Word.6 二人目ノ神 〈2〉
その頃。言ノ葉高校一年D組。
「はぁぁぁ~っ…」
自分の机に肘をつき、両手のひらに顎を乗せて、深々と溜め息を吐いているのは、想子であった。
「どうしたのぉ?想子ちゃん」
想子の前の席に座る奈々瀬が、どこか心配そうに想子の方を振り返る。
「さっきから溜め息ばっかりだよぉ?」
「なぁ~んか昨日、変な夢見ちゃってさぁ…」
「夢っ?」
しかめた表情で呟く想子に、奈々瀬が首を傾げる。
「夢って、どんな夢?」
「何か、やたら“グオオォォ”とか叫ぶ変な連中に、ひたっすら追いかけられる夢っ」
内容を思い出していったからか、想子がさらに眉をひそめ、険しい表情を作る。
「夢の中でなのにさぁ、全速力で必死こいて逃げたからなのか、朝起きたら、すんごく疲れちゃっててっ」
「あぁ~わかるっ!私もこの前、同じような夢見たよぉっ」
「へっ?」
大きく頷く奈々瀬に、目を丸くする想子。
「ナナも?」
「うん。“グオオォォ”とか叫んでる変な黒い影の化け物が、人に取り憑いて、壁とか壊す夢でしょ?」
「黒い影?」
奈々瀬の話を聞き、想子が大きく首を傾げる。
「黒い影…は私、見なかったけど…」
「あれっ?じゃあ違う夢かなぁ?」
「……っ」
眉間に皺を寄せながら、強く腕組みをする奈々瀬を見ながら、想子がそっと目を細める。
「やっぱ夢かっ…」
―――想子ちゃん…!こっちっ…!―――
「そうだよねぇ…カッコ良すぎたもんっ…」
そう呟くと、想子はさらに顎を、両手のひらへと沈めた。
戻って、何でも屋『いどばた』。
「一体、何の店なんだ?」
開店前の店の中へと通された篭也は、薄暗い店内を見回し、思わず眉をひそめた。棚に並んでいるのは、鍋や本や菓子類など、種類もバラバラで、何の統一性もない。
「文字通り“何でも屋”だよぉ~ボクが気に入ったら、何でも置くお店っ」
「気に入ったら、ねぇ…」
妙にリアルなワニの置物を手に取りながら、篭也がさらに眉をひそめる。店に置かれているものの大半は、どこを気に入ったのか、まったく理解出来ない品物ばかりであった。
「んん~っ…フハっ!」
周囲を見回していた篭也が、不意に目を見開く。
「こ、恋盲腸のドラマCDっ…」
篭也が手を震わせながら、デロ甘な絵の描かれたドラマCDを手に取る。
「はぁ~いっ、お茶入ったよぉ~」
「あ、ああっ」
店の奥から為介の声が聞こえると、篭也は慌ててドラマCDを置き、真面目な表情を作って、奥へと足早に進んでいった。
「どうぞぉ」
「どうもっ…」
為介が座る店の縁側へと、篭也が腰を下ろし、すぐ横に出された湯呑みを手に取る。
「でぇ、わざわざ学校おサボりしてまで、ボクに何の用~?」
「決まっている。昨日の忌増発の話についてだ」
「忌増発ぅ~?」
素早く答える篭也に、為介が顔をしかめる。
「それなら昨日、ぜぇ~んぶ知ってることは話しっ…」
「原因は?何故、そんなことが起こっている?」
面倒臭そうに答える為介の言葉を遮り、篭也が鋭く問いかける。
「知らないよぉ、そんなのっ。別にボクが調べてるってわけでもないしぃ。たっだぁ~」
「ただ…?」
言葉を付け加える為介に、篭也が眉をひそめる。
「忌自体が勝手に、増発するように進化したとは思えない。外部から何らかの力が加わったって、考えるのが自然だろうねぇ」
「外部から…?」
為介の言葉を聞き、途端に篭也の表情が曇る。
「五十音士が…絡んでいると…?」
「さぁっ、そこまでは何ともっ」
「……っ」
軽い笑みを浮かべる為介に、篭也が疑うような瞳を向ける。
「本当に何も知らないのか?」
「君も大概、しつこいねぇ~」
再度、確認するように問いかける篭也が、為介が少し呆れたように肩を落とす。
「ボクより、君の方がよっぽど、情報に精通してるんじゃないのかぁ~い?神月篭也くんっ」
どこか試すように微笑んだ為介が、まっすぐに篭也を見る。
「いっやぁ、於崎篭也くん、って呼んだ方がいいのかなっ…?」
「……っ」
呼ばれる名に、篭也の表情が一気に曇った。
