補足という名のヤバイ男の独説 後
屋敷での監禁生活は地獄でしかなかった。
婚約者に会いたい
笑った顔が見たい
毎日聞かされる婚約者の悪口。変わらない生活を送れているのは婚約者の実家の援助のお陰だというのに。そして毒花への称賛。毒花も数年前までは平民であったというのに婚約者を平民だとバカにし蔑んでいる。
殺していいか?
婚約者に会いたい
訪れるのは可愛い婚約者ではなく毒花。許可していないのに隣に座りベタベタ触れてくる。気持ちが悪くて堪らない。今にも吐きそうだ。
毒花の言葉の端々に感じる脅し。婚約者が、婚約者の家族がどうなってもいいのか、と暗に脅してくる。婚約者の家族はどうでもいいが、婚約者が悲しむのは許せない。
殺していいか?
血塗れの俺を見たら婚約者はどう思うだろう? 笑ってくれる?
だから、俺は仕方なく毒花の隣にいる。親や毒花をどう処分するか考えていないと気が狂いそうだった。頭の中で毒花を切り刻みながら、微笑みを浮かべて。頭の中だけではなく必ず同じ目に遇わせてやると誓いながら。
毒花は特に婚約者の前で俺と仲睦まじい姿を強要してくる。俺が学園を卒業したため婚約者と頻繁に会わないのがまだ救いだった。婚約者の瞳が悲しみに揺れる。そんな表情を俺がさせているのが許せない。
貴公子の仮面が壊れていく。
婚約者のために優しくなった。
婚約者のために賢くなった。
婚約者のために強くなった。
婚約者のために正しくあろうと思った。
婚約者のために格好良く見せていた。
婚約者のために、婚約者のために、婚約者のために………。
その婚約者は側にいない、仮面が崩れていく………。
殺していいか?
これ以上嫌われたくない………
凛とした目で俺を見るようになった婚約者。悲しい、苦しい、嫌だ、胸が痛い。だが、嘲笑う笑みを浮かべ、心とは反対の言葉を婚約者に投げつける。まだ見つからない、毒花を、毒女を破滅させる証拠が。バカ屑どもを黙らせるだけの物が見つからない。
「では、裁判所でお会いいたしましょう」
婚約者の言葉に頭の中が真っ白になった。ラスタの母親の姿が脳裏に浮かぶ。裁判を起こした者たちの末路も。
駄目だ、裁判なんかさせたら。
失いたくない。守りたいんだ!
婚約解消を求めているとも聞いて気が狂いそうだった。
別れない、別れたくない。
婚約破棄を告げた口でそう言って縋りたかった。けど、そう言えなかった。毒花が持つ見えない死の鎌が俺の首に向いているのならそう叫べたのに。
殺していいか?
もう全てを終わりに………
裁判所の召喚を無視した。被告側の調書を取れなければ裁判を開けない。どうやったら裁判が無くなるかそればかり考えた。
「調べてみたら、本神殿に『死者の願い』を提出して受理されていた。内容までは教えてもらえなかったが」
ようやく会うことが出来たトーナイトの言葉に愕然とする。婚約者が死ぬつもりだと分かり発狂しそうになる。
「裁判をさせてみたらどうだ? 彼女は賢い。何か他の手を考えているかもしれない」
それでもだ。死ぬ可能性があるようなことを婚約者にさせられない。生きていてほしい。どんなことがあっても。笑顔を守りたい。
今ならキリスタの気持ちがよく分かる。
「その場にいる者全員、殺していいか?」
「いや、それは困る。私も参加するから」
「やっぱり皆殺しする」
「ア、アーベル、もう少し手を探そう。それに君は血塗れの姿を彼女に曝せるのかい?」
俺は裁判を回避する手立てが見つからず頭を抱えるしかなかった。
殺していいか?
俺を含め婚約者を苦しめる者を全てを殺せば………、笑っていられる?
