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Lone wolf  作者: 片栗粉
20/64

海上の戦い

武士道は死狂ひなり。一人の殺害を数十人して仕かぬるもの


~葉隠~

―――……せい。斎藤先生。


「……斎藤先生。そんなところで寝ているとお風邪を召しますよ。」


声をかけられて、初めて自分が眠っていたことに気づいた。

見慣れた縁側。八木邸の一角。見回せば庭に干された大量の洗濯物。そして道場から激しく打ち合う木剣の音と威勢のいい声。いつもの風景だった。


驚いたように周りをきょろきょろと見回すと、今しがた声を掛けてきた沖田が子供のように笑いながら縁側に腰かけた。


「……俺は、眠っていたのか?」

「そうですよ。珍しいこともあるものですね。」


酷い夢を見ていた気がする。そう、酷く寒々しく、孤独な、恐ろしい夢を。


「……夢を見た…気がする。」

「やだなあ、寝ぼけてるんですか?本当に珍しいな。」


ケラケラと笑う沖田を見ると、何となく安心する。この童のような青年が、鬼神の如く剣を振るうなど、この笑顔だけを見れば誰が信じられるだろうか。



何故か酒を飲みすぎた時の様に酷く気怠く、頭もずきずきとする。原因不明の頭痛に首を傾げているとふと、寂しそうに沖田が笑った。


「……斎藤先生。」

「なんだ?」

「……もう、行くんですね。」


一瞬、沖田が何を言っているのか分からなかった。何故かどこからか潮の香りがする。こんなにも空が蒼いのに、寒いのだ。


――ああ、そうか。ここは自分が創り出した夢想ゆめなのか。


「…ああ…。」


すべてを悟り、絞り出すように吐き出した言葉は酷く掠れていて、いつもより頼りなく聞こえた。だが、その言葉に沖田は安堵と、ほんの少し悲しそうな顔をして、小さくつぶやいた。


「斎藤先生……。もう―――」



『斎藤君……。君は――――』


それは、沖田の声だったのか、それとも―――。



―――――――


斎藤の瞼がゆっくりと開いた。薄暗い錆の浮かんだ天井と、酷い揺れにどこか落胆したようなそぶりを見せた。頭が痛むのか、こめかみを抑えて小さく呻いている。


「目、覚めました?」


「……ああ。」


斎藤はまだ酒が残っているのか、いつもより蒼い顔をしてよろよろと起き上がった。にやにやと笑いながら声を掛けてくる零に、バツ悪そうに返事をする。吐き気はだいぶ収まったが、酷く喉が渇いてカラカラだった。


「これ、飲んでください。のど渇いてるでしょう?」


零が金属製のボトルを差し出すと、斎藤が貪るように飲み始める。急激なアルコール摂取に、脱水を起こしていたのだろう。喉を鳴らしながら水を飲む斎藤を、零は黙って見つめていた。


