Word.17 神試験スタート 〈1〉
神試験当日、午前七時。言ノ葉町の小さな八百屋さん、『あさひな』。
「おっはよぉ~ん!アーくぅ~んっ!」
二階のアヒルの部屋へと、笑顔全開で飛び込んでくるのは、朝比奈家の大黒柱のヒゲ親父。
「とっとと起きるんだよぉ~それぇっ!人参乱れ斬りぃ!って、あれれっ?」
いつものように、ベッドに向け、大量に持ってきたオレンジ色の人参を投げつけようとした父であったが、ベッドの上にアヒルの姿はなく、飛び込んだアヒルの部屋は、もぬけの殻であった。
「あ、アーくん…?」
アヒルの名を呼ぶ父の表情が、青ざめていく。
「た、大変だよぉっ!スーくぅ~んっ!」
父が慌ててアヒルの部屋を飛び出し、すぐ隣にある、スズメと書かれた表札のかかっている部屋へと駆け込んでいく。
「スーくぅぅ~んっ!!」
「んだよぉ…休みだっつーのに、朝っぱらからっ…」
無断で部屋に入り、遠慮のない大声で名を呼びあげる父に、ベッドの上で布団にくるまり、眠っていたスズメが、どこか不機嫌そうに目を覚まし、体を起き上がらせる。
「た、大変なんだよぉ!スーくぅ~んっ!」
「んだよっ?」
「アーくんがっ…!アーくんが家出しちゃったんだよぉっ…!!」
「…………」
切羽詰まった表情で叫ぶ父に、起き上がったスズメが、しばらくの間、固まる。
「あっそ。おやすみ」
「ええぇっ!?それだけぇっ!?」
あっさりと頷いただけで、再び布団の中へと入っていくスズメに、父が驚いた様子で目を見開く。
「アーくんが家出しちゃったんだよぉっ!?あの家出だよぉ!?家出ぇぇっ!」
「十五ん時なんて、三日に一回は家出したくなるもんだろうがっ」
「ええぇ!?そうなのぉ!?思春期ってそんなもんなのぉ!?」
布団にくるまりながら、冷静に答えるスズメの体を必死に揺さぶり、焦った様子で聞き返す父。
「ねぇ…」
「んんっ?」
部屋の入口の方から聞こえてくる声に、父が振り向く。すると、開いたままのスズメの部屋の扉から、ツバメが不気味な雰囲気で、少しだけ顔を覗かせていた。
「おお!ツーくん、いい所にぃっ!た、大変なんだぁ!実はアーくんが家出しっ…!」
「あんまりうるさいと…呪うよ…?」
「……っ」
父の顔写真の貼られた藁人形片手に、そっと言い放つツバメに、父が一瞬にして黙り込む。
「アヒル君なら…篭也君たちの家に泊まってるって、昨日の夜、言ったでしょう…?」
「えっ?」
ツバメの言葉に、父が目を丸くする。
「グループでやる課題があるから…今日も泊まってくるって言ってたよ…」
「あ、そ、そうだっけぇ?アハハぁ~っ」
一気に慌てていた表情を消し去り、父が惚けるように、大きな笑みを浮かべる。
「グループ交際かぁ~楽しそうでいいなぁ、アヒルの奴っ」
「だから課題だって…」
布団に潜ったまま、勝手に勘違いをしているスズメに、ツバメが呆れた表情を見せる。
「そっかそっかぁ!お父さん、一安心だぁ!」
「じゃあ…」
「へっ…?」
ゆっくりと藁人形を持った手を上げるツバメに、父の笑みが止まる。
「睡眠妨害の罰として、呪うね…」
「いっやぁ~!それだけは勘弁してぇ!ツーくぅ~んっ!」
父の悲鳴が、近所中の睡眠を妨害することとなる、朝比奈家であった。
午前十時半。以団、滞在場所。
「神」
「……っ」
シャコに名を呼ばれ、ソファーに腰掛けたまま、深く瞳を閉じていたイクラが、ゆっくりとその鋭い瞳を開いた。
「そろそろ行かないと…」
「……ああ」
シャコの言葉に短く頷くと、イクラがソファーから立ち上がる。
「行くぞっ…」
『はっ』
イクラの声を合図として、イクラを先頭に、以団の五人は部屋を後にした。
正午十分前。言ノ葉の森自然遊園。
そこは、大きなドームで囲われた園内に、あらゆる地方の自然が共存する、緑をメインとした、言ノ葉町一のテーマパークであった。
「ここが、その以団…の人たちが、指定した場所?」
どこか言い慣れない様子で“以団”と口にしながら、周囲に広がる青々とした森林を見回し、七架がそっと問いかける。
「ええ…地図には、確かにここと印されているわ…」
囁が、ニギリがアヒルへと手渡していた地図を七架へと見せながら、ゆっくりと頷く。
