Word.12 救イ 〈2〉
『うぅ…うっ…』
「ハハハっ」
床に倒れ込んだまま、かすかにしか体を動かすことも出来ず、苦しげな声を漏らすアヒルとエリザを眺め、灰示が満足げに笑う。
「ここまでのようだね、神様っ」
「グっ…!」
アヒルが両手で強く床を押し、必死に体を起き上がらせようとする。だが、今まで散々針も浴びてきて傷だらけの腕は、ろくに力が入らなかった。
「クソっ…」
思うように動かぬ体に、悔しげな表情を見せるアヒル。
「何とか、あいつをっ…!」
痛む体に表情をしかめながら、アヒルがそれでも必死に起き上がり、銃を灰示へと向ける。
「このっ…!」
―――保から僕の存在を切り離せば、保は死ぬ―――
「うっ…!」
思い出される灰示の言葉に、引き金を引こうとするアヒルの動きが止まった。
―――この世界から、痛みを失くさなければならないわけを…―――
―――なんでっ…!なんでぇっ…!!―――
―――君たち五十音士は、言葉に傷ついた人間を、忌を倒すためと言って、傷つけてきた…―――
「クっ…!」
思い出される灰示の言葉に、保の過去に、アヒルが苦しげに顔を歪める。保の過去はあまりにも悲しく、灰示の言葉は確かに事実で、それは、アヒルには、どうすることも出来ないことであった。
「クソっ…!」
もどかしい思いを胸に抱き、アヒルが唇を噛み締める。
「撃たないのかい?神様」
迷うアヒルの心を見透かすように、わざとらしく問いかけ、灰示が口端を吊り上げる。
「なら僕が、打つよ?」
「えっ…?」
唇を噛んでいたアヒルが、ふと顔を上げる。
「“放て”っ」
「うっ…!」
灰示が投げた大きめの針が、目にも留まらぬ速度で進み、あっという間に、アヒルの右肩を貫いた。
「う…ぁっ…」
針で貫かれた肩から、ボタボタと血を落としたアヒルが、力なく、構えていた銃を下ろす。下ろされた腕に、アヒルの真っ赤な血が流れる。
「ア、 ヒルっ…」
倒れたままのエリザが、弱々しくアヒルの名を呼ぶ。
「ううぅっ…うっ…」
「苦しいかい?神…」
右肩を左手で押さえ込み、背を丸めて、身を縮めるアヒルを眺め、灰示がそっと問いかける。
「それが、“痛み”だよ」
「……っ」
灰示の言葉に、アヒルの表情が曇る。
「痛みを抱きながら、死ぬといい」
そう言い放つと、灰示が大きめの針を、アヒルの上の天井へと投げ放った。
「“爆ぜろ”」
「……っ!」
アヒルの遥か頭上で針が爆発し、その爆発で崩れ落ちた天井の瓦礫が、下方にいるアヒルへと、勢いよく落下してくる。
「うっ…!」
満足に体を動かすことも出来ず、アヒルはただ、降ってくる瓦礫を見上げ、顔を歪めた。
―――バァァァァン!
「うっ…」
崩れ落ちる衝撃音が止み、アヒルがきつく閉じていた瞳を、かすかに開く。近くに瓦礫が落ちた気配は感じたが、思ったほどの衝撃は、体には落ちて来なかった。
「うぅ…」
「えっ…?」
すぐ傍から聞こえてくる苦しげな声に気づき、アヒルがはっきりと目を開き、顔を上げる。
「エリザっ…!?」
「うぅっ…」
アヒルが顔を上げると、アヒルの上に覆いかぶさるようにして、落下してきた瓦礫の盾となったエリザの姿があった。背中に傷を負ったエリザが、険しい表情を見せている。
「エリザっ!」
倒れ込みそうになるエリザを支えるようにして、アヒルがその場に起き上がる。
「エリザっ…!」
「アハハっ…何だ、か…初めて会った時、みたいね…」
「えっ…?」
アヒルに背中を支えられながら、地面へと座り込んだエリザが、アヒルへと笑顔を向けると、アヒルは戸惑うように眉をひそめた。
―――お前っ…!―――
初めて会った時も、エリザは忌の攻撃から、今と同じように覆いかぶさるようにして、アヒルを守った。
「あっ…」
エリザの言葉を聞き、思い出したようにアヒルが声を漏らす。
「って、んな暢気なこと言ってる場合じゃっ…!」
「“言葉で傷つけたんなら、言葉で謝れ”」
「へっ?」
この状況で、まるで懐かしむように笑うエリザに、思わず怒鳴りそうになったアヒルであったが、その声はエリザの言葉に遮られた。
「“言葉でちゃんと、相手に向き合え”」
「エリザっ…?」
言葉を続けるエリザを、アヒルが戸惑うように見つめる。
「あの日、君が私にくれた言葉よ…朝比奈アヒル…」
「……っ」
まっすぐにアヒルを見つめ、そっと微笑むエリザに、アヒルがハッとしたように目を見開く。確かにその言葉は、酷い言葉を向け、相手に忌を取り憑かせてしまったエリザに、アヒルが放った言葉であった。
「エリザっ…」
「あの時、君は…五十音士でもなかったのに、私にそう教えてくれて、私に言葉で謝らせてくれた…」
少し目を細めたアヒルが見つめる中、エリザがさらに言い放つ。
「そして、神になった…」
「…………」