「……すまん。醜態を見せた。」


「まあ、男には受けなきゃならない勝負もあるでしょうからね。でも、あれ以上飲んだら危なかったですよ。」


小さな声でぼそぼそと斎藤が謝るが、零は笑って答える。濡れた口元を手の甲で拭う斎藤に、零が銃の分解掃除をしながらところで、と声を掛けた。


「気分はどうですか?」


「……頭が痛い。気分は最悪だ。」


零はクスクスと笑うと、でしょうね。ペルツォフカを五杯も飲んだんですからと笑った。


「セルゲイって奴がしきりに謝ってましたよ。調子に乗りすぎたって。アームレスリングの元世界王者に勝ったんですから、自慢してもいいくらいですよ。」


褒めているのだが、何故か更に肩を落とす斎藤を見て、慌てて零は話題を変えた。


「そういえば……斎藤さん、家族は?」


「いや、今は…。」


「あ、すいません……。」


聞いてはいけなかったことを聞いてしまったのだと思い、零はすぐに謝った。


「いや、そういう意味ではない。昔、父に勘当されてな。もはやこの家の人間は死んだものと思えと。それから家を出て以来会っておらん。……もう十年以上前の話だ。」


意外な過去を聞いて、零は斎藤が少しは自分に心を開いているのではないかと感じた。


「そうなんだ。私は実の親って知らないから。羨ましいな。」


ほんの少しだけ寂しそうな顔で、零が呟いた。斎藤がいつもの仏頂面で、そうか。と答える。だが、その方がありがたい。下手に同情されるより、よっぽど気が楽だ。


零は物心ついた時から孤児院育ちだった。職員は零がここに来た経緯を話すことをあまりよく思ってはいなかったらしく、成長したら話すとはぐらかされ続け、零が里親に引き取られたすぐ後に、経営不振で閉鎖されてしまった。当時の職員の行方も分からず、結局どういう経緯で来たのか聞けずじまいだった。


里親に引き取られてからは、特に何もなく平凡な暮らしをしていた。零を引き取った夫婦は子供に恵まれず、血の繋がりのない娘に惜しみなく愛情を注いだ。


だが、夫妻の経営する工場が経営難で倒産してから、零はバイトを掛け持ちしながら学校に通い、生活費に充てた。軍に入ったのも、両親の負担を少しでも軽くする為だった。彼らはもちろん反対したが、半ば押し切るように入隊した。血のつながりはなくても、彼らは娘を愛していた。


