第20話 最高級食材を使った大バーベキュー
「ハクちゃん! さあ、わたくしの特製シルクブラシで極上のブラッシングをして差し上げますわ! こっちへいらっしゃい!」
「クゥゥゥン……」
深淵の迷宮の最深部。
湖畔のキャンプサイトに建てられた、城のように巨大な豪奢なテントの前で、今日も今日とて奇妙な追いかけっこが繰り広げられていた。
ハイブランドのダンジョンウェアに身を包んだクロエが目を血走らせて迫ってくるのを、豆柴サイズに縮んだハクが俺の足首の後ろに隠れて必死にやり過ごそうとしている。
「おい、クロエ。無理やり追い回したら嫌われるぞ」
「むむっ……神話級の魔獣のくせに、どうしてそんなに貴方にばかり懐いているんですの! わたくしの霊獣たちよりずっと手強くてよ!」
クロエが悔しげに扇子を鳴らした時、森の奥からガサガサと草を掻き分ける音がした。
「……ヒロト。大物、獲ってきた」
気怠げな声と共に姿を現したのは、久美子だった。
彼女の細い腕がズルズルと引きずっていたのは、なんと全長五メートルはあろうかという巨大な爬虫類のような尻尾の部位だった。暗緑色の鱗に覆われ、断面からは霜降りのような美しいサシが入った赤身肉が覗いている。
「お前、そりゃアビス・ワイバーンの尻尾じゃないか。どうやってそんなもん狩ったんだ?」
俺が驚いて尋ねると、久美子は小さな欠伸をしながら答えた。
「狩ってない。第五十階層で飛竜の群れが寝てる隙に、気配を完全に殺して巣に忍び込んで、一番肉質が良さそうな個体の尻尾の付け根だけを切り落として盗んできたの。一度も起きなかった」
「盗んできたのかよ……」
さすがは超一流のシーフだ。戦闘を極力避ける彼女らしい、しかしとんでもなく肝の据わった調達方法である。
「こいつの肉、一番動かす部位だから美味しいって聞いた。……これ、バーベキューにして。私、焼けるまで寝る」
久美子は重さ数百キロはありそうな飛竜の尻尾をドンッとテーブルの横に放置すると、そのままハクの隣に丸くなってスースーと寝息を立て始めた。
「飛竜の肉……! これは素晴らしいですわ!」
クロエが目を輝かせて拍手をした。
「ヒロト! 今日はこの極上のドラゴン肉で大バーベキュー大会にしましょう! わたくしがフランスから持参した、特級ヴィンテージワインを開けますわ!」
クロエの号令により、彼女の私兵たちが凄まじい手際で巨大なバーベキューグリルと特大の鉄板を設営していく。
岩の上に立てかけた配信端末の画面では、クロエの登場と飛竜の肉という絵面の強さに視聴者がパニックを起こし、同接のカウンターがついに一千万人の大台を突破していた。もはや一つの国家の人口に匹敵する数が、この昼下がりのキャンプ飯を見守っている。
「よし、じゃあ俺は肉を捌くか」
俺はワイバーンの巨大な尻尾から、分厚いステーキ用の肉を次々と切り出していった。
熱した特大の鉄板に牛脂を引く。ワイバーンの肉を乗せると、ジューッという爆音と共に、野性味溢れる濃厚な脂の香りが弾けた。
「……とはいえ、飛竜の肉と重い赤ワインだけじゃ絶対に胃がもたれるな。少し野菜と箸休めも作るか」
俺は鉄板の空いているスペースと、隣に設置したコンロを使って、サイドメニューの調理を始めた。
アイテムボックスから取り出したのは、昨夜の夕食で余った食材と、常備している日本の家庭料理の材料だ。世界最高のセレブと神獣を相手にするバーベキューの付け合わせとしては少し場違いかもしれないが、俺の胃袋がどうしても『居酒屋メニュー』を求めていた。
まずは、豚キムチだ。
