Word.19 灰示、再ビ 〈4〉
遊園の外でも、恵たちに和音を加えた皆が、モニターで中の異常を察知していた。
「水の壁で内部を覆った…」
水に覆われた入口を見つめ、恵が険しい表情を見せる。
「このままでは噴水によって内部の水位が上がって、遊園内が水浸しになってしまいます」
「何やってんだ。全員で溺死志望かぁ?」
冷静に分析する雅の言葉を聞き、恵が思いきり顔をしかめる。
「全員は溺死しないでしょ~っ」
「あっ?」
隣から聞こえてくる軽い口調の声に、振り向く恵。
「溺死するのは、水の力が使えない安団のみんなだぁ~けっ」
「……っ」
嘘臭い笑顔を見せて言い放つ為介に、恵の表情が曇る。
「じゃあ以団は、初めから朝比奈君たちをっ…?」
「馬鹿なっ…これはただの神試験だぞ?」
「自分だけが神で在るためになら、なぁ~んの容赦もしない子なんですよぉ」
厳しい表情を見せる恵と雅に、どこか落ち着いた笑みのまま、冷静に話す為介。
「昔っからねぇ…」
徐々に水に覆われていく、モニターの中の遊園を見つめながら、為介は鋭く目を細めた。
「どう、思われます?」
恵や為介の少し後ろから、同じくモニターを見つめる和音が、隣に立つ、先程の幼さを残した青年、檻也へと、意見を求めるように問いかける。
「ここで死ぬなら、ここまでの男だったということだ」
ひどく冷静な口調で、はっきりと言い放った檻也が、そっと目を細める。
「篭也…」
遊園内、紅葉の森地点。
「うわわわっ!」
アヒルたちの居る紅葉の森からも噴水が噴き上げ、アヒルたちの足元を水が侵食し始めていた。
「何だぁ?水道管でも破裂したのかぁ?」
「そんな規模じゃない」
「へっ?」
はっきりと言い放つ篭也に、アヒルが少し目を丸くする。
「これは明らかに言霊の力だ」
「言霊っ…」
篭也の言葉に、眉をひそめるアヒル。生じているのが水ということは、残りの以団メンバーの攻撃の一つなのであろう。
「とにかく避難をっ…“囲え”」
篭也が再び言玉を格子の姿へと変え、言葉を放つと、一本だった格子が六本に分かれ、篭也と、そのすぐ横に倒れている保の周りを取り囲むように、地面に突き刺さった。すると、格子から赤い光が放たれ、格子内へ入ろうとする水を、その光が堤防のように防ぐ。
「神」
「ああっ」
篭也に呼ばれ、アヒルも格子内へ入るため、篭也の方へと歩み寄って行こうとする。
―――バァァァァン!
「……っ!」
アヒルが駆け寄って行こうと足を踏み出したその時、大きな音を響かせて、アヒルたちのすぐ傍の地面から、新たに水が勢いよく噴き出した。それにより、地面から迫り来る水の速度が、一気に上がる。
「あっ…」
噴水を見上げていたアヒルが、先程の戦いで灰示に敗れ、気を失って倒れたままのチラシとニギリの姿を見つける。
「早くしろ、神」
「…………」
急かす篭也の声が背中に届く中、アヒルがそっと目を細める。
「篭也」
「……?」
名を呼ばれ、少し戸惑うような表情を見せる篭也。
「俺、あいつら連れてくから、保のこと頼むなっ」
「なっ…!」
笑顔で振り向くアヒルに、篭也が大きく目を見開く。
「な、何をっ…!」
「大丈夫だって、俺、水泳は得意だからさっ。じゃあなっ!」
「あっ…!」
抗議しようとする篭也の言葉も聞かぬまま、チラシとニギリの方へと駆け出していってしまうアヒル。
「神っ…!うぅっ…!」
篭也が格子の外へと出て、アヒルを止めようとするが、すでに水は膝の辺りまで水位をあげてきており、篭也は格子の囲いを解くことが出来なかった。
「ダメだ!戻れ…!神っ…!」
走り去っていくアヒルの背中へ向け、必死に叫ぶ篭也。
「神っ…!!」
だが、その篭也の必死の声は、溢れ出す水の音に掻き消されていった。
遊園内、雪国の森地点。と言っても、雪はすでに溢れ出る水の中に溶け、消えてしまっていた。
「ふぅっ…」
膝上まで上がって来た水を見下ろしながら、囁が少し疲れた様子で一息つく。
「お気に入りの服だったのに…」
すでに水浸しのスカートを見て、がっくりと肩を落とす囁。
「さすがにそろそろ…危なそうね…」
その勢いを止めることなく、どんどんと水位をあげてくる水に、囁が困ったような表情を見せる。このままでは囁は水の中に沈み、あっさりと溺死させられてしまう。
「じゃあ、頼むわね…」
囁が、眠る七架を包み込み、水から守っている振動の膜へ向け、言伝るように呟く。
「……っ」
七架に背を向け、少し鋭い表情を見せると、囁は水で溢れ返る地面を勢いよく蹴り、近くの木の上方の枝の上へと移動した。この高さならば、これ以上水位が上がっても、しばらくの間は沈まずに済む。
「上がって来た…」
「ん…?」
すぐ近くから聞こえてくる声に、ふと顔を上げる囁。
「下はもう…結構沈んだ…?」
