第20話「賢者」
「賢者が、戻ってきた」
「ほんとだ! 光ってますね、指輪!」
リディルが紹介した、ウルヴィンという名の賢者だ。
俺の記憶を取り戻す方法を知っているかもしれない男だった。
「あっ、でも……」
フィリアが目線を下にやる。
そこにはたくさんの魔力草が詰め込まれた麻袋があった。
今日の宿代分だ。
ギルドに納品しないと今日の依頼が達成できない。
受付の時間も、そろそろ終わるはずだ。
「納品は任せてもいい? 俺は一人で賢者のところへ行ってくるよ」
「はい、納品は大丈夫ですけど……メアくんこそ、一人で大丈夫ですか?」
「話を聞いてくるだけだから、大丈夫だよ」
「分かりました。……気を付けて行ってきてくださいね、メアくん」
「うん。それじゃあ、また後でね」
フィリアと別れ、賢者の研究施設までやってくる。
受付まで行くと、前回と同じローブの男が速やかに賢者の執務室まで案内してくれた。
「ウルヴィン様。リディル様のご友人をお連れしました」
「入りたまえ」
ローブの男が両開きの扉に手を掛け開く。
足を踏み入れると、その執筆室の異様なまでの整然さが目につく。
床にはほこり一つすら落ちていない。
壁一面を埋め尽くす書架には無数の書籍が寸分の狂いもないように並べられている。
机の上には羊皮紙が几帳面に整え、積まれていた。
その部屋の中央、夕暮れの赤を背景に、大きな執務机に向かう男がいた。
純白のローブを纏い、片手に持った羽ペンを走らせている。
歳は三十代半ばほどだろうか。
冷たく知性的な瞳が印象的だった。
「……手紙は読んだ。『魂の理』について知りたいようだな」
ウルヴィンは手元の作業を止めることなく、感情の読めない静かな声で言った。
「ウルヴィン・ギルバートだ。世間では賢者などと呼ばれているようだが……そんな下らない肩書はどうでもいい」
「メア。ここに来れば記憶を取り戻す方法を知れると、リディルに聞いて来たんだ」
「ふむ……」
そこでウルヴィンはようやく羽ペンを置き、指先を組んでこちらを静かに見据える。
その視線は、客人に対するものというより、こちらを値踏みしているように思えてならなかった。
「……君は『魂の回廊』というものを知っているか?」
「! その言葉だけは知ってる。意味までは分からない」
「通説によると、肉体が朽ちたとき、行き場の失った魂が次の肉体に宿るまでに通る通過点だ。この回廊で現世の記憶はろ過され、魂は『転生』する」
「転生……」
「突飛な話だが、リディルは君が転生したと予想しているようだ」
ぴたりと言い当てられる。
転生。
そうだ、俺は転生しているはずだ。
そうでなければ死の光景が見える理由も、日本語が分かる理由も説明がつかない。
リディルは、俺の『黒炎』と『リディルに殺される悪夢』から、俺が転生した人間だと予想していたのか?
「……一月ほど前、空島で目が覚めたんだけど、その時にはすでに記憶を失っていた。目が覚めたその時が転生した直後だったというのはあり得ると思う」
目が覚めたとき、赤ん坊だったことは話さなかった。
俺の出自は特殊だ。
余計なことを言って警戒させるべきではない。
「なんで、リディルは俺が転生したと思ったの?」」
「それを理解するためには、まず『固有魔力』について知らねばならない」
「……リディルが言っていた、この力のことだよね?」
黒炎を右手に展開する。
ウルヴィンが急に立ち上がった。目が大きく見開かれる。
「その力は――そうか、そうだったのか……!」
「ウルヴィンも、俺のこの力について知ってるの……!?」
「……ああ、よく知っているとも。順に説明しよう」
ウルヴィンは再び腰を下ろした。
「君は『固有魔力』については知っているようだが、魂と固有魔力の関係はどうだ?」
「……それは知らないよ」
そう俺が言うと、賢者は静かに頷き、話をつづけた。
「『固有魔力』は肉体に宿り、使い込まれたそれはやがて魂と融合する」
「魂と、融合」
「魂と融合した固有魔力でも、普通であれば転生過程でろ過され失われるだろう。しかし、並外れた魔力を持つものが魔力で魂を守り、記憶、固有魔力を持ったまま転生したという実例がある」
ウルヴィンが机の上で手を組んだ。
「君は自分の固有魔力を正確に把握しているか?」
「え……? 魔力が火の性質を持っていて、変換なしに黒炎になるっていうこと、くらいかな」
「その力は、二つの魔力が混ざり合っている」
どういうことだ?
二つの魔力が混ざり合っている?
