Word.21 神vs神 〈3〉
「アヒるん…!」
地面に座り込み、モニターを見つめていた囁が、水弾に倒れるアヒルの姿に、思わず身を乗り出す。
「うっ…」
「ほぉ~ら、動かなぁ~い。まだ傷の手当て、終わってないんだからぁ~」
身を乗り出した囁が、苦しげに体を屈めると、横に立っている為介が、注意するように言い放った。囁はまだ、シャコとの戦いで負った傷を、為介に治してもらっている途中なのである。
「今日は随分と時間がかかるのね…この前は一瞬だったじゃない…」
「言葉の力で負った傷は、治りが遅いんだよぉ」
文句をつけるように呟く囁に、為介が軽い笑みを浮かべながら答える。
「それにしても…欺きの弾丸までかわされるなんて…」
「やっぱ強いなぁ~イクラくんはぁ」
扇子を囁へと向けたまま、顔だけをモニターへと向け、感心するように言う為介。
「ああ。強い上に、トンビの使う言葉をよく調べてある」
為介に答えるように、恵がそっと口を挟んだ。
「調べてあるからこそ、すぐに最適な言葉を放つことが出来る。さっきの“偽れ”がいい例だ」
モニターを見つめながら、冷静に言葉を続ける恵。
「これまではトンビに合わせた戦い方。以の神はまだ、実力の半分以上も出していないぞ」
「それに引き換え、朝比奈クンは、三つしかない言葉をすでに出し切っちゃったもんねぇ~まずいなぁ」
「……っ」
恵と為介の言葉を聞き、囁が表情を曇らせる。
「“熟語”は…?やっぱり間に合わなかったの…?」
「…………」
厳しい表情で問いかける囁に対し、恵はモニターを見つめたまま、表情一つ変えず、答える素振りを見せなかった。
「よぉ~し、こんなもんかなぁ?」
その時、治療が終わったのか、為介が明るい声を上げながら、囁へと向けていた扇子を振り上げた。
「まだ痛むところ、あるぅ~?」
「いえ、特には…」
問いかける為介に、囁が軽く首を横に振る。
「そう、じゃあ手当て完了ねぇ~」
「こ、こっちも手当て、お願いしますっ…!」
『……っ?』
扇子を閉じ、満足げな笑顔を見せていた為介と、話をしていた囁が、横から勢いよく入ってくる大きな声に、戸惑うように振り向いた。
「あ…」
「ハァっ…ハァっ…」
溢れ出した水により崩壊した遊園の出入口から、囁たちのいるモニター前へとやって来たのは、少し息を切らせた保であった。その背には、気を失ったままの篭也を背負っている。
「……っ」
保に背負われ現れた篭也の姿を視界に入れ、少し表情を曇らせる檻也。
「転校生くん…」
「はぁっ!明らかにコミュニケーション能力不足の俺なんかが、お二人の会話に割って入っちゃって、すみませぇ~ん!」
「元気そうね…フフフっ…」
いきなり頭を抱えて謝り散らす保に、囁は呆れながらも、どこか安心したような笑みを零した。
「はいはい、とっとと怪我人、こっちに置くぅ~」
「あ、は、はいっ!」
為介に言われ、保が慌てて駆け寄っていき、為介のすぐ前へと、背負って来た篭也を横たわらせる。篭也のすぐ傍へとしゃがみ込んだ為介が、閉じた扇子を再び開いた。
「“癒やせ”…」
扇子から淡い青色の光が放たれると、傷だらけの篭也の体を包み込んでいく。
「だ、大丈夫でしょうか?神月くんっ」
保が為介の背後から覗き込むように顔を出し、不安げに問いかける。
「もうちょっと早く運んでくれたら、助かったのにねぇ~」
「ひええぇぇ~!ごめんなさぁ~い!」
「ウッソー。全然助かるよぉ~」
「ええぇ!?ウソぉ!?」
為介に調子良くからかわれ、保が顔色をあれこれと忙しなく変えている。
