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Fランク荷物持ちのバズりキャンプ飯 〜無能と追放され最深部でヤケクソ配信したら、ラスボス神獣が餌付けされました〜  作者: 伊達ジン


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第52話 湖底の振動と、魔導釣り竿

「……信じられない。あれだけ頑なに動こうとしなかった連中が、しじみ汁と大根おろし蕎麦のセットであっさりと帰還に同意するなんて」


 キャンプサイトの端に展開された転移ゲートの光が完全に消滅したのを見届け、小島ハナが疲労と安堵の入り混じった声で呟いた。

 つい先ほどまで、アメリカのジョン、中東のカリーム、そしてフランス本部のエリートチームが、名残惜しそうにヒロトへ握手を求め、次々とゲートへ吸い込まれていったのだ。彼らの背中はどれも満足感に満ちており、地上で世界を牽引するトップ探索者としての鋭いオーラは、美味しい食事によってすっかり丸く、穏やかなものになっていた。


「ま、最後に胃袋を落ち着かせたのが良かったんだろ。あいつらも自分の国でやるべき仕事があるはずだしな」

「……本当に、あなたという人は」


 ヒロトは石造りのかまどの前で、洗い終えた巨大な寸胴鍋をアイテムボックスに収納しながら肩をすくめた。

 各国の猛者たちが持ち込んだ規格外の食材は、アイテムボックスのインベントリ内で完全に温度管理された状態で眠っている。当分の間、食材探しに奔走する必要はないだろう。


 世界を巻き込んだ喧騒が去ったキャンプサイトには、かまどの薪がはぜる音と、静かな湖のさざなみだけが響いていた。

 エミリアがキャンピングチェアで大きなあくびをし、少し離れた木陰では久美子がすでに丸くなって寝息を立てている。日常の静寂だ。


 だが、ヒロトの意識は、目の前に広がる青白い湖に向けられていた。


 足元から微かに伝わってくる、地鳴りのような重い振動。

 風もないのに湖面が不自然な波紋を描き、発光苔の光すら届かない漆黒の水底に、ごくわずかに黄金色の光が瞬いている。地震ではない。確実に、水底のさらに奥深くで何かが動いている感覚があった。

 足元の定位置で丸くなっているハクも、時折耳をピクッと動かし、湖面に向けて低い鼻を鳴らして警戒を強めている。


「おい、籐子」


 少し離れた場所で、魔道具のメンテナンスキットを広げていた増田籐子が、作業用ゴーグルを額に押し上げて振り返った。


「なに? 私、今から昨日の魔力データの整理を……」

「悪いが、1つ作って欲しいものがある」


 ヒロトはアイテムボックスから、アビス・マンモスの太い牙と、以前の階層で手に入れていた高純度のミスリルワイヤーの束を取り出した。


「……釣り竿?」

「ああ。底に何かいる。俺たちのキャンプの真下でうろうろされても落ち着かないからな。引っ張り出す」


 ヒロトの要求と素材を見た瞬間、籐子は手元に広げていたデータ整理の束を無造作に放り投げた。彼女は無言でマンモスの牙とワイヤーをひったくるように受け取ると、懐から小型の計算機を取り出し、猛烈な勢いで数式を弾き始める。


「マンモスの牙をロッドにして、ミスリルのワイヤー? 相手がどれだけの質量かわからないのに、普通の巻き取り機構じゃ一瞬で粉砕されるわよ。……私の魔力回路で、地盤の反発力を利用したオートリールを組んであげるわ。30分待ちなさい」


 白衣を翻し、すぐさま岩盤の強度を叩いて調べ始める籐子を横目に、ヒロトは巨大なフックの代わりになる魔獣の骨を削り出した。そこに、以前仕留めて余っていた巨大な猪肉のブロックを、血抜きもせずにまるごと括り付ける。湖底に潜む未知の存在を釣り上げるための、特大の撒き餌だ。


 組み上がった無骨な「全自動魔導釣り竿」を湖畔の強固な岩盤に固定し、ミスリルワイヤーを漆黒の湖へと力いっぱい投げ込む。ボフゥンッ、と重い音を立てて猪肉が深淵へと沈んでいくのを見届け、ヒロトはかまどの方へと振り返った。