囁の立つ木のすぐ近くの木の枝に立ち、あまりない表情で囁へと問いかけるのは、シャコであった。シャコも囁が七架に構っている間に、上へと来ていたようである。
「ええ…結構な勢いで水浸しよ…」
シャコの問いかけに、囁が素直に答える。
「これで満足…?」
「…………」
どこか含みのある問いかけをする囁に、無い表情で、かすかに眉だけを動かすシャコ。
「森の遊園を、水族館にでも変えたいのかしら…?あなたたちは…」
「あたいは…」
囁からの問いかけに、シャコがゆっくりと口を開く。
「あたいは…ウチの神に従うだけ…」
迷いのない、まっすぐな視線を、囁へと向けるシャコ。
「だから…ただの神試験は、もう終わり…」
「終わり…?」
シャコのその言葉に、囁が戸惑うような表情を見せる。
「ここからは…」
ゆっくりとした口調で言葉を放ちながら、シャコが言玉を持った右手を、高々と振り上げる。
「沈みゆく遊園の中で行われる…命を賭けた、ただの潰し合い…」
「……っ」
冷たく呟くシャコに、そっと眉をひそめる囁。
「そう…」
だが囁は特に動じた様子も見せず、騒ぐこともなく、シャコの言葉を素直に受け入れ、頷いた。
「だったら、何っ…?」
囁がどこか強気に問いかけ、右手の横笛を身構える。
「あなたたちを倒せばいいってルールに…変更はないんでしょう…?」
「……っ」
自信を持った表情で微笑む囁に、シャコは少し顔をしかめた。
遊園内、紅葉の森地点。
「クっ…」
二メートル程の高さまで水位を上げた水の上に浮かぶ、篭也が作った格子の囲い。赤い光が篭也と保の足場となって、水面に浮かんでいる。篭也は囲いの中から水浸しの周囲を見渡し、そっとその表情を曇らせた。チラシとニギリのもとへと駆け去ったアヒルの姿は、どこにも見当たらない。
「神っ…」
すでに高身長の人間でも沈む程の水位である。見当たらないアヒルの姿に、篭也は少し不安げな表情を見せた。
「このまま“囲っていろ”」
周囲の格子に言葉を投げかけると、篭也が六本ある格子の一本を右手に取り、光の足場を蹴って、近くの高い木のてっぺんへと飛び上がった。
「これはっ…」
高い位置から、水で溢れ返った遊園内を見渡し、険しい表情を見せる篭也。
「これでは囁と奈々瀬もっ…」
二人の身を案じ、篭也がさらに険しい表情となる。
「そう、みぃ~んな仲良く、水の底っ!」
「……っ!」
どこからか聞こえてくる声に、篭也が目つきを鋭くし、素早く振り向く。
「あなたはっ…」
「あんたが残っててくれて良かったぜぇ」
篭也の立つ木のすぐ近くから噴き出している噴水の上に、水の勢いも何もかもまるで関係なく、まるで椅子のようにゆったりと腰を掛けているのは、金八であった。その金八の奇妙な状態に、思わず目を丸くする篭也。
「あんたとは前から戦いたいって思ってたからさぁっ」
「以団の…」
「そう、以附が一、“幾守”、木坂本金八!よろしくなぁ!」
笑顔で名を名乗った金八が、どこか親しげに、篭也へと手を振り上げる。
「あなたたちは一体、どういうつもりなんだ?遊園のこの状態は…」
「ウチの神は、とぉってもイカれた神様でねぇっ」
「……?」
問いかけようとした篭也の言葉を遮り、どこか軽い口調で言い放つ金八。
「自分以外には神なんていらないって、そういう考えのお人なのさぁっ」
「神が…いらない…?」
金八の言葉を繰り返し、篭也がそっと表情を曇らせる。
「そう。だから、あんたんとこの神を、神様にする気なんてサラサラねぇってわけ」
「……っ」
微笑む金八に、篭也が眉をひそめる。
「初めから、まともに神試験を行う気などなかったということか…」
「正解っ」
篭也の言葉に、金八が楽しげに口端を吊り上げる。
「これは神試験なんかじゃない。ただの“神潰し”さっ」
イクラからの言葉を口にし、より一層、楽しそうに微笑む金八。
「残念だったなぁっ、あんたの神を神様に出来なくてっ」
「…………」
さらに言葉を続ける金八であったが、篭也はそれ以上険しい表情を作ることはなく、その表情は、すぐに落ち着いた、冷静なものへと変わった。
「何を言っている?」
「ああんっ?」
言っている意味がわからないとばかりに聞き返してくる篭也に、金八が少し眉をひそめる。
「誰が、我が神を神に出来ないなどと言った?」
どこか挑戦的に言い放ち、格子を持つ右手に力を込める篭也。
「僕は、僕の神を神にする」
篭也の鋭い瞳が、金八へと突き刺さる。
「誰を叩き潰してでもな」
「……っ」
その突き刺さるような視線に、一瞬だけ笑顔を消し、金八が冷たい表情を見せる。
「おっそろしぃ~っ、俺、泣いちゃうよぉ?」
すぐにまた笑みを浮かべ、金八が軽い口調を見せる。
「けどっ」
微笑みを残したまま、鋭く変わる金八の瞳。
「面白そうじゃんっ」
「…………」
噴水の上で立ち上がる金八に、篭也がそっと格子を構えた。




