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私の天職は歌姫のはずですが  作者: 江藤樹里
4章 彩の導

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1 残酷な夢ですが


「ライラ」


 揺すられ、聴き慣れた声に目覚めを促される。毎日聞いていた声なのに懐かしいなんて、変なの。私は瞼を震わせて目を押し開いた。


「寝坊助さん、もう朝はとっくに来ているよ」


 窓から差し込む陽の光に私は目を細める。でも視界の隙間から見えたこの笑顔を、柔らかいこの優しい声を、私が間違える筈がない。


「夜遅くまで勇者の冒険譚を聞きたがるからよ。さあさライラ、朝ご飯食べちゃって」


 軽快な足取りを、明るい声を、間違える筈なんてない。


「お父さん、お母さん」


 私は目を擦る。ついでに出た欠伸をもう片方の手で隠した。何だか記憶にあるよりも手が小さい気がするけれど、こんなものだったかもしれない。


「あらあら大きな欠伸。でも駄目よ、その布団を今日は干すんだから」


 お母さんに布団を引っぺがされて転がったところをお父さんに笑われた。物腰穏やかなお父さん、元気で明るいお母さん。私は二人が大好きで、二人が笑うと私も嬉しくなってにへらと笑う。そして二人も私を大好きでいてくれるから、私が笑うところを見て二人も笑ってくれるのだ。


「朝ご飯を食べたら今日の勉強をしよう、ライラ」


「司祭様のところ?」


「寝惚けているね。今日は司祭様とではなく、お歌の練習だよ」


「!」


 私は弾けるように飛び起きると身支度を整えて朝食にかぶりついた。お父さんが教えてくれる歌を全部覚えるのが私の目標だ。教会の聖歌隊として歌う歌を教えてくれるのも、伴奏をしてくれるのも吟遊詩人のお父さんで、私の先生でもある。お母さんは踊り子で、ダンスの先生だ。大きな街で有名な踊り子だったというお母さんはお父さんを一目で夢中にさせて、お父さんはお母さんにひとつの歌で心を射抜いたと聞いたことがある。お父さんの語るお話がどのくらい本当かは分からないけど、お母さんが何も言わないでニコニコして聞いているから、きっと全部本当なんだと思う。


 急いで牛乳を飲み干す私を見てお父さんが楽器の準備を始めた。木で出来た、不思議な響きの音色を奏でる楽器。お父さんはウードと呼んでいて、吟遊詩人として旅をしている途中で譲り受けた大切な楽器のようだ。お父さんは本当に色々なところへ行ったことがあって、其処で見たもの聞いたもの、覚えた話を歌って教えてくれる。楽器の音が臨場感たっぷりに情景を伝えてきて、私は目を閉じてその光景を思い浮かべるのが好きだった。


「今日は星の歌にしよう」


「うん!」


 私は頷いた。一番好きな曲だ。キラキラと瞬く星はビレ村からもよく見える。首が痛くなるほど見上げていても飽きることはない。お父さんが暖かい毛布を持って出てきて、お母さんが暖かい飲み物を用意してくれて、二人の間にちょこんと入って三人でごろんと寝転んで見上げると、必ずお父さんが口ずさむ曲だった。


 お父さんの伴奏に合わせて、お父さんと一緒に歌う。布団を干し終わったお母さんが家に入ってきて私を驚いたように見た。私は首を傾げる。お父さんも歌うのを止めて伴奏だけを続けていた。それに合わせて私は歌い続ける。あぁ、最後にお父さんの演奏で歌ったのはいつだっただろう。流行り病がこの村へ来る前だったーー。


「……」


 私は思い至って歌うのを止めてしまった。お父さんの伴奏も止まってしまう。私は慌てて二人の顔を交互に見た。これは私がもっと小さかった頃の思い出で。決して今ではない。決して。


「驚いた、ライラ。いつの間にそんなに歌えるようになったの?」


 お母さんが目をまん丸にして尋ねた。お父さんもうんうんと頷いている。


「見違えたように綺麗な声だ。次の礼拝の時にはみんな驚くだろうね」


「今すぐ村の人たちに教えてあげた方が良いんじゃないかしら」


「天使が舞い降りたと何人騒ぐと思ってるんだい」


「全員よ」


 私は一歩後ずさった。足が震えている。立っていられなくなりそうだった。これは一体どういうことなのだろう。何故、父と母が目の前で話しているのだろう。動いて、喋って、笑って。


 悪い夢だ。夢を見ているのだと私は頭を振った。夢からは覚めない。私は耐えられなくて家から飛び出した。村のみんな、知っている顔だった。知っている景色、知っている匂い、知っている。全部、知っている。


 私は振り返った。誰も私を追いかけてこなかった。全力で走り抜ける私に気づいてさえいない様子だ。両親ももしかすると、私が家を飛び出したことに気づいていないかもしれない。


 あれが本当に、両親ならば。


 私は気づけば泉へ辿り着いていた。泉の水で顔でも洗えば夢からも覚めると思って膝をつく。けれど突き入れた手は泉の水を掬わなかった。


「あーあ、気づかれちゃった」


 声がして顔を上げれば、目の前には蝶の翅を持つ小さな女の子がぱたぱたと羽ばたいていた。私の掌くらいの大きさしかない。黒目の大きな、形は人間に似ているけれど頭から蝶の触覚を生やして花のドレスを着た女の子だ。


「アナタのカケラ、あまじょっぱいわ。もっと沢山採れればよかったのに」


「あ、あなたは」


 誰、と聞きたかった。でもそれよりも早く女の子が目の前一杯に近づいて、私は思わず目を瞑ってしまう。くん、と首の紐を引っ張られて私は目を開けた。


「虎目なんか持っちゃって! やーよ、虎目ったらアタシの魔法を掻き消しちゃうんだから。アナタが虎目を持ってるなんて知ってたら目をつけなかったのに」


 魔力もないくせに、と捨て台詞を吐いて彼女は蝶の翅で舞い上がる。腕一杯に抱えたキラキラしたカケラがころんといくつか落ちてくる。私は思わずそれを両手で受け止めていた。虹色の少し角ばった、星のような形をしたカケラだった。


「ねえ、ちょっと! 此処、何処なの?」


 慌てて声をかける私に、彼女はちらりと私を見下ろすとあかんべーをした。そんなことをされたのは初めてで、私は面食らって固まってしまった。そうしているうちに花のドレスと蝶の翅は見えなくなってしまった。


 私は途方に暮れて立ち尽くす。ビレ村によく似た場所で、夢と思いながらもまだ覚めない。手には何かのカケラを握って、首からはお祭りの露店で買った宝石のペンダントを下げて。


 残酷な夢の中に取り残された私は深いため息をついたのだった。





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