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プロローグ:始まりの森と救いの温もり

――これは『慈愛』か『傲慢』か

「じゃあな、翔斗! また明日!」

「おう、気をつけて帰れよー。また明日なー!」

 

 夕焼けに染まる通い慣れた駅前の交差点。今日も長いようで短い1日が何語もなく終わり、クラスメイトの友人達と手を振り合って別れる。


 仲のいい友人達と他愛のない馬鹿話をして、ふざけあい、笑い合って、それぞれの家に向かって帰る。


 高校1年生である俺、有馬翔斗ありま しょうとにとって、それはいつもと何も変わらない平和な日常の1コマ。


 そのはずだった。


 それは皆と別れ、家に向かって住宅街の中を1人で歩いていた時だった。


 ――――不意に、俺の視界が真っ白に塗り潰された。


「……えっ?」


 熱も、音も、何も感じない。ただひたすらに全てを飲み込むような強烈な閃光。


 あまりにも眩しく、俺は思わず目を瞑り光が収まるのを、ただ待つことしかできなかった。


 どれだけ時間が経っただろうか。数秒、いや数分経ったのかは分からない。


 まぶたを突き抜ける光が収まったように感じると、俺は恐る恐るまぶたを開けた。


「……は?」


 強烈な光を見たことでまだ霞む視界に広がっていたのは、見慣れた住宅街や歩き慣れたアスファルトでも、縦横に電線が飛び交うオレンジ色の夕焼け空でもなかった。


「……どこだ、ここ……?」


 頭上を覆い隠すほど立ち並ぶ、見上げるほどに巨大で太い木々。


 鼻を突くのは、換気扇から漏れる夕飯の匂いではなく、ひんやりと湿った土の匂いと、嗅いだことのない植物の強烈な青臭さ。


 足元には黒々とした硬いアスファルトなどではなく、図鑑ですら見たことがない、不気味にうねった極彩色のシダ植物のようなものが群生している。


 まるで未開のジャングルのど真ん中に、着の身着のまま唐突に放り出されたかのようだった。


「いやいや、嘘だろ……夢とかドッキリとかじゃないよな……?」


 自分から出たとは思えない震える声が、不気味なほど静まり返った森に吸い込まれていく。


 俺は慌てて学生ズボンのポケットからスマートフォンを取り出した。明らかに異常事態だ、両親や警察に助けを求めようとしたが、画面の左上には無情にも『圏外』の文字が表示されている。


 ダメ元で、現在地を調べる地図アプリやSNSアプリを開いても、案の定真っ白な画面がロードを繰り返すだけで一切反応を返さない。


 ジワジワと、得体の知れない恐怖が足元から這い上がり、胃や心臓を締め付けるような感覚に襲われる。


 木々のざわめきの他に、どこからか獣の鳴き声のような奇妙な音が聞こえてくる気がする。


(とにかく、誰か……人を探さないと……!)


 ――このままここに突っ立っていても、きっと何も解決しない。


 そう結論付けた俺は、本能的な恐怖を振り払うように、あてもなく人を探しに森の中を歩き出した。


「誰か!  誰かいませんかーっ!!」


 声を張り上げながら、鬱蒼とした茂みをかき分けて進む。


 ただの学生にとって、慣れない森での行軍は最悪の一言だった。


 苔むした木の根に足を取られては何度も転び、その度に着ている制服は泥だらけになった。


 露出した手や頬は鋭い枝に引っ掻かれ、チクチクとした痛みを伴う無数の擦り傷が身体のあちこちに増えていく。


 最初は意気揚々と歩みを進めていたが、想像以上に過酷な状況に息は上がり、全身から嫌な汗が吹き出してくる。


 それでも、誰かと出会わなければという一心で、俺は叫びながら歩き続けた。


 ――ガサッ……!!


「え……?」


 不意に、少し離れた背後の茂みで何かが動いた音がした。


(そこに誰かいるのか!?)


