Word.12 救イ 〈3〉
「“倍せ”っ!」
その数を数倍に増やし、逃げる場所もなく、周囲を埋め尽くすようにして、アヒルへと向かっていく、無数の針。
「…………」
アヒルは落ち着いた表情を見せ、向かってくる針へ向け、左手で銃の引き金を引いた。
「その数の針は、“当たれ”なんかじゃっ…」
すべてを防ぎ切れるはずもないと、確信の笑みを浮かべる灰示。
「……っ!」
だが、弾丸の光を浴びた針の一本が、空中で大きく軌道を変え、アヒルとはまるで違う方向へと飛んでいく。その一本を合図とするように、他の針も、次々にアヒルを避け、あらゆる方向へと飛んでいってしまった。
「な、何だっ…?」
すべての針がアヒルを避けると、灰示が戸惑うようにアヒルを見つめる。
「なんで針がっ…」
「“当たらねぇーよ”!」
「……っ!」
アヒルの発した言葉に、灰示が大きく目を見開く。
「“当たらない”…“当たれ”の否定形…」
「つまりは僕の“外れろ”と同じ…」
その言葉を、灰示と、二人の様子を見守るエリザが、冷静に分析する。
「そんな言葉があったとはねっ…」
「……っ」
少し苦い笑みを浮かべる灰示に、アヒルはすぐさま銃口を向けた。
「“当たれ”」
「うっ…!」
躊躇いもなく、すぐさま引き金を引くアヒルに、灰示が焦ったように右手で新たな針を出す。
「“弾け”っ…!」
向かってくる弾丸へ、針を投げる灰示。針は見事に弾丸に突き刺さり、弾丸を弾いて、天井へと飛ばす。
「こんなものっ…」
「“当たれ”」
「何っ…!?」
弾いてすぐに、新たな弾丸が、灰示へと向かってくる。投げたばかりで、針を手に持っていない灰示は、少し焦ったように、向かってくる弾丸を見た。
「クっ…!“外れろ”…!」
灰示の放った言葉に反応し、弾丸が大きく逸れ、天井へと上昇し、消えていく。
「ハァっ…ハァっ…」
連続して言葉を使ったからか、初めて大きく息を乱す灰示。肩を揺らし、その表情からも、先程まであった余裕は消えている。
「本当に…撃つ気になったみたいだねっ…」
「ああ。お前の望みは、俺がここで撃ち砕く」
「……っ」
はっきりと言い放つアヒルに、灰示が眉をひそめる。
「君の問いかけは気に入ってたけど…」
乱していた呼吸をすぐさま整え、その表情を鋭くして、灰示が大きめの針を、右手に構える。
「今の君の言葉は気に入らないよっ…!」
構えたばかりの針を、アヒルへと放つ灰示。
「“爆ぜろ”…!」
「……っ」
目つきを鋭くしたアヒルが、左手で銃を構える。
「無駄だっ、撃ち抜いた途端に、その針は爆発するっ」
「……“当たれ”っ!」
灰示がそっと微笑む中、引き金を引き、弾丸を放つアヒル。
「何っ…!?」
次の瞬間、大きく目を見開く灰示。アヒルの放った弾丸は、灰示の放った針のすぐ横を通り抜け、灰示自身へと向かってきた。
「僕へっ…!?」
針を迎撃すると思い込んでいた灰示が、向かってくる弾丸に、焦りの表情を見せる。
「“はっ…!うっ…!」
言葉を放とうとする灰示であったが、まだ『爆ぜろ』の言葉で放った針が発動していないため、他の言葉を発することが出来なかった。
「クっ…!」
「……っ」
迫る弾丸に、顔を歪める灰示。弾丸を放ったアヒルにも、赤く輝き始めた針が、差し迫った。
―――バァァァァン!
