22 糸取りの休憩中ですが
糸取りに必要な水を調達しやすい、という理由で縞岩から移動してきた集落の面々はマナンの洞窟前で数日滞在することになった。緑も日陰もあるから馬や家畜には悪い環境ではない。ただ他の魔物に狙われる危険性はあるからロディの魔法陣があってもバルは結局のところ、糸取りの作業を見ることはできなかった。
洞窟の奥から持ち帰ってきた蜘蛛たちの繭玉から糸を取る作業は私も手伝い、見学した。オユンが率先して作業しているのが印象的だった。
「こんなに真っ白で綺麗な糸が取れるのね」
私は乾燥させ束ねられた真っ白な糸を手に取り、陽に透かして見た。キラキラと、エノトイースで見てきた雪のように白い糸が光を反射して輝いている。この糸で織られた衣服はきっととても美しい。
「でもそのためにあんな目に遭うのはもうごめんよ」
休憩中のオユンの返答に私は苦笑した。戦う術のない私たちにとってマナンの洞窟は難所だった。オユンからパロッコに贈られた髪飾りは返してもらっていたけれど、基本的に私たちは何かの力を借りて守ってもらう側なのだ。
「伝承の先祖はマナンの洞窟なんて怖くなかったのかもしれないけど、あたしには無理。あんなとこに誰かを送り込むのも勘弁してほしいくらい」
オユンの言葉には願いが込められていた。危険な場所に行って欲しくないという願いが。そうね、と私もそれに同意して再び糸を眺める。それでもこれだけ綺麗な糸が取れるなら欲しがる人は出るかもしれない。糸でこれだけ美しいのに、織物にしたらきっともっと美しい。悪い商人に目をつけられないことを願わずにはいられない。糸を取られる蜘蛛の気持ちにもなってみればマナンの洞窟からは出て行くか、あるいは遠からず滅びの未来が待っているだろう。集落の人はそれを良しとはしなくても、“外”の人がどうかは判らない。
「ドルマーはバルに返事をしたの?」
オユンに視線を向ければ、オユンはかぶりを振った。洞窟への出発前はこの話題が出るのも嫌がらんばかりだったけれど、戻ってきてからその様子を見せるのはドルマーの方だった。もちろん二人の話、あるいはオユンも含めるなら三人の話だから限られた人数で話しているのかもしれないけれど私は尋ねるしか二人の行方を知る術はない。
「あたしは知らないわ。決まれば話してくれると思って待ってるところ。あたしはもう、反対する理由がないことは二人に言ってあるから」
「バルの強さを認めたってこと?」
そ、とオユンは短く答えると空に向かって伸びをした。顔を上げて両腕を頭上に向けて伸ばす。んー、と声を出して戻ってきたオユンは私を向いた。
「洞窟に行って判った。あたし、バルのことも姉さんのことも同じくらい好き。バルは姉さんのことをあたしとは違う熱量で好き。姉さんがあたしのことじゃなくて自分のことを考えて未来を一緒に進んでいくのに、悪い人じゃないと思う。後は姉さんとバルが話し合って決めることだから」
ライラ、とオユンは私を見つめながら呼んだ。私は首を傾げる。
「あたし、あなたを出し抜いてあの人の首を落としたこと、後悔してないから。あなたが一緒にいてくれたから、あなたが悼む気持ちで送ってくれたから、後悔しないで済んでると思う。だからその……ありがとね」
最後の最後、オユンは私から視線を逸らしたけれど言いたかったのだろう言葉は言い切ったようだった。ヨキのことを思うと私の胸はまだ痛む。一緒に同じ罪に手を染めようと言ったのにオユンだけがその罪を背負ったことに私の痛みはあるけれど、同時に安堵していることを黙っているのは狡い気がした。良いのよ、と答えながら私も同じ感謝を返す。
「貴女に押し付ける格好になって申し訳ない気持ちと、同時に持たなくて良いと手を放してくれた優しさもちゃんと感じているの。私からも言わせて、オユン。ありがとう」
私も目を逸らしそうになったのを何とか堪えて伝える。オユンは私を目を見つめて言葉を受け取ってくれた。良いのよ、とオユンも私と同じ言葉で返す。これはこの集落の問題だったんだからと。
「立ち寄っただけのあなたが引き受けるようなものじゃないの。此処で生きていくなら詰ったけど、でも、そうじゃないでしょ。あなたはこれからも先へ進んでいく。此処から出て、見たこともない場所に向かって行くんだわ」
私の旅は続く。ただ通り過ぎるだけの私が関わって良いことではなかったかもしれないと思いつつ、此処まで踏み込んだのだから。オユンに指摘されずとも私は留まらない。ヨキから受け取った想いがある以上は此処を出て行くことは決まっている。次に目指すはナンテンがある国だ。関所を越えてすぐにある村。ヨキは其処にいる女性に、渡したい物があった。
「此処だって広いわ、オユン。あなたたちもひとつ処に留まらず、広大な土地を移動する。此処にあるものに感謝して、知恵で生き抜いていく人たちだわ。多くを望まない。それってそう簡単にできることじゃないし、凄いことだわ」
私の言葉を聞いたオユンは一瞬きょとんとした表情を浮かべた後に、そう思う? と尋ねる。思うわ、と頷けばオユンははにかむように笑った。
「広大な土地を移動する、なんていくつもの場所を移動してきたライラこそそうでしょ。あなたはどうして旅に出たの? 怖くなかった?」
天職の歌姫になるために生まれ故郷を出たことを思い出す。出発当時の気持ちも。怖くはなかった。ラスやロディたちが一緒だった。今も、昔も。
「あたしもいつか、旅に出ようかなぁ」
集落の移動は旅みたいなものだろうに、と思ったけれどオユンの憧れに満ちた表情を見たらそんなことは言えなかった。