「休日だっていうのに休園日になってるし…おまけに中には人っ子一人見当たらない…まるで貸切状態ね…」
「恐らくは言葉の力を使ったんだろう。神試験では、一般人に力を使うことも、例外的に許可されているからな」
囁の言葉を受け、篭也が冷静に分析をする。三人は、静まり返っている園内の入口付近に立っており、まるで本物の森のように、広大な園内の様子を見つめていた。
「一般人がごろごろ居ては、試験に集中出来ないしな。賢明な判断だろう」
「……っ」
篭也の話を聞いていた七架が、どこか緊張した面持ちで、ごくりと息を呑む。
「フフっ…緊張する…?」
「えっ…?」
そんな七架の様子を見逃さず、すぐさま問いかける囁。
「う、うん。まぁ…」
「昨日も言ったが、あなたは無理に戦う必要はない。“治せ”の言葉で、仲間の回復にのみ集中しろ」
小さく頷いた七架に、篭也が冷静に言い放つ。
「フォローはこちらでする」
「う、うん…」
冷静すぎるその口調に、少し遠慮がちに頷く七架。
「あら、頼もしい…惚れちゃいそう…フフフっ…」
「余計な口を叩くな」
悪戯っぽく微笑む囁に、篭也が鋭い視線を送る。
「それにしても…もう正午になる。神と太守のバカはまだっ…」
「ああぁ!皆さぁ~んっ!」
『……っ』
篭也が時計を気にしていたその時、遊園の入口から陽気な声が入って来て、三人が皆、一斉に振り返った。
「遅くなりましたぁ~!お待たせしましたぁ~!」
「高市くんっ」
大きく手を振りながら、遊園へと入って来たのは、声と同じように陽気な笑みを浮かべた保であった。保が手を振ったまま、三人のもとへと歩み寄ってくる。
「誰も待っていない。だが、来るのが遅過ぎる」
「はぁっ!道に迷った上に、道聞くのに必要な勇気がなかなか出なくって、すみませぇ~んっ!」
少ししかめた表情で言い放つ篭也に、保が頭を抱えて謝り散らす。
「為の神様とお附きの眼鏡さんは…?」
「あっ、為介さんと雅さんなら、外出たところに居ます!」
囁の問いかけに、立ち直って答える保。
「何か参加者以外は、入っちゃいけないみたいで」
「そう…」
入口の方を指差す保に、囁が問いかけたわりには、あまり興味なさそうに頷く。
「いっや~、今日で地球の運命が決まるんですねぇ~頑張って、ダイヤモドンドン守りましょうね!皆さん!」
『…………』
笑顔全開で、まるで見当違いなことを言っている保に、篭也たち三人が同時に固まる。
「か、神月くん…高市くんも確か、安団の仲間なんじゃっ…」
「バカは放っておくに限る」
ひそめた表情で小声で問いかける七架に、篭也は冷たい一言で答えた。
「後はアヒるんだけね…」
「そうだな」
少し周囲を気にしながら、篭也と囁が頷き合う。
「へぇ~、ちゃ~んと人数揃ってんじゃねぇのぉっ」
『……っ!』
上方から聞こえてくる声に、四人が一斉に顔を上げる。
「優秀優秀っ!」
篭也たちの見上げた大木の上の方の、太い枝の上にしゃがみ込んでいるのは、金八であった。深く被ったニット帽で目元を見せぬまま、吊り上げた口端だけで、笑っていることを示している。金八のすぐ横にはシャコが立っており、すぐ下の枝にはポーズを決めたチラシとニギリの姿があった。
「あれはっ…」
「ああ。あいつらが以っ…」
「出ましたねぇ!地球外生命体っ!」
「…………」
初めて見る四人の姿に、表情を曇らせる七架に、説明をしようとした篭也であったが、その言葉は保の気合いの入った声に掻き消される。
「あなたはとりあえず黙っていろ」
「はぁっ!大したトーク力もない俺が、ペラペラしゃべっちゃって、すみませぇ~んっ!」
睨みあげながら言い放つ篭也に、保が大きな声で謝る。
「以団、それにっ…」
大木の上から、遊園の奥へと視線を移す篭也。
「…………」
「以の神、伊賀栗イクラっ…」
木々に挟まれた細い道を、ゆっくりとした足取りで歩きながら、遊園の奥から、篭也たちのいる入口付近へと姿を現したのは、緑一色の遊園に、その真っ黒な服が目立つ、相変わらず突き刺すような瞳を見せた、イクラであった。
『……っ』
イクラの放つ強いオーラのようなものを感じたのか、保と七架が同時に、ごくりと息を呑む。
「誰が変な名前だ。我らが神をバカにするな」