「わかった。増発の件は、こちらで調べることにする」
湯呑みを床へと置いた篭也が、勢いよく立ち上がる。
「邪魔したな。失礼する」
鞄を持ち直すと、篭也は為介に背を向け、店の入口へと歩き出していく。
「神月くんっ」
「……っ?」
篭也が戸を開き、店を出ようとしたその時、為介が篭也を呼び止め、篭也は少し戸惑うように、為介の方を振り返った。
「何っ…」
「君の神様は未熟過ぎるよ。とっととやめさせて、次のを探した方がいい」
「……っ」
為介の言葉に、篭也が思わず顔をしかめる。
「神は団の先頭に立つ者。言葉の重みを知る者より、言葉の知識に優れた者がなるべきだ」
まっすぐな瞳を、篭也へと向ける為介。
「傷ついた者を救うことよりも、忌を倒すことを最優先に出来る者がなるべきだよ」
言葉を続ける為介が、そっと口元を緩める。
「君もそう思うだろう?」
「……っ」
試すように問いかける為介に、篭也がそっと目を細める。
「言葉の知識に優れ、忌を倒すことを最優先に出来る神、か…」
少し俯いた篭也が、為介の放った言葉を繰り返す。
「確かにそうだな。それこそが神だと、僕も思う」
篭也がひどく納得した様子で、大きく頷く。
「だが…」
「……っ?」
さらに口を開く篭也に、為介が少し眉をひそめる。
「そんな面白みのない神、僕が附く価値もない」
「……っ」
顔を上げ、はっきりと言い放つ篭也に、為介は驚いたように、大きく目を見開いた。
「失礼する」
素っ気ない挨拶を残し、篭也は店を出て行った。戸の閉まる音が強く響き渡ると、薄暗い店内に、無音の時間が流れた。
「“僕が附く価値もない”、か…」
先程の篭也の言葉を繰り返し、そっと笑みを零す為介。
「確かに面白い子たちですよ…あなたの言う通りねっ…」
その日、放課後。言ノ葉高校。
「ふわぁ~あっ、やっと一日が終わったぁっ」
「ガァの場合、昼休み以外、ずっと睡眠学習だったけどね」
「昨日、あんま寝れなかったから眠くってさっ」
紺平と会話を交わしながら、教室を出たアヒルは、そのまま行き交う生徒たちの間を進み、下校する生徒で混み合う昇降口へと出た。
「じゃあ俺、今日、委員会あるから」
「ああ、また明日な」
階段を上っていく紺平と別れ、アヒルが一人、自分の下駄箱の方へと歩いて行く。下駄箱を開け、上履きから靴へと履き替えたアヒルは、そのまま一人で校舎を出た。
「ゲーセンでも寄ってくかなぁ」
「あれ…?アヒル君…?」
「んっ?」
よく聞き覚えのある声に呼ばれ、アヒルが足を止めて、振り返る。
「今、帰り…?奇遇だね…」
「ああ、ツー兄って…」
アヒルのすぐ後に、校舎から出て来たのはツバメであった。ツバメに笑顔を向けようとしたアヒルであったが、ツバメのすぐ横に立つ、眼鏡の青年の姿が目に入り、笑みを止める。
「あぁーっ!」
「へっ…?」
ツバメの横に立つその人物を、強く指差すアヒルに、ツバメが首を傾げる。
「あ、あんたはっ…!」
「どうも」
指差すアヒルに軽く挨拶をしながら、人差し指で眼鏡の縁を持ち上げるのは、昨夜、為介とともにアヒルたちが戦っている場へと現れた、雅と呼ばれていた、あの青年であった。
「な、なんであんたがここにっ…!」
「僕のクラスメイトだからだよ…」
「えっ!?ツー兄のクラスメイト!?」
雅の代わりに答えるツバメに、アヒルが激しく驚く。
「って、そう言われてみると、昨日もウチの学校の制服着てたっけ…」
雅が着ている制服を見て、思い出したように呟くアヒル。昨日は色々とありすぎて、そこにまで目がいかなかったようである。
「アヒル君て…雅君と知り合いだったの…?」
「えっ!?いや!まぁちょっとっ!」
昨夜、ツバメを助けた時に知り合ったとも言えず、アヒルが誤魔化すように笑みを浮かべる。
「ツー兄こそ、知り合いなんだ?」
「うん…知り合いというか、友達…?クラスメイトだし、部活も同じだし…」
「ということは、オカルト同好会っ!?」
「何か?」
驚きの表情で振り向くアヒルに、雅が眼鏡を上げながら、文句があるのかと言わんばかりに聞き返す。
