Interval~birthday~
それは、ひどく不気味な光景だった。
アメリカという国は、ベトナムの泥沼を這いずり回って暮らす数十万の我々全員よりも、月面にいるたった二人の男のことのほうをずっと心配していたのだ。
得体の知れない感情がこみ上げてきた。
~ベトナム前線の米兵の手記~
レッドアゲート作戦についての報告書
・経緯
20●●年●月●日に北大西洋140キロ沖で発生した豪華客船「クリスタルフォーチュン号」爆破テロに関与していると思料されるイスラム原理主義組織「ISIS」のメンバーが、ヨルダン王国アカバに潜伏しているとの情報を入手。統合特殊作戦群「アクティビティ」の隊員8名と支援要員2名を含む10名の派遣を決定。
・作戦目標
実行犯であるナジフ・スレイマンとシャリフ・スレイマン両名の拘束又は殺害。
・結果
ナジフ・スレイマンの殺害に成功したが、シャリフは逃亡。突入したアクティビティ隊員7名が死亡。1名重傷。
生存した隊員はアレクシス・コールマン少尉。現在トリプラー陸軍病院にて治療中。
完全な秘匿作戦であるため、マスコミやその他メディアの報道は皆無であるが、情報の漏えいには十分に留意するものとする。
ナジフとシャリフは兄弟であり、弟を殺害されたシャリフが報復を計画している事は十分に考えられる。早急に対処が必要である。
なお、負傷したコールマン少尉については、カウンセリングの結果、現場復帰は現状のままでは非常に困難であるとの診断結果である。
―――――
「それで、私はお払い箱というわけですか。」
清潔感というよりも無機質な印象を思わせる真っ白な病室に、低いアルトの声が響いた。その声は病室同様無機質で、淡々としたものだった。
声の主は病室のベッドで上半身を起こした状態でいるが、その姿は包帯とギプス、ガーゼに覆われ、見ているほうが痛々しくなるものだ。包帯から出ている指先には、細かい文字がびっしりと書かれた用紙が挟まれていた。
ベッドの横には、およそ見舞いに来たとは思えない態度で、上等なダークのスーツを纏った男が見下ろしていた。その人を人とも思わない男の態度に腸が煮えくり返りそうになったが、辛うじて椅子を投げつけるのを思いとどまった自分にgoodboyと言ってやりたい。
「いや、君には新しい身分を与える。」
そんな思いを知ってか知らずか男が極めて事務的な口調で答えた。その他人事のような態度にも苛ついたが、それよりも気になる言葉があった。
「新しい『身分』ですって?任務ではなく?」
先ほど渡された『報告書』は確かに真実だった。だが、最後の一文が納得いかなかった。自分はカウンセリングなど受けてはいない。
「……そうだ。君が帰る部隊はもうないのだからな。」
「……。」
その言葉に震えるほどの怒りを覚えた。それを無視するように、男が神経質そうな仕草で銀縁の眼鏡を右手で押し上げた。
「4か月前に『テスト』を受けたはずだ。君はかなり上位の成績でクリアした。」
確かにあの時テストを受けた。事前連絡もなくいきなりで戸惑ったが、その内容はそれ以上に奇天烈だった。
最初に面接という名の他愛もない雑談をしたあと、コンバット・ブーツ着用の4マイル走、障害物走、3マイルの着衣泳をさせられ、へとへとになった後で、最初の面接時に机に置いてあった物や、世界地図の何処にピンを刺してあったか等を答えさせられた。
あの時、壁に掛けられていた時計と面接官の腕時計の誤差、そして新聞の日付が昨日だった事を指摘したのを思い出した。
同僚たちは、この意味不明なテストを「奴ら、今度は俺たちをジェームズ・ボンドに仕立てる気だぜ。」などと揶揄していた。だが、そんな冗談を言った彼らはもういない。
「近々新しい部隊が発足する。DIAとCIAの合同プロジェクトだ。まだ試験段階ではあるがな。」
これが辞令だ。そう言うと、男は一枚の用紙を手渡した。自分の命が、この紙切れ一枚で左右されるのだと思うと、なんだか呆れるのを通り越して笑えて来る。
―――――――
アレクシス・コールマン少尉
本日付けを以てアメリカ合衆国陸軍を除籍とする。
―――――――
「除籍ということは、軍に属さないということですか?」
たった二行の辞令をひらひらと指で弄びながら男に問いかける。
「いや。このプロジェクトはかなり秘匿性の高いものだ。コールマン少尉。今日貴官は死んだ。此処に入院していることも限られた人間しか知らない。」
お前には選択肢はないとでもいうように、男が畳みかける。
「あと二週間で退院できるそうだ。退院してすぐにCIA本部で3週間の研修だ。いいな。」
「……一つ聞いても?」
「なんだ。」
「……両親に、会ってもいいですか。」
「少尉。その答えだが、『ノー』だ。君はこの作戦でMIA(作戦行動中行方不明)として処理されたと既にご両親には伝えてある。公的にも死亡したもの同然とみなされる。」
わかっていた。こいつらが個人の事情など考慮するはずがないのだ。
「……一つ、お願いがあります。」
「君の死亡保険金と見舞金は『遺族』に振り込まれる。君のご両親の経済状態は把握している。君が気にすることはもうない。」
被せるように放たれた台詞に怒りが湧いた。上官だが、こいつの言動は一々腹が立つ。頭の中でその眼鏡をかけた鼻っ柱をへし折る想像をしてどうにか抑え込む。
「次の『部隊』は何人編成ですか。」
立ち去ろうとする男の背に声をかけると、人を小馬鹿にするような笑みを見せて振り向いた。初めて見る人らしい表情だった。
「何人編成だろうが意味はないさ。基本単独任務を主体とする部隊だ。……怖気づいたか?」
ギプスをしていないほうの腕で、枕もとのリンゴを取った。
「いいえ。安心しました。」
シャリ。と皮ごとかじると、口の中に痛みが走った。甘酸っぱい果汁と鉄錆臭い味が口の中に広がる。リンゴを握る掌に力を込める。ぶしゅりと果汁が飛び散り、包帯を汚した。
「……もう仲間の死を見たくはないので。」
手の中のリンゴは、銃弾を受けた人の頭の様に、果汁を飛び散らせて砕け散った。




