17 迫られる判断ですが
「で、でも、そんなことあるの……?」
驚いた私が確認すれば、ないさ、とドルマーは言う。けれど今までなかったからといって今後もないことの保証にはならない。そう続けられて私は返す言葉を持たなかった。
「魔物も生き物だ。環境に合わせて在り方を変えることはあるだろうね。今までの主食よりもアタシら人間が増えたなら、人間を主食にすることは考えられる」
「そんな……」
人を食べる魔物がいる、というのは私だって知っている。ロゴリの村で神様として恐れられていた魔物も人を食べていた。ロディの面倒を見ていたシスターだって、そうだった。魔物と人とは住む場所が違う。生き方が違う。けれど食べるものが似通うことはあったから衝突もしてきた。装備品のない人間は大体が魔物に勝てない。それでも人は魔物に抗い、知恵と工夫で討伐もした。そうまでしても人が敵わない魔物は多くいる。
そんな魔物が人を、主食に据えたなら。
それは人にとって恐ろしいことだ。ひとつ処に留まらず、此処で見た彼らのように移動することを選ぶかもしれない。今はまだ縄張り意識が強くて単体で移動することを好んでいるトムがもし、家族や群れという習性を持つようになったら。数を増やしたなら。必要になる餌の量はもっと、増えることになる。
「あなたは妹が最初の人間の犠牲者だとして、諦めれらるの? 禍に遭ったものと思える?」
「セシル」
セシルがドルマーに問うから私は慌てて窘める。良いんだ、とドルマーはそれを止めた。自分でも判らないんだよ、とドルマーは静かにセシルの問いに答える。
「オユンの首元を確かめてもし、その跡があったら。アタシはどうしたら良いんだろう。いや、解ってる。集落のことを思うならその場で首を落とした方が良い。連れて帰ればトムは集落を追ってくる」
「ドルマー……」
彼女の言葉は集落を想ってのものだ。バルほどではないにしろ、彼女も集落を背負っている。誰もが自分の住処を守るために背負っている責任だ。
「家畜なら躊躇わないのに、妹だと躊躇うの?」
「セシル……っ!」
流石に言い過ぎだと思って目を向けた私は彼の辛そうな声にそれより先の言葉を呑み込んでしまった。御者台に座るセシルの表情を見ることはできない。けれどその声に滲んだ辛さは、今までの彼とは何か違うような気がして。
「……そうだね、僕もお姉さんがそうなら、悩むと思う」
ぽつりと落とされたセシルの言葉を拾う前に、セシルは前の言葉を掻き消すように叫んだ。
「並走した! これ以上は離れられない!」
ラスとロディと別れた場所はトムに近い。すぐに回収に向かいたいところだ。ドルマーが荷台の端から限界まで顔を出して口笛を吹いた。ぴく、と馬の耳がその音を捉えたように動く。けれど脚は止まらない。
「大丈夫、大丈夫だ。ほら、怖いものはもう遠い」
ドルマーは優しく語りかけ、再度口笛を吹いた。馬はドルマーを捉えたように見えた。セシルが手綱を操って速度を少しずつ落とす。それに合わせるように駆けていた馬も速度を落とした。
「よーしよし、良い子だ。怖かったね」
完全に足を止めると、ドルマーは荷台から降りて馬に手を伸ばした。馬はぶるぶると鼻を鳴らすとドルマーの手に顔を寄せるために首を下げる。馬にもドルマーが判るのだろう。ドルマーはそのまま馬を宥めると、ひらりとそちらに飛び乗った。
「アタシはこの子と行く。さぁ、戻るよ」
「言われなくても」
セシルとドルマーは元きた道を戻るために回転し、走らせた。疾走させたばかりだからか少し軽めに、けれどなるべく急いで三人のところへ戻る。トムの姿は見えない。あの巨体がすぐに目に入らないということはまだ起き上がっていないのだろう。
「あ、あそこ!」
私が指を差した場所に人影が見えた。オユンを引っ張るようにして進むロディと、トムが気づいていないことを確かめるため周囲に気を張っているラスだ。上手くオユンが隠れていた場所から抜け出してきたのだろう。隠れる場所がないからトムに見つかれば戦闘は避けられない。それは私たちも同じだけれど。
「近づきすぎると車輪の音が聞こえるかもしれないわ。もう少しだけ速度を落とせる?」
「できるよ」
セシルは私の言うことを聞いて手綱を操った。乾いた地面は馬車どころか人さえ通らないせいでデコボコとしている。獲物を食べ終えたトムが新たな獲物に興味を示すかは判らないけれど、慎重にはなった方が良い。トムの姿が三人の背後に見えないことを確認しながら馬車とドルマーを乗せた馬は進んだ。そうしてやっと合流できた時、オユンの顔は真っ青だった。
「怪我はない?」
荷台に三人を乗せながら問いかけた言葉にオユンは答えない。見える限りはないよ、とロディが答えた。移動している最中に髪留めが外れたのかオユンの長い髪は今は背中に流れている。首元を確認するのは無理だった。
「トムの近くからは早く離れた方が良い。離れたら少し飛ばすよ」
セシルの判断に異を唱える者はおらず、馬車は直ちに其処を離れる。視界の隅にトムの姿を視認できる程度まで離れてから、集落へ向けて進路を決めた。やがてトムと集落との中間ほどと思われる場所でセシルは馬車を止め、ドルマーも同様に馬を止めた。
「オユン」
馬を降り、荷台に乗り込んできたドルマーが声をかけると、オユンは怯えた表情で姉を見上げた。目元には涙が滲んでいる。出てきたは良いもののトムを前にしたら怖くなったのだろう。恐怖は馬にも伝わり、馬は駆け出し自分はその場から動けなくなった。そんなようなことをオユンは擦れる声で打ち明けた。
「……出て行ったことをとやかく言う前に、確認させてほしい。アンタ、首を見せてごらん」
ドルマーの硬い声にオユンは更に血の気を失ったように見えた。おずおずと髪の毛を持ち上げ、素直に首筋を見せる。
「……なんてこと」
ドルマーの絶望に満ちた声だけで、充分だった。
2024/08/18の夕方:軽微な誤字脱字を修正しました!ダカダカってキーボード打つので見落としがちです…見直してるけど毎週なんとか自転車操業して間に合わせてるせいでもあります。引っかかりを減らしたので読みやすくなれば幸いです!
そして自転車操業のせい+結婚式にお呼ばれして泊りがけで行ってその帰宅道中なので頑張ったけど間に合いそうにありません!スマホでぽちぽちは性に合わず…物語が出てくる速度に追いつかないのです…。ので、投稿時間遅れます!このままスマホでぽちぽち頑張ってできるか、帰宅後にキーボードでダカダカやるかはちょっと分からんですが…今日中には…!今日中には…!と思っています。
よろしくお願いします…!