「あ、育ての親はいますよ!まぁ、今はどうしているのかわかりませんけど。」


取り繕うように声を上げるが、重苦しい雰囲気には変わりなかった。


ヨルダンでの作戦失敗の後、零はMIA(作戦行動中行方不明)として処理された。が、それは表向きの事だった。入院中の零の元にDIAのエージェントが来たのだ。


彼は零を新しく発足した部隊へ勧誘した。今の身分や名前の一切を捨てて幽霊となることを条件に、彼は零に決断を迫った。

いや、選択肢などないに等しかった。彼等は零をただの備品や消耗品の類にしか見ていなかった。


それを機に零の軍籍、経歴は全て削除され、新たな経歴が上書きされた。すでに両親と接触することさえ許されなかった。

だが、零はそれを甘んじて受け入れた。月々3500ドルを遺族見舞金として両親の口座に振り込むことを条件に。

娘の命が月3500ドルで買われたとも知らぬ両親は、自分が『死んで』からどう過ごしてきたのだろうか。だが、もうそれを知るすべはない。


「……斎藤さんは、小さい頃の夢ってありました?」


いきなりの質問に、斎藤が眼を白黒させる。質問の意味がよくわからないようだった。


「あー…大人になったら何になりたかったとかそういう奴ですよ。」


斎藤はちょっと考え込むようなそぶりを見せてから、口を開いた。


「……俺は…武士以外考えられなかった。それ以外の選択肢もな。」


斎藤の言葉に零はほほえましいと感じた。サムライになりたいなんてこの男も随分とかわいいところもあるものだ。まあ、自分の夢も存外子供っぽいものなのだが。


「私はね、宇宙飛行士になりたかったんです。」


「…うちゅうひこうし?」


「宇宙から、この世界を見てみたかったんです。国境も宗教も政治も関係ない遥か彼方からね。月へ行ったニール・アームストロングのように。」


とめどなく流れ出る言葉はどれも要領を得なくて、話しかけているというよりも、独り言を言っているようだった。


「……ああ、すいません。忘れてください。」


「…俺は…こんなに自分の事を話したのは初めてだ。」


「え?」


思わぬ斎藤の言葉に零は思わず聞き返したが、ぷいとそっぽを向かれてしまった。その耳が少し赤いのは酒のせいだけだろうか。


「……ふふ。私もですよ。あと10時間ほどで着くみたいですから。それまで仮眠を取っておいてください。」


その時だった。船体が不自然に揺れ、鈍い音が響いた。バタバタと狭い通路を駈けていく音と、ロシア語の怒声がここまで響いてきた。


「……いやな予感がするな。」


「同感。」


二人が顔を見合わせた時、ユーリがAK47ライフルを手に船倉へ駆け込んできた。


『襲撃だ。この海域は海賊が多くてな。お前らも手伝え。』


発砲音がここまで聞こえてきた。ロシア人たちが迎撃しているのだろう。ユーリに押し付けられたAkを手に、零はデッキに向かった。




外に出るとそこはすでに荒事の真っ最中だった。荒れた海に向かって、銃を連射する男達。そしてその先の鉛色の海からは、小型の高速艇が数隻、輸送船の周りを取り囲むようにして荒波をものともせずに、縦横無尽に奔りまわっている。


だが、サハロフの部下たちはさすがに元兵士が多いこともあって、一切取り乱す者もおらず、迎撃する動きは冷静かつ機敏だった。


『くそ!RPGだ!伏せろ!伏せろ!』

『旋回だ!旋回しろ!左舷に全速!』


一人がロシア語で叫ぶと、サハロフが怒鳴るように指示を飛ばした。零は咄嗟にそばにいた斎藤の襟を引っ掴み、積み荷の陰に一緒に隠れる。遅れて水飛沫と爆発音が轟いた。

運よくRPGの弾は船の直近2メートルのところに着弾したようだった。


横にいる斎藤に隠れていろと告げると、借り物のAkを掴んで駈けだした。左舷デッキの縁で立射の態勢を取り、ホロサイトで狙いを定めた零は、迷うことなく引き金を引いた。


フルオートで発射された弾が、狙い違わず高速艇の操縦者の胸と、エンジン部分に命中した。コントロールを失った一隻が、水の上をクラッシュしたレーシングカーの様に跳ね回り、爆発した。

ロシア人たちの歓声が上がる。しかし、右舷から2隻の高速艇が攻撃をかいくぐりながら近づいてきた。



『乗り込まれるぞ!撃ちまくれ!』


高速艇からアンカーが船体に撃ち込まれる。双方向からのアンカーワイヤーが放たれ、船の縁に爪を立てた。船がガクンと揺れ、推進力が落ちていくのが分かった。

高速艇から伸びたワイヤーを海賊達がサブマシンガンを撃ちながら、ジップラインを使い滑るようにワイヤーを渡って来る。


乗り込まれたら面倒なことになる。零はワイヤーを渡る海賊を撃ちながら、斎藤が隠れているはずの積み荷の方を見た。


(いない?!くそ!何やってんだあいつは!)


盛大に舌打ちをしたかったが、サブマシンガンの弾がそばに着弾し、慌てて傍の物陰に隠れる。その間も斎藤の姿を必死に探すが、確認できなかった。

デッキでは、サハロフの右腕のユーリが乗り込んできた海賊と格闘を繰り広げている。ユーリはナイフの名手らしく、海賊の軍刀をものともせず、素早く喉元と胸元にナイフが一閃し、赤い飛沫がデッキを汚した。


『おい!私の連れを知らないか!?』


襲い掛かってきた敵をAkの銃床で思い切りぶん殴りながら、大声でユーリに声をかけた。ユーリがこちらを見る。その顔は返り血に染まって普段以上に凶悪さを醸し出していた。


『知るか!さっきカタナなんか持って船尾のほうに行ったぞ!』


それを聞くと、零は脇目も振らず銃弾の飛び交うデッキを駆け抜けていった。



――――


その頃斎藤は、船尾から乗り込んできた海賊達に囲まれていた。そこではサハロフとセルゲイ達が結構な数の敵に苦戦していた。斎藤は物陰に隠れて静かに様子を伺っている。


銃声と怒号、波飛沫の響く船上。


会津での経験から、銃相手にまともに戦り合えば勝ち目はない。銃弾が途切れた一瞬の隙を狙わねばならない。


零は隠れていろと言っていたが、はいそうですかとそこで大人しく待っている斎藤ではない。女にだけ戦わせて自分だけのうのうと隠れているなど武士の名折れだ。


(悪いな。吉村。女にだけ戦わせる程、俺は落ちぶれてはおらん。)


