Word.21 神vs神 〈4〉
――――篭也たちと別れ、恵が強制的にアヒルを連れてやって来たのは、言ノ葉町のはずれにある、静かな山の中であった。緑が生い茂り、川のせせらぎが心地よく聞こえてくる。
「眠みぃ~」
恵からやっと解放されたアヒルは、夜の薄暗い山の中で、何度も目を擦り、いかにも眠たそうな顔を見せていた。時間はすでに深夜の一時を回っており、戦いの後というのもあって、アヒルの眠気はピークに達していたのである。
「なぁ?恵先生、俺、ちょっとだけ寝ていい?」
「ああ、いいぞ」
「へっ?」
あっさりと返ってくる言葉に、アヒルが眠たげだった瞳を、まん丸にする。
「寝て…いいの?」
「ああ、ちょっとと言わず、ずっとでも寝てていいぞぉ」
「ずっとって…」
川岸の大きめの石の上に腰を下ろし、どこからか出してきた本を片手に、いかにも適当そうに答える恵の姿に、思わず呆れた表情を作るアヒル。
「先生、俺を指導する気ある?」
「んなもん、ないに決まってんだろ」
「んなっ…!」
あっさりと答える恵に、アヒルが大きく顔をしかめる。
「何だよ!それっ!やる気ねぇーなら、初めっから、篭也と囁に指導してもらった方が良かっ…!」
「あいつ等が教えられるとすれば、知識と技術だ」
「えっ?」
非難するアヒルの言葉を遮り、冷静に言い放つ恵。
「だがお前は、知識と技術で、力を身につけるタイプの人間じゃないだろう?」
恵が読んでいた本を閉じ、鋭い瞳をアヒルへと向ける。
「わりかし何でも、感覚で片づけるタイプだ」
「確かに」
自分のことを言い当てられ、思わず納得するように頷いてしまうアヒル。
「だから、指導なんてものは無駄だ」
本を石の上へと置いた恵が、ゆっくりと立ち上がる。
「私がくれてやるのは、ただのきっかけ」
「きっかけ…?」
「後は自分で何とかするんだな、クソガキ」
「えっ…」
額へと伸びてくる恵の手に、アヒルが戸惑いの表情を見せる。
「“瞑想”」
「……っ!」
アヒルの額へと触れた恵の指先が、淡い緑色の光を放つと、アヒルの体全体がその光に包まれ、アヒルの瞳がアヒルの意志とは関係なく閉じられ、アヒルはその場に倒れ込んだ。
「こ、これってっ…」
「黙れ。無駄口叩くと、口にチョーク、ぶっ込むぞ」
「…………」
地面へと寝転がり、瞳を閉じたまま、戸惑うように問いかけようとしたアヒルであったが、恵の脅しとも取れる発言を聞き、すぐさま黙り込む。
「けど、瞑想っつーか、この態勢じゃ、俺マジで寝ちまっ…」
「何か聞こえないか?」
「へっ?」
横たわり、視界も真っ暗になった状態で、さらに襲いかかってきた眠気に焦っていたアヒルに、恵がそっと問いかける。
「聞こえる…?」
戸惑うようにその言葉を繰り返しながら、周囲へと耳を傾けるアヒル。
「……っ」
二人が同時に黙った途端、夜の山の小さな音たちが、アヒルの耳へと届いてきた。
「聞こ、える…」
「何が聞こえる…?」
恵の言葉に誘導されるように、さらに耳を澄ますアヒル。
「水の、音…風の音…木の、音…」
アヒルが、聞こえる音を次々と並べていく。
「そこに、言葉を感じないか…?」
「言、葉…?」
恵の問いかけを、戸惑うように繰り返しながら、アヒルが耳を澄ませ、聞こえてくる音の中に、言葉を探していく。まず耳に入ったのは、水の音だった。アヒルがじっくりと、その水の音を聞く。
「川が…“流れる”…“流れてる”…」
音の中に見えてくる言葉を、アヒルがそっと口にする。
「風が…“そよぐ”…緑が…“生い茂る”…」
音の中に、言葉を探していくアヒル。
「山が…“生きてる”…」