「よし。アタリが来るまで、昼飯の準備をするか」

「おじさん、今日は何を作るの?」


 匂いを嗅ぎつけたのか、いつの間にかエミリアが背後に立っていた。足元ではハクが短い尻尾をパタパタと振っている。


「ここのところ重い肉料理や和食が続いたからな。サッと食えるパスタにする」


 ヒロトはアイテムボックスから食材を取り出し、木製のテーブルに並べた。

 久美子が浅い階層で調達していた、ルッコラに似た味の濃い葉野菜と、フルーツトマト。そして、真空パックされた豚バラ肉のブロックと、卵、2種類のチーズだ。


「まずはサラダからだ。ドレッシングはシンプルにいく」


 ガラスのボウルに、エキストラバージンオリーブオイルとバルサミコ酢を3対1の割合で入れる。そこに海塩と粗挽きの黒胡椒を加え、ホイッパーで手早く混ぜ合わせる。オイルの青々しい香りと、バルサミコ酢の芳醇で深い酸味が混ざり合い、少しとろみがついたところで、ちぎった葉野菜とくし形に切ったトマトをふわりと和えた。


「いろいろ野菜とバルサミコのサラダだ。先に食って胃を動かしておけ」

「いただきますっ!」


 エミリアやユジンたちがサラダの皿を受け取り、フォークを伸ばす。

 シャキッとした葉野菜の心地よい苦味が広がり、バルサミコの甘みのある酸味がそれを優しく包み込む。オリーブオイルのフルーティーな風味が後味をまとめ、連日の重い食事で疲労気味だった胃腸をスッキリと目覚めさせる、完璧な前菜だった。


 女性陣がサラダを楽しんでいる間に、ヒロトはメインの調理に取り掛かる。

 スパゲティ・カルボナーラだ。


 ヒロトは真空パックから取り出した豚バラ肉のブロック――パンチェッタを、少し厚めの拍子木切りにしていく。燻製にされたベーコンではなく、塩漬けして熟成させただけの肉だ。これを使うことで、燻香に邪魔されず、豚肉本来の旨味と塩気がダイレクトにソースに溶け出す。


 火にかける前の冷たいフライパンにパンチェッタを並べ、ごく弱火でじっくりと熱を加えていく。ここがカルボナーラの最初の要だ。強火で焦がしてはいけない。弱火でゆっくりと、パンチェッタの中から透明な脂を絞り出すように火を入れる。

 やがて、チリチリという微かな音と共に、フライパンの底にたっぷりの黄金色の脂が溜まり、肉の表面がカリッと色づき始めた。熟成された豚肉特有の、濃密で甘い香りが周囲の空気を支配する。


 並行して、ボウルに卵黄だけを落とす。全卵を使うと白身の水分で味がぼやけるためだ。

 そこに、すりおろしたパルミジャーノ・レッジャーノと、羊の乳から作られる塩気の強いペコリーノ・ロマーノをたっぷりと加える。2種類のチーズを使うことで、旨味と塩気のバランスをとるのだ。さらに、これでもかという量の黒胡椒を挽き入れ、少量の水を加えてペースト状になるまで混ぜ合わせる。


 隣の大鍋で沸かした湯に、少し太めのスパゲティを投入する。塩は控えめだ。パンチェッタとチーズの塩気があるため、茹で汁の塩分は少なくていい。


「ここからが勝負だぞ」


 指定時間よりも1分早く茹で上げたスパゲティを、パンチェッタの脂が広がるフライパンへと直接移す。

 そこに茹で汁を少量加え、フライパンを細かく煽る。ジュワァァァッ!という激しい音と共に、水と豚の脂がぶつかり合い、白濁したソースへと変化していく。乳化だ。

 パスタの表面に、旨味の塊である脂をしっかりとコーティングする。


 フライパンを火から完全に下ろし、粗熱を少しだけ取ってから、待機させていた卵とチーズのペーストを一気に流し込んだ。

 素早く、しかし丁寧にトングでパスタを混ぜ合わせる。

 卵に火が入りすぎてボソボソのスクランブルエッグにならないよう、フライパンの余熱だけでソースに絶妙なとろみをつけていく。パスタとパンチェッタ、そして黄金色のソースが完全に一体化した瞬間、ヒロトは皿へ高く盛り付けた。


