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私の天職は歌姫のはずですが  作者: 江藤樹里
13章 朝露の別れ路

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15 逸れた洞窟探検ですが


 息が上がる。手元のランタンを前に掲げているせいで速度が出ない。かといってこの暗い洞窟の奥深くで灯りがないと選択を誤るだろう。


 マナンの洞窟の奥で、私は魔物に追われて逃げ惑っていた。


 ネズミではない。そもそも動物でさえなかった。植物の根が、私を捕まえようと追って来ているのだ。


「はぁ、はぁ、バフル、まだ追ってきてる?」


「追っているな。足を止めれば呑み込まれるぞ」


 もうずっと走り続けている。植物の根ではバフルの水はほとんど意味がなく、弾くこともできない。炎は有効だろうけれど松明ならともかくランタンの灯りひとつではどうしようもない。私は息を切らしながら前へ進んだ。


 合流できる道を探して足を踏み出してしばらく道なりに進んだところで頭上から垂れ下がるものに気がついた。硬い岩でできた洞窟の隙間を縫うように根を下へ下へと伸ばし続けてきたのだろう。植物の根だとすぐに分かった。自然の力強さに感嘆したのも束の間、ぐぐ、と天井を崩す勢いで根が更に下へ伸びようとでもするように動いた。僅かなその動きを見たのか、先にジャッドが駆け出した。私はジャッドにつられるように追いかけ、すぐに背後で天井から岩のカケラがパラパラと降る音を聞く。振り返って太く長く伸びた根がこちらに這い寄るのを見て、慌てて駆け出したのだ。


 道は基本的に一本道だ。分かれ道もあるにはあるけれどランタンの灯りをかざせば行き止まりだと分かる程度のものしかない。けれどその一瞬の判断の迷いすら背後に迫る根に猶予を与えるようで気が急いた。此処までだいぶ走って来たのにまだ伸びる根など、魔物の類だろう。その速度も落ちず、疲労が溜まる私は時間経過によって不利に追い込まれるだけだ。


「早く何か対策を考えた方が良いだろうが、それどころではなさそうだな」


 バフルはまるで他人事だ。押し流せないか尋ねてみたけれどやめた方が良いと返されて断念した。それほどの勢いで水を流せばこの細い通路が無事では済まないと。それはつまり、其処を走っている私も無事では済まないという意味で。


 せめて何処か広い場所へ。岩壁が両端に迫り来るような細い通路から脱することが先決だ。けれど途中で他の魔物に遭遇しても終わりで、不安と恐怖と(はや)る気持ちとがないまぜになる。足がもつれそうになるからただ走ることだけに集中したかった。


 道は平坦ではない。天然の洞窟だからなのか、段差もある。なるべく走りやすい場所をジャッドが先行して走るから、私もそれに続いた。ジャッドの身体能力ならもう少し悪路でも走れるだろうに、もしかして私も走れる場所を選んでいるのだろうか。それとも単純にまだ幼体だからより安全な道を選んでいるだけだろうか。どちらでも良い、と私はジャッドの後を追う。あれに追いつかれれば手足を取られてがんじがらめになり、養分を吸い尽くされることになるだろう。どういう植物や魔物かは分からないけれど、山育ちの私がその想像に行き着くのはすぐだった。


 人に化ける魔物がいるなら、動物を自分の手足のように動かす魔物がいるなら、身近な植物に化ける魔物がいたっておかしくはないだろうから。


 ビレ村は平和だった。魔物も獣もそう危険なものは出なかった。村から少し離れた場所を遊び場にする私が叱られたことはない。山からの恵みを分けてもらうこともあった。女神様の加護のおかげだと、司祭様は言っていたけれど。


 けれどその中にも命の移ろいはあった。大きなものが小さなものを食らい、やがては大きなものも地に倒れる。その時に最も小さなものが大きな体を分解し、土に返していくのだと司祭様に教わった。そうして誰もが生きているのだと。命を繋ぎ、別の命のためにいつかは楔になる。


 だからといってこんなところで見知らぬ魔物の楔になるつもりなんてない。私は走り続け、やがてぽっかりと開けた空間に出たことを知る。駆けた足音が反響する。大きい。此処なら。


「バフル! 押し流して! 洞窟を壊さない程度に!」


 くるりと振り向いたその先は、たった今私が走って出てきた場所だ。細い通路を植物の根は追って来ている。この広い場所に出られれば向こうも距離を取り、他の戦術を練るかもしれない。そんな暇を与えてはならない。私の指示にバフルは笑った。


「無茶を言う。だが、承知した」


 バフルはできないとは言わない。私を覆っていた水の膜から物凄い量の水が通路目がけて出ていく。その勢いが洞窟を震わせている気がして私は身構えた。けれど洞窟が崩れるようなことはない。


 時間にすればほんの数分、バフルの攻撃は続いた。水の精は疲れ知らずなのか、そんなに水を放出しても勢いが衰えない。唐突に放水は止み、私は植物の根が通路から出てこないことを確かめてやっと大きく息を吐いた。


「はぁ……はぁ……、あ、ありがと、バフル……」


「川向こうまで届くように押し流してやったぞ。もう追ってはこまい」


 同じ目に遭いたくなければそう学習するだろう。他の魔物はいなかったし、巻き込んだものはいたとしても少ないはずだ。遠くで崩落の音もしないし、バフルは私のお願いを忠実に守ってくれたのだろう。どのくらいの歌を要求されるか考えるのは後回しにした。


 私は広い空間に視線を向ける。此処へ出てすぐざっと周囲を見て魔物がいないことは確認したけれど、ランタンで届く範囲だけだ。バフルの水の膜は放水中も張ったままだったし飛びかかられるようなことがあればバフルは反応しただろう。でもそれがなかったからといって何もいないとは限らない。


 ゆっくりと振り返った私は静かに息を整えた。この広い空間は音が響く。私の居場所はランタン以外に音でも分かるだろう。最初からこの場所にいる何かがいれば、それにとって私は突然に乱入してきた異物に外ならない。コトのふさふさ尻尾が頬をくすぐる感触で命の温かさを知る。コトもジャッドも、戦う術を持たない。何かがいれば私が盾となり、バフルの力を頼むしかないのだ。


 私も音が頼りだ。ランタンだけではこの空間全てを把握することはできない。


 耳を澄ませる私の右耳が、確かに音を捉えた。



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