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Lone wolf  作者: 片栗粉
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Hard Days Night

一日を大切にせよ。

その差が人生の差につながる。


デール・カーネギー

今日は散々な一日だった。仕入れたネタにはケチをつけられ、売人には足元を見られ、挙句の果てにはこの大騒ぎで電車は止まるわでねぐらにも帰れない。


噂によればニューヨーク中のマンホールがぶっ飛んだという話だ。何でもどこぞのテロリストがやったとか、天変地異が起きて、世界の終末が来るんだとか。

まぁ、それは全て行きつけのパブの酔っ払い共の戯言だが。何処までが本当か甚だ怪しいものだ。


残りのビールを流し込み、勢いよくカウンターに置くと、人差し指で弾くように押しやった。


「もう一本。」


「飲みすぎよ。もう店の前で吐かないでよ。それに先月とその前のツケ、いつ払ってくれんのよ。」


馴染みのウェイトレスであるキャシーが、白いネイルカラーの施された細長い指で、空き瓶をつまんだ。キャシーは目鼻立ちのはっきりした、メキシコ系の美人だった。彼女目当てにこのパブにくる男たちも少なくはない。それは自分も例外ではないが。


「キャシー。今日の俺はナーバスなんだ。優しくしてくれよ。まぁ、言葉で慰めてくれなくてもいいんだけどよ。」


「あら、そう。でも、今日の私もナーバスなの。あなたのツケがたまってるせいでね。」


言外に下卑た意味を滲ませたからかいにも、百戦錬磨のウェイトレスは、嫌な顔一つすることもなく、その魅力的な唇を釣り上げ、悪戯好きの猫のような笑みを浮かべて言った。


「チッ。キャシーには敵わねぇなあ。ほら。後は月末で勘弁してくれ。」


財布からありったけのベンジャミン・フランクリンを出すと、ひょいと細い指先が攫っていった。ぴっちりしたウェイトレスのスーツがはち切れるんじゃないかと言うほどの胸の谷間を眺めながら、アイリッシュビールを流し込んだ。昼間は散々だったし、予想外に財布が軽くなってしまった。一日の終わり位良い目を見ても神様は許してくれるだろう。


「本物でしょうね?」


「馬鹿言え。俺はそこまで悪じゃねえ。じゃあ今夜は帰るぜ。ディナーの件、考えといてくれよ。」


「Bye.」


豊かな胸の谷間を強調しながら、札を数えるキャシーを誘うのを今夜は諦め、大人しく退散しようとスツールから腰を浮かせるのと、肩に手がかかったのは同時だった。


「よう。ブラザー。まだここに通ってたのか?懲りないねぇ。」


ベースボールキャップを被ったブルネットのショートヘア。キャシーと同じ女なのに牙を剥いた肉食獣みたいに物騒な笑顔に、腹が立つほど余裕を滲ませた態度。

この世で一番見たくもない奴が、目の前に立っている。ああ、神よ。どうして今日はこんなにもツイてないんだ?


―――――――――――


ユニオンジャックの王室が誇るMI6のスパイの様に鮮やかにとは行かないが、どうにか危地を脱した二人は、警官たちから失敬した帽子とジャケットを羽織り、これまた拝借したパトカーに乗って、まんまと現場を離れることに成功した。


零はさらに、青いGT-Rに乗るブラウンの短髪の男と、眼鏡の赤毛の男の二人組に警官が撃たれたと無線を流した。恐らく現場は大混乱に陥っているだろう。現場に来る警官は彼らがFBIとは知らない。公務車でない車に乗った銃を所持する男二人組という認識しかないはずだ。


パトカーを人気のないところで乗り捨て、二人は細い路地を歩いていた。先程の逃走経路とは逆の、NYの中心部へ向かっている。

斎藤のどこへ行くのかという問いに、零が狭い路地を歩きながら答えた。


「恐らく、警察は私たちがNYから離れたと見て捜査するでしょう。だからその逆を行きます。彼らの足元で、動きを伺う。それに、『敵』がまだ分かってないしね。」


「そう上手くいくのか?」


「まぁ、五分五分かな。あのカウボーイは執念深そうだ。危なくなったらバラバラに逃げましょう。」


バラバラに逃げるという言葉を聞いて、斎藤が不安そうな目を向ける。零は大丈夫だと苦笑した。


「それより、興味深いものを見つけました。」


零がブライアンの部屋から持ってきた手帳を取り出して、ページを開いて斎藤に見せる。が、斎藤は眉根を寄せてぶっきらぼうに言った。


「俺は異国語など分からんぞ。」


「ああ、すいません。ブライアンは何処かの鍵をエディと言う人物から預かった。恐らくはハーミットから寄越された鍵です。この鍵が何処のものなのか、エディに聞かなければなりません。」