注がれる視線を、アヒルはまっすぐに見つめ返す。
「ねぇ、朝比奈アヒル…」
エリザの白く細い手が、傷ついたアヒルの右手に乗る。
「君の武器は…この銃じゃない…」
銃を握り締めたアヒルの右手を握り締め、エリザが小さな声で、ゆっくりと呟く。
「五十音士の武器は…銃でも、針でも、拳でもない…」
穏やかな笑顔を浮かべ、エリザがまっすぐにアヒルを見つめる。
「君の武器は…“言葉”っ…」
「……っ」
エリザが口にしたその武器の名に、少し驚いた表情を見せるアヒル。
「言、葉っ…」
その言葉を、アヒルがゆっくりと、噛み締めるように繰り返す。
「言葉の力を信じて…自分の力を信じて…」
エリザがアヒルの手を握る手に、力を込める。
「安の神は…君なんだからっ…」
「……っ!」
伝えられる言葉に、アヒルが大きく目を見開く。
―――これが、あなたのやり方だろう?―――
―――すべては神の仰せのままよ…アヒるん…―――
「……っ」
いつかの篭也と囁の言葉を思い出し、すべてのもどかしさが取れたような、引き締まった表情となったアヒルが、ゆっくりと左手をあげ、右手を握り締めるエリザの手を、上から覆うようにして握り締めた。
「エリザ」
「……っ?」
名を呼ばれ、エリザがゆっくりと顔を上げる。
「ありがとう」
「……勝ってから言いなさいっ」
「……っ」
礼を言うアヒルに、そう強気に言い返しながらも笑顔を浮かべるエリザ。そんなエリザを、そっと後ろの壁にもたれかからせるようにして座らせ、アヒルがゆっくりと立ち上がる。
「驚いたな。まだやる気なのかい?」
立ち上がったアヒルへ向け、前方に立つ灰示が、意外そうに言い放つ。
「その肩じゃ、もう銃を撃つことも出来ないだろう?」
「俺の場合、別に的を絞ってるわけじゃねぇっ」
灰示の問いかけに答え、アヒルが右手の銃を、左手へと持ち替えた。
「引き金が引ければいい。左手で十分だっ」
「……っ」
今までとは異なる、迷いのない表情で、はっきりと言い放つアヒルに、その変化を感じたのか、灰示が多少、表情を曇らせる。
「へぇっ、撃つ気なんだね」
すぐに曇らせた表情を笑顔へと戻し、灰示が余裕な口調を見せる。
「僕をっ…」
「撃つさっ」
「……っ」
すぐさま答えるアヒルに、少し目を見開く灰示。
「俺は安の神として、お前を許すわけにはいかない」
「“許すわけにはいかない”…?」
アヒルの言葉を繰り返し、灰示がおかしそうに笑う。
「それは、保の痛みも否定するということでいいのかな?」
「んなわけねぇーだろっ」
「何っ…?」
アヒルがすぐに首を横に振ると、灰示は笑みを止め、眉をひそめた。
「俺は別に保の痛みは否定しない。お前がやってきたことを、やろうとしてることを、許さないっつってるだけだ」
「何をっ…」
その言葉に、馬鹿にするような笑みを浮かべる灰示。
「僕がやろうとしていることは、保の望んでいることでっ…」
「違うなっ」
「……っ」
強く否定するアヒルに、灰示が少し顔をしかめる。
「あいつがそんなこと、望むはずがねぇ」
アヒルがまっすぐな瞳を、灰示へと向ける。
―――その方、死んじゃったんですか…?―――
―――良かった…―――
「あんなっ…見ず知らずの敵の命まで心配するような奴がっ…」
―――なんでっ…!なんでぇっ…!!―――
「誰よりもっ…“痛み”を知ってる奴がっ…」
アヒルが銃を握る左手に、力を込める。
「忌が増えまくって、みんなが痛みを怖がって生きなきゃいけないような世界っ、望むはずがねぇよっ…!」
「……っ!」
その叫び声が部屋中に響き渡ると、灰示は思わず目を見開いた。
「わかったような口をっ…」
今まで冷静な表情を見せてきた灰示が、怒りを示すように少しその声を震わせ、整った顔立ちを歪めて、両手の針を構える。
「君にとって保は、たかだか今日知り合ったばかりの人間だろうっ?」
どこか挑戦的に、アヒルへと問いかける灰示。
「僕と保は、八年もの時を共有してきたんだ。保の望みなら、僕が誰よりも理解してっ…」
「俺はっ」
「……っ」
灰示の言葉が、アヒルの声に遮られる。
「俺は、一緒に過ごしてきた時間ぐらいで、友達を決めたりしないっ」
「友達っ…?」
アヒルの放った言葉に、灰示が意外そうに目を見開く。
「今日出会ったばかりの保が、友達?保のことを何も知らなかった君が、友達?」
「確かに過去は知らなかった。けど、知ってることだってある。言ったろ?」
「……っ?」
確かめるように問うアヒルに、灰示が少し眉をひそめる。
「お前の望みを、保は望んじゃいねぇってっ」
「……っ」
アヒルが自信の見える笑顔を向けると、灰示がその表情を、不快そうにしかめた。
「その口振りが気に入らないねぇ!神様っ…!」
荒々しく声をあげ、灰示がアヒルへと両手の針を投げる。




