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断罪が五年前に終わっていたので今さら何をすればいいかわかりません  作者: 秋月 もみじ
第2章

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第9話 お前が誰であっても


 叙任式の広間は、香と蝋燭の匂いで満ちていた。


 高い天井にシャンデリアの光が反射して、大理石の床が鏡のように白く光っている。両脇に並ぶ貴族たちの礼装が、色とりどりの花壇のようだった。


 私は広間の端に立っていた。

 借り物の礼服。ユリウスが手配してくれた、質素だけれど仕立ての良い紺色のドレス。元伯爵令嬢としての衣装ではない。ただの修復師としての、精一杯の身なり。


 ヴォルフとは、三日間目を合わせていない。


 叙任式の段取りはユリウスを通じて伝えられた。証拠の提出順序、発言の手順、王太子アルブレヒト殿下への根回し──全てヴォルフが組み立てたものだったけれど、直接の言葉はなかった。


(……怒っているのか、失望しているのか、それとも)


 考えるのをやめた。今日は、考えなければならないことが他にある。


 正面の玉座にフリードリヒ陛下。その右手に王太子アルブレヒト殿下。左手にエーリヒ殿下。

 広間の左側に、白い神殿服のマティルダ。

 その後方に、宮廷書記官長ゲオルク。


 全員が揃っている。


「叙任式を開始する」


 国王陛下の声が広間に響いた。



 通常の叙任が三件ほど行われた後、王太子アルブレヒト殿下が立ち上がった。


「陛下。本日の叙任に先立ち、国家事業として遂行された古文書修復の成果報告と、それに伴い判明した重大事項について、宮廷魔導師及び関係者からの報告を許可いただきたく存じます」


 国王が頷いた。


 ヴォルフが広間の中央に進み出た。


 三日ぶりに、その横顔を正面から見た。

 いつもの黒い外套。宮廷魔導師の紋章。灰色の瞳は真っ直ぐ前を向いて、感情の欠片も見えない。


(……いつも通りだ。何も変わっていない。変わっていないように見える)


「宮廷魔導師ヴォルフガング・ヴァイス、報告いたします」


 低い声が広間に響いた。


 まず、古文書の改竄について。

 ヴォルフが修復済みの古文書を提示した。インクの年代分析、筆跡鑑定、魔法的認証の結果──五年前に組織的な改竄が行われた物証。使用されたインクが宮廷書記官局の公式調合品であること。


 ゲオルクの顔から血の気が引いていくのが、広間の端からでも見えた。


 次に、ユリウスが証拠を提出した。

 五年間かけて集めた証言録。二名の元貴族位保持者による宣誓証言。五年前の裁判記録の写しと、改竄された原本との差異。


「この証拠により、五年前のブレンターノ伯爵令嬢リーゼロッテに対する断罪が、改竄された文書と虚偽の証言に基づく冤罪であったことが証明されます」


 ユリウスの声は震えていなかった。五年分の怒りと悲しみを全て証拠に変えた弟の声は、澄んでいた。


 広間にざわめきが走った。


 エーリヒ殿下の顔が強張っている。マティルダは微笑みを保ったまま──けれど、指先が白い。グラスを持つ手に力が入りすぎている。


 そして、最後の証拠。


 私が前に出た。


 三百年前の魔法契約書を、ヴォルフが魔法で広間全体に映し出した。空中に浮かぶ古語の文字列。修復された全文。


「この契約書は三百年前に締結された魔法契約であり、聖女の力の源泉を記したものです」


 私の声が、思ったより落ち着いていた。


「聖女の回復・浄化の力は、国民の生命力を微量に吸い上げることで成立しています。この事実は契約の条件として秘匿され、現聖女マティルダはこの契約の存在を知りながら──」


「嘘です!」


 マティルダが叫んだ。


 微笑みが剥がれていた。薄紫の瞳が大きく見開かれ、白い手が広間を指差している。


「その女の言うことを信じるのですか! 元罪人の、捏造された証拠を──」


「閲覧記録があります」


 ヴォルフの声が、マティルダを遮った。


「聖女が七日前の深夜に書庫へ無断入庫し、この契約書に関連する禁書を閲覧した記録が、改竄不可能な魔法ログに残っています。知らなかったのであれば、なぜ閲覧したのですか」