「無事で良かったわ…転校生くん…」
「へっ?」
背後から聞こえてくる声に、為介にからかわれていた保が振り返る。
「あっ、真田さぁ~ん!」
「フフフ…」
不気味に微笑んでいる囁の姿を見つけ、安心したような笑みを零す保。
「真田さんも!ご無事で何よりです!」
保が笑顔で、囁のもとへと駆け寄っていく。
「はぁっ!こんな地味で陰気臭い俺なんかが、一丁前に真田さんの心配なんかしちゃって、すみませぇ~ん!」
「ええ、本当ね…フフフ…」
謝り散らしている保に、囁が満面の笑みで頷きかける。
「あの、それでアヒルさんはっ…」
「んっ…」
「へっ?」
少し不安げな表情となって、保が囁へ問いかけようとしたその時、横から小さく漏れてくる声に、保は言葉を止め、戸惑うように振り向いた。
「あっ」
「んっ…んん…」
囁たちのすぐ傍の地面で横たわり、眠っていた七架が、ゆっくりとその大きな目を開き、体を起き上がらせる。
「ここ、は…?」
上半身を起き上がらせた七架が、周囲を見渡し、戸惑いの表情を見せる。
「奈々瀬さん!」
「気が付いたようね…フフフ…」
「真田さんに、高市くんも…」
起き上がった七架を見て、嬉しそうに笑っている囁と保の方を振り向きながらも、まだ戸惑った表情を見せる七架。
「あの、私っ…えっと、その、神試験、は…」
「神試験でのお前たちの役目は終わった」
「えっ…?」
困惑しながら、二人へとまとまりきらない問いかけをしようとした七架に、二人の代わりに言葉を放ったのは、モニター前に立っている恵であった。
「よくやったな、高市、奈々瀬。五十音士初陣にしては、上出来だったぞ」
「恵先生」
薄く笑みを浮かべる恵を見つめ、七架が少し目を細める。
「はぁ!ろくに誉められたこともない俺に、なんと勿体のない言葉ぁっ…!」
「そうだな、お前には勿体ないな。よくやったぞ、奈々瀬」
「はぁ!言い直したぁ!」
恵の言葉に感動していた保であったが、あっさりと言い直す恵に、激しくショックを受ける。
「そっか…私、仁守の人と戦って…あっ!」
俯き、試験のことを思い返していた七架が、思い出したかのように、勢いよく顔を上げた。
「朝比奈くんっ…!朝比奈くんは!?」
「そ、そうです!アヒルさんはどうなってるんですかっ!?」
身を乗り出す七架に続くように、保も必死の表情で問いかける。
「恵先生…」
答えを求めるように、恵の名を呼ぶ囁。
「……っ」
言葉を待つ三人の視線を受けながら、恵が再びモニターを見つめ、そっと目を細める。
「まぁ精々、信じることだな」
モニターを見つめる恵の瞳に、映るアヒルの姿。
「お前らの神を」
『……っ』
その恵の言葉に、囁、保、七架の三人が皆、より一層、厳しい表情を見せた。
遊園内、原始の森地点。
「う…うぅっ…」
イクラの水弾を喰らったアヒルが、上空で浮いている姿勢を保っていられなくなり、近くの木の枝の上へと落ち、うつ伏せに倒れ込んでいる。何とか手をつき、起き上がるアヒルの体からは、真っ赤な血が滴り落ちていた。
「“当たれ”に“上がれ”、そして“欺け”か…」
必死に起き上がろうとしているアヒルを、余裕の表情で見つめるイクラ。
「調査の通りだな…」
「調、査…?」
体を起こしながら、アヒルがイクラの言葉に表情をしかめる。
「貴様と安団の面々のことは、試験の前にじっくり調べさせてもらった」
戸惑うアヒルに、答えるように言い放つイクラ。
「“使える言葉はたったの三つ”という調査結果を見た時は、冗談にしか思えなかったが、本当のようだな…」
