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Lone wolf  作者: 片栗粉
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ジャスト ドゥ イット

恐怖は何度もあるが、死は一度だけだ。


~ロシアの諺~

ヘドロと屎尿が入り混じった悪臭が充満する下水道を、三人は無言で進んだ。灯りは零が持つマグライトだけだ。

遠くで、花火が上がったような音がして、先頭を歩く零が立ち止まった。


「どう…しました?」


アレンが不審げに零を見た。アレンのその顔には覇気は無く、憔悴している。荒事には不慣れなのだろう。忙しなく視線を泳がせ、怯えた様子で零を見ている。


だが、零はそれに答えず、暫し後ろを見た後、すぐに歩き出した。


「……いや。」


零はその音が、花火ではなく多量の爆薬を発破させた音だと分かっていた。そして、グレアムが死んだのだということも。


だが、哀しんでいる暇など無い。彼らの役目を全て引き受けてやる義理はないが、ここまで来て投げ出すつもりもない。これは自分の過去とケリをつける事でもあるのだ。


黙々と歩き続ける零の背中に、今まで無言だった斎藤が口を開いた。


「零。これからどうする。」


強張っていた零の表情が少しだけ緩む。日本からずっと共に行動してきたこの不愛想な男の声を聴くと、少しだけ安心した。まだ出会って数日だと言うのに、これほど信用した人間が今までいただろうか。零自身も不思議だった。


「マイアミへ。仕立てテイラー……ビリー・スパイクを探す。」


グレアムがその才能を認め、最悪のコンピュータウィルス、ワームウッドを完成させた男。グレアム亡き今、そのワクチンプログラムを作れるのは彼だけだ。


そして、このテロの黒幕の手掛かりを持っているかもしれない人間。


「奴の居場所は、大体判ります。ずっとIPアドレスを辿っていたので。マイアミビーチ南端から半径50メートル内から発信されているようです。」


アレンがラップトップを開き、真っ暗な下水道の中にぼんやりと液晶の青白い光が灯った。疲れてはいても、キーボードを叩く指は正確そのものだ。


マイアミの周辺の精密な地図が映し出され、マイアミビーチの付近一帯が丸く囲まれていた。


零はディスプレイを覗き込みながら、ふむ、と鼻を鳴らした。


「リゾート地のど真ん中だな。不正に取得した金で高層マンションに居を構えている可能性もある。アレン。君は奴のねぐらを探し出してくれ。私は少しやる事がある。」


「分かりました。これを持っていってください。」


アレンがショルダーバッグからスマートフォンを取り出し、二人に手渡した。よくよくみても、何の変哲も無い既製品にしか見えない。


「これは?」


「僕が少し改良したものです。特殊なスクランブルをかけているので、容易には位置特定や声紋感知にも引っかかりません。」


後でデータ検証したいので壊したり、失くしたりしないでくださいねとアレンは二人に釘を刺した。

それを聞いて斎藤が壊れ物を扱うかのように、そっと胸ポケットに仕舞った。


「君はこれからどうするんだ?」


「とりあえず、僕は僕でビリーの背後を洗ってみます。」


「頼んだ。ああ、それとトーマス・ギブソンというFBI捜査官の連絡先を調べておいてほしい。この男だ。」


先程の疲れた表情から一転、張りのある力強い声に零はこの若者を頼もしく感じた。男にしては少し華奢な肩を軽く叩き、アレンにトーマスから借りたままだった身分証をライトで照らした。アレンがすぐにスマートフォンで写真を撮り、頷いた。


「気をつけろよ。敵は身内にもいる。」


「ええ。分かってます。30分後にはお知らせします。」


そちらもお気をつけて。そう言うとアレンは一人、下水道の暗闇へ消えて行った。


「これは?」


「僕が少し改良したものです。特殊なスクランブルをかけているので、容易には位置特定や声紋感知にも引っかかりません。」


後でデータ検証したいので壊したり、失くしたりしないでくださいねとアレンは二人に釘を刺した。

それを聞いて斎藤が壊れ物を扱うかのように、そっと胸ポケットに仕舞った。


「君はこれからどうするんだ?」


「とりあえず、僕は僕でビリーの背後を洗ってみます。」


「頼んだ。ああ、それとトーマス・ギブソンというFBI捜査官の連絡先を調べておいてほしい。この男だ。」


先程の疲れた表情から一転、張りのある力強い声に零はこの若者を頼もしく感じた。男にしては少し華奢な肩を軽く叩き、アレンにトーマスから借りたままだった身分証をライトで照らした。アレンがすぐにスマートフォンで写真を撮り、頷いた。


「気をつけろよ。敵は身内にもいる。」


「ええ。分かってます。30分後にはお知らせします。」


そちらもお気をつけて。そう言うとアレンは一人、下水道の暗闇へ消えて行った。



――――――――


マイアミは4月だと言うのに20℃を超えていた。雲一つ無い空からは強い日差しが容赦なく照り付け、行きかう人の額にじわりと汗を滲ませている。


二人はマイアミ国際空港から車で20分ほどの距離にあるウィンウッド地区に居た。


通りには壁や路面に幾何学的なデザインのトリックアートや、カラフルでポップな色使いのアートが描かれていて、街中というより、現代アートの美術館を歩いているような気にさせる。


ここはプエルトリコ系移民が多く集まっており、ここ数年では世界屈指のストリートアートのメッカとして、観光客をにぎわせていた。


傍らにいた筈の斎藤が、はるか後ろで立ち止まり不思議そうに眺めていたのを見て、サングラスに覆われた硬い零の表情がふと緩んだ。


「……暑いな。」


「そうですかね?バグダットやシリアはこの2倍以上暑いですよ。これで丁度いいくらいです。」


斎藤が日差しを遮るように手をかざす。ニューヨークとの気温差は10℃以上ある。ニューヨークにいた時と同じ厚手のカッターシャツとスラックスは流石に暑いのだろう。


上まできっちりと閉めていた襟のボタンは3つほど外されていた。一方零の方はジーンズに革のライダースジャケット姿だが、涼しげな顔で自動販売機から飲み物を取り出していた。


