表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私の天職は歌姫のはずですが  作者: 江藤樹里
14章 占星の申し子
339/361

4 圧倒的な戦力差ですが


 エンキ、と名乗った青年は周囲をぐるりと見回した。私たちの馬車も視界に入っているはずだけれど、その目にはどう映るだろう。


 口振りから戦闘に強い猛者を探しているのは明らかだ。周りで兵が戦っている中、女子どもである私たちは見逃される可能性が高いと思いつつ、先ほどのセシルの召喚を見て飛び降りてきたのなら逃げ場はない。ラスやロディは既に遠い。気づいてこちらに駆けてきてもあの青年が動く方が速いだろう。


 セシルが再び湖の主を召喚するにはまだ息が整っていない。バフルに頼んだとしてあの青年を留められる保証もない。仮に一度は水流で足を止めたとしても、不意打ちに近いものだ。二度も同じもので止められはしなさそうなのは私でも解る。それほどの圧倒的な戦力差だ。自分の身を守る程度の協力は得られても、害意を持って向かってくる相手を伸すほどの力はない。


 魔王軍と、彼は高らかに宣言した。そのひとつを率いる者だと。


 指一本でも動かせばそれを合図にこちらへ飛んできそうな迫力を放つ彼に、私たちは誰も動けない。兵たちも同じなようだ。相対する魔物と拮抗するだけで精一杯に見えた。


「なんだ? 先ほど感じたのは勘違いか? いるだろう、手練れが。まさか臆したのではあるまいな! お主が出てこぬなら人間をひとりずつ屠ろうぞ!」


「!」


 緊張が走った。エンキが誰を手練れと感じたかは定かではないけれど、此処で進み出るのは自殺行為に思えたのだろう。気持ちは解る。それでも誰も自分のことと思えなければ進み出る者はおらず、ひとりずつ殺されてしまう。


「……フン」


 エンキはつまらなさそうに鼻を鳴らし、ぐっと両足を開いた。濡れた地面はそれでも普段から乾燥しているのか、ぬかるむほどではないようだ。背の高い彼が低く腰を落とし、槍の穂先も地面につきそうなほど下げれば石突が高く上がる。鋭い目が爛々と輝いて獲物を狙い探した。その目に射止められた者が獲物となり、恐らく心臓をひと突きされる──誰もがそう直感した。


「ひっ……」


 私たちの馬車からほど近い場所にいる兵士が思わずといった様子で一歩、足を下げる。その動作が獲物として決定打となったのか、エンキの目が向いた。気づいた時にはエンキがいた場所は空白と化していた。


「だめ……!」


 私の目はエンキを捉えることができない。瞬きひとつの間にエンキの槍は武装した兵の体を易々と貫き、その穂先からは赤い雫が滴っていた。悲鳴をあげる暇もなく兵が胸を突かれ絶命したのを目の当たりにし、自分の呼吸も止まったかと思った。


「……っ」


 吸った息を吐くことさえ恐ろしくて私は体を硬くする。エンキはそれでも誰も名乗り出ないのを確かめると乱暴に槍を振った。人ひとりの体を刺し貫いていたにも関わらず軽々と扱うそれは彼にとっては重さなどないに等しいのかもしれない。地面にどさりと投げ出された亡骸は鎧の分だけ重たい音をさせて転がった。


「女、儂を止めたな?」


 兵がいた場所と此処はそれでも多少の距離がある。空から降り立った場所からならもっと距離がある。それなのにエンキは今、私を真っ直ぐに見ていた。あの距離で私の声が聞こえたと言うのだろうか。私は返事もできずにただ目を見開いた。


「誰も出てこぬなら次はお主だ」


「やめ──っ」


 またエンキがいた場所には空白が残った。体よりも速く殺気が飛んできた気がして私は思わず仰反る。エンキが目の前にきたと認識するより早く、パン! と閃光が散った。ぎゃ、と悲鳴がすると同時に私は髪飾りが炸裂したことを知る。


