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私の天職は歌姫のはずですが  作者: 江藤樹里
13章 朝露の別れ路

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8 撃退の跳躍ですが


「!」


 私は息を呑んだ。体の小さな魔物一体に、狼の群れが迫っている。狼とはいっても彼らも魔物のようだ。魔法陣のことは警戒しつつ、目の前の小さな餌に涎を垂らしている。


「セシル……っ」


 目の前の魔物の群れから目を離さず私は呼びかける。うん、とセシルは落ち着いた様子で私の横までやってきた。


「この魔法陣の中にいればお姉さんは安全。大丈夫だよ。少し血生臭いかもしれないけど」


 セシルがそんなことを言うから私は驚いて視線を向けた。魔物たちが飛びかかる音はしない。まだ子猫のような魔物がフーッフーッと息を荒げて威嚇している声が届いていた。


 セシルは感情のない目を彼らへ向けたままだ。私を見ることはない。


「助けてあげ……」


 助けた後にどうするの、とセシルは冷たい声で私に問うた。答えを持たない私はぐっと言葉に詰まる。


「お姉さんが魔法陣の外に出てバフルに命じれば撃退はできると思うよ。でもあの幼体も魔物だ。魔法陣の中に入れることはできない。お姉さんが一生守ってあげる?」


 できないと知りながらセシルは敢えて問うたのだろう。私は考えの浅さに息を詰める。一時の感情で助けてあげるのは簡単だろう。けれど、その後。魔物は自分の力で生き抜いていかなくてはならない。この場所で狩って狩られて、そうして生き残っていくのだろうから。いつも守ってあげることはできないのに手を出すなとセシルは言っているのだ。


「好奇心で留まった幼体も幼体だよ。陽が落ちればどうなるかなんて知らないはずないんだ。でもまぁ、親が出てこないところを見ると親の方はもうやられてるのかもしれないけど」


「……」


 全てを助けることなんてできないのは私にも解る。涎を垂らす狼の方も空腹なのだろう。あんな小さな餌でも食べないといずれ力尽きるのはあちらも同じだ。それなら力の弱い方が負ける。生き残れはしない。私がいてもいなくても、その世界の構図は変わらない。


 生きる以上は命を頂く必要があるのは私も彼らも一緒だ。私が子猫を助ければ狼は今夜の獲物を探し直す羽目になる。けれど子猫が自力で狼の群れに対抗できるとは思えない。私はこのまま、安全なところからその様を見ていなければならないのだろうか。


「お姉さんが気にする必要はないよ。嫌なら背中を向けて、耳を塞いでいれば良い。どれだけ抵抗するか判らないけどこの力の差だ。そんなに時間はかからないと思う」


 セシルの言葉は淡々として、冷たかった。きっと多くの同じような場面を見てきたのだろう。それが自然の中ではよくある光景だから手を出さずにじっと見つめて。自分が負える命には限りがあることを、セシルは知っているのだと思う。私のこれはただの、我儘で。全てに手は届かないのに目の前で起きるのは嫌だと駄々を捏ねているだけなのだろう。


 でも。


「いいえ、加勢するわ。セシルの言うようにあの子をこの魔法陣に入れることはできない。これはただの一時凌ぎで、意味なんてないのかもしれないけど。でも此処で潰えさせるなんてできない。生き残ればもっと生き残り続けられるかもしれないから」


「……は、え、ちょっと、お姉さん!」


 セシルが止める前に私は駆け出していた。魔法陣の中から攻撃したのでは折角の陣を消してしまうかもしれない。そうなれば恐らく効果は消える。私に魔法陣を上書きする力はないから、これはただの無謀で、セシルのことも危険に晒していることになるのだろうけれど。


「助けられるなら手を伸ばしたいの」


 間に合うかも判らない、あの逡巡の間に喪われた命を思うと私はやりきれない。私にできることは本当に少なくて、自分の力で何とかできるわけでもないのに。我儘でも自己満足でも、目の前の命を失くさないために。


「バフル、お願い、殺しちゃダメよ! 追い返すだけ!」


 陣の縁には複雑な文言が描かれている。それを消さないために私は少し前から跳躍した。円の外にある目が私の挙動を追う。地面に足をつけた途端に牙も爪も硬い殻もない私の方を襲うだろうことは明白だった。子猫よりも過食部分も多い。けれどそんな自己犠牲を私としても払うつもりはないから出るまでの間にバフルに頼んだ。


 承知した、とバフルは楽しそうな声で応える。長く人魚の歌を聞いたから対価は充分だと弾んだ声の後に水の飛沫がビシビシと音を立てて狼たちに向かった。きゃうん、と可哀想な声をあげて狼たちは怯む。


 子猫の横に降り立った私はそれでも易々と心を赦しはせず、距離を取った。子猫にとっては私も敵と同じだ。近づけばその分、意図しない反撃に遭う可能性がある。バフルが薄い水の膜を私の周りに張り巡らせてくれていた。ただの水の膜だとしても彼らには脅威に映るかもしれない。特に子猫なら、濡れるのを厭うだろうから。


「ああもう、お姉さんはそういう人だった! 危ないことはしないでよ!」


 セシルが慌てて陣の外へ出てくる。嵐のような目を狼たちに向ければ、狼たちは更に怯んだ様子だった。セシルの“天職”を示す魔物使いの“適性”がたじろがせているのかもしれない。


「悪いけど、帰ってくれる? 此処には君たちにあげられる命はないんだ」


 狼たちはじりじりと後退し、文字通り尻尾を撒いて走り去った。セシルは周囲を警戒したまま視線をやり、はぁ、とやがて大きな息を吐く。私の手を躊躇わずに取るから私はきょとんとしてセシルを見つめた。


「……ごめん、意地悪なことを言ったって反省してる。あんなこと言ったってお姉さんは目の前の命を諦めるような人じゃないの、身を持って知ってるのに。お姉さんは息ができない湖にだって飛び込む人だ。魔物の群れにくらい簡単に突っ込んでいくよね」


 目を逸らしてセシルはバツが悪そうに表情を曇らせた。ううん、と私は首を振る。


「セシルの言うことも尤もだと思う。折角こうして追い払ったけど、全然逃げていく様子はないし……」


 脅威が去れば狼とは別の方向に子猫は逃げていくのではと思っていたけれど、子猫はこちらを見上げている。逆立てた毛はまだ完全には落ち着いていないけれど、私たちのことは脅威とは思っていないのかもしれない。陣の向こうにいたものが出てきてふんふんと様子を窺っているようにも見えた。


 寝ずの番をするとはいえ、子猫にも気を配らないとならないだろうか。弱った声をあげる私にセシルは息を吐いた。


「お姉さんとの契約、試してみれば? 幼体だし可能性はあると思うけど」


 セシルの提案に私は目を丸くした。



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