フライパンにごま油を引き、分厚く切った豚バラ肉をカリッと焼き色がつくまで炒める。豚の脂が十分に溶け出したところに、酸味の強くなった熟成キムチを大量に投入した。
強火で一気に煽り、キムチの乳酸発酵の酸味を飛ばしながら豚の脂と融合させる。仕上げに鍋肌から少しだけ醤油を垂らすと、香ばしい焦がし醤油とニンニクの刺激的な香りが立ち昇り、隣で焼けているドラゴン肉の匂いすら一瞬上書きするほどの強烈な食欲の導火線となった。
「次はゴーヤーチャンプルーだな」
木綿豆腐を大きく手でちぎり、別のフライパンで表面に焼き目がつくまで炒めて水分を飛ばす。一度豆腐を取り出し、薄切りにしたゴーヤーと、アイテムボックスに保存していたスパムを炒める。ゴーヤーはあらかじめ塩もみして苦味を程よく抜いてある。
豆腐を戻し入れ、鰹の粉末出汁と少量の醤油で味を調え、最後に溶き卵を回し入れてふんわりと絡める。卵が半熟の状態で火から下ろし、上から花鰹をたっぷりと散らした。熱で踊る鰹節の香りが、青々しいゴーヤーの風味と絶妙にマッチしている。
小鉢には、昨日の余り物であるキノコのマリネと、出汁をたっぷりと吸わせたひじきの煮付けを盛り付ける。甘辛く煮付けられたひじきが、肉の脂に疲れた舌を優しく労ってくれるはずだ。
「最後に、汁物だ」
コンロの小鍋に張った水に、利尻昆布を入れて極弱火にかける。沸騰する直前の絶妙な温度で昆布を引き上げ、血合い抜きの本枯節をたっぷりと投入する。
黄金色に澄んだ一番出汁。そこに薄口醤油と微量の塩で味を整える。火から下ろす直前、沖縄産の新鮮な生もずくをたっぷりと放り込んだ。
もずくの表面のぬめりが熱い出汁と絡み合い、磯の清々しい香りがフワッと広がる。器に注ぎ、最後に柚子の皮をほんの少しだけ削り落とすと、料亭で出されるような上品で奥深い香りの『もずくの吸い物』が完成した。
「よし、全部焼けたし揃ったぞ。食うか」
木製のロングテーブルには、ワイバーンの極厚ステーキを中心に、豚キムチ、ゴーヤーチャンプルー、ひじきの煮付け、キノコマリネ、そしてもずくの吸い物という、無国籍でカオスな大宴会のメニューが並べられた。
クロエの私兵が、クリスタルグラスに深紅のヴィンテージワインを注ぐ。
「それでは、わたくしたちの輝かしい最深部生活に……乾杯ですわ!」
「いただきますっ!」
「いただきます」
エミリアたちが一斉に料理に群がる。
クロエはまずワイバーンのステーキを上品に切り分け、口に運んだ。
「……素晴らしいわ! ドラゴン特有の力強い野性味を、完璧な火加減で閉じ込めています! この芳醇な赤ワインとの相性も最高ですわ!」
だが、彼女のそのエレガントな余裕は、俺が差し出した小皿の『豚キムチ』を口にした瞬間に崩れ去った。
「な、なんですのこの下品で……強烈な味は……!?」
クロエの大きな目が極限まで見開かれる。フレンチのフルコースと最高級の食材しか口にしてこなかった彼女の味覚に、豚の脂と発酵したニンニク、焦がし醤油のジャンクな旨味が、暴力的なまでの勢いで襲い掛かったのだ。
「こんな庶民的な料理、わたくしの口に合うはずが……! なのに、どうしてこんなにワインが止まらなくなりますの……っ!」
彼女はナイフとフォークをテーブルに放り出し、不慣れな手つきで箸を握りしめた。そこからの彼女はもはや言葉を発することなく、憑かれたように豚キムチとワイングラスの往復を始めた。
「ちょっとクロエ! あんたさっきから豚キムチばっかり独占してんじゃないわよ! 私の分がなくなるでしょ!」
見かねたユジンが横から箸を伸ばすが、クロエは皿を抱え込むようにしてガードした。
「お黙りなさい! これはわたくしの赤ワインの最高のお供ですわ! 貴女はそっちの飛竜肉でも食べていればよろしくてよ!」
