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私の天職は歌姫のはずですが  作者: 江藤樹里
12章 瞬きの現し身
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23 勝ち鬨の後ですが


「お姉さん、お姉さん、何処!」


 セシルが私を探しながら駆け回っている音がテントの外からした。私は緩慢な動きでやっとヨキの首から視線を動かす。オユンはまだ息を上げていた。体が震え、膝をついている。そのまま泣き出しそうな彼女の細い肩に触れたいと願うのに、手を伸ばすのを躊躇う自分がいることも私は感じていた。


「ひ……っ、ひぅ……っ」


 喉が引き攣れるような音でオユンは呼吸を繰り返している。真っ青な顔をして、目に一杯の涙を溜めて、上手く息が吸えないでいるような、それとも吐けないでいるような。


 それは、罪、だろうか。それとも英雄だろうか。私は彼女ひとりで抱えたそれに突き放されて置いていかれ、同時に助けられたのだと理解する。集落の人が何と言って彼女を見るかは別として、私は、私だけは、同じものに手を伸ばそうとした私だからこそ、しなくてはいけないことがあると思った。


 そっと、地面を這うようにして私は彼女に近づく。腰が抜けているのか立ち上がることができない。それでも彼女に近づいて、冷えた指先で彼女の肩に触れた。


「!」


 オユンの揺れた瞳が私を捉え損ねて滑っていく。それを全て包むような想いで私は腕を広げた。頭を撫でるように添えて、頬を寄せる。私の肩口に押し当てられた彼女の口から、声が漏れた。


「わぁぁ……うわぁぁぁん!」


 咆哮だった。子どものように泣きじゃくり、私を突き放そうとしながら同時に縋る手がローブを掴んで放さない。震える体を落ち着けるように私は彼女を強く抱き締める。声を聞きつけたセシルがテントを捲り、惨状を目にして固まった。私もオユンと同じような青い顔をしているだろう。一向に落ち着かない震えが自分のものであることに気づくのには時間がかかった。


 その後のことはあまり覚えていない。駆けつけた集落の人にオユンは連れて行かれ、私はセシルにずっと手を握られたまま馬車の前で座っていた。乾いた冷たい風が通り過ぎていき、私の目に滲んだものを奪っていく。セシルからラスの剣がトムを倒したと聞かされ、そう、と返したような気がした。


「ライラ」


 集落の人々から解放されたらしいラスとロディが私の前で屈んで名前を呼ぶ。私は視線を上げて、討伐おめでとう、と言おうとした。笑おうとした。そのどれも、上手くはいかなくて二人には悲しい顔をさせてしまったけれど。


「何があったか話せるかい。それとも、話したくない?」


「ロディ」


 ラスとセシルに咎めるような声を出されたロディはそれでも私を真っ直ぐ見て問い、答えを待った。私は口を開いては閉じ、開いては閉じして自分でも話したいのか話したくないのか判らない。話したいという欲求もなければ話したくないという拒絶もない。必要なら語ることができる。そう、思うのに。


「ヨキ……さん、が」


「うん」


 ロディは相槌を打つ。先を急かしも引き止めて停滞を促しもしない、平坦な声だった。それなのに、優しい。


「トムの、餌、で」


「うん」


「オユンと二人、で、彼の首を、お、落とそう、って……話して、た、のに」


「……うん」


 ロディの声に翳りが見えた。何に対して翳ったのか、私には分からないけれど。


「私、ヨキさんと約束を、して。それをもう一度伝えたら、目、に、ヨキさんが戻ってきたような……そんな気がしたのに……オユンがナイフを、振るって……」


「うん」


「でも、彼女ひとりに、背負わせてしまったと……後悔、も、していて」


「……うん」


 後悔、と口にして私は目を上げた。ロディが痛みを堪えるような表情で私を見ていた。ラスも同様だ。隣に座るセシルがどんな顔をしているかは見えないけれど、握られた手はずっと強い力のままだ。痛くはないけれど、簡単には放してもらえそうにないほどの。


「でも、でも、私、何処かでホッとしているの。ヨキさんの首を落とさなかった自分に。オユンが引き受けてくれたその痛みを、苦しみを、私が持たなくて良いことに。そんな狡い私が、彼女をどうしてなんて、(なじ)れるわけが、なくて」


 ぐ、とセシルの握る手が強まった。私は上げた目を伏せる。セシルの手が温かい。きっと向けてくれる想いも温かいのだと思う。こんな私に向けられて良いような温かさではきっと、ないのに。


「ねぇ、ロディだったらトムの毒を解毒できた……?」


「……難しいね。トムはこの辺りに生息している魔物で、見たことも聞いたこともない。毒を用いて疑似餌を紛れ込ませ、もっと多くの餌場に侵入しやすくするなんて。研究が進めば解毒の方法もいずれは編み出されるはずだけど、それをする人がどれだけいるか。どれだけ此処に来るか。どれだけ此処が、受け入れるか」


 ライラ、とロディは優しく、けれど厳しい声で私を呼んだ。私はまた目を上げる。ロディは真剣な眼差しを私に向けている。


「キミのその思いは感じて当然のものだ。何も狡いことではないよ。キミはこれからきっと驚くだろう。思えば随分と遠くまで来た。キミが過ごしていた場所と此処とは生きる人も、動植物も、魔物も、生き方も、何もかもが違う。だからこそキミの価値観と、此処の価値観が違うことも受け入れていかなくてはならない。其処で暮らしていく人たちの考えを、他所からきたボクらに批判する権利はない。彼らにボクらを批判する権利がないように」


 解るね、とロディは念を押すように私に問いかける。私はぼんやりとしながら頷いた。


「彼女が代わりを務めたとキミは思うかもしれないけれど、逆かもしれないよ。キミに代わりをさせることにならなくて良かったと、向こうは思っているかも」


「……」


 信じられない思いでロディを見る私に、訊かずに判ることではないけどね、とロディは言う。息を零すようにして苦笑して、ロディはまた私をじっと真剣に見つめた。それからふわり、と音がしそうなほどに柔らかく、慈しむように笑む。


「ボクも、キミが彼の首を落とすようなことにならなくてホッとしている。ラスも、セシルも、きっと同じ思いだ。目の当たりにしたキミが受けた衝撃は大きいだろうけれど、落ち着いたら自分に目を向けてみてほしい。キミがしたいことが、ボクには何となく解るから。魔法の手助けはいつでもするよ。かけたい言葉も、此処を発つ前に口にするんだよ」


 私は小さく頷くだけだった。



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