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私の天職は歌姫のはずですが  作者: 江藤樹里
4章 彩の導

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3 翅持つ女の子ですが


「お姉さん、苦しい」


 腕の中で聞こえた声に私は慌ててセシルを離そうとした。けれどセシル自身が離れない。私は怪訝に思って首を傾げた。セシルは私の背に腕を回して私の胸に顔を埋めたまま目を閉じている。それはまるで縋りついているようで、私は少し不安を覚えた。


「セシル?」


 呼びかけてみれば、セシルはもぞ、と動いた。


「お姉さん、ふわふわだ。でも背中は少し骨張ってるね。ちゃんと食べてる?

 ……いや、そんなこと言いたいんじゃないんだ。誰かにこんな風に優しく抱きしめてもらったことなんてないから、苦しくて」


 そんな、と私は言葉を失ってしまった。言葉の端々から、セシルがどんな生活を送ってきたのか考えてしまう。傍にいてくれたのが魔物ばかりだったなら。アマンダは面倒を見たと言っても衣食住の提供だけだったことも考えられる。


「お姉さんはどうして此処にいるの? 此処は僕の夢の中でしょう? それとも、お姉さんも夢? だからこんなに僕に都合が良いの?」


 離したら掻き消えてしまうと思っているのだろうか、セシルは私を離さない。私は更にぎゅっと力を入れてセシルを抱きしめる。頭のてっぺんに頬を寄せると、その金糸からお日様の匂いがしそうな気がした。


「目が覚めた後だって、あなたが望むならしてあげるわ。いくらでも」


 本当に? とセシルが確認してくるものだから、勿論と私は答えた。セシルはもう一度確認して、それでも私が勿論と答えれば嬉しそうに笑うのだった。


「でも夢から覚めたらお姉さんを独り占めできなさそうだから、まだ起きたくないな」


「セシルったら」


 私が思わず笑えばセシルも小さく笑った。そうして私はハッと気づく。小さな羽搏きの音が耳元でしていた。怒ったようにブンブンと飛び回るそれに私は焦点を合わせる。


「せっかくの苦味に甘味を入れないで頂戴! ミモザに取られちゃう!」


 目の前に飛び出してきたのは透明な翅を持つ女の子だった。蝶の翅を持つ女の子と同様に触覚が頭から生えており、花のドレスを身に纏っている。腕に抱えた虹色のカケラは、蝶の女の子が落としていったカケラとよく似ていた。


 私が驚いて目をまん丸にしていると、吊り目気味の女の子の黒い瞳に更なる怒りが燃え上がった。白目のない艶々とした目には私の困惑した顔が反射している。


「あなた、ポンセが様子を見に行った人間じゃない。どうしてアタシたちフェデレーヴの領域を超えて来られるの? 夢渡りなんて、夢魔でもなきゃ――」


「めぇー」


「――!」


 私の顔目掛けるようにコトが頭上の木の枝から跳躍した。翅持つ女の子は咄嗟に避けるけれど、私は避けられなくて目を閉じるだけで精一杯だった。左の頬にコトの鋭い爪と柔らかい肉球がぷにっと当たる感触がする。コトはそのままセシルの頭上に後ろ足を下ろし、セシルが驚いたのか体を震わせる。


「け、(けだもの)ー!」


 女の子は金切り声をあげると両腕に抱えていたカケラも全て放り出し、急いで翅をぱたぱた動かすと飛んで行ってしまった。


「何だったのかしら」


 私が独りごちるとコトがめぇーと鳴いた。セシルがもぞもぞと動く。私はコトを片腕に移すとセシルの髪を手櫛で整えた。セシルは何だか頬を赤らめていたけれど、私から離れると自分でも髪の毛を整え直す。


 コトが私の腕を通って肩に移動するのと同時に、私は地面に散らばった虹色のカケラを拾い集めた。柔らかい草の上に落ちた虹色のカケラは太陽の光を反射して綺麗に輝いている。拾い集めて振り返った私は魔物の姿も男性たちの姿も消えていることに気づいて息を呑んだ。ああ、とセシルが私を見て目を細める。


「お姉さんは夢の中、初めて?」


「セシルは初めてじゃないの?」


 私が戸惑って返すと、セシルは頷いた。


「これが夢だって、寝てる時に気づいたことってない? でも覚めることはできない。これはそういう夢なんだ。夢を管理してるのは決まって虫の翅を持った小さな女の子。でもあんなにはっきり姿を見たのも、こんなに動けるのも僕は初めてだけど、お姉さん、何かした?」


 問われて私は蝶の翅を持った女の子が虎目と呼んでいた宝石を服の下から引っ張り出した。セシルに説明すれば、へぇ、とセシルは感嘆の声をあげる。


「まぁ、そういうことにしとこうか」


 セシルはあまり腑に落ちていないようだったけど、それ以上の説明は私にはできなくて黙っていた。コトが私の肩でふさふさ尻尾の毛繕いを始める。


「こういう時は大抵、誰かと契約をする時なんだ。僕の場合はだけど」


「契約?」


 思わず尋ねた言葉に、セシルは頷く。そしてお姉さんは違うの、と首を傾げた。


「お姉さんも魔物使いだったら、魔物と契約したことくらいあるんじゃない?」


「な、ないわ。私は魔物使いの“適性”はそれなりだし。魔物使いって、魔物と契約するものなの?」


「他の魔物使いがどうかは知らないけど。契約しなくても助けてくれる魔物もいるし、契約してついてきたいって言う魔物もいる。ほとんどが縄張りから出ないからその土地限りの契約だけどね」


 いつもこの夢なんだ、とセシルは聞こえるか聞こえないかの声で言う。別に最初に助けてもらった記憶じゃないのにと。


「いつも僕は襲われていて、それを助けてくれる魔物が僕と契約をしたいって言ってくれる」


 でも今回は違うみたいだね、とセシルは言うと視線を遠くへ投げた。私を通り越して見る先は、さっき男性たちが魔物に襲われたその場所だ。今其処には何もない。魔物も、人の残骸も、一方的な蹂躙にあった痕跡も、何も。


「変な夢だ。誰か助けてと願って来てくれたのは魔物よりお姉さんが先だったし、来てくれた魔物は僕と契約したいわけじゃない。夢から覚める気配もない。夢を管理してる女の子がいなくなったら覚めるかと思ってたけど、そうじゃないみたいだ。お姉さんも自分の夢から覚めなかったんだね」


 言い当てられて私は頷いた。言われてみればその通りだ。セシルが入り込んだのでなければ、私が自分の夢からセシルの夢に入り込んだということになる。コトの後を追って進んで、私はいつの間にか境界を超えたのだろう。


「うん、それじゃあ、僕とこの夢の中でもう少し逢引を楽しもうよ」


 嵐のような灰色の目を細め、セシルは魅惑的に笑った。差し出された手を見て、私はもう一度セシルを見る。セシルは笑んだまま私に伸ばした手を更に伸ばして私の手を取った。


「ダメだよお姉さん、僕から離れないで」


「ちょ、セシル」


「何かあっても、僕がお姉さんを守るからね」


 その眼差しが真剣な気がして私はセシルの顔をもう一度見ようとした。けれどセシルは私に背を向けると私の手を取ったまま歩き出したのだった。




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