「ああ、そうだ…」
口元を緩めた恵が、アヒルに頷きかける。
「言葉はいつだって、お前の傍に、こんなにも溢れている…」
恵が周囲を見渡しながら、ゆっくりと言葉を続ける。
「確かに、辞書を引いて見つかる言葉もあるが…」
穏やかに微笑んだ恵が、地面に寝転がっているアヒルを見下ろす。
「こうやって耳を澄まして、目を凝らして、それで初めて、見つかる言葉もある…」
「……っ」
アヒルがゆっくりとその瞳を開くと、開けた視線のその先で、恵が微笑んでいた。
“それを忘れんなよ、安の神”……――――
「聞こ、える…」
恵の言葉を思い出し、水に沈んでいくアヒルが、水の中でかすかな声を漏らす。
「聞こえる…」
遠のいていく意識の中で、感覚の研ぎ澄まされた耳に、確かな音が届く。
「水の、逆巻く音っ…」
届く音に、今度は逆にはっきりとしていく音。
「力強く…生きる音っ…!」
水中で大きく目を見開いたアヒルが、銃を持つ右手に、力を込める。
「あっ…」
アヒルが上方の水面へと銃口を向け、自分の言葉を口にした。
「“荒れろ”…!!」
水に逆らい、アヒルが強く引き金を引く。
「水に沈んで五分…」
遊園内の大時計で時間を確認し、水面上に立ったイクラがそっと呟く。
「上がって来ないところを見ると、死んだか…口程にもない…」
イクラが冷たく言い捨て、右手に持っていた言玉を懐へと戻す。
「言玉は回収し損ねたが…まぁ神試験など、どうでもいい」
少し首を横に振り、ドーム型の天井を見上げるイクラ。
「これで一人、俺以外の神が減っ…んっ…?」
足元にかすかな違和感を覚え、天井を見上げていたイクラが、ふと視線を落とす。イクラの立つ水面が波立ち、波紋が円を描いて、周囲へと広がっていた。
「何だ…?水が動いている…?」
徐々に大きくなり、どんどん広がっていく波紋に、イクラが眉をひそめる。
「何っ…!?」
訝しげに波紋を見下ろしていたイクラであったが、水面が大きく波立ち、足元を崩されると、思わずその表情をしかめた。
「何なんだ!?一体っ…!」
困惑を怒りで表現しながら、イクラが懐から再び、言玉を取り出す。
「“諫めろ”…!」
イクラが強く叫ぶと、イクラの言玉から強い青色の光が放たれる。言玉から放たれた光が、イクラの周囲の水を照らした。
「なっ…!?うぅっ…!」
だが逆立つ波は収まらず、イクラはさらに足元を崩され、水面上に立っていられなくなり、思わずその場に膝をついた。
「俺の制御が効かないだとっ…!?クっ…!」
水面上に居ることに限界を感じ、近くの木の上へと避難するイクラ。
「何故だっ…水が違う言葉の影響を受けているとでもいうのか…?ま、まさかっ…!」
ハッとした表情を見せたイクラが、強く波立つ水面を見下ろす。
「“上がれ”っ…!」
「……っ!」
激しく揺れ動く波の中心から、その言葉とともに、アヒルが飛び出してくる。現れたアヒルのその姿に、大きく目を見開くイクラ。
「貴様っ…!」
「まだ勝負は終わっちゃいねぇぜっ!」
荒々しく声をあげるイクラに、アヒルが力強く言い放つ。
「愚かなことをっ…!所詮、“荒れろ”とでも言っただけだろうっ!?」
さらに声を大きくし、焦りを隠すように、必死に叫ぶイクラ。
「波を荒らしたくらいで、俺に勝てるとでも思っ…!」
「……っ」
「……っ?」
右手に持った銃の銃口を、荒れ狂う水面へと向けるアヒルに、イクラが思わず言葉を止め、眉をひそめる。
「また波でも荒らす気かっ?そんなもの、俺の言葉で、いくらでも止めてやるっ…!」
「“荒れ狂え”…」
イクラの言葉に動じることもなく、アヒルがそっと自らの言葉を呟き、引き金を引く。
