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Lone wolf  作者: 片栗粉
18/64

その男、サハロフ。

酒と人間とは絶えず闘い合い、絶えず和解している仲のよい二人の闘士のような感じがする。

負けたほうがつねに勝ったほうを抱擁する。


~シャルル・ボードレール~

「大丈夫?斎藤さん。」


寒空の下、路肩の隅でうずくまって息を荒げる斎藤の背をさすりながら、心配そうに声をかける零の姿があった。


「……ああ…だが、もう、金輪際、此れには乗りたくない…。」


「そう云われてもねぇ。車じゃないと移動できないんで我慢して下さいよ。ね?」


「貴様…ふざけるなよ…うう。」


原因の殆どが零にあるというのに、自分が悪い様な言い方をされて腹が立ったが、斎藤はせり上がる嘔吐感に怒鳴る気力も無くなった。


「でもこの様じゃあもう無理だな。」


えづく斎藤の背を尻目に、零は無残な姿を晒している4WDを見やった。艶やかだった黒いボディには、蜂の巣状に無数の穴が空き、だれがどう見てもただの事故ではないとわかる状態だ。

だが、幸いなことと言っていいものかはわからないが、表示板に目を向けると、目的地はすぐそこだ。


「もう徒歩で10分ほどのところまで来てます。歩きましょう。」


ナンバープレートを外して海に放り投げると、未だ道端で青い顔をしている斎藤に、背負っていきましょうか?と声をかけたが、何故か


「いらん!」


と怒鳴られた。憤りを隠さずに速足で歩く斎藤の背中を見やりながら、零はやれやれと苦笑した。


――――――

「さてと、爺さんの話じゃ第6埠頭って言ってたな…」


雪のちらつく小樽港は、強い海風が吹いていることもあり、かなり寒い。いつも狩猟時に着ている厚手のジャケットを着ているが、容赦なく冷気が肌を刺す。時刻は夕刻にさしかかろうとしていた。漁港も閑散としていて、人の姿はまばらだった。


「…ここが…小樽港…。なんてデカい船だ…。」


斎藤が遠くで汽笛を鳴らすタンカーを見やってつぶやいた。外に出てから思ったことだが、斎藤は一々色々なことに感嘆したり、呆然とする。まるで宇宙人を初めて見た人間の様に反応するのだ。


これは何だと聞かれたことはあまりないが、使い方がわからないといった時には簡単に説明してやると、目をむいて驚いたりする。極度の世間知らずというには度が過ぎる。知り合ってから数日だが、本当に奇妙な男だった。


出来の悪い映画ではないが、エリア55に拘束されていた宇宙人なのか。いや、あるいは本当に…。



「まさかな。……ああ。ここだここ。」


無機質な倉庫が立ち並ぶ中をすり抜け、少し離れた場所にある第6ふ頭にたどり着いた。半世紀ほど経っていそうな輸送船に、お世辞にも上品とは言えない男たちが、ひっきりなしに行き来している。

タトゥーから見て、反体制派の軍人の成れの果てだろう。この中に、サハロフがいるはずだ。


「随分とガラの悪い連中がいるな。」


厳ついロシア人たちの刺々しい視線を物ともせずに、斎藤が声を潜めることなく言った。零が咎めるような視線を送ると、フン、と肩を竦める。こういう度胸は賞賛したいほどだ。


ロシアンマフィアに喧嘩を売るなど正気の沙汰ではない。奴らは軍人崩れが多く、一切の容赦もしない。一時期中国の海洋警察がロシアの密輸船の強制捜査を行った際、なすすべなく沈められたという事件があったほどだ。