ここ数年でアメリカにも自販機が普及し始め、観光地などでは気軽に飲み物を買えるようになったのはごく最近の事だった。零が手の中のペットボトルの一つを斎藤へ放った。


冷たいペットボトルを手に取った斎藤は、若干ぎこちない仕草で蓋を開け、ぐびりと喉を鳴らしたが、すぐに咽るように咳き込んだ。


渡した当の本人はそれを笑いながら見ている。米国特有の炭酸のきつい飲料は斎藤の口に合わなかったのだろう。口を手の甲で拭いながら少しむっとしたように斎藤が零を見た。


「喉が痛いぞ。なんだこの水は。」


「あれ?日本製なはずだけどな。このソーダ。口に合いませんでした?」


失った水分を補給するように、零がペットボトルの中身を一気に飲み干した。


「斎藤さん、その恰好暑いでしょう。適当に服でも買って着替えますか。あんな感じに。」


零の視線の先には、原色のTシャツにハーフパンツ姿の観光客達が歩いている。斎藤が如何にも嫌そうに渋面を作り、零をつま先から頭までじとりと睨み付けた。


「…… 昨夜の格好よりはマシだな。今は色気のいの字も無いが。」


「あれ?気に入ってたなら素直に言えばいいのに。今度はプレイメイトの格好でもしましょうか?」


昨夜、派手な身なりで単身夜の街へ出て、追手でもある捜査官と接触したのが気に入らなかったようだ。


だが、変装して行く以上、目立つ事は避けたかったし、一人ならいざという時逃走する手段はいくらでもある。


それを噛んで含めるように言い聞かせたのも彼の自尊心を逆撫でしたようだった。どことなく刺々しい雰囲気に零が小さくため息をつく。


そういうことではない。と斎藤が口を開こうとした時、零のポケットから電子音が鳴った。


シルバーの薄い端末を取り出すと、画面には


【25:48:47】


の文字と若い男の画像が映し出されていた。背格好からして、ビリー・スパイクであろう。


画像はサングラスをかけた痩せた男がどこかの建物に入ろうとしているもので、ほんの数時間前に撮られたもののようだ。


「座標だな。場所は……ここか。」


その数列を地図ソフトに入力すると、数秒もたたずに該当の地点が表示される。だがそれは零の表情を強張らせた。


「アクエリアス・タワーか……。」


アクエリアス・タワー。ラスベガスのカジノリゾート運営会社など数社が共同出資してマイアミに建設した、総合リゾートホテルだ。


シンガポールのリゾートホテルをモデルにしており、北大西洋に面して建てられた60階建ての三つ子のタワーの屋上で連結された巨大な舟形の空中庭園とスカイラウンジは、世界一高い場所にあるリゾートプールとして有名であった。


タワー内にはカジノ、ショッピングモール、シアター、ミュージアムなど様々な施設が入っており、観光客にも人気のスポットだ。


「こりゃあ難儀しそうだ。」


世界中のセレブが集まるこのタワーは、厳重なセキュリティと安全性を謳い文句にしている。それだけに侵入も楽ではない。


そして、ビリーがいるであろうその場所は、タワー3。一番海側のタワーの55階のVIP御用達のロイヤルスイートだと、アレンから詳細な情報が入る。


零はスマートフォンの通話ボタンを押した。


「ああ。私だ。受け取ったよ。それと、また君の力を借りたいんだ。私達だけじゃあの要塞には入れない。」


『ええ。わかってます。僕の方も今夜の便でそちらへ向かいます。』


「わかった。気をつけてな」


アレンとの通話を切ると、零は思い出したようにもう一度ディスプレイを操作する。3コール計ったように相手が出た。無言のままの相手に、構わず話しかけた。


「Привет друг(やあ、友よ) 貴方の助けを借りたい。」


『…… Друг познается в беде.』


少し掠れた、深みのあるバリトンのロシア語が耳に響く。それを聞くと零は口の端を上げた。


「【友は逆境にて知らる。】その通りだ。だから貴方に頼むんだ。」


『……ああ。判っているさ。友よ。私はスターリンとは違うからな。』


「Спасибо(感謝する)」


電話を切り、斎藤を見た。先程のふざけた雰囲気は微塵も無い、冷徹な兵士の眼だった。


斎藤は何故だかわからないが、この奇妙な女がピリリとした雰囲気を纏うその瞬間が、好ましいと感じた。それは、その眼差しが彼の人に似ているからだろうか。


零は作戦の決行の日時を斎藤に伝えた。それまで周辺の調査と準備を入念にしておかなければならない。


「決行は明日の夜23時。それまでは休息をとっておいてください。私は少し準備がありますから。」


「問題ない。俺も同道しよう。疲れているのはお前も変わらんだろう。」


こういった頑固な所に閉口する場面もしばしばあったが、彼は現役の海兵隊員並にタフな所や、観察眼も中々あるのが頼もしいと思っていたし、同時に奇妙でもあった。


だが、こんな状況下ならばこそ信じられる味方が一人でも多いほうが心強い。鋭い眼の下に薄っすらとできた隈を見ながら、苦笑した。


「はは。わかりました。じゃあお言葉に甘えて。」


おそらく、今までで最も厳しく、困難な作戦になるだろう。だが、やるしかない。時間は限られているのだ。


零は笑顔の裏で再度気を引き締め、そして恐るべき切り替えの早さで作戦の段取りを考え始めていた。

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