かつて浅黄の羽織を纏っていた時の高揚感と闘争心が斎藤の五体を支配していた。愛刀を握りしめ、壬生の狼が獲物に牙を突き立てる瞬間を静かに待ち続けた。


すると、応戦していたサハロフが、斎藤のほうを見て、少し目を見開いた後、何かを得心したように頷いた。


『セルゲイ!フラッシュバンだ!』


『Да!』


セルゲイがピンを抜き、敵の目の前に向かってフラッシュバンを投げる。数秒後、強烈な閃光と破裂音が船上に響き渡った。


それを合図に斎藤が駈けだした。先程の醜態など微塵も思わせぬ、豹の様にしなやかな動きだった。障害物の如く置かれた積み荷の間を縫うように、時には飛び越え、あっという間に敵との距離を詰めた。

いきなり出現した刀を持った男に、海賊達は驚いたように声を上げた。


「什麼!??!」

「……何を言っているのか分からん。だが、人の船に攻め込むなど海賊の所業よ。……悪いが、斬るぞ。」


海賊達が喚き散らしながら、サブマシンガンの銃口を斎藤に向けようとした時だった。


斎藤が地に伏すように腰を落とした。海賊達とサハロフ達はその行動の意味が分からなかったであろう。だが、それは狼が獲物に飛び掛かろうとする所作なのだと、彼らに知る術はない。


瞬間。目の前にいた海賊のサブマシンガンが真っ二つに割れた。持っていた銃からばらばらと薬莢がこぼれ出るのを、呆けたように男が見つめる。だが、それが彼が見た最期の景色だった。


ごぼりと男の口から赤い血が溢れ出た。その喉から生えていたのは、血を滴らせ、鈍く光る刃。何かを言おうとするが、言葉にすらならずに、ごぼごぼと水に溺れるような音がした後、ぐりんと男の眼が上を向いた。


鞘から電光石火の勢いで滑り出た刃は、鋼鉄の銃を切断した後、素早く刀を引き、それから繰り出された凄まじい刺突が男の喉を貫いたのだ。


「無外流、響返し。」


物言わぬ肉塊になった男から刃を引き抜いた。人形の様にぐにゃりと男が甲板に斃れた。頭蓋骨が強かに打ち付けられる硬い音が響いたのを最後に、銃声が嘘の様に静まり返った。誰もが、目の前の光景を呆然と見つめていた。


「……どうだ。まだ闘るか。否か。」


静かに海賊達に問いかける。口調は静かだが、その全身から迸る殺気が海賊達を圧倒した。恐怖におびえるように、一人が銃を投げ捨てた。それを見て、周りの海賊達も銃を捨て始めた。


セルゲイが信じられないという顔で、斎藤を見つめていた。周りのロシア人たちも同様だ。痩せた犬のような得体のしれない東洋人が、武装した海賊を剣一本で制圧したのだ。


『信じられん。奇跡だ。』


セルゲイが呆然と喜色が綯交ぜになったような顔で言った。だが、サハロフはそれには答えなかった。


サハロフの眼には一瞬だけ斎藤の背が別の姿に見えた。今のくたびれたジャケット姿ではなく、高く結った髪に、見慣れぬ薄いグリーンの着物姿。

いつか楢崎から聞いた、ラストサムライ達の雄々しき姿に似ていた。


『……サムライは滅んだだと?全く。ナラサキの奴、出鱈目を言いやがって…。目の前に居るじゃないか。』


誰ともなく呟かれた老兵士の独り言は、吹き荒れる潮風に溶けて消えた。



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