ロード・ランナー2
もし私たちが空想家のようだといわれるならば、救いがたい理想主義者だといわれるならば、できもしないことを考えているといわれるならば、何千回でも答えよう
「その通りだ」と。
~チェ・ゲバラ~
薄暗い部屋の中で、ディスプレイの明かりだけが、床に散乱するスナック菓子の残骸や、ペットボトル、そこかしこに蔦の様に蔓延る配線類を青白く照らしていた。
機械とゴミの山の中で、カタカタとキーボードを鳴らす。ドアの向こうでは、忌々しいあの売女が、今夜の枕代わりを探しているのだろう。吐き気がした。虫唾が走る。汚らわしい体に流れるこの血が酸のように己が内を苛み、蝕む。
あのような女から生まれてきた自分もそうだが、このクソつまらない世界、全てが空ろな虚像に塗れた書割の世界に絶望し尽くしていた。
全てDeleteできたらいいのに。このボタン一つで、真っ新にフォーマットできればいいのに。
つい最近まではそう願っていた。だが、ある日救世主が現れた。彼はこの哀れな子羊に機会を与え、力を授けてくれた。
「僕は、僕は騎士だ。そう。騎士なんだ。他の馬鹿なやつとは違う。選ばれたんだ。だから、だから僕は……。」
怒涛の様にキーボードを打つ手を止めぬまま、とめどなく溢れる呟きは、この世界を恨むように、呪うように、暗く淀んだ部屋に降り積もる。
「さあ。始めよう。」
両手の動きが止まり、ゆっくりと右手の人差し指をエンターキーへ動かす。
「僕達が新しい世界を創る。だから、もう必要ない。」
デイスプレイから、トランペットのファンファーレが高らかに流れ始めた。
――――――――
左右から挟み撃ちされ、フラッシング・メドウズ・コロナパークの生け垣目掛け突っ込もうとしたその時だった。
それは、唐突にやってきた。
「……なんだ?何か、聞こえる。」
微かに、トランペットのメロディが聞こえた気がした。こんな緊迫した状況なのに、腹が立つほど高らかに、誇らしげだった。
アクセルを思い切りふかそうとした時、零達の乗るセダンの直ぐ近くに停まっていたクーペに大きな音を立てて何かが落ちた。
衝撃でフロントガラスにひびが入り、ボンネットは無残にひしゃげて、運転手があんぐりと口を開けているのが見えた。ボンネットの上には、大きな丸い金属板が乗っている。
視線を交差点の方へ滑らせると、道路上のマンホールの蓋が、間欠泉の如く一斉に上空へ跳ね上がっていた。ぽっかりと空いた穴からは、白い水蒸気がもうもうと立ち上り、瞬く間に市内は白い霧に覆われた。
あちこちで、クラクションと激突音の大合唱が霧の中で鳴り響いた。
恐らく、零達を追っている市警の連中もこの異常事態に呆気にとられているのだろう。一向に動きがない。そのうちに、どんどん視界はもやで覆われていく。そんな中、後ろから迫る青のGT-Rの目の前のマンホールの蓋が跳ね飛び、蒸気が噴出した。
絶好のチャンスだ。
「斎藤さん。降りますよ!」
「はあ!?」
何をするのかと普段険しい目つきがさらに険しくなり、零を見つめ、ため息をついた。
「貴様のその突拍子もない行動の理由をいちいち考えるのは、もうやめだ!」
半ばやけくそに言うと、二人は同時に車から飛び出した。
――――――
デヴィット・アルトマン捜査官は、隣で素晴らしいハンドル捌きを見せる上司兼相棒から、煮えたぎるような怒りを感じ、いつもの軽口を引っ込めた。
そうでなくともデヴィッドとは真逆の気性だ。普段からメンテナンスを欠かしたこともない程、大事にしている愛車に鉛玉をぶち込まれて相当おかんむりだろう。少しでも口を開けば怒鳴られるのは目に見えていた。