「うん…雅君、部長だよ…」
「同好会なのに部長っ!?」
「何か?」
もう一度驚くアヒルに、もう一度聞き返す雅。
「でも接点が見えないなぁ…雅君、いつアヒル君と知り合いになったの…?」
「昨日の夜です」
「昨日の…夜…?」
「やべっ…!」
雅の答えを聞いたツバメが、勢いよく表情を曇らせ、何か思い出そうとするように首を捻り始める。そんなツバメに、一気に焦った表情となるアヒル。
「昨日の夜って…」
「あっ!ああぁ~!俺っ、この人と込み入った話があるんだったぁ!ツー兄、悪いけど、先帰っててくれよぉ~!あははぁ~!」
「えっ…?あ、アヒル君っ…?」
ツバメが止める間もなく、アヒルは雅の手を引き、正門を通り抜け、学校を走り去っていった。
「ふぃ~!あっぶねっ」
勢いよく学校を飛び出し、近くの公園に入ったところで、アヒルは雅の手を離し、その場に足を止めた。一息つくように、大きく胸を撫で下ろす。
「で、込み入った話というのは何です?」
「はぁっ?」
真顔で問いかけてくる雅に、アヒルが顔をしかめる。
「あんなのウソに決まってんだろ?」
「嘘…?」
雅が眼鏡を上げながら、眉をひそめる。
「何故、そのような嘘を?」
「あんたが“昨日の夜”とか言ったせいで、ツー兄が昨日のこと、思い出しそうだったからだよっ!」
「ああっ」
怒鳴るように答えるアヒルに、納得した様子で頷く雅。
「そうか…知らないんでしたね」
「当ったり前だろ!ツー兄に、忌だの神だの、知られてたまるかよっ」
「……っ」
吐き捨てるように言い放つアヒルを見ながら、雅がそっと目を細める。
「急に引っ張ってきて悪かったなぁっ。じゃあっ」
「待って下さい」
「へっ?」
その場を去ろうとしたアヒルが、不意に雅に呼び止められ、戸惑うように顔を上げる。
「本当に少し、話をしていきませんか?」
「……っ」
雅の誘いに、アヒルは少し眉をひそめた。
午後真っ盛り。言ノ葉町の小さな八百屋さん『あさひな』。
「毎度ぉ!また頼みますねぇ!」
店の前では、ハチマキを巻いた朝比奈家の父が、商店街を歩く主婦を相手に、商売に精を出していた。
「あ!篭也くん!」
「ただいま戻りました」
主婦に紛れて、八百屋へと歩み寄ってくる篭也に、父が笑顔を向ける。
「お父さんに会えなかったこの数時間っ、寂しくなかったぁ!?」
「いえ、全然」
「そうっ…」
爽やかな笑顔ですぐさま答える篭也に、多少のショックを受ける父。
「一人だけぇ?学校の帰りにしては早いねぇっ」
「用事をしてたら遅くなって、結局、学校へは行かなかったので」
時計を見ながら問いかける父に、篭也が少し困ったように笑う。
「神はまだ帰ってませんよね?」
「うんっ、まぁ中で待ってなよ。直に帰ってくるだろうからさぁ~」
「すみません、お邪魔します」
笑顔で奥へと進める父に、軽く一礼をしながら、篭也が店の中を通り抜け、靴を脱ぎ、店から続く居間へと上がる。
「スズメさん?」
「おう、篭也。えらく早いな」
篭也が居間へと入ると、居間にはすでに制服から着替え、すっかり寛いでいる様子のスズメの姿があった。
「スズメさんこそ、学校から帰ってきたにしては、早すぎませんか?」
「隣校の番長に謝りに行ったらさぁ、何か学校戻んのもダルくなっちまって、そのまま帰宅っ」
「成程」
スズメの言葉に、篭也が納得した様子で頷く。
「本当に謝りに行ったんですね、スズメさん」
「だってツバメの呪い、怖ぇーんだもんっ」
少し意外そうに言い放つ篭也に、スズメがしかめた表情を見せる。
「それにっ…」
「えっ…?」
ふと表情を曇らせるスズメに、篭也が首を傾げる。
「昨日、何かあって、アヒルの様子がおかしくなったんなら、それはそれで反省しねぇといけねぇしっ…」
「神の…様子っ…?」
スズメのその言葉に、篭也が表情を曇らせる。
―――“当たれ”…“当たれ”…!―――
―――今日のは、十発十中、俺が全部悪い…ごめん…―――
「……っ」
昨夜、突然、様子を変えたアヒルを思い出し、篭也はそっと目を細めた。




