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Lone wolf  作者: 片栗粉
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不確定要素

重要なことは、明日何をなすかではない。

不確実な明日のために、今日何をなすかである。


~ピーター・ドラッカー~

二人は入国ターミナルへ行くと、入国の手続きを済ませ、釜山港を後にした。

血の付いた刀や銃などはもちろん持ち込めるはずがないので、サハロフのつてを頼りに先にニューヨークへ届けてもらうことにした。斎藤が刀を少しの間といえども手放すのに難色を示していたが、零が何とか説き伏せ、渋々ながら納得させた。

偽造パスポートは楢崎の手腕もあってか、特に問題もなくすんなりと通ることができ、零も密かに安堵した。


「確か…港から空港までのシャトルバスがあるはずです。それに乗って行きましょうか。」

「……わかった。」


初めての異国の地に斎藤は緊張しているのか、口数も少ない。先程片言の日本語で売店の女性に声をかけられた時など、びくりと肩を震わせる程だった。


「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。一応韓国語と中国語は会話程度できますから。」

「……ああ。」


やはり不安そうな斎藤に、零は安心させるように笑った。



シャトルバスが空港に近づくにつれて、斎藤の表情は益々不安の色が濃くなっていった。隣で新聞を読んでいた零も、斎藤の表情に気づいて声をかけた。運転の荒いバスに車酔いでもしたのだろうか。


「斎藤さん、気持ち悪いんですか?」


小声で問いかけると、斎藤は首を振った。どうやら乗り物酔いではないらしい。だが、何故か恐ろしいものを見たかのように視線がくぎ付けになっている。



「あの、空を飛んでいる奴は……なんだ。」


斎藤の視線の先には、ちょうど旅客機がエンジンを噴き上げて、滑走路から今まさに飛び立っていくところだった。


「あれに乗るんですよ。香港までだから、2時間程度ですけど。それに香港からNYまで16時間くらいですかね。」

「……あれに乗るだと!?」


思わず出た大声に、周りの乗客が胡乱な眼で二人を見た。零は慌てて小声で謝罪し、斎藤に向き直った。


「……ちょっと!何ですかいきなり。」


零がささやき声で抗議すると、斎藤は切羽詰まったような顔で零を見た。


「……俺は船で行く。」


はあ!?という零の声に、隣の婦人が窘めるかのように咳払いをする。


「何言ってるんですか!今は時間がないんですよ。大丈夫、落ちたりしないですから。それに飛行機って船より安全なんですよ?」


「……お前のその安全とかいうのは信用できん。」


そっぽを向く斎藤に、零は何とか宥めて、賺して、どうにか本当に不本意で渋々ながらも乗せる方向にもっていくことができた。

しかし、二人のチケットは急遽取り寄せたために、座席が隣同士ではない事はまだ言っていなかった。

そのことに後悔することになろうとは、零は今の時点では全く知る由もなかった。


―――――――――


香港国際空港は、相変わらず多国籍の人間で溢れかえっている。様々な国の言語が飛び交う中、ターミナルの片隅で腕を組んで壁に背を預ける男に、仕切りに謝る女の姿があった。


「……だからすいませんでしたって。」


「……。」


小さいが様々なトラブルがあって、零と斎藤の二人はようやく何とか香港国際空港にたどり着いた。


当初二人の座席は別々であったが、物凄く不安そうに助けを求めてくるかのような視線に耐えかねて、隣の乗客に交換してもらった。


斎藤の顔色が離陸と同時にみるみる悪くなったのを見てCAが飛んできたり、乱気流に巻き込まれて揺れる中、冷や汗をびっしょりかきながら零の手をこれでもかと強く握り、それを見た他の乗客が苦笑していたなど、飛行機を降りた今、斎藤は自分の醜態を思い出して自己嫌悪していたのだった。


「さあ、行きましょう。せっかく香港に来たんですから。少し腹ごしらえと買い物をしましょうか。」


極力斎藤に気を使いながら先を急がせる。本当は少しの時間も無駄にしたくはない。尻を蹴っ飛ばしてでも急かしたかった。

のろのろと、零の後をついてくる斎藤を見やりながら、初めての飛行機が格安航空会社のエコノミーはハードルが高かったかなと零は少しだけ反省した。



香港。華南の珠江デルタに位置する特別行政区。香港島と九龍半島、新界、そして周辺に浮かぶ島々を含む。


1997年にイギリスから返還され、中国の中でも国際色豊かな町として異彩を放っている。


今では著しい経済成長の影響で超高層ビルが乱立し、土地不足や環境汚染などの問題も抱えている。


香港の街の空気は黄色く、澱んでいた。微小粒子状物質と黄砂の影響だ。度重なる環境汚染と、火力発電所の無計画な増強で、中国全土の大気汚染が進み、改善の兆しはいまだ見えない。


住人も旅行者も特殊フィルター付きのマスクをして外を歩いている。


「……酷い臭いだな。」


マスクをしたまま斎藤が呟く。マスクをしていても不快感をあらわにしているのがよくわかった。街中に排気ガスとその他の生活臭が混ざり合って独特のにおいが漂っているのだ。


「まだここはいいほうですよ。北京なんて防毒マスクがいるほどですからね。」


零は斎藤からの質問攻めにあわなくなったことに少しだけ意外だった。薄野や飛行機での経験で、香港の街並みを見てもさして驚かなくなったようだ。ただ、人の多さと、晴れているのにビルの頂上すら見えない大気汚染、屋台街の店頭で豚の解体をしているのを見て絶句していたが。