毒花は訴えられたことが余程腹に据えかねたのか、婚約者を傷害罪で訴え返した。毒女の力を借りて、俺が止める間もなく裁判所に連れていかれる。俺は一縷の望みをかけてみた。この裁判で婚約者が有罪になれば、婚約者の訴えが無くなるかもしれない、と。
目に痛いドレスを着た毒花をこの時だけは応援した。
結果はお粗末なものだった。毒花の行き当たりばったりの訴訟は裁判官たちにある意味良い心証を与えて終わった。毒花だけなら婚約者が勝てるかもしれない。
そんな俺の希望を毒女たちは粉々に砕いてくれる。
殺す………
婚約者が死ぬのなら全てを壊そう………
何もいらない、婚約者以外………
とうとう裁判が始まった。こちらが不利な状況だが毒女が後ろに控えている。どうなるか分からない。毒女の権力は侮れない。
「自白剤の使用を認めますわ」
毒女も毒花もニィと醜悪な笑みを浮かべている。婚約者が準備させた机の上にある自白剤、二人の様子からまともな物じゃないのは分かっている。
暴れて使えないようにするか?
たが、予備があったなら? 次はどうやれば自白剤を無くせる?
婚約者の使用方法は公平で納得がいくものだった。効力は薄まるだろうが、それでも飲ませたくない。普通の自白剤さえも。
「いや、私がその役目を引き受けよう。それが一番いい」
やっと現れたトーナイトに心の中でホッと息を吐く。後ろで毒女が驚いているのが分かる。トーナイトが視察で王都を離れている日を選ぶのは分かっていた。分かっていたからトーナイトはここにいる。国王の許可を取って堂々と。
やはり毒女が持ち込んだ自白剤はヤバイ物だった。だが、これだけでは証拠としては弱い。
毒花に自白剤が飲まされることになった。飲んでもいいってサインしてただろ、嬉しそうに。だから、優しく飲むように催促した。早く飲んで全てを話せ。
トーナイトは婚約者にも自白剤を飲ませた。飲ませるなといってあっただろう! 何故飲ませた。
キリスタとラスタ、この二人は婚約者の憧れだった。毒女の手前隠れての逢瀬だったが最初から一つだったと思えるくらい完璧な二人だった。婚約者がその死に拘るのは仕方がないと言える。二人のことは俺も調べていた。手掛かりを掴みそうになると消されていた。
俺と婚約者の婚約を疑ったヤツがいた。先王を煽てるバカの家の者だ。俺はそれでも良かった、どんな理由であれ婚約者が婚約者でいてくれるのなら。
朦朧とする婚約者を甲斐甲斐しく世話するトーナイト。睨み付ける俺にトーナイトは楽しそうに笑ってきた。後で覚えていろ!
毒花の自白に婚約者の顔色がどんどん悪くなっていく。隣に行って支えたい。震える細い体を抱き締めて悲しみを少しでも和らげてあげたい。だが、俺は隣に立つ資格がない。
トーナイトの命で毒女たちは捕まった。俺も縄をかけられた。もう毒花の相手をしなくていいと思うと気が楽になった。だが、これで婚約者ともう会えないと思うと気が重くなった。
婚約者の視線を感じたけど、目を合わせられなかった。あれだけ傷つけたのに今さら合わせられるはずがなかった。ただ心配するような視線が嬉しかった。
「終わったな」
「殴らせろ」
「暴行罪も増えたと聞いたら彼女はどう思うかな?」
はぁ。と息を吐いて、怒気を鎮めようとするが鎮められるはずもない。
殺したい、壊したい
壊したくない、笑っていてほしい
もう自由になったんだから
「さて、今から後片付けか」
トーナイトのうんざりした声がした。先王と毒女の動きを封じただけだ。二人を神輿にしていたバカどもがまだ残っている。
「女と子供を残すんだったな。刃向かわなければ殺さない」
俺は籠城している公爵家の名前を指差した。ちゃんと事故に見えるようにしてやる。昔からその方法を考えてあった。
「兵をつける」
「邪魔をするな、とだけ命じといてくれ」
暴れたい。何もかも無茶苦茶にしたい。
幸せに、とは言えない
幸せに、俺がしたかった
誰かの隣で幸せになっている姿は見たくない
笑っていてほしい、俺の隣で…
トーナイトの部屋に行く度に周りが俺から距離をとるようになってきた。リストに挙がっていた名前も少なくなった。まあ、隠居した奴らを事故や病死に見せかけて殺すのも飽きてきた。
「さて、もうそろそろ首輪をつけないとね」
トーナイトが意味の分からないことを呟いた。
「アーベル、君の再就職先が決まったよ」
暴れられるところなら何処でもいい。
壊そう、全てを、もう壊していいだろ?