「Эй, ??стоп. Вы, ребята, кто.(おい、止まれ。何者だ。)」


後ろから鋭いロシア語が飛んできた。振り向けば、数人のロシア人が敵愾心をむき出しにして二人をにらみつけている。

恐らく男達が肩にかけているデイパックには銃が入っている。バッグに入れたまま撃てるように改造されているのだ。だが、ここで揉め事を起こすわけにはいかない。

咄嗟にバッグの中の刀を取ろうとした斎藤を制止し、零は声を上げた。


『サハロフという男はここにいるか?』


流暢なロシア語が零の口を突いて出た。隣の斎藤が少し驚いたように零を見る。零の言葉に、男達が嘲笑うかのように声を上げた。


『そんな奴はここにはいないぜ。なあ?お嬢ちゃんはここが迷子センターか何かに見えるようだ。』


黒いニット帽をかぶった男が笑うと、周りの男達も低い声で笑った。


『楢崎たばこ店の紹介で来た。ここに紹介状もある。それともウォッカがなけりゃあ仕事にならないか?』


一瞬にして男達の眼が殺気立つ。ピリピリとした緊張感が場を支配した。だが、ニット帽の男が制止すると、少し待て。と言い捨てて、倉庫の中へ消えていった。


警戒心むき出しの大男達に囲まれながら、15分ほど待っていると、倉庫の中から大柄な男が出てきた。白髪に近いグレーの短髪に、同じ色の濃い無精ひげ。


60代位と思われるが、厚手のセーター越しにも解るほどの鍛えられた厚い胸板と、皺が刻まれたアイスブルーの鋭い眼が、未だに彼が老練な兵士であることを物語っていた。彼がサハロフなのだろう。


『少佐、奴らがそうです。』


後ろでニット帽の男が囁いた。言外に物騒なニュアンスが含まれているが、サハロフが目でそれを制する。


『大丈夫だ、ユーリ。出港の準備を頼む。……ナラサキの使いだそうだな。』


ユーリと呼ばれた男がその場を離れると、サハロフが零達に向き直った。その声はウォッカとタバコで掠れているが、朗々とした低いバリトンだ。


『使いというか、まあ紹介だ。急だったもんでね。連絡できなくて済まなかった。』


手紙を手渡すと、その場でサハロフが読み始める。眼が文章を追うごとに、その眼が懐かしそうに細められた。


『……そうか。良いだろう。君たちを歓迎する。ヤポンスキーよ。』


サハロフの手が差し出されると、零はその手を強く握り返した。


―――――――――


サハロフに乗船許可をもらった二人は、古ぼけた船倉の一角でひざを突き合わせていた。ここから釜山までの航海は70時間程ある。零がここでの注意点を斎藤に言って聞かせているのだ。


「この船はロシアンマフィアが牛耳ってる貿易会社の輸送船です。何を見ても知らん顔して下さいね。」


「…わかった。というか、奴らが何を言っているのかも解らんのだ。何を見ても驚かん。」


確かに斎藤はロシア語どころか、簡単な英単語一つ言うのに苦労するほど横文字に疎いのだ。


「えーと、冷凍された遺体の一部とか、銃器とか、麻薬とか、爆発物とか、危ないものが沢山ありますから。あまりふらふら出歩かないように。」


親が子供に言って聞かせるような口調に、斎藤は子供じゃあるまいに、とそっぽを向いた。そんな斎藤の態度にも意に介さず、零はそれと、と付け加えた。


「ロシア人に飲み物を勧められても絶対に飲んじゃいけません。」


「なぜだ?」


「駄目です。奴らはビールを水という人種ですよ。アルコール度数70度以上のウオッカなんて飲んでみなさい。一瞬でブラックアウトしますからね。」


真剣に斎藤に向き合う零を尻目に、ウォッカとは何だろうかと思いながら、斎藤は硬い船倉の床の上に寝ころんだ。



しかし、零の注意は比較的早く破られた。


「……大丈夫ですか?」


「………ああ。」


冬の日本海はひどく荒れる。絶えず5、6m級の波が立ち、大したスタビライザーもつけていない古い船は、荒波を受けて上下左右に振り子のように揺れる。船の上で生活しているロシア人たちは慣れたものだが、殆どを陸の上で生きている人間には船酔いはひどく堪える。そして、あまり乗り物が得意ではなさそうな斎藤もその例外ではなかった。


蒼白な顔に脂汗を浮かべて、胡坐をかいているが、その体は船の激しい揺れを受けて左右に揺れていた。零は隅のほうで壁にもたれながら、こげ茶色の表紙の手帖を読んでいる。


「…すこし、外の風に当たってくる。」


「気を付けて。落ちないでくださいね。」


目線すら上げずに憎まれ口をたたく自称相棒に、言い返す気力もなく、錆付いた扉を開けた。


―――――――――――



外に出ると、激しい海風が斎藤の顔を打った。だが、澱んだ船倉の空気よりは遥かにいい。若干吐き気も収まりつつあった。


(なぜ、俺はこんなところに居るんだろうか。)


今まで忙しさで忘れていた根本的な疑問が頭をよぎる。あの時、土方と酷似した男を追っていったら、此処へたどり着いてしまった。そして、零に出会い、わけもわからぬ間に追われる身になったのだ。

