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「おはようございます、陽様。朝食はいつものものをご用意させて頂きましたが、ご希望がございましたらどうぞお伝えくださいませ」
社員寮のやや固いベッドで朝を迎えたあと、最初に聞くのはメイド育成化の商品候補たちの声だ。もちろん、麻はそのなかにはいない。が、黒いワンピースに真っ白なエプロン、綺麗に結われた髪というのは、男ならば誰でも喜ぶ光景であろう。
「おはよう。今日は朝食、いらないかな」
「お顔色も優れませんが……」
「大丈夫。それより、宮村を」
商品候補の手を振り切り、陽はむくりと起き上がった。目を開いて、一番最初に浮かぶのは、やはりあの女なのだ。あの無愛想で大して美人でもない女を想ってしまっていることに、陽は無性に自分自身に対して腹が立っていた。
◇
「麻、貴女もいいご身分ですね、あんな男と付き合っているとは」
「……」
麻は体を震わせ、そっぽを向いた。痩せた腕は縛り付けられ、部屋の低すぎるほどの温度に、か細い声を出している。一日の仕事を終え、眠りにつき、朝起きるとこのような状態になっていた。
「やめてよ……」
「貴女はなんの権利があってそんなこと言ってるんですか?」
耀と呼ばれた男は、まるで紙に描かれた絵のような綺麗な顔をしていた。澄んだ瞳と綺麗な髪は、誰がどう見ても、美青年だった。だが、麻にはそれに見とれるほどの余裕がない。
「私は、陽様と付き合ってなんかない! 馬鹿じゃないの?」
「じゃあ、これはどういう意味でしょうかね」
耀はすっと綺麗な手で髪をかき上げ、麻の前に写真を置いた。麻は縛られたままの腕は使わず、どうにか腰をくねくねと回し、写真に目をやった。
「これ、昨日の!」
麻の叫びに、耀は小さく微笑んだ。
「いいものを見ました。焦ってる貴女なんて久しぶりですからね」
「これ……」
目の前に置かれた写真。それは、陽と麻が抱き合っている写真だった。実際はほんの数秒ほどだったはずのことが、写真で見ると、まるで狂ってしまったかのように激しく愛し合っているように見えなくも無い。この男はそれを知らずにやっているのか、否、それともわざわざ隠しているのか。間違いなく後者の方であろう。
「百合に知れたらどうなることか……」
大袈裟に困ったような表情を作り溜息を吐いた耀を見かね、麻は脚をじたばたと動かした。
「とりあえず、これ、とってよ!」
「嫌ですよ。焦ってる貴女ほど愉快なものはありませんしね」
実際、そうだった。麻は買われる側、奴隷として働く側にありながら、常に奇妙な微笑を浮かべ、落ち着き払った態度で人に接していた。耀には、それが面白くなかったのだろう。冷や汗を流した麻を見、彼はさらに冷酷な笑みを深めた。
「で? どうするんですか? あの男とまだイチャイチャするつもりですか」
「そんなわけないでしょう?! 私だって、好きでやってたわけじゃない」
麻は瞬間、寂しそうな、悲しげな表情を見せた。それは到底作り物や嘘には見えない表情だった。耀は一瞬驚き、麻を拘束する手を緩めたが、すぐに落ち着きを取り戻した。
「まあ、そこは譲ってあげますよ。私もそこまで悪趣味ではない」
耀はそう呟き、麻を椅子に括りつけたまま、部屋を出て行った。
「さて、と。貴女はいつになったらけじめというものが分かるんでしょうかね?」
耀は意外にもあっさりと、数分後に片手に資料を抱えたまま、戻ってきた。どうやら、この紙の束を取りに戻っただけらしい。
「……けじめ、って。けじめもなにもないじゃない」
「そうですね」
蕩けるような儚げな瞳で見つめる麻を縛る金具を解き、耀は麻を抱き寄せた。陽がしたのと同じように、まるで壊れものを扱うかのように、そっと、そっと。麻は抵抗の色を瞳に浮かべたが、相変わらず焦りの表情は消えていない。そんな麻の様子を気にすることはなく、耀は麻をさらにきつく抱きしめた。
「やっぱり、あなたは卑怯」
睨みつけながらも抵抗はしない麻の目を見つめ、耀はその柔らかな唇に深く口付けた。
「卑怯なのは、どっち」
麻が再度、耀を睨み返すと、耀はすでに二度目の接吻を交わそうと、麻の肩に手を添えていた。