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失墜  作者: ゆかこ
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「陽さん、失礼致します。入ってもよろしいでしょうか」

「いいよ。だから、僕の部屋に入るときはさ、そういう言葉使わないで」

「すみません。失礼致します」


 謝罪の言葉を繰り返しながら、絵の具や血液で散らかった部屋に、麻は入った。一瞬その様に目を見開いたが、直ぐに、彼女は陽の目を見つめた。笑いながら、陽は麻を抱き寄せる。


「やめてくださいよ、子供じゃあるまいし」

「黙って言うこと聞いて」

「いいえ」


 麻はそれだけ言うと、未だにあの不思議な微笑を浮かべながら、さっと陽から離れていった。麻が素っ気無いのはいつものことだ。大抵の‘商品’は陽に特別に扱われると悦ぶ。しかし、麻は別だった。決して陽の愛情を受けようとはせず、一方的に愛を与えられるだけの立場を誇っている。


「まあ、とにかく。絵実が駄目になったから、絵を描かせて」

「いいですよ。ただしコスプレなら遠慮しておきます」

「ああ、服はそのままでいいから」

「当たり前でしょう」


麻は不満そうに呟き、それでもひょこひょこと陽が指定した椅子に腰掛けた。


「それにしても。陽さんって画家志望なんですね」

「ああ、やくざな商売してる割りにはね」

「まあ、そうですよね。私を売ろうとしているわけですし」

「おい、その口の聞き方はないだろう?」


陽はふざけつつ、笑った。麻の口角は上がっているが、目は笑っていない。その表情からは、相変わらずあの奇妙な微笑が読めた。


「さて、描くなら早く描いて下さいませんか。まだ私が‘残ってる’うちに完成品を見せて頂きたいなあ、と」


麻の言葉に苦笑いしながら、陽は筆を取った。


 ◇


「あー、陽ちゃーん、新作? それ、麻ちゃん」

「依子、相変わらずだね」

「いいでしょ。そんなことよりー、麻ちゃん奪っていくのやめてよお、あの子可愛い」


麻のスケッチを一通り終え、社員寮でスケッチブックを捲っていた陽の肩を、不意に依子が覗き込んだ。いつものGパンに、灰色のTシャツを着ている。


「いつか画家になったら、私のことでも描いてよねー。麻ちゃんは可愛いけど、そのうち、いっちゃうし」

「……うん」


 何も考えずに、陽は呟いた。依子は怪訝そうに彼を見たが、ふっと笑い、すぐに部屋を出て行った。何のための訪問だったのかもわからず、陽は首をかしげながらも、作業を再開した。どうして、これほどまでに揺らいでいるのだろう。小さな疑問を脳裏に浮かべながら、陽は、薄い紙の上の笑っている麻の頬をそっと撫でた。

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