「飛竜肉なら私がもらいますねっ!」
二人が小競り合いをしている隙を突き、エミリアが満面の笑みで大皿のステーキ肉を自分の皿へと滑り込ませた。ついでとばかりに、ゴーヤーチャンプルーも山盛りに確保している。
「ああっ、エミリアずるい!」
「フフッ、戦場では油断大敵ですよ……きゃっ!?」
勝ち誇ったエミリアの皿から、骨付きの巨大なワイバーン肉がフワリと浮き上がった。見れば、籐子が小型の魔導具を使って肉を引き寄せ、両手でガシリと掴んで野生動物のように齧り付いている。
「成分の解析より、まずは実食による生体データのサンプリングが優先よ……ガブッ、美味いっ!」
「あーっ! トーコ先生、私のお肉返してください!」
ドタバタと騒がしい食卓の隅で、久美子だけは我関せずといった様子で寝転がったまま、器用にひじきの煮付けをチビチビと口に運んでいた。
俺は豆柴サイズのハクの前に、味付けをしていないワイバーンのステーキ肉と、出汁を薄めたもずくスープを置いてやった。
ハクは「ワフッ!」と高い声で鳴き、まずはステーキ肉を前足で押さえてガツガツと食いちぎる。大きな口の周りを肉汁だらけにしながら、短い尻尾をプロペラのように振り回している。肉を飲み込んだ後は、小さな器に入ったもずくスープに顔を突っ込み、チュルッ、チュルルッ、と不器用ながらも一生懸命にもずくを吸い上げていた。鼻先に張り付いたもずくを舌で器用に舐め取る姿は、ただひたすらに愛くるしい。
『ハクちゃんのもずく吸い可愛すぎるだろwww』
『一千万人規模の配信で、ドラゴン肉と豚キムチのBBQってカオスすぎる』
『クロエ様、超高級ワインで豚キムチ流し込んでて草』
『おっさんのもずくの吸い物の作り方、完全にプロの和食職人だったぞ』
『飯のクオリティが毎回高すぎて胃液が止まらん』
コメントの濁流を眺めながら、俺もワイバーン肉とゴーヤーチャンプルーを味わう。飛竜の肉は確かに噛み応えと旨味が強烈だが、その合間に挟むもずくの吸い物の柚子の香りが、口の中を爽やかに整えてくれた。
大宴会は小一時間ほど続き、テーブルの上に山積みになっていた食材は、呆れるほどの食欲を見せつけた五人と一匹によって綺麗に消え去った。
「ふぅ……ごちそうさまでした。食後の茶を淹れるぞ」
俺はかまどの火を落とし、アイテムボックスから氷とガラスのグラス、そして大容量のボトルを取り出した。
キンキンに冷えた烏龍茶だ。
氷をたっぷりと入れたグラスに、琥珀色の烏龍茶を注ぐ。カラン、と涼しげな音が鳴り、グラスの表面にすぐに水滴が結露し始めた。
「ほらよ」
皆にグラスを配る。
脂っこいバーベキューと味の濃い炒め物を堪能し尽くした後の、冷たくてスッキリとした烏龍茶。
一口喉に流し込むと、烏龍茶のキレのある渋みが、口内に残った重い脂や豚キムチの風味をスッと断ち切っていく。食道を通って胃袋へと落ちていく冷たさが、たまらなく心地よかった。
「あぁ……生き返りますわね……」
クロエがグラスを両手で持ち、品良く、しかし一気に烏龍茶を飲み干して深い安堵の息を吐いた。
「どうだ、日本のキャンプ飯は」
俺が苦笑しながら尋ねると、クロエは少し頬を赤らめながら、俺の足元で満足げにへそ天をしているハクを見た。
「最初は、この子をわたくしのシャトーに連れ帰るつもりでしたけれど……」
クロエは扇子で口元を隠し、どこか挑戦的な瞳で俺を真っ直ぐに見据えた。
「これだけ素晴らしいお食事を出されては、考えを変えざるを得ませんわ。わたくし、ハクちゃんと貴方のご飯のために……今日からここに住みますわ!」




