2 夢の中での再会ですが
私は途方に暮れたまま泉のほとりから空を見上げた。ビレ村によく似たこの場所は一体何処なのだろう。私はウルスリーの村でエミリーの呪いを解こうとしていた筈だ。呪いは解けて、私はセシルを湖の底から引っ張り上げた、筈だ。その後はどうしたんだっけ。覚えていない。けれどビレ村に戻る手筈ではなかったのは間違いない。
だから此処はビレ村ではない。どれだけこの泉から見上げた空がこれまで見てきた景色と同じであっても。どれだけ願ったとしても。もうあの家に、あの二人はいないのだから。
あの蝶の翅の女の子は気付かれちゃった、と言っていた。本来なら私は気付かず、何かのカケラを集めるための手助けをさせられていたのだろうと思う。魔法が掻き消されたとも彼女は言っていたから、これは魔法の類なのだろう。それを掻き消したのは虎目だと彼女はペンダントを引っ張った。祭の露店で買った光らない宝石。魔除けにもなると店主は言っていたけれど、魔除けならもっと魔法にかかる前に効果を発揮して欲しかった。
でも私を魔法から覚めさせてくれたのはこの宝石のおかげなんだろう。かかりっぱなしでいるよりも良いのかもしれない。
私は大切にペンダントを服の中に仕舞い込んだ。何処かで引っ掛けて落としたら大変だ。そうして握る掌に食い込む感触を覚えて掌を開いた。私の手の中にある虹色のカケラが光る。星のような形をした、綺麗なカケラ。あまじょっぱいと女の子は言っていた。口に含めば同じ味がするのだろうか。
「めぇー」
足元から声がして私は驚いて視線を移した。聞き慣れたその声は、コトのものだったからだ。
「まぁ、コト!」
私は膝をついてコトを抱き上げた。ふわふわ尻尾のコトは私に頬擦りを返し、また小さくめぇーと鳴く。コトの体は温かく、手に触ったコトは本物と思えた。魔法に干渉できるのかもしれない。なんだか一気に心強くなった気がした。
「コトは此処が何処か判る?」
両手に乗せたコトに尋ねてみれば、コトは首を傾げてめぇーと鳴く。その仕草から何を訊かれたのかも判らない、と言われている気がして私は肩を落とした。仮に知っていたとしても私にはコトの言葉は解らない。心強くはなっても、状況は何ひとつ変わっていなかった。
「め、め、めぇー」
コトが何か話している。その短い手足を懸命に動かして何かを伝えようとする仕草は胸を鷲掴みにされるほど愛くるしいけれど、私には全くコトの言いたいことが解らなかった。
「ごめんね、コト。私の魔物使いの“適性”が天職だったら違ったんだろうけど」
私が眉尻を下げて謝るも、コトはお構いなしだった。コトにも私の言葉は解らないのかもしれない。そのうちにコトは私の掌からぴょんと飛び降りるとあっという間にトトトと走って行ってしまう。私は慌ててコトを追った。
「コト!」
コトはついてこいとでも言うように私を振り返っては捕まらない距離を進む。私が見失わない程度に離れながら、ちゃんと追って来ているか確認するようにふさふさ尻尾を振り返る。私は森の奥へ奥へと入り込んで行った。
何処へ連れて行こうとしているのだろうと私が考え始めた頃、耳が悲鳴を捉えて私は思わず立ち止まった。泣き叫ぶ子どもの声だった。大人の男性の声も聞こえる。けれど子どもが怯えた声を出すということなら、その男性は子どもの味方ではないのかもしれない。
悲鳴が聞こえた方を定め、私はそちらへ足を進める。不思議とコトの行き先も同じなようだ。コトは地面を走ったり木と木の間を跳んだりしながら私よりも先を行く。私は木立の間に何か見えないか集中しながら進んだ。
きらり、と見えたのはお日様に愛された金糸だった。燦々と降り注ぐ陽の光に照らされたその金糸は天使の髪の毛で、私は様子を窺うために木の影に体を隠した。男性が三人、少年を囲んで追い詰めている様子だった。手に棍棒を持って今にも振り下ろそうとしている。少年は体を必死に小さく丸めて振り下ろされる衝撃に備えていた。やめてよぅ、とか細い声が制止を訴えている。
私は目を二度、瞬いた。目の前の光景が信じられなかった。幼い少年を、大の男が寄ってたかって棍棒で殴ろうとしている?