だが、相当頭に血が上っていても、この暴れ馬のような車を正確に運転する主任捜査官の技術には賞賛したいほどだった。そのおかげでムチ打ちにならなくて済んだことは、本来、今日は非番であった代わりのささやかな幸運だと無理矢理そう結論付ける事にした。
「ふざけやがって!まだローン残ってんだぞチクショウ!」
そう吠えながら、ハンドルを切る姿はどう見ても警察官には見えない。トーマスは生来からの不愛想な性格と不遜な態度故に上司への心証はあまり良くないが、市警あがりのたたき上げだ。その行動力と正義感はオフィス内でもずば抜けていた。
「デイヴ!7番ストリートから58号線へ繋がる全線と、パウエル湾に架かる橋全てを封鎖しろと伝えろ!」
「了解!」
無線のない私用車ゆえに、デヴィッドはスマートフォンで繋がりっぱなしの911オペレーターにそのまま伝える。電話の向こうでバタバタとせわしなく無線連絡をしている音声が聞こえてきた。
前を見れば、ハンドル操作を誤ったか、女が乗り込んだセダンが標識をなぎ倒し、スピンしながら止まっている。既にトーマスは予備の銃を抜いていた。
「よし!いいぞ!挟み撃ちだ!」
喜色を含んだトーマスの声に、デヴィットが前を見れば続々と市警の応援が来ているようだ。取り囲んでしまえば、後は逮捕まで時間の問題だった。だがディヴィットは、いつもとは違う、何か異常な状況に気が付いた。
(いやに蒸気の量が多い…。)
マンホールから出る蒸気の量が特に多い気がしたのだ。NYはセントラルヒーティングという暖房手法を取っている。高圧加熱蒸気をパイプを通して各ビルへと送るというシステムだ。この蒸気は冬場のNYの風物詩ともいえるのだが、デヴィッドにはその量が引っかかった。
だが、その疑念は想定外の速さで形となって目の前に現れた。
「主任!前!」
「クソッ!」
トーマスが常人離れした速さで、シフトレバーを操り、ハンドルを切った。間一髪のところでマンホールの蓋の直撃は避けられたが、視界が蒸気で遮られ、何もかもが白に染まった。
「チクショウ!何だってんだ!」
トーマスが悪態をつきながら、ドアを開けて降車し、そのままドアを盾にしながら銃を構えた。辺りは濃霧に包まれ、辛うじて黒いビルの陰や、車が見える程度だった。
至る所でぽっかりと空いたマンホールからは、依然として間欠泉の様に白い煙を噴き出している。遥か前方のセダンへ眼を凝らせば、黒い人影が未だ中にいるように見える。
二人は、女が撃ってこないことを十分に警戒しながら、徐々にセダンへ近づいて行った。女は人質を取っている。迅速かつ正確な方法を取らなければ、人質の命が危ない。
セダンの死角に隠れながら、距離を詰めていく。残すはあと、数メートル。
トーマスがスリーカウントの合図をし、一斉に陰から飛び出す。だが、二人がセダンの運転席に銃を向けたのと、息を飲んだのはほぼ同時だった。
「なっ!?」
中には結束バンドで両手を拘束され、口にはハンカチを無理矢理詰め込まれた警官が二人、うめき声をあげていた。
後ろからは続々と応援のパトカーが集まってきているが、このマンホール騒動のおかげで、付近一帯のインフラは大混乱になることは目に見えている。もはや捜索の網を広げるのは不可能に等しいだろう。
トーマスが唇を噛み、してやられた。と吐き捨てるように言った。
「奴を探すぞ。草の根を分けてもな。」
「……了解。」
荒々しく靴音を鳴らしながら立ち去るトーマスを尻目に、デヴィッドは何かを考えるようなそぶりを見せながら、真っ白な蒸気を上げるマンホールをじっと見つめていた。




