壬生の狼と、不遜なる死神
元治元年、京の夜は、血と硝煙、そして淀んだ霊気の匂いに満ちていた。
島原の片隅、客足の途絶えた茶屋の奥座敷。
「……また、やられた。今度は土方隊の隊士だ」
低い、地を這うような声の主は、新選組副長・土方歳三である。その端正な顔は、怒りと焦燥で険しく歪んでいた。彼の前には、無造作に置かれた「死体」の検分記録がある。全身の血を吸い尽くされ、白い糸で繭のように巻かれた無残な姿。
「刀を抜く間もなかったそうだ。壬生の狼が、手も足も出ずに糸で吊るされた。……笑えねえ冗談だ」
「くかか、違いねえ。狼というより、蜘蛛の巣にかかった蝿だな」
土方の殺気混じりの言葉を、軽薄な笑い飛ばす男がいた。
土御門 凱夜。
漆黒の着物をはだけさせ、鍛え上げられた胸元を晒したまま、行儀悪く胡坐をかいている。腰には二本の業物。土御門の名を冠しながら、その佇まいは高潔な陰陽師とは程遠く、野良犬のような荒々しさと、女を狂わせる毒のような色気を撒き散らしていた。
「貴様……。相変わらず、口の減らない男だ」
「褒め言葉として受け取っておくぜ、トシ。それで? 俺を呼んだってことは、表の役人じゃあその『蜘蛛』を掃き掃除できねえってことだろ」
土方は忌々しげに懐から重みのある袋――小判の詰まった袋を放り投げた。凱夜はそれを片手で受け止め、中身を確認することもなく懐に放り込む。
「金は確かに。……で、もう一つの『報酬』はどうした?」
土方のこめかみに青筋が浮かぶ。
「手配してある。島原でも指折りの太夫を、一晩貸し切りだ。……ただし、仕事が済んで貴様が生きていればの話だがな」
「違いねえ。死んだら女を抱けねえからな」
凱夜は立ち上がり、腰の刀の鯉口を親指で軽く切った。
カチリ、という硬質な音が座敷に響く。その瞬間、男の纏う空気が一変した。
先ほどまでの放蕩者の気配が消え、夜の闇を物理的に切り裂くような、鋭利で暴力的な霊圧が室内に満ちる。
「さて。その蜘蛛女、今夜のうちに俺の女にしてやるよ。……あいにく、俺は縛られるのは嫌いじゃねえが、縛りっぱなしの女は放っておけねえ質でね」
凱夜は土方の横を通り抜け、闇に包まれた京の街へと踏み出した。
「おい、凱夜」
背後から土方の声が飛ぶ。
「相手はただの化け物じゃねえ。長州あたりの裏陰陽師が、異国の魔術を混ぜて作り出した『呪い』だ。……しくじるなよ」
「誰に言ってる」
凱夜は振り返りもせず、片手を上げた。
「俺は土御門の死神だ。地獄の沙汰も、俺の気分次第だってことを教えてやるよ」
闇夜に消えていく黒い背中。
その先で待ち受けているのは、銀の糸で京を絞め殺そうとする、哀しき怪物であった。