弾丸の衝撃と爆発が同時に起こり、部屋の至る部分を吹き飛ばして、広い部屋中を爆風が包み込んだ。
「うっ…」
黒い煙に、壁にもたれかかっているエリザが、少し目を細める。
「あっ…」
だが目に入ってくる光景に、その細めた瞳を、再び開いた。
『ハァっ…ハァっ…ハァっ…』
それぞれに傷を負い、血を流したアヒルと灰示が、お互い床に膝をつき、苦しげな息を漏らしている。
「う、うぅっ…」
もうすでにかなりの傷を負っていたアヒルは、今受けた爆撃により、さらに体全体が軋んでいた。気を抜けば、すぐにでも倒れてしまいそうである。
「うっ…」
「何故、だ…」
「……っ?」
軋む体を何とか支えるアヒルが、前方から聞こえてくる声に、ゆっくりとその顔を上げる。
「何故…理解しようと、しない…?」
アヒルの前方で、アヒルと向き合うようにして膝をついている灰示が、厳しくも、どこか戸惑うような表情を見せ、アヒルへと問いかけをする。
「僕のつくる世界は…僕が世界をつくればっ…世界から、悪意ある言葉はなくなるっ…」
睨みつけるように強くアヒルを見つめ、灰示が少し弱った声で言い放つ。
「人間はっ…“痛み”から解放されるんだっ…!」
「……っ」
声を張り上げる灰示に、アヒルがそっと目を細める。
「確かに…忌を増やして相手に痛みを返せばっ…人間は痛みを恐れて、悪意のある言葉なんて、言わないようになるかも知れねぇっ…」
まだ乱れた呼吸で、言葉を少し途切らせながら、ゆっくりと呟くアヒル。
「でも、そんなことをしたらっ…この世界から、“言葉”までなくなっちまうっ…」
眉をひそめ、アヒルが険しい表情を見せる。
「いいじゃないか!言葉がなくなれば、傷つく人間がいなくなるということでっ…!」
「そんな世界、俺は嫌だっ」
「……っ」
灰示の主張を、強く遮るアヒルの声。
「嫌っ…?ハハっ、愚かしい言葉だね。神様っ」
アヒルを嘲笑うように、言い放つ灰示。
「そんな愚かな言葉が言えるのはっ…君が傷つく“痛み”も、失う恐怖も知らないからだよっ…!」
「……っ」
大きく叫ぶ灰示に、アヒルがそっと目を細める。
「知ってるさっ…」
「何っ…?」
ゆっくりと答えるアヒルに、灰示が表情を曇らせる。
―――兄ちゃんなんかっ…!いなくなればいいんだっ…!!―――
かつて、幼い自分が放った言葉。
「言葉に潜む…その残酷さもっ…」
―――アーくんっ…―――
思い出される、優しい笑顔。
「言葉で…大切な人を失ってしまった悲しみもっ…」
細めた瞳で、どこか遠くを見るように過去のことを思い返しながら、アヒルが辛そうな表情を見せる。
「人は、一時の感情に呑まれて…言おうとも思ってなかった言葉を口にする…」
銃を握り締めた左手を、そっと左胸に当てるアヒル。
「挨拶するより簡単にっ…相手を傷つける言葉を放つ…」
「……ああっ」
アヒルの言葉に、灰示が笑顔で頷きかける。
「よくわかっているじゃないか、神様」
まるで褒めるように、アヒルへと笑顔を向ける灰示。
「そうなんだよっ…!だからこそ、悪意の潜む、“言葉”なんてものはっ…!」
「けどっ…!」
「……っ」
強く放たれるアヒルの声に、灰示が思わず言葉を呑み込む。
「言葉に…“悪意”が潜んでいたとしてもっ…それでもっ…」
少し乱れた息で、必死に言葉を続けるアヒル。
―――安の神は…君なんだからっ…―――
「諦めそうになった時、もう一度、立ち上がる勇気をくれたりっ…」