「エスタ嬢の護衛兼仕事の補佐だ」
えっ?
「彼女は多くの者に狙われている。失うにはとても惜しい存在だからね、信頼できる者をつけたいんだ」
お、おれは………。
「それとも自信がないかい?」
「そんなことはない! 命に代えても守る」
トーナイトは眉をへの字にして首を横に振った。
「うーん、命をかけられても困るけど。エスタ嬢を一生守って欲しいから」
ああ、それもそうだ。命を狙われるのは一度だけじゃない。
「出来たら、夫の座も狙ってほしい」
「トーナイト、本気で言っているのか!」
「あぁ、本気だよ。それともアーベルはエスタ嬢を幸せにする自信がない?」
幸せに、俺が幸せにしたい。絶対に幸せにする。してみせる。誰よりも。
だが、俺は………。
「それにお前は他の者がエスタ嬢を幸せにするのは許せないだろう?」
呆れた息を吐きながらトーナイトが諭すように言う。
その通りだ。婚約者が俺じゃないヤツとなんて考えたくない。絶対相手を殺してしまう。いや殺す、俺以外が婚約者の隣に立つのなら。
「取り敢えず一から口説いてみたら?」
今の自分で? 何十人殺したか分からない手を見る。
「騎士になれば人を殺す。だから幸せになれないわけではない。それに…」
それに?
「私なんてどうなるんだい。人を殺す命を出しているんだよ。手は汚れていないが」
立派な殺人鬼だ。そう口だけトーナイトは動かした。
「明後日、会いに行くから準備しておくように」
もう一度、もう一度だけ頑張ろう。もう貴公子になれないけれど。
逃げるかな? にげないで。逃がさない。
受け入れてくれるだろうか? 受け入れて。絶対に捕まえる。
幸せにしたい。幸せにする。幸せになろう。
もう二度と離れない、離さない。どんなことをしても。
「で、殿下、よろしかったのですか?」
「何が?」
「エスタ嬢ですよ」
「別れさせられた二人が元に戻るだけじゃないか」
「今のアーベル氏は………」
「今が彼の素だよ。以前は婚約者、エスタ嬢のために偽っていただけだ」
「で、ですが…」
「それにアーベルは最初からエスタ嬢のためにしか理性を持っていなかった。その理性もリリアンたちに狂わされたけど、ね」
「!?」
「キリスタが言っていた。アーベルは獰猛な犬だと。扱いを間違えると飼い主も噛み殺す狂犬になると」
「な、なら…」
「何十人犠牲にする? 優秀な君が一人仕留める間に少なくとも五人は斬り殺すヤツだよ」
「…………」
「だから、エスタ嬢を守る番犬にするんだよ。アーベルはエスタ嬢が悲しむことは絶対にしない」
「で、では…」
「そうだよ、エスタ嬢はアーベルに与える生贄だ」
「エスタ嬢が逃げてしまったら?」
「怖いことを言うね。狂犬が世に放たれるだけだよ」
「…………」
「そうならないようにフォロー出来る人選をしておいてくれ」
お読みいただきありがとうございます
完結です。
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