不可抗力とはいえ、すでに二人も手にかけている。これが普通の女に拾われていたら、こんな事にはなっていなかっただろう。


(俺をここに連れてきたのは、彼奴に出会ったのは、何の為です?副長……。)


もやもやとした物を振り払うように煙草を取り出し、ジッポーで火をつける。煙草の煙が、日本海の荒々しい旋風に吹き散らされて消えた。


(…まあ、ここで女々しく思いつめても始まらんな。)


船体の縁に持たれながら、すこしの間荒れる海を見つめていると、後ろから声をかけられた。


『こんなところに居たのか。ヤポンスキー。こっちへ来いよ』


数人のロシア人が、何かを囲んで騒いでいるようだ。その中心には、古い木箱と樽で作られた即席のテーブルに、腕の入れ墨を剥き出しにして腕相撲に興じる男達がいた。

斎藤は、いや、俺は、と遠慮したが、豪放磊落なロシア人には通じず、あれよあれよという間に、テーブルに着かせられてしまった。


『随分細っこい男だな。そんな猫みたいな腕だと折れちまうんじゃねぇか?』


野次馬の男がからかうように声を上げると、周りの男達がどっと嗤った。言葉の通じない斎藤にもあまり良く言われていないのは何となくわかった。


斎藤の眼の色が変わった。


「後悔するなよ?異人共。」


斎藤は左腕をテーブルについた。それを見て、向かい合った男が驚いたように声を上げる。


『左利きか。いいぜ?ハンディだ。来いよコーシカ(子猫ちゃん)』


禿頭に入れ墨を入れた男が、隆々たる筋骨を見せびらかすように、斎藤の左手を握った。

審判役の男が二人の手の上に両手を乗せた。


『始め!』


勝負は一瞬で決まると誰もが思った。



――――が。


『おいどうしたんだよセルゲイ!ジョークだとしてもやり過ぎだぜ!』


野次馬どもがからかう様に大声を上げたが、当のセルゲイは真っ赤な顔で力むばかりで、合わせた手のひらはピクリとも動かなかった。


「どうした?威勢がよかったのは最初だけか?」


笑みを浮かべる斎藤は、獰猛な狼のごとくギラギラとした殺気に満ちていた。

ゆっくりと、左腕が倒れていく。セルゲイの腕を下にして。


『クソ!なんだこいつ!ビクともしねぇ!』


セルゲイが最後とばかりに力を込めるが、劣勢を覆すことはできず、ただただ屈服されていく左腕を見ていることしかできなかった。

ゆっくりと、セルゲイの手の甲が木箱のテーブルにつく。


しん、と水を打ったように甲板が静まった。束の間荒波の音と、船と並走して飛んでいるウミネコの鳴き声が響いた。


『ヤポンスキー!』


わああ!と野太い歓声が響いた。呆然としたようにセルゲイが立ちあがった斎藤を見上げると、すぐに満面の笑みを浮かべて半ば無理やり握手をした。いきなり握手をされた後、肩を組まれて、斎藤の顔が引きつる。


『すごいな!お前!こんな細い体のドコにそんなパワーがあるんだ!?』

『さすがサムライの子孫だな!』

『違うぜ、ヤポンスキーの祖先はニンジャだろ!』


円の中心に来させられた斎藤は、飛び交うロシア語に目を白黒させるばかりだったが、先ほどのように嘲る笑いではなく、純粋に称賛しているのだと何となく判った。


セルゲイが野次馬のうちの一人に何かを言った。船室に駆け込むように入っていった男は、すぐに戻ってきた。両手いっぱいにショットグラスと細長い瓶、アルミの皿にこれでもかと盛られたザクースカ(つまみ)を持って。


セルゲイがグラスを受け取ると、まず斎藤に渡した。状況を理解していない斎藤は良く分からずにグラスを受け取る。


盃には赤いとろりとした液体がなみなみと注がれている。



「お、おい……何だ…?」


ショットグラスが全員に回り、セルゲイが戸惑う斎藤の肩に腕を回すと、高らかに声を上げた。


『諸君!今日から新たな同志の誕生だ!ヤポーニヤのサムライに乾杯!』

『乾杯!』


一気にグラスの中を飲み干す男達を見て、斎藤もそれに倣った。倣ってしまった。途端に喉から食道、そして胃の腑に焼けつくような衝撃が走った。


口内が焼けるように痛い。何とか眼をしばたかせて飲み込むと、間髪入れずに次の液体が盃を満たした。


『そして、わが祖国とヤポーニヤの未来に!』


「おい、俺は酒は…」


『乾杯!』



斎藤のささやかな抗議などまったく聞いてないロシア人たちは、一斉に豪快にウォッカを飲み干す。やけくそとばかりに真っ赤に彩られた盃の中を干すと、ぐらりと世界が揺れた。