先程のエリザの言葉を思い出し、胸に手を当てたアヒルが、穏やかな笑みを浮かべる。
―――アヒル!パワーの源、『恋盲腸』だ!これを読め、これを!―――
―――何でも言ってよ、アヒル君…僕が憑いてるから…―――
―――アーくん!喰らえ!レタスミサイルぅ~!―――
「どうしようもない悲しみに、潰れそうになった時…泣きそうなくらいの温もりをくれるようにっ…」
家族の笑顔を思い出し、アヒルがさらに、晴れやかに笑う。
「言葉の中には、“救い”もあるって…俺はそう、信じてるっ…!!」
「……っ!」
アヒルの力ある言葉に、まるで気圧されるように、唇を噛み締める灰示。
「アヒルっ…」
見守るエリザは、まるで眩しいものでも見るように、そっとその瞳を細める。
「何をっ…」
少し戸惑うような声を発しながら、アヒルの言葉を必死に否定しようと、小さく首を横に振る灰示。
「何が、“救い”っ…」
アヒルの言葉を繰り返し、灰示が少し声を震わせる。
「それがっ、神の戯言だと言うんだっ…!」
「……っ」
大きな声で叫んだ灰示が、右手に一本の針を構え、アヒルに投げ放とうと振りかぶる。銃をまだ胸に当てたままのアヒルは、その灰示の動作に、驚きの表情を見せた。
「アヒルっ…!」
「クっ…!」
エリザが身を乗り出す中、アヒルが表情を歪ませる。
「これで終わりだっ…!安の神っ…!」
アヒルへ、針を投げようと、手を振り下ろす灰示。
―――また明日なっ、保!―――
「うぅっ…!」
「えっ…?」
急に針を投げようとしたその手を止める灰示に、アヒルが思わず戸惑いの声を漏らす。
「な、何だっ…?」
構えていた針を力なく地面に落とし、灰示が苦しげに頭を抱える。
「これは…保の、記憶っ…?うぅっ…!」
割れるように、激しく痛み始める頭を両手で抱えた灰示が、地面に膝をついたまま、身を屈める。
「ううぅっ…!」
「……っ」
苦しむ灰示を、まっすぐに見つめるアヒル。
「あれはっ…」
―――グウゥゥゥっ…!―――
―――有り得ない…宿主の人間が…忌の動きをコントロールするなどっ…―――
それは、紺平に取り憑いた忌が、紺平の、アヒルを助けようとする意志に妨げられ、苦しんでいた姿とよく似ていた。
「保っ…」
灰示の中の保の意志を感じ、アヒルが目を細める。
「うっ…!うぅっ…!」
アヒルが見つめる中、さらにひどく、苦しみもがく灰示。
「何、だっ…!これはっ…!」
声を途切らせながら、灰示が戸惑うように叫ぶ。
「頭の中にっ…入り込んでくるっ…!」
灰示が痛みを堪えるように強く唇を噛み締め、思わず目を伏せる。
「うううぅっ…!!」
――――すべてが燃え尽きた時、そこには絶望しか残ってなかった。
そこには、“悲しい”とか“辛い”とかしか残っていなくて、ならもう、全部、忘れてしまおうと思った。
“嬉しい”も“楽しい”も、すべて捨てて。
「今日は色々とありがとうございました、朝比奈くん」
「あっ?ああっ、おうっ」
一日の授業が終わり、皆が帰ろうとしたその時、保は、隣の席に座るアヒルへ、礼を言った。教科書を見せてもらったり、昼休みの弁当事件では色々と失礼な発言をしたので、それに対しての礼であった。
「っつーか、朝比奈じゃなくてアヒルでいいぞっ」
「えっ…!?」
アヒルが素っ気なく放った言葉に、保は声を裏返し、派手なリアクションで驚いた。
「こ、こんな平凡極まりない名前の俺なんかが、そんな面白い名前を呼んじゃっていいんですかぁ!?」
「だっから、ブン殴んぞ!お前っ!」