「お姉さん!」


「だい、じょうぶ……っ!」


 セシルの声に私は咄嗟に答えた。セシルが馬車を出そうとしたけれどそれよりも速く幌に手を突っ込まれて私は外へ引き摺り出されていた。


「小賢しい真似をしおる……! 手練れとは程遠い人間にも関わらず!」


「かはっ」


 槍を持つ手で片目を押さえているエンキは閃光を浴びてまだ目が眩んでいるのだろう。それでも的確に私の喉笛を掴んで地面に押さえつけた。


「バフ、ル、……っ」


「!」


 水の勢いにエンキの手が離れた。咳き込む私を水の膜が覆う。膜の中には空気があって私は咳き込みながらバフルにお礼を言った。


「ハ! 碌な武器も持たぬのにこの儂の手から二度も逃れるだと! 精霊の加護とは、何者だ!  特別に名を覚えてやろう、名乗れ!」


「たあぁぁぁっ!」


 駆ける音が近づいて、ロディの魔法による後押しを受けたラスが剣を振るって私とエンキの間に入った。エンキは素早く飛び退って距離を取る。距離を取れば取るだけ槍を扱うエンキの方が有利になるけれどラスの周りにはロディの風の魔法が渦巻いていた。抵抗に遭い、その穂先がラスに届くのは難しそうだ。


「大丈夫かい、ライラ」


 遅れてロディが到着し、私に躊躇いなく手を伸ばす。バフルはロディと認識したか、膜を張るのをやめた。ぱしゃ、と周囲が濡れる。ロディも少し濡れただろうけれど気にした素振りはない。


「アンタに名乗る名はないよ。アタシが相手だ」


 ラスが油断なく剣を握り直した。エンキの目が歓喜にぎらりと光るのを私は閉じそうな目を必死に開けて見る。戦場で目を閉じれば死はすぐだろう。どれだけ息苦しくても目を閉じることはできない。


「手練れはお主か。はは、良い、良い! 女だてらに儂に向かう気概があるとは喜ばしいことよ! このまま儂と一戦交えようではないか!」


「あー、悪いが、そうはいかねぇ。お前は捕らえて檻の中だ」


 そんなはずはない、と思った。その声に、聞き覚えがあるはずなんてないと。エンキの後ろを易々と取り、その人は大剣を振るった。が、エンキは素早い。その人は空を切り、エンキは離れた場所に降り立った。


「お主のような小童に捕まる儂ではないわ。殺す気でこい。生捕りになどできると思うな。あぁ、だが、そうだな、胸が躍ったぞ! 中々どうして腕に覚えのある者もいる! 其処の女、娘、ライラといったか。覚えたぞ、お主の名! 女剣士、お主の剣は面白そうだ!」


 はは、とエンキは笑った。今から走って行っても追いつけないと解っているのか、ラスはただ剣を構えたままだ。頭上に影が落ちて私は顔を上げる。巨大な鳥が降りてきているのが見えた。だが地面に降りることはなく、エンキがその場で地を蹴り、鳥のところまで跳んだ。くるりと空を蹴り上げるように円を描くと鳥の背にエンキは降り立つ。最早誰も、そんなところに手は届かなさそうだった。


「またくる! その時こそ儂と遊んでもらうぞ!」


 エンキは言うだけ言って行ってしまった。残された私たちを見て大剣を持ったその人は話は後だと言い残すと魔物の討伐へ向けて走り出す。私たちは誰もがその人の顔を見て固まっていた。


「どうして……どうしてよ……あたしが、あたしが間違いなく……切り落としたのに……!」


 オユンが動揺した声で零した。無理もないと思う。魔物討伐に精を出す青年はあまりにも──ヨキと同じ顔と声をしていたから。



2025/05/04の夕方:「剣」が「件」になっていた件を修正しました! 直したはずなのに直ってないつらい(;;)目が節穴で申し訳(;人;)しかし読みやすくなっていれば幸いです…!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