプじゃないし……取り上げて誰かを晒しあげる様な趣味もない」
プラスもマイナスもないゼロこそが平坦で無事な人生だ。
優しくせずとも評価には響かない。厳しくするのは損で、優しくするのは得になるなどと単純な世ではない。
「尊敬するよ、マジで」
晋は視界の端に智を捉えて呟く。次の瞬間にえづき蹲る光太郎の姿が入り込んだことで目を伏せた。
「…………」
あまり良い光景ではない。
晋には彼を助けるつもりもないのだから観察する様にマジマジと見つめ、傍観者になると言うのも精神的には嫌なものだ。
だから、出来る限りに。
いじめが行われているという光景を見ないように努めている。
「俺はどうもしないから……」
勝手にやって、勝手に助かるかどうかしてくれと投げやりに。
晋が天井を見上げると天井に電灯ではない光が見える。
床からの反射だ。強烈な光が床から放たれている。
「あ?」
晋の口から素っ頓狂な声が漏れた。
瞬間に晋が座っている筈の椅子が突然に消えた様な感覚。身体が落ちていく。
無人となった教室に時計の音だけが響く。
前代未聞の学生行方不明事件。
偶然、席を外していた担任教師は責任を取り、教師を辞任する事となった。




