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私の天職は歌姫のはずですが  作者: 江藤樹里
13章 朝露の別れ路
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9 契約の音ですが


「契約って言っても……」


 困惑する私にセシルは首を傾げた。


「どうして? コトとは契約したんじゃないの?」


 魔法陣の中に置いてきた鞄からひょこりと顔を出しているコトは確かに魔物だ。元はリアムの使い魔だった。けれど契約かと言うと違う気がする。コトは気紛れでリアムより私についてくることを選んだようなことをリアムが言っていた。


「コトが自分でついてきているだけなの。契約なんてしたことないわ」


 私の答えにセシルは考えるように目を細めた。ふぅん、と返してから子猫の方を見る。


「まぁ魔物使いの“適性”が“それなり”じゃ魔物と契約できる確率は下がると思うけど……契約なしにコトがお姉さんについてきてるなら、それはそれで凄いことだと思う。やってみたら良いんじゃないかな。物は試しだよ」


 そうしたら魔法陣の中にも入れてあげられるよ、とセシルが笑うから私は拒否の言葉を言えなくなった。セシルがどうやっているか尋ねたけれど、僕はいつも夢の中だから、と答えが返ってきてそうだったと私はまた言葉を飲み込む。いつも同じ夢を見るとセシルは言っていた。私がお邪魔した彼の夢の光景は、ひどくつらいものだったけれど。


「でも僕が昼間寝た時にその幼体は契約を持ちかけてきてないから。お姉さんに興味があるんだと思う」


「え」


 セシルの言葉で私は子猫に視線を向けた。もう脅威は消えたと取ったのか、子猫は落ち着きを取り戻しつつある。私の視線に気づいた様子で子猫も私を見上げた。緑の瞳は魔法陣の中で燃えている焚き火の光を受けてきらりと輝き、それはそのまま命の煌めきのように思えた。


「他の魔物使いがどうやって契約してるのか、折角来たんだから訊いておけば良かったな。決まったやり方があるのかさえ僕は知らないから」


 魔物使いが魔物と契約を交わす時、どんなことを約束するのだろう。仲間にしたい、仲間になりたいと思って契約を持ちかけるのだろうか。仲間になることで魔物は戦闘力を提供し、人は安全を提供するのだろうか。そんなことくらいしか、私には思いつかないけれど。


「で、でも、そんな、良いのかしら。セシルが言っていたようにその後どうするか考えられていないのに」


 おろおろする私にセシルはくすりと笑った。変なお姉さん、と柔らかい声が続く。


「もう手を伸ばした後なんだから、後はその幼体が受け入れるかだけだよ。名前を付けて、呼んであげれば良いんじゃないかな。コトやバフルとはそうやったんじゃないの?」


 コトもバフルも私から手を伸ばしたわけではないはずだけれど、名前をつけたのは確かに私だ。そして彼らはそれを受け入れた。名前は楔となると言ったのはバフルだった。それが契約したと見做されるなら。


「ジャッド」


 父の詩う歌に出てきた宝玉の名を持つ少年の名を挙げれば、にー、と子猫は鳴いた。高くて細い声だけれど、嫌な響きはない。へぇ、とセシルが感嘆の声を漏らす。


「返事をしたよ。名前だって認識したんじゃないかな」


 もう一度、とセシルに促されて私は再び名を唇に乗せる。にー、と子猫は鳴いて私の足に擦り寄った。決まりだね、とセシルは息を吐いた。


「名前で縛った。どのくらいの期間、どのくらいの距離を拘束できるかは分からないけど、これでお姉さんの使い魔だ。可愛いだけで魔物との戦闘の役には立たないだろうけど魔法陣の中には入れられると思うよ。ほら」


 セシルが陣に戻る。私も恐る恐る一歩、戻った。ジャッドは臆せずに陣を乗り越える。弾かれたり痛みや不快感を感じたりはしていなさそうで私はホッと胸を撫で下ろした。


「ああ、良かった。でもこれだけで契約って見做されるのね。何だか簡単にいったように感じるから、怖いわ」


 ジャッドとコトがお互いに顔を見合わせ、ふんふんと互いの匂いを嗅いでそれぞれを受け入れた様子であることを認めながら私が零せば、そうだね、とセシルは同意した。


「魔物の全てとは契約できないし、名前を与えるだけじゃ契約したことにはならない魔物もいるとは思う。現に僕は夢の中で契約する魔物に名前をつけたことはないし。お姉さんならではのやり方なんじゃないかな。どうしてジャッドなの?」


 焚き火を囲んで腰を下ろしながらセシルは私を見上げて尋ねる。私も腰を下ろしながら擦り寄ってきたジャッドの頭を撫でて答えた。


「父の歌に出てきたの。緑の目をした、綺麗な少年の名前。その地方では宝石の名前なんですって。この目を見たらその歌が思い出されたから」


 ふぅん、とセシルはにんまりと口角を上げる。なに、と訝しむ私にううんとかぶりを振って、ジャッドに優しい眼差しを向けてからセシルは口を開く。


「魔物らしい口とか爪じゃなくて、お姉さんは綺麗なものに目を向けるんだって思っただけ。良かったね、ジャッド」


 かけられたセシルの言葉にジャッドは解っているのかいないのか、単に名を呼ばれたと思ったのか、にー、と鳴いた。確かに大きく裂けた口も、ふわふわの毛並みに隠し切れない鋭い爪も魔物らしくもあり其処に注目すれば恐ろしい。けれど焚き火に煌めく緑の目は純粋で、ただ美しかった。


「……お姉さん、ジャッドは幼体だ。成長すれば何処まで大きくなるか分からない。でも綺麗な部分に目を向けられるお姉さんと契約したなら、契約しなかったのとは違う人生をきっと生きていくんだと思う。人と魔物が一緒にいられるって、あるかな。この場所で見た集落以外にも、そういう場所はできていくかな」


 焚き火の爆ぜる音にも負けそうなくらい小さな声でセシルは問うた。セシルもウルスリーで人と魔物とが共存しうる未来を感じただろうけれど、それを信じられるほど甘くないことも沢山知っているのだろう。何よりもセシル自身が体験したことが大きすぎて。


 助けてくれるのはいつも、人より先に魔物だったとセシルは語った。人に虐げられる夢の中でいつも彼を助けてくれたのは契約を求める魔物だと。敵だらけに見える世界で彼を守ってくれたのは、寄り添ってくれたのは、魔物の方。人は簡単に掌を返すときっと、知っている。


「……きっと。できていくと良いなって、私は思ってる」


 そういう姿を望む人が増えていけばいずれ。全部がそうならなくても良い。人だけの生活場所も、魔物だけの生活場所も、あって良い。けれどいつか、人と魔物が一緒に暮らせる場所もあれば良いと、思うから。


 うん、と答えるセシルの嵐のような灰色の目も、焚き火を反射して美しく煌めいた。



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