第16話:水底の夢と、眠れる炎
自身の内に眠る『熱の塊』との接触。その結果、召喚された『漆黒の剣』。
そして、悩みの種であった『熱の塊』がなくなったことで、俺はとうとう『魔素』の知覚に成功した。
立て続けに己の限界を超える大きな壁を突破した代償は、俺の肉体と精神に想像以上の負荷をかけていたらしい。
リリィさんに「休め」と言われた直後の記憶はひどく曖昧で、気がつけば俺はベッドで深い、ひたすらに深い眠りの底へと沈み込んでいた。
夢すら見ない、泥のような暗闇。
どれほどの時間が経過した頃だろうか。
俺はふと、自分が果てしなく広がる『水中』に立っていることに気がついた。
冷たさはなく、息苦しさもない。頭上の遥か高くにある水面からは、揺らめくような柔らかい光が差し込んでいる。
まるで母の胎内にいるような、絶対的な安心感と静寂がそこにはあった。
そして、その光の真下。静かな水底に、一人の少女が丸くなるようにして眠っていた。
(……誰だ?)
俺は吸い寄せられるように、ゆっくりと歩み寄る。
少女は俺よりも頭1つ分以上は小柄で、夜の闇をそのまま溶かし込んだような艶やかな黒髪が、水流に合わせてふわりふわりと広がっている。
和服のような衣装に身を包んだ彼女の、首元や袖から覗く透き通るように白い肌は、どこか神聖な空気を纏っていた。
見ず知らずの少女のはずなのに、なぜか強烈な既視感がある。俺の魂の奥底で脈打つ、あの『熱の塊』と同じ気配を彼女から感じるのだ。
もしかして彼女こそが、俺の中に眠っていたあの『熱の塊』……『漆黒の剣』の正体なのだろうか。
俺は無意識のうちに、彼女に向かって手を伸ばしていた。
この静かで温かい存在に、ほんの少しだけ触れてみたい。
その安らかな寝顔に惹かれるように、そっと指先を彼女の頬へ近づけ――
――触れた、その瞬間だった。
『――――ッ!!』
「……っ!?」
鼓膜を劈くような轟音と共に、穏やかだった水底の世界が一瞬にして紅蓮の炎に飲み込まれた。
熱い。痛い。先日の瞑想で内なる『熱の塊』に触れた時と全く同じ、全身の血液が沸騰し、細胞が焼き切れるような灼熱の激痛が俺の腕から全身へと駆け巡った。
「うわあああぁぁぁッ!?」
俺は悲鳴を上げ、弾かれたように跳ね起きた。
「ハァッ、ハァッ……! あっ、熱っ……!」
滝のような冷や汗を流しながら、俺は自分の右腕を必死に左手で押さえた。
だが、そこにあるのは普段通りの腕で、火傷の痕はおろか、焦げた匂いすら一切しない。
荒い呼吸を繰り返す俺の目に飛び込んできたのは、見慣れたログハウスの天井と、窓から差し込む爽やかな朝の光だった。
「……おはようございます、ショウト様」
ふと、すぐ横からひんやりとした声が降ってきた。
ビクッとして振り返ると、そこには銀色のトレイを持った完璧な出で立ちのメイド――クレスさんが、ベッドの脇に静かに佇んでいた。
「ク、クレスさん……?」
「朝食の支度が整いましたので、お起こしに参りました。……ひどくうなされていらっしゃったようですが、朝から随分と威勢の良いお目覚めですね。何か、恐ろしい夢でもご覧になったのですか?」
クレスさんは、眼鏡の奥の黒曜石のような瞳を少しだけ細め、小首を傾げて俺を不思議そうに見下ろしている。
その冷ややかで冷静な眼差しが、俺の混乱した頭を急速に冷やしていった。
「あ、いや……その、変な夢、というか……ちょっと火傷しそうになる夢を見て……」
「火傷、ですか」
「は、はは……なんでもないです。すぐ着替えて行きます!」
俺が慌てて誤魔化すと、クレスさんは「左様ですか」と短く応じ、一礼して部屋を出て行った。
一人残された部屋で、俺は再び自分の右手を見つめる。
夢の中で見た、丸くなって眠る黒髪の少女。俺が彼女の力を完全に使いこなすためには、あの子が目を覚まし、あの灼熱の拒絶を乗り越えなければならないのだろうか。
あの『熱の塊』の底知れなさと、自分の未熟さを痛感しながら、俺は重い溜息を吐いてベッドから抜け出した。