「完成だ。パンチェッタの本格カルボナーラ。冷めないうちに食え」


 仕上げに追い黒胡椒と、削りたてのパルミジャーノを散らす。


「わぁっ……すっごく濃厚な匂い……!」


 エミリアがフォークを差し込み、たっぷりとソースの絡んだパスタを巻き取って口へ運ぶ。


「……んんっ!」


 エミリアの碧眼が大きく見開かれた。

 最初に舌を打つのは、パンチェッタから溶け出した豚の脂の強烈な旨味だ。カリッとした肉を噛み砕くと、熟成された深い塩気が溢れ出す。それを、卵黄と2種類のチーズが織りなす極限まで濃厚でクリーミーなソースが受け止め、まろやかに包み込む。

 決して重すぎない。大量に挽き入れられた黒胡椒のピリッとした刺激が、濃厚なソースの輪郭を鋭く引き締め、次の一口を強烈に要求してくるのだ。


「すごく美味しいです! 卵とチーズの味がすっごく濃いのに、黒胡椒がピリッときいてて……ベーコンじゃなくてこのお肉だから、こんなに豚肉の甘みが出るんですね!」


 エミリアは歓喜の声を上げ、二口、三口と途切れることなくパスタを巻き取り始めた。


「……信じられませんわ。生クリームを一切使わずに、これほど滑らかでリッチな口当たりになるなんて」


 クロエは感嘆の息を漏らしながら、パスタに絡んだ黄金色のソースをじっと見つめた。彼女の洗練された所作は崩れないものの、次の一口を求めるフォークの動きには明らかな焦燥感が滲んでおり、本場の味を知る彼女のプライドをも容易く陥落させていることがうかがえる。


「この黒胡椒の刺激がいいわね。濃厚なのに、キレがある。赤ワインが欲しくなるわ」


 ユジンも口元にソースをつけながら、恍惚とした表情で咀嚼を続けていた。

 琴美とハナも無言で皿に向かい、パンチェッタの塩気と旨味を噛み締めながら、あっという間にパスタを胃袋に収めていく。


 ヒロトは自分の分のカルボナーラを平らげると、足元で大人しく待っていたハクの木桶に、味付けをしていない茹でた豚肉と卵黄を混ぜた特製のご飯を置いてやった。ハクは嬉しそうに尻尾を振り、ガツガツと音を立ててそれを平らげる。


「食後のコーヒーを淹れる。少し休もう」


 ヒロトがケトルで湯を沸かし、深煎りの豆を挽き始めた時だった。

 青白い発光苔が照らし出す、静かなキャンプサイト。豆を挽くカリカリという音と、お湯が沸く音だけが響いていた空間を、耳障りな金属音が切り裂いた。


 ギィィィィィィンッ!!


「なっ!?」


 かまどのそばでコーヒーを待っていた籐子が、弾かれたように立ち上がった。

 湖畔の岩盤に固定された全自動魔導釣り竿。そのリール部分に刻まれた魔力回路が、限界を告げるような真っ赤な光を放ち、凄まじい悲鳴を上げている。

 太いミスリルワイヤーが、今にも千切れそうなほどにピンと張り詰めていた。


 ズズズズズンッ……!


 足元の地盤から、先ほどまでの微かな揺れとは比較にならない、重く暴力的な地鳴りが突き上げてくる。

 波1つなかった広大な湖面が、まるで下から沸騰しているかのように激しく波立ち始めた。


「ヒロト! 引きが強すぎる! 私の組んだ固定アンカーごと岩盤が砕けそうよ!」

「マジかよ、どんな質量してんだ……!」


 ヒロトはコーヒーミルを放り出し、軋み声を上げる魔導釣り竿へと駆け出した。

 漆黒の湖底から、間違いなく、途方もない何かが引きずり出されようとしていた。

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