「ひええぇ~!」
殴りかかろうとするアヒルに、保が両手で頭を抱え、本気で怯える。
「まぁまぁ、ガァっ」
二人の間に割って入った紺平が、アヒルに宥めるように声を掛ける。
「面白い名前なのは事実なんだし」
「お前ねっ…」
笑顔ではっきりと言い放つ紺平に、アヒルが少し顔をしかめながら、振り上げていた手を下ろす。
「俺のことも紺平でいいよっ?保くんっ」
「えぇっ…!?そんなっ…!こんな腕長すぎて、制服のサイズ合ってないような俺がっ…!」
「もういいって」
相変わらずの自虐的な言葉を叫ぼうとする保を、紺平が引きつった笑みで止める。
「帰りましょう…?アヒるん…」
「へっ?あ、ああっ」
そこへ篭也と囁が、アヒルを迎えに来たように、三人のもとへとやって来た。
「転校生クンも一緒にどう…?」
「あ、いえ!俺はちょっと先生のとこに行かなきゃなんでっ…!」
「そう…残念っ…フフっ…」
「ああぁ~!俺みたいな典型的日本人が、一丁前にお誘いを断っちゃって、すみません~っ!」
「うるさい奴…」
囁の誘いを断り、それに対して、何故か勝手に、罪の意識に苛まれている保に、篭也が呆れきった表情を見せる。
「じゃあ帰るか」
「うん。明日、遅刻しないようにねっ?保くんっ」
「あ、は、はいっ!」
風紀委員らしい紺平の言葉に、保がしっかりと頷く。
「じゃあ、また明日な、保!」
「……っ!」
篭也、囁、紺平に続くようにして席を立ったアヒルが、保の方を振り返り、笑顔でそう言い放つ。その言葉に、保は思わず目を見開いた。
「ガァも遅刻厳禁ねっ」
「わあってるよっ」
「私が叩き起こしてあげるわよ…アヒるん…」
「頼むから、普通に起こしてくれ」
「…………」
教室を出て行くアヒルたちの背中を、まっすぐに見つめる保。アヒルたちが出て行った後も、保はしばらく、四人の出て行った前扉を見つめていた。
「“また、明日”…」
アヒルが放った言葉を、ゆっくりと繰り返す保。
「……っ」
保の表情から、笑顔が零れ落ちた。
楽しい。
楽しい。
“楽しい”なぁ…。
「ずっと憶えていたら、笑うことすら出来なくなってしまいそうで…ならいっそ、楽しかった思い出ごと、忘れた方がいいと思ってっ」
そう言った保に、アヒルが言った言葉。
「この痛みを忘れたら、俺は一生っ…本当の笑顔で、笑えなくなる気がするからっ…」
「……っ」
胸を突き刺した、アヒルの言葉。
“ねぇ…俺でもまだ…本当の笑顔で、笑えるかなぁ…?” ――――
「ううぅっ…!!」
頭を巡る保の記憶に、保の声に、灰示が強く閉じていた瞳を、大きく見開く。
「違うっ…!違うよ!保っ…!」
灰示が俯いたまま、自分の中にいる保へ向け、必死に叫ぶ。
「こんな痛みは忘れなきゃっ…!こんな痛みは失くさなきゃいけないんだっ…!」
声を震わせ、叫びを続ける灰示。
「だからっ…!僕はっ…!!」
灰示が大きく目を見開いたまま、深く俯けていた顔を勢いよく上げる。
「……っ」
顔を上げた灰示の視界に入るのは、保の記憶の中に出てきたアヒルの姿。
「僕たちをっ、惑わせるなぁっ…!!」
「……っ!」
今までになく感情を全面に出し、叫び散らした灰示が、アヒルへ向けて、数本の針を放つ。放たれた針に、アヒルは表情を鋭くし、素早く左手の銃を構えた。
「保を惑わせてんのはっ…お前だろっ!?」
アヒルも強く叫び、迷いなく引き金を引く。
「“爆ぜろ”っ…!」
「“当たれ”っ!」
同時に放たれる、言霊。
―――バァァァァン!