「やめて!」
認識すると同時に私は駆け出していた。怖くないと言えば嘘になる。けれど今はきっとあの少年の方が怖い思いをしているから。
私の声に驚いたのか三人とも私を振り返った。その目には怯えが滲んでいる。おかしい。少年が怯えるのは解るけれど、どうして男性が怯えた目をしているのだろう。
「何してるんですか! 子ども相手に!」
私が問い詰めると三人はお互いに顔を見合わせた。怯懦と動揺がお互いの顔に浮かんでいるのを確認し、それを払拭できないまま私に向き直った。私はその隙に少年と男性の間に滑り込み、少年を守るように両腕を広げて立ちはだかる。
「どけ、嬢ちゃん。そいつは魔物を使う。俺たちを食い殺させる。そいつの親のように」
「なん……」
私は驚いて二の句が継げずにいた。男性の口から出てきた言葉を理解するには難しかった。
「そいつの悲鳴を聞いて魔物が集まってくる。俺たちはやらなきゃならねぇ。村のためだ。もうそいつの被害者を出しちゃなんねぇ」
「だからって」
「どけ! 嬢ちゃん、あんたも食い殺されるぞ!」
その勢いに押されて私は一歩、後ずさった。少年が私の服に縋りついてきて、私は自分の後ろを振り返った。少年がその嵐のような灰色の目で見上げてくる。
「お姉さん、助けて」
考える余裕も、話し合おうと提案する余裕もなかった。私の口を、その名前が衝いて出る。
「セシル――」
少年の目が驚きに見開かれるのと、私たちの両脇を魔物が通り過ぎるのはほとんど同時だった。私がその行方を追って振り返るのと男性の悲鳴が響き渡るのにそう差はなく、私が振り返った時にはもうその目から命は消えていた。
グシャ、バキッ、と咀嚼音が聞こえる。私の目の前は赤一色で、どうして少年を殴ろうとした大人には制止の声をかけられたのにこの魔物たちには同じ声をかけられないのだろうとぼんやりと思った。
「お姉さん、見逃してあげる。僕、助けようとしてくれた」
背後から聞こえた辿々しい声に私はゆっくり振り向いた。少年は緩慢な動作で立ち上がると服についた土をパンパンと手で払っていた。縮こまって震えていた少年の面影はなく、其処にいるのは魔物使いとして人を襲うことを躊躇わないセシルだった。
「セシル、どうして」
私が呆然と疑問を口にすれば、セシルは苦しそうに笑った。
「――お姉さん、変。どうして僕、名前、知ってるの。もう誰も呼ばない、僕、名前」
セシルは私の目の前まで気軽に近づくとその指で私の喉に触れた。昨夜とった手よりも随分と子どもらしい手だった。
「もう一回言って。僕、名前、もう一回、呼んで」
アルフレッドのような頼みに、私は震える声で応えた。セシルが嬉しそうに笑う。私はその光景に既視感を覚えていた。あの緑の濃い夏の日、葉の裏に散ったモーブの鮮血。あの時見せた怯えの表情は、先ほど見せたのと同じではなかったか。
「お姉さん、声、綺麗だね。鳥、みたい」
あどけなく笑うその姿はこんな場面でなければちぐはぐな印象を与えなかっただろう。血臭漂う森の中で、悪びれず爛漫に笑む様子にこんな思いを抱かなくて済んだだろう。
「セシル、何回だって呼んであげるわ。セシル、何回だって叱ってあげる。セシル、何回だって、一緒に悲しんであげるわ」
私はセシルを抱きしめて昨夜のように包み込む。腕の中でモゾモゾとセシルが動いたけれど、振り解こうとはしなかった。私は光に愛された金の髪を撫でながらセシルに話しかける。
「セシル、怖かったわね。そんなに幼い時からこんな目に遭っていたの? 助けてくれたのは、あなたの声を聞いてくれたのは、魔物だけ? 他に状況を変える方法もなかったかもしれないわね。あなたも生きるのに必死だもの。だけど、この方法は……悲しい」
ぴく、とセシルが動いた。
「私も偉そうなこと言えないわ。他の方法を思いつけないもの。でもこの方法だとあなたも傷ついていることを忘れないでねセシル。見ないフリをしてもあなたも痛い思いをしているでしょう? どうかいつか、あなたが痛くない方法で強くなれますように」
くす、とセシルが笑った。大丈夫だよ、と歌うような声で言う。
「大丈夫、これは夢だよお姉さん。ただの記憶。全部、終わったことだ。これからはお姉さんが願ってくれたような生き方をしていくんだって、決めたから」
驚いて腕の中のセシルを見れば、恥ずかしそうに、けれども綺麗に笑んだセシルがいた。私はセシルをもう一度抱きしめたのだった。




