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Lone wolf  作者: 片栗粉
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Ode to Joy

後ろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進め。


~新約聖書~

屋敷の西側を目指して、彼らは走り続けていた。さながら迷路のように入り組んだ屋敷内を何の迷いもなく突き進む前島に遅れまいと、アレンと斎藤が続く。


一向に来る気配がない零にに斎藤は眉間の皺をより一層深くしながら、それでも足を止めなかった。


幾度目かの角を曲がり、直線的な廊下へさしかかろうとした時だった。いきなり斎藤が前を行くアレンの襟首を掴んだ。あまりの力強さにアレンがよろめいて尻もちをつく。


瞬間、右手の窓から黒ずくめの兵士が銃を乱射しながらガラスを割って飛び込んできた。一歩遅ければ、アレンの頭はスイカのように割られていただろう。


悲鳴を上げて屈み込むアレンを恐ろしい程の速さで飛び越えながら、銃口を向けてくる兵士の横をすれ違いざま、斎藤は抜き胴を放った。鋭い斬撃が硬い繊維と肉を断ち、背骨まで達する手応えを感じた。


哀れな兵士は、湯気を出して零れ落ちる己の臓物を呆けたように眺めながら、ゆっくりと血だまりの中へうつ伏せに斃れ伏した。


「うっ…。」


「しっかりしろ。ゆくぞ。」


今にも吐きそうな様子でそれを見ていたアレンを叱咤し、斎藤はアレンの腕をつかんで引き起こす。震える膝で半ばしがみついてくるアレンを無理矢理引き摺るようにしてその場を後にした。


敵は続々と屋敷内に侵入していた。前島がイスラエル製のマシンピストルを腰だめにして、窓から侵入してきた敵めがけて撃ち続けた。ポップコーンの弾ける何倍もの破裂音が響き、短機関銃の弾をもろに浴びた敵がたまらず窓から転げ落ちる。


「このままでは全滅ですねぇ。」


前島が、撃ち尽くしたウージーのマガジンを交換しながら呟いた。それは四面楚歌の状況などまるで感じられない、明日の天気を心配するかような、そんな声音だった。


その時、廊下の曲がり角から二人の敵が姿を現し、3人に銃口を向けた。前島が舌打ちをする。距離は約10メートル。カートリッジを取り換え、装填するまでの数秒、斎藤の刃も届きはしない。