「誰もバカにしてねぇよぉ!?シャコ!そんなこと言ってっと、神、泣いちゃうぞぉ!?」
何故か怒っているシャコに、金八が勢いよく突っ込みを入れる。
「おいっ…」
『……っ』
イクラが下からそっと呼びかけると、騒いでいた金八とシャコが、すぐさま黙り込む。
「加守…」
「……っ?」
イクラの鋭い視線を向けられ、篭也が少し眉をひそめる。
「左守…太守…奈守…」
安団のメンバーを確認するように、イクラが囁、保、七架を一人ずつ見回していく。
「安の神がまだのようだな…」
軽く周囲を見回し、アヒルの姿がないことを確認して、イクラがそっと呟く。
「まっさか、肝心の神様が逃げ出しちゃったとかぁっ?」
枝の上から飛び降り、イクラのすぐ横へと着地する金八。金八に続くように、シャコたち三人も次々と地面へと降り立ち、イクラの左右に分かれて並ぶ。
「だったら笑えるなぁっ」
『むっ』
挑発するような金八の言葉に、四人が一斉に顔をしかめる。
「我が神が逃げるはずがないでしょう…?」
「そうですよぉ!アヒルさんは逃げたりしませんっ!」
強く言い放つ囁に続くように、抗議する保。
「逃げ出すよりもむしろ…遅刻して失格になる方が、よっぽど確率が高いわよ…」
「あららっ!」
妙に自信を持って言う囁に、保が思わず肩をすかす。
「真田さぁ~んっ」
「だって…遅刻とかアヒるん、毎日だし…」
「言えてるな」
「言えてるかも…」
囁の言葉に思わず納得し、どことなく不安げな表情を見せる篭也と七架。
「間もなく正午です」
「正午を三十分過ぎても安の神が来なければ、神試験は自動的に失格となります」
『……っ』
ルールをもう一度、確認するように説明するチラシとニギリに、四人が厳しい表情を作る。
「だ、大丈夫でしょうかっ?アヒルさんっ」
「さぁな」
「さぁなって…」
不安げに問いかける保であったが、あまりに興味なさそうに答える篭也に、困ったように眉をひそめる。
「地球の運命が懸かってるんですよぉ!神月くんっ!」
「あぁー、はいはい。勝手に懸けてろ」
熱弁する保を、篭也が適当にあしらう。
―――ゴォォーンっ!
『……っ』
その時、遊園入口の扉上の壁に掛けられている、巨大な掛け時計の針が十二時を差し示し、重く響く鐘の音を、広い遊園中に大きく轟かせた。その音に皆、思わず言葉を止め、十二時を差した時計を見上げ、どこか厳しい表情となる。
「正午…」
「何だよっ、やっぱ来ねぇーじゃんっ。安の神様っ」
ぼそっと呟くシャコと、どこかがっかりしたように肩を落とす金八。
「時間になっちゃったわね…」
「朝比奈くん…」
少し眉をひそめながら時計を見上げている囁の横で、七架が不安げにアヒルの名を呟く。
「チラシ、ニギリ」
『はっ』
イクラに名を呼ばれ、お揃いのスーツを身に纏ったチラシとニギリが、篭也たちに向けて一歩、前へと出る。
「正午になりました。ただいまから、時間を計らせていただきます」
「三十分経っても、安の神が現れなかった場合、神試験は失格となっ…」
「時間なんか、計る必要ねぇーよっ!」
『……っ!』
二人の説明を割って入ってくるその声に、篭也たちや以団の面々が皆、大きく目を見開く。
「俺なら、ここにいる」
堂々とそう言い放ち、遊園の入口から、その場へと現れたのは勿論、アヒルであった。
「アヒルさん!」
「朝比奈くんっ!」
「フフフっ…やっと来た…」
「まったく…」
嬉しそうにアヒルの名を呼ぶ保と七架に、不気味の微笑む囁、そして、どこか呆れるように肩を落とす篭也。
「おおっ!神様登場っ」
「……っ」
何やら楽しげに笑う金八の隣で、イクラがそっと目を細める。
「ふぃ~っ、絶対ダメだと思ったのに、よぉっく間に合ったもんだよなぁ」
「当たり前だ」
ホッとしたように胸を撫で下ろしたアヒルの横から、姿を見せたのは、恵であった。
「私が附いてんのに、お前を遅刻させるはずがないだろ?」
「アハハっ」
得意げに微笑む恵に、アヒルが少し引きつった笑みを浮かべる。
「よぉ!」
「“よぉ”じゃない。時間ギリギリだぞ」
「悪い悪いっ」
明るく手を挙げるアヒルに、篭也が注意するように言い放つと、アヒルは少し苦い笑みを浮かべた。