「“嵐”っ…!!」
「何っ…!?」
アヒルが発した思いがけない言葉に、イクラが大きく目を見開く。
「熟語をっ…!?うぅっ…!」
アヒルの放った光の弾丸が荒れ狂う水面へと落ちると、その水面から、まるで竜巻のように、激しく逆巻く水の塊が、辺りの木を薙ぎ払うほどに巨大になって、勢いよくイクラへと向かっていく。
「うぁっ…!」
イクラの表情に、浮かぶ焦りの色。
「うがああああああっ…!!」
激しい水の嵐に呑まれ、イクラが勢いよく吹き飛ばされていった。
「朝比奈くんっ…!」
「やったぁ!いいですよぉ!アヒルさんっ!」
モニターでアヒルとイクラの戦いを見守っていた七架と保が、アヒルの攻撃が決まったことを確認し、思わず両拳を握り締め、歓声をあげる。
「はぁっ!ろくに活躍してない俺なんかが、偉そうな口叩いちゃって、すみませぇ~んっ!」
「す、少し静かにしてくれない…?高市くん…」
すぐ横で謝り散らす保に、軽く耳を塞ぎながら、そっと呟く七架。
「でも凄い、朝比奈くん。半日で本当に熟語、覚えちゃうなんてっ」
「あれは熟語じゃないわ…」
「えっ?」
感心するように言い放っていた七架が、横から聞こえてくる囁の声に、戸惑うように振り向く。
「熟語じゃ、ない…?」
「熟語は、二文字以上の漢字を組み合わせて成り立つもの…“嵐”じゃ一文字だもの…フフフっ…」
聞き返す七架に、囁が不気味に微笑みながら答える。
「じゃあ、あれは…」
「名詞よ…」
「けど、ただのぉ名詞でもないねぇ」
「えっ…?」
今度は囁が口を挟まれ、戸惑うように振り向く。囁が振り向くとそこには、篭也の治療を終えたのか、扇子を閉じ、腕を組んでいる為介の姿があった。
「あれは、“荒れ狂え”と“嵐”が組み合わされた言葉…つまり、語句」
「語句…?」
「熟語より、遥かに難易度の高い言葉だよ…」
七架が首を傾げる中、為介がどこか鋭い微笑みを浮かべる。
「まっさか半日で語句まで使えるようになっちゃうとはぁ~さっすが恵さんですねぇっ」
「私はきっかけを与えただけだ」
誉めるように笑顔を向ける為介に、恵はモニターを見つめたまま、素っ気なく答える。
「お前はそれでいい」
モニターを見つめる目を細め、恵が小さく笑みを零す。
「朝比奈アヒル…」
「ハァっ…ハァっ…ハァっ…」
空中に浮かんだまま、アヒルが右手の銃を体に近づけるように握り締め、乱れている呼吸を整える。アヒルの言葉により荒れ狂っていた水面は、徐々に落ち着き始めていた。
「全然楽になってこねぇっ…言葉の使い過ぎか…」
苦しさの止まない胸を左手で押さえながら、アヒルが少し顔をしかめる。傷も十分に負っている上に、もう何度も言葉を使った。アヒルの体力は、限界まで来ようとしていた。
―――バァァァン!
「……っ!」
その時、落ち着いたはずの水面の一部が激しく噴き出し、アヒルがそちらを振り向いた。
「はぁっ…!はぁっ…!」
噴き上げた水の底から姿を現す、全身に傷を負い、体の所々から血を流したイクラ。荒々しく呼吸を乱しており、先程の攻撃で、相当にダメージを負ったことはうかがえる。
「負けて…たまるかっ…認めて、たまるかよっ…」
乱れた呼吸のまま、険しい形相で、必死に言葉を繋げるイクラ。
「“神”は…俺一人だっ…」
イクラが傷だらけの右手で、強く言玉を握り締める。
「“神”はっ…俺だけだぁぁぁっ!!」
「……っ」
取り憑かれたように必死に叫ぶイクラに、アヒルが思わず目を細める。
「執着っ…」
「俺だけがっ…俺だけが、“神”だぁぁ!!」
イクラの荒々しい叫び声が、遊園中に響き渡った。