瞬時に前島が取った行動は、後に続く二人の前に両手を広げ、その身を盾にする事であった。


必死の形相で立ちはだかる前島の全身に、無慈悲な鋼鉄の雨が降り注いだ。


シルバーフレームのメガネが、大理石の床にかしゃんと落ちた。その後を追うように、前島の身体が後ろに斃れる。


「前島殿!」


斎藤が完全に床に斃れる前に前島の身体を受け止めた。だが、その顔は既に死の匂いが色濃くなり始めていた。それを見た敵は、銃を構えたまま、こちらへ徐々に近づいている。


「……糞!」


斎藤が奥歯を噛みしめ、燃えるような眼差しで睨みつける。だが、嘲笑うように近づいてきた兵士達はそれ以上、近づくことは出来なかった。


ガシャン!という音に、驚いた兵士達が振り返る。すぐさま乾いた発砲音が4発ほど響き渡り、電気ショックを受けたかのように、二人の兵士は斃れ伏した。


斃れた兵士の後ろには、割れた窓を背にした零が、グロックを構えた姿で現れた。その銃口からは薄く硝煙が立ち上っている。


「零!」


「遅くなりました。道が混んでいたもので。」


零は服にまとわりついた細かなガラス片を払うと、直ぐに前島の元へ跪いた。が、既に呼吸すら困難な前島の状態に、眉根を寄せながら唇に耳を寄せた。


「……流石は、クラフトマン。彼が見込んだだけ、ありますね……。」


「余計なことはいい。脱出口は何処だ。」


「……屋敷の西、書物室……です。そこのD-4の……棚を、動かすと地下へ……通じる道があり……ます。」


「わかった。」


零がうなずく。荒い呼吸の前島が、ゆっくりと斎藤のほうへ頭を向けた。


「……Mrサイトウ。貴方は不思議な方だ……どこか…私の中に眠る日本の血がそうさせるのでしょうか……。」


「喋ってはならん。傷に障る。」


ひゅうひゅうと、もはや空気が漏れる程の声しか出せない前島が、ふと笑みを浮かべた。


「……クラフトマン。後は、お願いします。」


なけなしの気力を振り絞るような言葉を最後に、前島の眼からふっと光が消えた。沈痛な面持ちで斎藤が開いたままの瞼を静かに閉じさせた。


「行きましょう。残念ですが彼は連れていけない。」


零は前島の亡骸を悼むように一瞬だけ見ると、直ぐに冷徹な戦士の顔で、後ろの二人を振り返った。



―――――――――


「済まないな。ジョー。サラ。」


グレアムがいつもの紳士然とした態度で、彼らに向き直った。古き友人たちは、屈託のない笑顔で彼を見る。


「いいのよ。だってこんなに楽しいのは久しぶりだもの。」


数十年前、カフカースの死神と呼ばれ、3桁を超える赤軍兵を屠った少女は、愛銃のレミントンのスコープを覗きながら、かつての苛烈さなど微塵も感じさせない柔らかな声音で答えた。


「ああ。お前と俺の仲だろうが。何をいまさら。」


90年代、灼熱の中東の地で初めて出会い、腐れ縁の続いていたデルタフォースの小隊長は、壁を背に手榴弾のピンを抜きながら、いつまで経っても変わらぬ精悍な顔を歪めて笑った。


二人の友人の言葉に笑みを浮かべながら、灰色の隠者は壁際にある年代物のジュークボックスへ近づいた。


「……何かかけようか。私はリストかラフマニノフが好みだが。」


「俺はオーティス・レディング一筋だがな。」


「……第九にしましょうよ。ベートーヴェンの。」


私たち旧き時代の終わりと、新時代の若者たちを祝福するために。


サラの一言に、二人の老爺は笑みを浮かべて頷いた。

グレアムがジュークボックスのナンバーを押し、音量を示すつまみを思い切りひねった。無粋な銃声を跳ね返すように、ドイツ語の歌声がスピーカーから響き渡る。


―― おお友よ、このような旋律ではない!



銃撃は激しく、もはや窓にガラスさえ残らないほど弾丸が撃ち込まれる。


グレアムが車椅子を操作し、コンピュータルームの端末の一つへ向かった。キーボードに触れようとした時、屋敷全体が揺れた。敵がRPG-7を持ち出してきたようだ。この屋敷自体も、時間の問題だった。



―― もっと心地よいものを歌おうではないか。 もっと喜びに満ち溢れるものを。



「天井楽園の乙女よ、我々は火のように酔いしれて、崇高な歓喜の聖所へ入る。」


完璧なドイツ語で歌いながら、その指は魔術師のようにキーを叩く。屋敷中に流れる歌声は、テノールだけの独唱から、ソプラノとの二重唱に変わっていた。


「ギース共め!ネズミみてぇに湧いてきやがる!」


ジョーが弾の切れたマシンガンを投げ捨てて、大声で毒づいた。部屋の扉を破ってきた敵に、愛銃のコルトで応戦する。



―― ひとりの友の友となるという 大きな成功を勝ち取った者 心優しき妻を得た者は 彼の歓声に声を合わせよ



「そうだ、地上にただ一人だけでも、心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ。」


汗がぽたりとキーの上に滴り落ちる。それでも、その指は止まることなく、流れるように動き続ける。


『屋敷にいるのは年寄りだけだ! 何を手こずっている!』


スピーカーから怒声が聞こえた。庭にいる敵の音声を拾ったようだ。スペイン訛りが酷い。抑揚と発音の仕方でキューバ人だと直ぐにわかった。中南米の民間軍事企業から雇い入れたのだろう。

カメラの画面から眼を離さずに、キーボードを叩き続ける。



―― そしてそれがどうしてもできなかった者は この輪から泣く泣く立ち去るがよい!