 沈黙。


 マティルダの唇が震えた。広間中の目が彼女に集まっている。慈悲深い聖女の仮面の下で、何かが崩れかけている。


 そして──追い詰められた人間は、最も愚かな手段に出る。


「あの女は人間ではありません!」


 マティルダの声が裏返った。


「あの女は──転生者です! 別の世界から来た人間がリーゼロッテの体を乗っ取っているんです! そんな化け物の言葉を、王宮の証拠として認めるのですか!」


 広間が凍った。


 転生者。別の世界。体の乗っ取り。


 ざわめきが大きくなる。貴族たちが互いに顔を見合わせている。私に向けられる視線が変わった。疑惑。恐怖。嫌悪。


(ああ──終わった)


 膝が震えた。一番知られたくなかった秘密。ヴォルフに打ち明けて、それきり口にしていなかった言葉が、全貴族の前で暴かれた。


(私は化け物だ。この体の本来の持ち主ではない。別の世界から来た──)


 足音が聞こえた。


 広間の、私とマティルダの間。その空間に、誰かが歩み出る音。


 ヴォルフだった。


 三日間、目を合わせてくれなかった人。転生の告白を聞いて去っていった人。あの背中が──今、私の前に立っている。


 マティルダに向き直ったまま、ヴォルフが口を開いた。


「お前が誰であっても」


 低い声。あの声だ。事務局で怒りを見せた時と同じ──いや、違う。もっと深い。腹の底から絞り出すような。


「俺が見ていたのは、この五年間本を直し続けた人間だ」


 広間が静まり返った。


「辺境の図書館で、誰にも知られず、報われることもなく、ただ黙って損傷した書物を修繕し続けた人間だ。俺はその技術を見た。その手つきを見た。修繕メモの一行一行を読んだ。──俺の目を疑うな」


 最後の一言は、マティルダにではなく、私に向けられていた。


 振り返ったヴォルフの灰色の瞳が、三日ぶりに私を捉えた。


 怒りではなかった。

 失望でもなかった。


 あの目は──三日間ずっと考えていた人間の目だった。答えを探して、見つけて、ここに立っている人の目。


(……ああ)


 泣きそうだった。泣いてはいけない。叙任式の広間で泣いたら、全部台無しになる。


 唇を噛んだ。歯の裏に血の味がした。でも涙は止まった。


「……はい」


 それだけ言った。声が掠れた。でも、言えた。



 その後のことは、淡々と進んだ。


 ゲオルクが自白した。マティルダに脅されて改竄を行ったこと。五年前の裁判記録を書き換えたこと。過去の文書偽造の前科をマティルダに握られていたこと。全てが、崩れるように流れ出た。


 国王陛下が裁定を下した。


 マティルダは聖女の称号剥奪。神殿追放。

 ゲオルクは書記官長の地位剥奪。文書改竄の罪で裁判へ。

 エーリヒ殿下は王位継承権の凍結。冤罪の被害者への公式謝罪を命じられた。


 そして──ブレンターノ伯爵家の名誉回復。冤罪の公的証明。


 私は何も言わなかった。嘲笑もしなかった。怒りの言葉も、勝利の宣言も。


 ただ一言だけ。


「私はただ、本を直しただけです」


 それだけ言って、頭を下げた。



 叙任式後の控室。


 ユリウスが泣いていた。五年間泣かなかったくせに、ここにきて我慢できなくなったらしい。


「姉さん……終わった。やっと──」


「ええ。終わったわ」


 弟の頭を撫でた。今度はちゃんと手が届いた。背が伸びても、泣いている時の顔は十五歳の時と変わらない。


 王太子アルブレヒト殿下が控室に顔を出した。


「ブレンターノ嬢。爵位の復権手続きと領地の返還については、別途──」


「殿下。恐れ入りますが、爵位と領地は弟のユリウスに継がせていただければ」


 アルブレヒト殿下が少し驚いた顔をした。


「あなたが継がないのか」


「私は辺境の図書館に帰ります」


 ユリウスが顔を上げた。「姉さん?」と言いかけた口を、私は首を振って止めた。


 辺境の図書館。私の場所。私が五年間かけて作った居場所。


(ここではない。私の居場所は、ここではない)


 控室を出た。

 廊下にヴォルフの姿はなかった。


 ──三日間の答えを、あの広間でもらった。

 でも、私からの返事はまだ言えていない。


 言えないまま、帰ることになるのだろうか。


 靴音が石畳に響く。叙任式の広間から遠ざかるほど、香と蝋燭の匂いが薄れていく。


 代わりに、紙とインクの匂いが──どこからか、かすかに漂ってきた気がした。

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