「ま、だ…あるってのっ…」
「“赤くなれ”か…?それとも“青くなれ”か…?」
少しムキになって言い返すアヒルに、イクラが嘲るような笑みを向ける。
「さっき“開け”も覚えたってのっ」
「そうか…それは鍵要らずで、実に羨ましいな…」
微笑んだイクラが、小バカにするように言い放つ。
「だっれが鍵要らずだっ…!」
嘲るイクラに怒りを示しながら、アヒルが枝へとつく手にさらに力を込め、傷ついた体を無理やり、何とか起き上がらせる。
「どれ程喚こうが、所詮はこの程度…」
アヒルから目を逸らしたイクラが、少し肩を落とす。
「貴様の戦い方に合わせてやったというのに、そのザマ…」
イクラが銃口を左手で持ち、銃身に埋め込まれていた言玉を取り出すと、両手で握り締められていた水の銃が、あっという間に崩れ落ちた。
「退屈凌ぎにもなりはしないな…」
「クっ…」
悠々と顔を上げるイクラに、アヒルがさらに顔をしかめ、傷ついた手で再び銃を握り締める。
「貴様に、神の力量はない」
銃から取り出された言玉を右手で握り、イクラがはっきりとした口調で言い放つ。
「俺が引導を渡してやろう、安の神」
「誰がっ…!」
そっと微笑むイクラへと、アヒルが勢いよく銃口を向ける。
「“当たれ”…!」
アヒルの言葉とともに、赤い光の弾丸が、再びイクラへと放たれる。
「もう、見飽きてきたな…」
口端を吊り上げながら、イクラが言玉を握り締めた右手を掲げる。
「“凍てつけ”…」
「あっ…!」
イクラの言葉に反応し、噴き上げた水流が、上がった空中で、アヒルの放った弾丸とともに、瞬間的に凍りつく。そして、弾丸を包んだ氷塊は、深い水底へと沈んでいった。
「今のって…扇子野郎と同じ言葉っ…」
その言葉は、アヒルが為介に初めて出会った時、為介が忌を倒すために使用した言葉であった。
「当然だろう」
「えっ?」
少し表情を曇らせていたアヒルが、聞こえてくるイクラの声に、顔を上げる。
「あの男と俺は、同じ“い”の神…あの男に使えて、俺に使えない言葉はないということだ」
「同じ…神っ…」
底知れぬ強さを感じた為介と、目の前に立つイクラがまったく同じ言葉を使えると考え、アヒルがそっと俯き、考え込むように険しい表情を見せる。
「まぁ、俺はあの男も“神”とは認めぬがな」
「えっ…?」
「“神”は、俺一人でいい」
再び顔を上げたアヒルに、イクラが突き刺すような視線を見せる。
「俺一人でいいんだ…」
「……っ」
まるで自分に言い聞かせるかのように、重く深く言い放つイクラを見つめ、アヒルがそっと目を細める。
―――彼がどうして、そこまで神に執着しているのかは知らないけどねぇ―――
「執、着…」
いつか、為介から聞いたその言葉は、今のイクラを見ていると、自然と零れ落ちた。
「だから貴様を、“神”にはしない」
「うっ…」
イクラのその突き刺すような視線を正面から向けられ、アヒルが思わず怯むように声を漏らす。
「“怒れ”…!」
その言葉が表す通り、イクラの周囲の水が、まるで怒ったかのように勢いよく突き上げ、大きな波を形成し、激しく荒れ狂って、アヒルの座り込んでいる木の方へと向かっていく。
「クっ…!」
迫り来る大波に険しい表情を見せたアヒルが、素早く銃口を自らのコメカミへと持っていく。
「あ、“上がれ”…!」
使い慣れた言葉を発し、上空へと飛び上がっていくアヒル。
「……っ」
上昇していくアヒルを見上げながら、大波が避けられたというのに、イクラが楽しげな笑みを零す。
「“稲妻”…」
―――バリィィィン!