二重唱は、合唱に変わり、バックオーケストラが盛大に鳴り響き始めた。


「バレルが焼き付いちゃう。こんなに撃ったのは本当に久しぶりだわ。」


サラの足元には、既に夥しい空薬莢が散らばっていた。幾つかはしゅうしゅうと薄く煙を吹き、戦闘の激しさを物語っているようだった。


ジョーが、サラの柔らかな声とは全く正反対の言葉に、肩を竦めて苦笑した。


「それは何十年前のことだ?マダム。」


「あら。レディに歳を聞くのはマナー違反よ。大尉さん。」


湾岸から今日まで、幾多の戦場を生き抜いてきた老人のからかいを含んだ言葉に、サラはレミントンM700のスコープの照準をピタリと敵の心臓部に合わせて、いたずらっぽく笑った。




彼らは、無事に逃げおおせただろうか。ロイは優秀な兵士だ。必ずやり遂げるだろう。


コンピュータルームの外からは、相変わらず発砲音が止まることなく響いている。二人の友人は百戦錬磨の古強者だが、物量には敵わない。あと数分だけ、時間を引き延ばせれば。


ジュークボックスは未だ奇跡的にも銃弾を受けることなく歌声を響かせている。もうすぐ歌も我々も佳境に入る所だ。この老骨にも、最期の華を咲かせることができるだろうか。


―― すべての善人もすべての悪人も 薔薇の路をたどる


歩く事。戦う事。ついぞ出来なかった。だが、今は己の任務を全うしなければ。


かつてない程に軽やかに指先が動く。膨大なデータというデジタルの旋律を、ウィーンフィルの指揮者の如く奏でているような気がした。


「自然は口づけと葡萄酒と、死の試練を受けた友を与えてくれた。」


あと、30秒。それだけあれば。そう思った時だった。背中から脳が揺さ振られるほどの衝撃を受け、パソコンとともにリノリウムの床に叩きつけられた。


コンピュータルームのドアが破られたのだ。TNT爆薬で無理矢理破ったのだろう。黒焦げにひしゃげた鉄の残骸がしゅうしゅうと煙を吹いていた。


「くっ……。」


衝撃の余韻を覚ますように頭を振り、パソコンに手を伸ばそうとしたが、銃弾が肩に当たり、それは叶わなかった。焼きごてを押されたような痛みに奥歯をかみしめる。


「随分手こずらせやがって。この糞ジジイが。」


黒いバラクラバの下から若い男の声が聞こえた。グレアムは無言で兵士を見上げる。


『快楽は虫けらのような者にも与えられ智天使ケルビムは神の前に立つ。』


兵士は老人の口から出たドイツ語が分からなかったようで、少し首を傾げた後、銃を構えた。今度は眉間を確実に撃ちぬくために。


歓喜の歌は、未だ戦場となった屋敷の中で響き渡っている。それにうんざりとしたように兵士が舌打ちをして横を向いた。


「……うるせぇ歌だ。虫唾が走るぜ。」


「おい!早く始末しろ!隊長がおかんむりだぞ!」


入り口で警戒していたもう一人の兵士が声を荒げた。もう銃声はしていない。サラとジョーの安否が気にかかった。


「分かってるよ!うるせぇな。……だとよ爺さん。さよならだ。」


すると、それまで黙って銃口を見ていたグレアムが、獣の咆哮の如く声を上げた。それは、誰に向けたものだったのか。全ての希望を若い彼らに託した瞬間だった。


『兄弟よ、自らの道を進め!英雄のように喜ばしく勝利を目指せ!』


歓喜の歌が響き渡る中、一発の銃声が響いた。


その顔は、驚くほどに穏やかなものだった。全ての役目を終えた充足感に満たされたような表情で、グレアムは息絶えていた。


歓喜の歌が静かに終わり、ジュークボックスがかちりと動作を止めた。屋敷全体が嵐の前の海の様に、沈黙した。


そして、凄まじい轟音と、地震のような揺れが、ハンプトン地区の住民を騒然とさせ、サイレンと人だかりが辺りを埋め尽くした。

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