『良い飲みっぷりだ!サムライ!このまま朝まで飲み明かすぞ!』

『ypaaaaaa!!』


ちなみに斎藤が飲んでいるのはペルツォフカという唐辛子を浸したウォッカである。一般的なペルツォフカのアルコール度数は35度とあまり高くはないが、それでは物足りない彼らはそれにスピリタスを少々足しており、かなり度数の高いものになっている。


もともとアジア人と体のつくりが違うのだ。ビールを水だと豪語するロシア人に対抗しようなど、MG42機関銃だらけのオマハビーチに槍で突撃するようなものだ。

ロシアでは宴の際、参加している人数だけ乾杯し、ウォッカを飲み干すのがマナーだ。飲めないという理由はロシア人に通用しない。宴が終わるまで彼らの乾杯は続くのだ。


斎藤はそれはもう頑張った。だが、五杯目で遂に限界が来た。


ふらふらと揺れる頭は、どこが地面なのか空なのか判らない。さっきまで寒さに震えていたというのに、今は体が燃えるように熱い。


(……さっき、吉村に何を言われたんだったか…。)


ぼんやりとそんなことを思いながら、斎藤の意識はブラックアウトしていった。


―――――――


甲板が何やら騒がしいなと、零は思ったが、別に揉め事が起こったわけではなさそうだったので、そちらに向かうことはなかった。斎藤も子供ではないのだから何とかするだろう。


それよりも、零の興味は手の中の手帖にあった。薄野駅で零を襲おうとしたCIAの情報分析官、アレン・カーティスのものだ。彼は兄の死の真相を単独で追ってきたのか、手帖の中には六年前の極秘作戦についても記されていた。


関係者も限られた極秘作戦についてかなり念入りに調べたようで、アレンの兄、ウィリアム・カーティスが作戦に至るまでの経緯や、足取りが事細かに書かれていた。


「極秘作戦のデータを強引に閲覧したな…このガキ。見つかったら査問会議じゃ済まされんぞ。」


六年前、CIAとDIAの合同で進められた極秘作戦。零にとっては忌々しい記憶だ。彼の兄、ウィリアムについては一度だけ面識がある。

零がまだアレックス・コールマンと名乗っていた頃だ。


零はカナダ人記者、クレア・デニスと身分を偽ってソマリアに潜伏していた。とある大量破壊兵器に関わる情報を持って亡命した人物を特定し、拘束、又は殺害するのが任務だった。


二年と半年ほど経って、殆ど周囲に警戒されることなく溶け込んだ零は、ある時CIAからの連絡員に接触した。


それがウィリアム・カーティスだった。彼はドイツ系企業のエンジニアとして潜伏しているようだった。


彼は、情報の交換を申し出てきた。待ち合わせのモーテルに着いた時、彼の口から、予想だにしなかった言葉を聞いた。


この任務には裏がある。やけに情報も少なすぎるし、亡命した人物の痕跡すらない。我々の動きが読まれているかのように、と。




そうウィリアムが口にした時だった。


彼は胸から血を噴き出して、ソファから転がり落ちた。入り口から真っ黒なブルカをまとった連中が雪崩れ込むようにして現れ、そして零は、拘束された。


今でも鮮明に思い出せる。自分が尾行されたから、彼らは死んだ。自分が殺したようなものだ。しかし、今は慙愧の念に浸っている暇はない。


あの時、彼は何を言いたかったのか。かすかに動いた唇は、


『トランペッター』


アレンの手帖に書かれている物と同じ単語を紡いでいた。あの時ウィリアムは死に際にそう言い遺そうとしたのではないか。


手帖を閉じると、ハーミットが寄越した封筒を開けた。封筒からは小さなメモ用紙と、どこかのカギが出てきた。


メモには


『8・6ー11・19』


とだけ書かれている。


ウィリアムは、何を掴んでいたのか。『トランペッター』が何なのか、現時点ではまったくわからない。


(ニューヨークへ。ニューヨークへ行けば何か糸口が掴めるかもしれない。)

零は手帖を懐にしまうと、毛布を敷いただけの堅い寝床へ寝ころんだ。


外に出たまま帰ってこない斎藤が、海に落ちているんじゃないかと少しだけ心配しながら。



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