「これからどうするんだ?」


「……そうですね。とりあえず服と携帯を調達しましょうか。腹ごしらえはそのあとで。」


「まさか、あれを食うのか?」


斎藤があからさまに嫌そうに屋台の店頭に並べられた豚の頭を見やった。


「はは。まさか。コンビニがあるはずなのでそこに行きますよ。そのほうがはるかに安心です。」


それを言うと、斎藤は安堵したように胸をなでおろした。


メインストリートから少し外れた所で、零は足を止めた。何事かと問うような表情で斎藤が零を見たが、零は気にする事もなく確かここだと中国語で書かれた店のドアを開ける。中にはジャンク品で溢れた店内と、まだ10代だろうか。痩せた色黒の青年が二人を胡散臭そうに見上げた。


「想要手机(携帯電話が欲しい)」


客が中国語を話すと知り、青年の顔から警戒の色が消えた。未だ子供といった年齢なのに、大人びた表情をしているのは、この界隈の治安がそうさせているのだろう。


『ご所望は?最近だとiPhoneかサムスンが流行だな。』

『そうだな。日本製はあるか?あとスマートフォンではなく折り畳み式の携帯が一つほしい。もちろん日本語表記のものだ。 』

『ちょうどこの前日本から入ってきたやつがあったぜ。ちょっと待ってな。』


零が店主と交渉している間、斎藤は所在なさげに店内を見回す。店内所狭しとガラクタのような品が並び、一体どういう用途で使うのかも見当もつかない。


(ここが、かの『大陸』か。こうごちゃごちゃしていては遥々来た感動もへったくれもないな。)


店内に垂らされた鮮やかな赤や黄色のモビールを指で突きながらそんなことを思っていると、後ろから肩を叩かれた。ぎくりと振り向くと、零が怪訝な顔で立っていた。その手には白い紙袋を提げている。


「どうかしましたか?さて。後は服ですね。着の身着のままだったからそろそろ着替えないと。それに斎藤さんそれサイズ合っていないでしょ。」


確かにズボンの丈は若干合っていないのをブーツで誤魔化しているし、ジャケットも若干きつい。体に合った服が必要だった。


メインストリートに戻った二人は、ファストファッションの店に入り、適当な服を購入して着替えた。

とはいっても先程とあまり変わらない黒や茶、グレーを基調とした地味な服装だ。ジャケットやズボンの色が変わったぐらいで、劇的に変わったというわけではない。

傍目から見れば、どう見てもカップルか友人同士のバックパッカーにしか見えない。

『環境に溶け込む。』これがラングレーで最初に得た教訓の一つだった。今まで着ていた服は駅のごみ箱に捨てた。


「ニューヨーク行きの便までは暫く時間が空いているので、少し仮眠をとりますか。」


そういうと、零はデイユース可能なバックパッカー向けの宿を、旅行者向けに設置されている検索用端末で探し始めた。その側で斎藤は先程購入した携帯電話と顰め面で睨み合っている。


連絡用にと斎藤に買った折り畳み式の携帯は、大きなボタンで大きく文字が表示されるタイプだった。だが、そういう物は未知の領域である斎藤にはそんな親切設計であろうと意味はない。


零は40分近くかけて使い方を説明し、また最初と同じ質問を繰り返す目の前の男に蹴りを入れたくなっていた。



「一応その携帯、使えるようにはなってますが乱用は避けましょう。白ロムでも声紋探知に引っかかると怖いので。」


親の仇かのように携帯を睨みつける男を見やりながら、零は検索を続けた。

そういったのは米国主導で開発されたシギント(通信傍受)システムを警戒しているからだった。技術の進歩により10年前とは比較にならないほどの精度を誇っている。


昔、内部告発によりその存在が露呈した事件があった。各国の非難を逃れるように米国は否定したが秘密裏に開発は進められていた。あらゆる機器の進歩に対応するために大量の研究者やエンジニアを導入して。


ただ、今はNSA(国家安全保障局)ではなく、CIA主導で管理している。だからこそ一層の注意が必要だ。自分のデータは未だあの忌々しい場所に残っていることだろう。


しかし、それよりも危惧しなくてはならないのは斎藤がこの携帯電話をきちんと使えるかというところだ。とりあえず、ボタンを押すところから挫折しそうだったので、音声認識とボタン一つで直接零にダイヤルできるように設定したのだが、使いこなせるかどうか微妙なところだ。

最低でも、はぐれた時に自分で連絡を取れるようにはなってほしいものだった。


宿を探し終えた零は、船の上で大暴れしていた男が自分の十分の一の大きさの携帯に難儀しているのを見て苦笑した。


「あんなに大暴れしていたとは思えない姿ですね。」

「貴様には言われたくない……おい、なんだこれは。さっぱり動かんぞ。」

「はあ。ちょっと貸してください。……何回目ですかこれ。」


一つの携帯を二人で覗き込みながら、二人の姿は香港の雑踏の中へ紛れて行った。







―――・・・はい、信号の通り香港に。中国当局の介入は今の所ありません。


――――・・・あの東洋人ですが、素性は一切不明です。ええ。データバンクにも該当しません。如何しますか?


―――――・・・了解しました。現状では何処かの組織との繋がりは無いようですが、念の為警戒します。


――――――・・・『あれ』の手掛かりは未だ。……本当に奴らは辿り着けるのでしょうか。


―――――――・・・ええ。解っています……これより移動します。次の報告は4時間後に。

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