「魔力が火の性質を持っている、というものが一つ。そして私の推測が正しければ、その火は魔力を喰らい、その力を増す性質を持っている」
思い当たるところがあった。
俺の火は、込めた魔力と、薪となる相手の魔力で、威力と持続する時間が決まる。
この、相手の魔力に引火する性質は、全く別の固有魔力だったらしい。
ウルヴィンが話を続ける。
「君の炎は身体に宿った魔力だ。しかし、その炎に混じる黒は、転生時に魔力に防護され魂に宿っているものであると予想している。何故こう推測できるか、分かるか?」
この少ない情報で、俺の魔力が転生による引継ぎだとなぜ把握できたのか。
答えは一つしか思いつかなかった。
「……前に、この黒い力を見たことがあるってこと?」
この固有魔力を、ウルヴィンは見たことがある。
「ああ。――その力は半年ほど前、リディルが滅ぼした邪神のものに酷似している」
言葉を失う。
邪神の力?
これは悪い力なのか?
転生前。
俺は邪神だったのか?
俺は一体、何をした?
リディルが滅ぼしたと言った。
あの光景は、殺される夢は、その時のものだったのか?
リディルに刺殺されたのは、俺が邪神だったから?
「まだ決まったわけではない。……そもそも、私はあの邪神の力は、高位悪魔のものを起源にしていると思っている。同じ起源の別の力の可能性も高い。君が邪神の転生体である、というのはただの仮説だ」
いや、ただの仮説ではない。
俺には、断片的にもリディルに殺された記憶がある。
それが、最後のピースだ。
「邪神は、なにをしたの……?」
「龍脈を破壊した。大気に含まれる魔力を供給しているのが龍脈だ。龍脈を破壊することで大気への魔力の供給を断った、というのが邪神の凶行だ。……大気の魔力が薄まったことで、適応できなかった数多くの生物が魔力病を発症し、死に至った。動機は不明だが、世界を破滅の危機に追いやったことには違いない」
ウルヴィンの淡々とした説明が脳内に反響する。
目の前が歪む。
足元がおぼつかなくなる。
思わず膝をついた。
――俺は、きっと、邪神だったのだ。
そして、数多くの人を死に至らしめた。
何故そんなことをした?
分かるはずもなかった。
ただ、確実なのは、俺が決定的に悪だったということ。
「半年前、突如現れた邪神を討ち滅ぼしたのが、当時、神位に座していた『斬雨の勇者』、リディル・ハートだ」
「……勇者」
「そして、リディルはその膨大な魔力を持って龍脈を修復した。代償に半分以上の力を失ったがな」
見上げる視線を維持できない。
首に力が入らない。
絨毯の赤が目に入る。
思考の海に沈む。
俺が、リディルの力を奪ってしまった?
それを知っていて、リディルは俺に優しくした?
記憶を知りたいという俺に、生半可な推測だと傷つけるからと、賢者を案内した。
使えなかったが、不器用に生活費だって渡してくれた。
そんな人を今も苦しめている?
勇者に殺された邪神。
龍脈を破壊し、数多の命を奪った邪神。
それが、俺だ。
「――私は君のその力を危険なものとは断じていない。力は道具だ。その道具を、何を思い、何に使ったかが重要ではないか?」
「……え?」
唐突に、ウルヴィンが問いかける。
「君の記憶を取り戻す手助けをしよう。君のその固有魔力が魂と融けあうものかを調査すれば、邪神が『転生』したという説が、確定ではないが濃厚になる。『転生』であれば記憶を取り戻す手段も限られてくる」
ウルヴィンが立ち上がった。
「邪神は勇者に殺されたとき、とても会話ができる状態ではなかった。その姿すら、人型の異形、闇の塊だった」
「……?」
「――私は知りたいのだよ。邪神が凶行に及んだ理由を」
それからのことはあまり覚えていない。
その日、俺はウルヴィンに魔力を提供した。
小さなカプセル型の魔道具にただ、魔力を付与したのみだ。
俺は邪神の生まれ変わりだ。
日本で何かが起き、この世界にやってきて、死んだ。
そして、生まれ変わって今のメアがいる。
何かの間違いであってほしかった。
だから、リディルに殺された記憶のことはウルヴィンに話さなかった。
この記憶について話すと、俺が邪神であると断定されてしまう気がした。
ただの気休めだった。
先延ばし以外の何物でもない。
ウルヴィンが言うように、もしこの黒い魔力が魂に定着していないのであれば。
その時は、俺は邪神の生まれ変わりではない。
「おい、大丈夫か!?」
帰り道。
「魔力病だ! 誰か、魔力草は無いか!? 薬師のところへ運ぶぞ!」
人が倒れた。
大通りに人だかりができた。
ちらと見えたその人の顔は、真っ白に染まっていた。
手足が痙攣していた。
半年前、邪神が死んだ。
龍脈もすでに治っているはずだ。
それでもまだ、こうして被害は出ている。
賢者は、あと数年はこうした状況が続くと言っていた。
その人はすぐに運ばれた。
大丈夫、魔力草があればきっと治る。
体内の魔力が整えば症状は和らぐ。
そのはずだ。
「メアくん、おかえりなさ――メアくん?」
「……ごめん、ちょっと休ませて」
宿に戻ってきた。
フィリアとは相部屋だ。
だが、今はとても人と話せる気分じゃなかった。
ベッドに顔を埋める。
俺は、この罪に汚れた手で、何をすればいい?
魔力病で死んだ人は、どうやったら報われる?