「こ、ここここんにちは!朝比奈くん!きょ、今日も雲一つない青空だねっ!」
「お、おうっ、ドームん中で空とか見えねぇーけどなっ…」
「アヒルさぁ~ん!アヒルさんが遅刻しちゃうんじゃないかって、俺、心配しちゃいましたよぉ~!」
七架の気合いの入った挨拶に、少し呆れているアヒルへと、保が全力で声を掛ける。
「はぁっ!アヒルさんに負けず劣らず、週に一回は遅刻してる俺なんかが、一丁前にすみませぇ~ん!」
「へぇへぇっ」
「フフフっ…」
相変わらず謝り散らしている保を、適当にあしらうアヒル。そんな皆の様子を眺め、囁がどこか楽しげに笑う。
「ふぅっ」
アヒルが加わって、一気に明るくなった皆に、篭也が呆れたような、安心したような、息を一つ吐く。
「ん?」
篭也がふと顔を上げ、アヒルとともにやって来た恵へと視線を移した。
「恵先生」
「悪かったな。もっと早めに来るつもりだったのに、ギリギリまで遊んじまった」
名を呼ぶ篭也に、恵が詫びるように軽く手を挙げる。
「ええぇ!?こんな時に、お二人で遊んで来ちゃってたんですかぁ!?」
「うっせぇ。チョーク、口にぶっ込むぞっ」
「ひええぇっ!」
「だから怖ぇーって」
間の抜けたことを言う保を、本気で睨みつける恵に、アヒルが呆れた様子で声を掛ける。
『お話中、失礼いたします』
「んっ?」
改まった様子で会話へと入ってくるチラシとニギリに、恵が少し眉をひそめながらも顔を上げる。
「神試験中、参加者以外の遊園内への立ち入りは、禁止とさせていただいております」
「参加者以外の方は、外のモニターにて、神試験の様子を視聴下さい」
「わかったわかった」
丁寧に説明する二人に、どこか雑に返事をする恵。
「じゃあまっ、せいぜい死なないようになぁ。教え子どもっ」
「あっ、恵先生っ…!」
「んっ?」
入口から再び外へと出て行こうとした恵を、アヒルが慌てて呼び止める。その声に恵が足を止め、ゆっくりと振り返った。
「色々と、ありがとうなっ!」
「……っ」
大きな笑顔を見せるアヒルに、そっと目を細める恵。
「受かってから言え」
「ハハっ、じゃあ受かったら、もう一回言うわっ!」
「そうしろ。じゃあなっ」
迷いなく答えるアヒルを見て、どこか満足げに微笑むと、恵はそのまま入口の扉を出て、遊園の外へと消えていった。
「礼を言うくらいの成果は出たんだろうな?」
「ん~?それはまぁっ」
篭也の問いかけに答えながら、恵を見送っていたアヒルがゆっくりと振り向き、遊園の奥、イクラたちの並ぶ方へと向き直る。
「見てのお楽しみっ?」
「…………」
イクラへ向けて笑みを浮かべるアヒルに、イクラがかすかに眉をひそめる。
「神」
「ああ…」
シャコに名を呼ばれ、イクラがゆっくりと足を前へと踏み出す。
「ではこれより、“安の神”朝比奈アヒル及び、安団メンバーに対する、神試験を開始する」
『……っ』
イクラの言葉に、アヒルたち五人が皆、その表情を厳しくした。
「ふぅっ」
遊園を出た恵は、扉を通り抜けてすぐのところで足を止め、少し疲れた様子で一つ、深い息を吐いた。
「お疲れ様でぇ~すっ」
「あっ?」
暢気な声に一息ついていた恵が顔を上げると、恵の正面には、扇子を扇ぎながら軽い笑みを浮かべている為介の姿があった。その横には、附き従うように雅が立っている。
「何だ、お前も来てたのか」
「一応、弟子っぽいのが二人も参加してますからねぇ~」
「二人?ああっ」
少し眉をひそめた恵が、納得するように頷く。
「そういえば、あのまるで可愛げのないイクラちゃんは、お前の元教え子だったな」
「ええぇ、まぁっ」
恵が思い出したように言うと、為介は少し目を細めて答えた。
「でぇ?そちらの指導はどうだったんですぅ~?」
「たったの十二時間だ。そう期待するな」
会話を交わしながら、恵と為介が入口のすぐ近くに設置されている、巨大モニターの前へと移動していく。モニターには遊園内のアヒルたちの様子が、何個にも分かれた画面を通して、事細かに映し出されていた。
「朝比奈君たちは、合格できるでしょうか?」
「さぁなぁ。それこそっ…」
雅の問いかけに素っ気なく答えながら、恵が厳しい表情でモニターを見つめる。
「“神のみぞ知る”って、やつじゃないかっ…?」