「えっ…?」
空から降り落ちた黄色い閃光が、遊園のドーム型の天井を貫き、飛び上がったアヒルへと落ちてくる。
「うああああああっ…!!」
上空から落ちてきた光の刃がアヒルを掠め、アヒルが激しい悲鳴をあげて、力なく降下していく。アヒルとともに遊園内の木も一本、稲妻に撃たれ、その瞬間、遊園内を照らしていた電灯が一気に消えた。
<落雷により、電気系統の一部断裂…放送、遮断されます>
「電気までイカれたか…」
知らせの放送を流して間もなく、遮断される放送に、イクラがそっと目を細める。
「まぁ煩わしかったし、丁度いいか」
「う…ぁ…」
「んっ…?」
イクラがか細い声に気づき、ゆっくりと顔を上げる。穴のあいたドーム型天井の覗く上空から、稲妻に撃たれたアヒルが、力なく落ちて来ていた。
「おおっと、“戒めろ”」
「うぅっ…!」
水面へと墜落するところであったアヒルの体を、イクラの言葉に反応して突き上げた、細長い水流が、まるで絡め取るようにアヒルの体に巻きつき、アヒルを空中で縛り上げる。
「電気ショックはどうだった…?安の神」
「なん、で…」
楽しげに問いかけるイクラを、ゆっくりと顔を上げたアヒルが、開ききっていない瞳で見つめる。
「イ段の力は…水のはずっ…」
「ああ、勿論“稲妻”もイ段の、水の力だ」
戸惑いの表情を見せるアヒルに、イクラはあっさりと答える。
「大気中の水蒸気で雨雲を作り、稲妻を生む。状態変化する水の能力、ならではの言葉…」
「何、言ってっか…わかんねぇっ…」
「国語だけじゃなく、理科も苦手なようだな」
険しい表情を見せるアヒルを、呆れたように見つめるイクラ。
「やはり貴様に、神の力量はない」
イクラが先程も言ったその言葉を、また繰り返す。
「人助けしたくらいでは神になれぬことを、俺が教えてやろう…」
「……っ」
ゆっくりと言玉を持った右手を向けるイクラに、アヒルが目を細める。
「別に…」
「んっ…?」
「別に俺は…“神だから”って、人を助けるわけじゃないっ…」
「何…?」
小さな声ではあるが、はっきりと放たれるそのアヒルの言葉に、イクラがかすかに眉をひそめる。
「俺は、“人だから”っ…人を助けるんだ…」
痛みに歪みながらも、まだ力を失っていない強い瞳を、アヒルがイクラへと向ける。
「それは…貴様が“神”ではないことを認めている、ととっていいのか…?」
鋭い表情を見せたイクラが、確かめるように問いかける。
「ああ、俺は“神”なんかじゃないっ…」
イクラの言葉を認めるように、そっと頷くアヒル。
「ならば…」
「けどっ…」
「……?」
イクラの声を遮り、アヒルがさらに言葉を続ける。
「けど…一緒に戦ってくれた仲間のために、俺を信じてくれる仲間のためにもっ…」
少し震わせた声で、アヒルが徐々に声を大きくしていく。
「俺は“神”にならなきゃいけないっ…!」
「……っ」
強く、そして堂々と叫ぶアヒルの姿に、あからさまに不快そうに顔をしかめるイクラ。
「“信じてくれる”、か…」
アヒルの放った言葉を、イクラがゆっくりと繰り返す。
「くだらない…くだらないな。“信じる”など、この世で最も愚かな言葉だ…」
またしても煩わしげな表情を作って、イクラが少し感情を露に言い捨てる。
「“神を信じる”など、この世で最も愚かな行為だ」
「…………」
冷静だったその表情を大きくしかめ、強く言い切るイクラを見て、アヒルが目を細め、表情を曇らせる。
「お前はよっぽど、“お前の神”が嫌いらしいな…」
「“俺の神”、だとっ…?」
見透かすようなアヒルの言葉に、イクラが眉を吊り上げる。
「この世に神は俺一人だ!この世界に、他の神など必要ないっ…!!」
怒りを剥き出しにしたイクラの右手に握り締められた言玉が、強く輝き始める。
「“怒れ”っ!!」
「……っ!」
イクラの怒りに呼応するかのように、先程よりもさらに激しく、荒々しい大波が、水で縛られ、身動きの取れないままのアヒルへと襲いかかってくる。
「グっ…」
どうする術もなく、強く唇を噛み締めるアヒル。
「うあああああああっ…!!」
大波に呑まれ、アヒルが遊園を埋め尽くす、深い水の底へと、力なく沈んでいく。
「暗い水の底で朽ち果てろ…安の神」
右手を下げたイクラが、アヒルの沈んでいった水面を見下ろした。
「う…うぅ…」
大波に呑まれ、水底へと沈んでいくアヒル。すでに体は傷だらけで、這い上がる力もなかった。
「うぁっ…」
苦しげに歪んだ表情の口元から、わずかに含んでいた空気が放出される。
「うぅ…ううぅっ…」
空気を失い、さらに険しくなっていくアヒルの表情。
「……っ」
徐々に意識が遠のき、瞳がゆっくりと閉じられていく。
―――そこに、言葉を感じないか…?―――
「…………」
意識を手放しかけたアヒルの脳裏に、半日だけの恵の指導が思い出された。