「どうやってそいつを探し出すんだ。」


「ふふ。それに適任の奴を知っています。」


にやりと唇を釣り上げる零の顔は、斎藤がよく知る、鬼と呼ばれた男によく似ていた。


――――――――――



「あ、あんた……。アレックス…か?」


すっかり酔いも冷めて、血の気の引いたイタリア系の男に零は満面の笑みを浮かべた。


「おいおいおい。何だよG.G。幽霊でも見たのか?」


両手を広げたおどけた姿は誰が見ても酔客の戯れの様だったが、G.Gは獲物に食いつかんばかりと大口を開けたクロコダイルを間近に見たかのように顔をひきつらせた。


G.Gは零が以前から使っていた情報屋だった。中々に優秀で、ハリウッドのゴシップからマフィアのネタまで、ありとあらゆる情報を扱っていた。G.Gと言うのは愛称で、どんな種類の情報も扱うことから、アメリカ最大のネット検索エンジンにかけたものだ。


酒と薬にだらしがないところは大目に見ていたが、三度目のコカイン使用で彼がメリーランドのオズワルド刑務所にぶち込まれて以来、音信不通だった。


彼からすれば、いつもネタを言い値で買ってくれる零は上客のうちに入るものなのだが、いかんせん最初の顔合わせで無理矢理口説こうとしたことが最大の過ちであった。


腰に手をかけた瞬間、彼は三秒もしない間に鼻を折られ、気づいたら踏まれたガムの様に地べたに這い蹲っていた。あの絶対零度の瞳は思い出すと今でも寒気がするぐらいだ。



それ以来この猛獣のような女には自分からは絶対に近づかないと誓っていた。だが、いつもG.Gの行く先々のパブや、頻繁に引っ越しするはずのフラットにふらりと現れるのだから始末に負えない。


いつもいきなり現れては、無理難題を押し付けられ、それにより死にかけたことは片手では数えきれない。もはや彼にとっては厄病神のような存在だった。


「オズはどうだった?まあ、昔話もなんだ。ここは奢るから飲めよ。」


零はラガーの瓶を二つ頼むと、一つをG.Gへ滑らせた。G.Gは瓶を呷りながら、しきりに零の顔とその後ろに佇む斎藤の顔をちらちらと見た。


「ああ、紹介がまだだったね。こちらはMr.サイト―だ。」


背後にはヤクザ・ムービーに出てきそうな、東洋人の男がその切れ長の目でG.Gを睨みつけていた。痩せたコヨーテのような男だとG.Gは思った。正に前門の虎後門の狼とはこのことだ。


「彼は無口なんだ。気にするな。」


零は斎藤に二言三言何かを呟くと、斎藤は少し離れたスツールへ腰かけた。だが、いまだ敵意の眼差しはG.Gへと向けられている。


「リリーは元気か?仲良くやってるのか?」


「別れたよ。先月な。」


リリーとはG.Gの二人目の妻だった。リリーと零は以前彼を殺しにやってきたマフィアを返り討ちにしてやったときに面識があった。そうか。と零が短く答えると、G,Gがおどけたように肩をすくめた。


「あんたの顔がCNNに流れたのを見たぜ。何だありゃあ?ジュニア・スクールの頃の写真か?お気の毒にな。」


「お前の冗談に付き合ってる暇はないんだよ。G.G。またオズに戻りたいのか?ケツにスプーンを突っ込まれるのが余程好きみたいだな。」


だから薬はやめろとあれほど言っただろう?と空になった瓶を振りながら言うと、ダニーが睨みつけた。


「お前の首には400万ドルかかってんだぜ。売らない手はねえだろう?」


「お前みたいなチンピラに奴らが払うと思ってるのか?悪いがあれは冤罪だ。信じたくもない神に誓ったっていい。……頼む。ダニー。今回だけはいくら払ってもいい。これで最後だ。仕事が終われば私を売っても構わない。」


いつも高飛車で嫌味な天敵に本名を呼ばれて、頭を下げられ、G.Gは困惑した。こんなことは初めてだった。G.Gは皿の上のナッツを掴んで口に放り込み、難しい顔で咀嚼した。そして、徐に口を開いた。


「……俺は警察も軍もクソ喰らえだが、あんたには恩がある。以前俺を殺しに来たマフィアを潰してくれたしな。リリーもあんたに感謝してた。……いいぜ。やるよ。」


「ありがとう。G.G。」


嫌味でも威圧的でもなく、純粋に感謝の言葉と、その笑顔に、G,Gは一瞬ぽかんとした後、あの好色そう笑みを浮かべると、こう言った。


「なんだ。あんたもちゃんと笑うと可愛いじゃねぇかよ。どうだい?今度ディナーでも。」


「そうだな。ラーメンか焼き鳥がいいな。それか牛丼。」


女好きの情報屋は、その言葉を聞くとげらげらと笑い転げた。斎藤がぎょっとしたように顔を上げたが、G.Gは気にせずに涙を滲ませながら笑っていた。


「面白れぇなあ、あんた。約束、忘れるなよ。」


二人は新しいラガーの栓を開けると、ガチリと合わせて一気に呷った。

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