 見知らぬ土地で初めて人に会える。そう期待して振り返った俺の顔は、次の瞬間、絶望で完全に凍りついた。


 茂みから出てきたのは、明らかに人間ではなかった。


 熊のような巨躯であり、全身から『どす黒いもや』のようなものを噴き出している異形の獣。


 らんらんと赤く濁った瞳が、明確な『殺意』を持って俺をねめつけていた。


 アニメや漫画の中でしか見たことのない異様な存在が、現実の生命の危機として目の間に現れ、俺の脳裏に警鐘を鳴らす。


「ひっ……!」


 眼前に立つ「脅威」に、俺の本能が「死」というものを理解したような気がした。


 俺は異形を刺激しないよう何とか悲鳴を飲み込み、弾かれたように踵を返して森の奥へと駆け出した。


「ハァッ……ハァッ……!!」


 突然走り出したせいか、肺が焼けるように痛い。足も鉛のように重くなってきて、うまく動かずにもつれてしまう。


 当然というべきか、慣れない森の移動で疲労困憊の中、ただの高校生が未知の獣から森の中で逃げ切れるはずもなかった。


 懸命に森を進む俺の背後から迫る重い足音。そして、獣の生臭い息遣いがすぐ後ろまで迫っているような気がする。


 振り向いて確認する暇などない。少しでも立ち止まれば、それが俺の最後だと嫌でも理解してしまう。


「あ……ッ!?」


 しかし、無謀にも思えた逃避行も終わりを告げる。突如、背後から強烈な衝撃に襲われ、ふくらはぎに焼け付くような鋭い痛みが走った。


 森の中を追い続けた異形の爪が、必死に逃げる俺の足を掠め、無残にも肉を斬り裂いたのだ。


 片足に衝撃を受けた俺はバランスを崩し、地面へと無様に倒れ込んだ。


 受け身をとるために突いた両手のひらが擦り剝け、異形に抉りとられた足から流れる血の熱さ。

 

 俺は、すぐに周囲の状況を確認しようと、痛みと恐怖で動かない首を無理やり周囲を巡らせた。


 そこには巨大な顎を開いた異形が、俺の喉笛に喰らいつこうと跳躍する瞬間だった。


(死ぬ――ッ!)


 俺は咄嗟に両腕で顔を庇い、やがて訪れるであろう痛みと恐怖に目を瞑った。


 ――――ザァンッ!!


 空気を切り裂くような、鋭く澄んだ音が森に響き渡った。


 しかし、待てど暮らせど、俺の身体に引き裂かれるような痛みはやってこない。


「……え?」


 恐る恐る目を開けた俺の視界に飛び込んできたのは、信じられない光景だった。


 先程まで俺を殺そうとしていた異形が、身体の端からボロボロと黒い煙を吹き出しながら、その場に崩れ落ちていくところだったのだ。


 そして、崩れゆく異形の傍らに――『彼女』は立っていた。


「やあ、危ないところだったね、少年」


 透き通るような、それでいて心の奥底に直接響くような美しい声。


 月明かりをそのまま糸にして紡いだような、白銀の長い髪。


 森の深奥を思わせる、神秘的で吸い込まれそうな翡翠の瞳。


 そして、髪の隙間から覗く、長く尖った美しい耳。


 俺を救い出したのは、ファンタジーの物語からそのまま抜け出してきた『エルフ』のような、とても美しい女性だった。


 彼女は俺よりも頭1つ分ほど小柄な体躯をしていたが、この薄暗く不気味な森にあって、そこだけが発光しているかのように錯覚してしまうほどの、恐ろしいまでの存在感と美貌を放っていた。


「怪我はないかい? ……と言いたいところだけど、足をやられちゃってるみたいだね」


 エルフの女性が、心配そうに眉を下げて俺の顔を覗き込む。


 その翡翠の優しく美しい瞳に見つめられた瞬間。


 俺の頭の中で限界まで張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れた。


「あ……あぁっ……ああぁぁぁぁッ!!」


 遅れてやってきた死への強烈な恐怖と、助かったという圧倒的な安堵感。


 気付けば俺の目からは大粒の涙がボロボロと溢れ出し、情けないほど子供のように声を上げて泣きじゃくっていた。


「た、助かった……俺、生きてる……ッ、ありがとうございます……っ、ありがとうございます……ッ!」


 俺は泥だらけの腕を伸ばし、すがりつくように彼女の小さな身体に抱きついた。


 初対面の見知らぬ少年に突然泣きつかれた彼女は、一瞬驚いたように身体を震わせ、目を大きく見開いた。


 しかし、恐怖にガタガタと震え涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにする俺の背中を見ると、彼女はふっと柔らかく、どこか母性を感じさせるような笑みを浮かべ俺の頭をそっと撫で始めた。


「よしよし。もう大丈夫だよ。……よく頑張ったね」


 ――ポン、ポン、と。


 一定のリズムで背中を叩き、頭を撫でてくれるその手は、ひどく温かかった。


 彼女から漂う清らかな香りと、底なしの安心感。それに身体が包まれた途端、これまでの極度の緊張と疲労がどっと押し寄せた。


(あぁ……温かい……)


 俺を助けてくれた、この白銀の髪を持つエルフのような美しい女性が誰なのか。


 ここが一体どこで、なぜここに俺は連れてこられたのか。


 何も分からないまま、俺は彼女の小さな腕の中で、気絶するように深い眠りへと落ちていった。


※5話まで連続投稿(10分ごとに投稿します)

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